QUEENを再び愛するようになるまでに10年経っているが、その間に4度QUEENと再会している。
82年5月以降2年間僕はQUEENを全く聞かなかった。QUEENの音楽性に疑問を感じ離れたが、QUEENを聞かなくなった理由は他にもある。16才の時に聞いた高中正義に刺激されフュージョンに傾倒して行ったのだった。特に18才頃に出会ったCASIOPEAを聞いて以来、ROCKを封印するかのように全くROCK系のレコードに針を落とすことは無くなった。当然ROCK系の音楽雑誌も買わなくなった。立ち読みでさえしなくなったのだ。従って82年から84年までのQUEENの活動については、その殆どをFreddieが亡くなった後になって知った。
最初の再会は、何とテレビだった。当時大人気だった『ベストヒットUSA』というランキング曲の紹介をプロモーションビデオで紹介する番組だ。再会した曲は"RADIO GA GA"だったと思う。あの『メトロポリス』の映像を上手く合成したビデオだ。が…僕はまたしてもガッカリしたのを覚えている。今でこそGUEENやKWEENのLIVEで"RADIO GA GA"が始まったら両手を挙げてまくっているが、初めてこの曲を聞いた時は「何か、すっかりアメリカンなっちゃったなぁ」と思った。初期の頃から順に聞いてきたファンなら、きっと僕が言わんとしているニュアンスは判って頂けると思う。僕は、あくまでも英国の香りがするブリティッシュなQUEENが大好きだったのだ。たしかに、この頃のROCK産業は既に英国から米国へと主導権も変わり、皆ポップになっていった。ベストヒットUSAに登場するのもROCK系はみなアメリカンバンドだった。(PUNK ROCKの失速と同時に英国の音楽もROCKからテクノ系に主流が代わっていた)
85年5月 6度目の来日を果たす。今回も一週間程のショート・ツアーだった。
代々木でのLiveはVideo&LD化されているが、これが日本での最後の雄姿となった…
二度目の再会は、チャリティ・コンサートだった。
1985年7月13日に世界規模で行われたエチオピア難民飢餓救済チャリティ・コンサート"LIVE AID"だ。
これは、84年にイギリスのポップグループ"ブームタンラッツ"のボーカル:ボブ・ゲルドフが発起人となり、制作したチョリティ・バンド"BAND AID"のシングル「Do They Know it Christmas?」の成功により実現した至上最大のイベントだった。QUEENは自分たちのレコーディングスケジュールの都合でこのシングル"DTKiC"に参加していなかったが、ボブは「このイベントの成功にはQUEENの力が必要だ!」と考えQUEENに出演交渉を行い、後に「至上最高の20分間のエンターティナーショー」と語られるQUEENのLiveが実現された。
日本でもたしかフジテレビが中継生放送をし、僕も眠い目をこすりながらQUEENの出番を待っていた。
QUEENの出番は7月13日18時44分(現地時間)だった。
Bohemian Rhapsody
Radio Ga Ga
Hammer To Hall
Crazy Little Thing Called Love
We Will Rock You
We Are The Champions
21時48分 (Freddie&Brianのみ)
IS THIS THE WORLD WE CREATED.....?
完璧なエンターティナーショーだった。ウェンブリースタジアムに集まった7万人の観衆を巻き込んでのショーは大成功だった。この日出演した63バンド(英国側)で一番の盛り上がりだった。
世界160カ国15億人の人々は、QUEENの、Freddieの実力を目の当たりにしたのだ。
僕は見ていて顔がほころんでいた。誰か側にいたら、きっと「エッヘン!どうだ、これがQUEENの実力だ!」ときっと鼻高々に自慢していたに違いない。
嬉しかった。とにかくQUEENの雄姿が見れたことが嬉しかった。僕の目は耳は本物だったという実感が嬉しかった。
Frediieは本当に楽しそうだった。これだけの観衆を目の前にして全世界の目を釘付けにしている自分達に本当に喜んでいた。その気持ちがそのままストレートに我々に伝わる20分間だった。この時ばかりは、日頃QUEENを煙たがっている連中も降参したようだった。まんまとFreddieのパフォーマンスにつられ、いつの間にか拳を振り上げ一緒に歌っていた。
ホント、Freddieにあっては、誰も敵わないよ(^^)
それまでに噂されていたQUEENの危機説など、一瞬に吹き飛んでしまった。
三度目の再会は更に2年後の86年6月に発表した『KIND OF MAGIC』だ。既にフュージョン化していた僕は、レコードショップへ出掛けても滅多にROCK系のレコード棚には見向きもしなかった。しかし、あの日は違っていた。何故かROCK系に足が向いたのだった。どのレコードが買いたいわけでもなくパラパラとレコードを漁っていると、昔の癖なのだろう、気がつけば『Q』の棚の前に立ちQUEENのレコードを探していたのだった。
新譜が出てるなど全く知らなかったが、そこには『KIND OF MAGIC』があった。丁度発売された直後だったようだ。
気がつけば僕はレジでこのLPを買っていた。
今でも不思議なのだが、どうしてこの時はレンタルではなく確かめもせず買ったのだろう?
レコードジャケットを見ても(当時の)今風であり、ジャケットからして自分好みな昔風サウンドは期待出来ないハズ…なのに買っていたんだな。これは、未だに自分でも分からないのである。
ひさびさにQUEENの新譜に針を落とした。実に80年6月の『The Game』以来、丸六年が経過していた。
収録されている曲には昔の面影はなく、アルバムトータルコンセプトというよりそれぞれの曲が、それぞれ主張しているようだった。(当時MTVの影響は売上セールスに大きな影響を与えていたので、どこもシングル受けする曲を作っていたのは確かだった。)それでも、聴きながら喜んでいるのが自分でもわかった。
自分の嗜好が変わったとは思えない、相変わらず初期のQUEENサウンドが好きだ。なのに、それに相反するこのアルバムは気に入っている。一口では言えないが、昔のコンセプトがポップスという形に昇華したのだと思っている。
理屈はどうであれ、僕はこのアルバムが気に入った。(だから、僕のWebSiteのタイトルは"Friends will be Friends(邦題:心の絆)にしているのだ。)
しかし、だからといって"HOT SPACE"以降のアルバムも聞けるかというと、そうはいかなかった。やはり抵抗がある。この頃でさえ"The Game""HOT SPACE""THE WORKS"は聞かなかった。ましてや"FLASH GORDON"など論外だった。
四度目の再開。そしてFREDDIEとの最後となったのは、1990年5月に発表された『THE MIRACLE』だった。
この間86/12『LIVE MAGIC』、89/12『QUEEN AT THE BEEB』が発表されていたらしい。後者は日本ではもっと後に発表されたと記憶しているのだが…気のせいだったかなァ…ねェ、誰か覚えてない?
前者については、全く知らなかった。どちらも、つい最近私は手に入れた^^;;;
『THE MIRACLE』のジャケットを初めて見た時「あぁ、やっぱり噂は本当だったンだァ〜」と思わず店先で声を出していた。ROCKから離れていた私にでさえ噂は耳に入っていた。彼のことだからそれは当然だと思いながらその噂を聞いていたのだが、実際にジャケットに写っている本人を見ると流石の僕でもショックだった。
「キツイなァ…」呆然とする自分にも驚いた。
それなりに覚悟はしていたつもりだったのだが、結構ダメージが大きかったようです。流れる新譜も耳に入らなかった。唯一印象に残ったのが"THE MIRACLE","SCANDAL"でした。上の空で聞いていたためか、今聞けば絶対気に入ったアルバムなのに、ここでもまたQUEENを再び聞くような気持ちになれず、結局このアルバムも一度聞いただけで、FREDDIEが生きている間に再び針を落とすことは無かった。