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− 訃 報 −


1991年 28才の僕は公私共に充実していた。
当然QUEENを追いかけてなどいなかった。

でもドライブ用に作るベスト版には、必ずQUEENを作っていた。
既に現役QUEENファンを引退した僕が作るベスト版は、当然『Jazz』までのもので編集されていたがね^^;
僕は現役ファンは引退したがQUEENを嫌いになったのでは無いので、大好きだった頃のアルバムに耳を傾け、所有していた雑誌の写真などを見て過ごしていた。




1991年11月25日(月曜日)
いつものように朝刊に目を通す。
変な癖で、僕は新聞(朝刊/夕刊)を後ろから何時も読んでいる。
この日も朝刊の最後頁を開き、社会面から目を通していた。
その記事は、開いた瞬間目に飛び込んできた。
社会面の右下だった。
◆「クイーン」ボーカルもエイズ公表 【ロンドン二十三日 】英国の人気ロックグループ、クイーンのリードボーカル、フレディ・マーキュリーさん(四五)は二十三日、スポークスマンを通じ、エイズにかかっていることを公表した。」[読売新聞原文]と伝える内容だった。


「私はHIVテストで陽性と診断され、AIDS患者であることが確認されました。
しかし私の身の回りの人々のプライバシーを守るため、この事実を隠しておくことが適当だと考えておりました。
しかし今、世界中の友人たちとファンの皆様に真実をお伝えするべき時がきました。
これからはこの恐ろしい病気に対して、私と私の医師団と世界中で同じように苦しんでいる人々と共に戦って下さい。」
Freddie Mercury

「あーっ…」
溜め息と一緒に出た言葉はそれだけだった。と同時に
「あぁ、やっぱりネ…」
と心の中で呟いていた。
それからしばらくして僕は他の新聞記事に目を通し、何時ものようにテレビを見て会社に出勤した。
今の僕にはFreddieよりも夢中になれる仕事もプライベートもあったのだ。




1991年11月25日 23時過帰宅
Freddie Mercury氏の訃報は、以外と呆気なくやってきた。
今朝のことなすっかり忘れた僕はいつものように夕刊の最後から目を通した。
訃報は今朝と同じように、開いた瞬間目に飛び込んできた。
同じく社会面の右下だ。
晩年の髭を落とし、スッキリした表情の写真とともにFreddieの死を知らせる記事が載っていた。
エイズ公表の直後にフレディ・マーキュリー氏(英ロック歌手)24日夜、エイズを原因とする合併症のためロンドンの自宅で死去。45歳。
英国のロックグループ「クイーン」のリードボーカルで、1970年代を中心に活躍した。代表曲に「ボヘミアン・ラプソディー」「ウィー・アー・チャンピオンズ」など。近年は隠とん生活を送っていた。さる23日、スポークスマンを通じ、自らエイズにかかっていることを公表したばかりだった。」[読売新聞原文]と伝えている。


1991年11月24日 19時 Freddie Mercuryの華麗なるROCK SHOWに幕が降りた。(享年45歳)

「ぇえッ!…」
予期していたこととはいえ、僕は一瞬言葉を失った。
「マジかよォ〜。だって、昨日の今日だろォ〜?」
「…しょーがねェか。彼らしい死に方だったかもなァ…」
今朝危篤を聞き、夜訃報を聞いたからだろうか、僕は冷静に彼の死を受け止めた。
つけていたテレビを消し、僕はバーボンと一緒に大好きな『QUEEN II』のアルバムを聞いた。
きっと僕なりに彼の葬式を挙げたかったのだろう。
頭の中を僕が大好きだった70年代のフレディの姿がフラッシュバックしていた。

翌日も僕は普段通りに何一つ変わらない生活を続けていた…




92年4月20日 この日ウェンブリー・スタジアムで"THE FREDDIE MERCURY TRIBUTE"が沢山のファンと、多くのアーティスト達によって行われた。この模様を僕はWOWOWで見たのだが、どうしても冷静に見ることは出来なかった。他のアーティスト達がQUEENの曲を演奏するのが嫌だった。いくらRoger,Brian,Johnが演奏しようともFRDDIEが歌わないのはQUEENじゃないのだ。
表面上僕の生活は何一つ変わらなかったが、どうやら彼の死はボディーブローのように僕に効いていたのだった。
このトリビュートの模様はビデオに録画したが、冷静に楽しんで観れるようになったのはそれから数年経ってからとなった。



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