僕がROCKを聞き出した74年頃は、現在スーパースターと呼ばれる多くのアーティスト達が大活躍した後だと思います。
ビートルズ,ZEPPLIN,ストーンズ,JEFF BECK,クラプトン,ディープパープル,etc....(あ、これは僕の感想です)
当時の洋楽シーンは、まだまだ英国のブリティッシュが強く、いわゆる硬派なROCKが一般の支持を得ていました。そして誰もが第二のBEATLES,ZEP,STORNSを待っていた時代です。そんな中、沢山のバンドがデビューしては消えてしまいました。QUEENもそうしたバンドの中のひとつでした。ただ、彼らが他のバンドと決定的に違ったのは、唯一無二の音楽性と強烈なオリジナリティを兼ね備えていたコトです。
当時、この強烈な個性が保守的な英国のマスコミには受け入れられず、QUEENとマスコミとの擱筆は80年代まで引きずることになってしまいます。
本国での評価が今イチにも係わらずQUEENのクオリティの高い音楽性を認めたのが、何を隠そう我々日本のファンだったのです。
残念ながら日本の評価も音楽性よりもアイドル的価値が先行しましたが、しかし、日本での人気の影響は本国のマスコミにに少なからず影響を与えたようです。
(日本でQUEENを一番最初に紹介したのはMUSIC FILEでした。この功績は非常に大きいものがあります。しかし、QUEENを一番最初にアイドルバンドとして日本に紹介したのもML誌だったのです。しかしこの重罪についてはあまり知られてはいないのです。)
そんな星の数ほどデビューしたバンドの中で、誰が言い出したか(きっとMUSIC FILE誌だろうが^^;)Aerosmith,KISS,QUEENをROCK界の御三家と呼び人気を博していました。人気の面では三者同じでしたが、女性ファンが圧倒的に多かったのはQUEENです。そりゃ、そうでしょ!何たって金髪の美男子ロジャー君がQUEENにはいましたからね。案の定、若い女性ファンの殆どは「キャ〜、ロジャ〜!」と騒ぎ、誰一人「キャ〜、フレディ〜!」なんて叫ばなかった^^;
おまけに日本の女性がブランド指向に弱いのは今も昔も代わりません。Aerosmith,KISSのメンバーに比べて、四人とも高学歴でおまけに育ちも中流階級ときたら、日本の若い女の子達が飛びつかないワケないもんね。
女性ファンの盛り上がりとは対象的に、男性ファンはおとなしいものでした。僕にQUEENを教えてくれた兄は寡黙なベーシストJhonのセンスが気になっていたようだし、僕はやっぱりBrianかな。『QUEEN II』依頼、あの素晴らしいキターワークの虜になっていました。
QUEENが初来日したのは1975年4月です。それはそれは物凄い出迎えでした。
当時の国際空港羽田空港に300人ものファンが詰めかけたのです。これには渡辺プロダクションも日本のマスコミも慌てたそうです。でも一番驚いたのはQUEENのメンバーだったのですよ。熱狂的な出迎えは本国でさえなかったのですもの。おまけにアットホームな記者会見も初経験でした。終始ご機嫌で無事日本ツアーを成功させた4人は瞬く間に日本が大好きになったのです。特にFreddieの日本びいきは物凄く、後に何度かお忍びで日本を訪ねては、骨董品を集めたようです。
初来日時のコンサートで音楽評論家&頑固なファンの一番の関心事はライブ演奏の出来でした。果たして四人でアルバムのような演奏が出来るのか!きっと評論家達はコンサートを見る前からQUEENを罵倒する原稿を書き彼らの失態を待っていたのでしょう。しかし、残念なことに彼らは四人だけでQUEENの世界を完璧なまでにステージ上で再現させたのです。
更に驚くのは彼らのコンサートの構成でした。それは今までにないスタイルだったのです。今でこそ当たり前のスタイルですが『ROCK SHOW』というスタイルを興行的に成功させたのはQUEENだったのです。それまではステージ上のミュージーヤン達はほぼ自己満足に近い演奏だったのですが、衣装やライトを効果的に使い、ステージをドラマチックに躍動感溢れるコンサートをしたのがQUEENだったのです。
しかし、日本ではその派手なステージから頑固な評論家達は益々彼らを『アイドル』呼ばわりし、音楽を否定し続けたのです。
余談ですが、BEATLESが成功した要因のひとつに空港での出迎の演出がありました。始めの頃は海外ツアーを成功させるために空港に出迎え用のファンを用意したそうです。各国この手法で話題性を集め海外ツアーを成功させたそうです。もっともこんなコトしなくても実力で成功したことには代わりありませんがね。しかしQUEENの場合は本当に集まったのです。そりゃ当然です。BEATLESと違って、初来日時は本国ですら無名に近いのですから、アジアの片隅の国でこんなに人気が出るとは誰一人として夢々思っていなかったのです。
確か、この御三家の中で一番最初に来日したのがQUEENだったと思います。そのせいもあり、Aerosmith,KISSとの人気の差はどんどん広がり、MUSIC FILE誌で年末に行っていた人気投票では、バンド別、各パート別とも数年間トップの座に君臨していました。
二度目の来日は1976年3月でした。彼らの四枚目のアルバム『A Night At The Opera』(邦題:オペラ座の夜)と名曲『BOHEMIAN RHAPSODY』の世界的大ヒットで母国での大成功を収めた彼ら四人は、第二の故郷ニッポンへ凱旋ツアーを果たしたのです。この時の空港の出迎えは初来日よりも増え500人にものぼったそうですから、その人気の程は当時としては驚異に近いものでした。
今回のステージもまた我々ファンや音楽評論家の度肝を抜きました。
ライブ演奏のクオリティの高さコーラスワークの美しさは益々磨きがかかったのは言うまでもありません。が、Freddieのド派手なステージ衣装に皆度肝を抜かされたのです。どんな衣装だったと思いますか?
何と、裸に素足で着物をガウンのように羽織っていたのです。しかも赤い腰ひもをほどき着物を脱ぎ捨てると、赤と白のホットパンツに赤白青の縦縞のサスペンダーだけの姿になったのです。胸をさらけ出し、裸足で歌うのです。こんなROCKコンサートってあったでしょうか?降参です。
日本のファンも物凄かったです。とにかく「ワァ〜ワァ〜、キャ〜、キャ〜」の歓声で、Freddieの歌声が聞こえないほどファンは異常に興奮していたのです。
…そうですね、異常でしたねアレは。あんなコンサートでは音楽評論家も頑固なROCKファンも。QUEENの実力と人気を怪訝するのは当然だったかもね。とにかく女性ファンのテンションが異常に高かったのです。
硬派な音楽雑誌「ロッキンf」などには滅多に採り上げられなかったと記憶していますが、「MUSIC LIFE」を始め「音楽専科」「ROCKSHOW」などの雑誌のグラビアを、この御三家が飾り始めたのもこの頃です。
『A Night At The Opera』の大成功により、QUEEN=アイドルバンドとはならなくなりましたが、茶目っ気なFreddieのパフォーマンスによりQUEEN=色物バンドと勘違いもされるようになりました^^;
とはいえ、相変わらずQUEENを認めない音楽ファンは沢山回りにはいました。学校の廊下で合えば親友でも本気で音楽論を戦い、街中で合えばアルバム批評の繰り返し。でも、かわいいもので、最後には何となく決着が付いていたんだよね。
ホント無邪気な時代でした。この頃までは…