![]()      1973〜1974 『QUEEN II』まで            ▼      ┃      ┃1973/夏      ┣デビューシングルとアルバムのキャンペーンを行うが、マスコミの不評を買う。      ┃ラジオでは殆どオン・エアーされなかった。が、評論家達の不評をよそに      ┃アルバムは17週間チャートインしゴールド・ディスクを獲得。      ┃      ┃1973/8      ┣シェパートン・スタジオのサウンド・ステージを使用しマイク・マンスフィールド監督      ┃のもと"Keep Yourself Alive","Liar"のプロモーションビデオを制作するが作品に      ┃失望しバリー・ショフィールドと自身により再度撮影が行われる。      ┃      ┣2枚目のアルバム制作のため、再びトライデント・スタジオへ戻る。      ┃前作のような他アーティストの合間でのスタジオ制作では無くなった。      ┃ロイ・トーマス・ベイカーとバンド自身の共同プロデュースとして制作開始。      ┃      ┃1973/9      ┣BBCラジオ・ワンの「イン・コンサート・シリーズ」の番組に出演し、オープニングに      ┃セカンドアルバムの"Procession"を流し、観客の度肝を抜く。      ┃      ┣アメリカでエレクトラ・レーベルより”QUEEN”発売。      ┃ビルボード・チャート83位まで上昇。      ┃      ┃1973/10      ┣ベルギー、フランス、オランダへテレビ・ラジオのプロモーションを行う。      ┃      ┃1973/11      ┣モット・ザ・フープルの前座として初のイギリス・ツアー25公演を年末まで行う。      ┃ヘッドラインとして6公演も含まれる。      ┃      ┃1973/12      ┣24日ハマースミス・オデオンで凱旋公演を行う。(★Boot版紹介Site参照)      ┃      ┃1974/1      ┣オーストラリア公演の為に受けた予防接種の注射針からBrianが壊疽にかかり      ┃あわや片腕切断となるところだった。      ┃更に、オーストラリア公演は最悪の結果で途中キャンセルし帰国する。      ┃      ┃1974/2      ┣BBCテレビ「トップ・オブ・ザ・ポップス」へ出演し"Seven Seas Of Rhye"を披露。      ┃この番組のめたに独自のオケを録音する。      ┃      ┣テレビ放映2日後、急遽"Seven Seas Of Rhye"をシングルリリースする。      ┃      ┣オイルショックによるレコードプレス作業の遅れ、アルバムクレジットのミスプリント      ┃"Deacon John"の訂正に時間がかかり単独イギリス・ツアー前にセカンドアルバムの      ┃発売が間に合わなくなる。      ┃      ┣ツアーリハーサルをイーリング・フィルム・スタジオで行う。      ┃      ┃1974/3      ┣ブラックプールの「ウィンター・ガーデン」を皮切りにヘッドラインツアー開始。      ┃      ┣ある公演の開演前に観客達が歌いだした"God Save The QUEEN"が      ┃が恒例行事となる。      ┃      ┣シングル"Seven Seas Of Rhye"が45位でチャートインする。      ┃      ┣”QUEEN II”リリース。      ┃レコードの両面をホワイト・サイド、ブラック・サイドと呼んだ。35位でチャートイン。      ┃日本での発売は1974年6月25日      ┃      ┣音楽評論家達の評価は様々だったが、前作同様批判的なコメントが多くを占めた。      ┃しかしアルバムは7位まで上昇し、ファーストアルバムも45位でチャートインする。      ┃      ┣31日レインボーシアターでツアー最終公演を行う。      ┃ロジャーはドラムの中にビールを注いだ。これは、彼がドラムを叩く度にビールが      ┃スプレーのように飛び散る視覚的効果を狙ったものだった。      ┃      ┃1974/4      ┣モット・ザ・フープルの前座として初のアメリカ・ツアー4週間14開場19公演を行う。      ┃しかし翌月、Brianが肝炎にかかり全員帰国する。      ┃病院のベットでBrianは名曲"Brighon Rock"を作曲し始める。      ┃      ▲      
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