![]()      1975〜1975 『A Nigth At The Opera』まで            ▼      ┃      ┃1975/1      ┣教師ヴェロニカ・デヅラフ嬢とジョンが結婚。      ┃ジョンは新居、フレディはピアノ、ロジャーはスポーツカーを欲しがったが、トライデント      ┃側は一向に相談に耳を傾けなかった。これにより本格的にジム・ビーチと共に      ┃契約解消に本格的に取り組むが、この裁判は結局8月まで続くことになった。      ┃      ┃1975/2      ┣初のヘッドライン・全米ツアー30開場38公演開始。      ┃"Killer Queen"は全米チャート5位に上昇。      ┃カンサス、マカボニー・ラッシュ、スティックスを前座の堂々としたツアーであった。      ┃      ┣各地で熱狂的な支持を得る。      ┃連日の熱狂的なコンサートに時にはコンサート中断というハプニングも起こるが      ┃これらの模様が各紙を賑わせ、ツアーは順調に行われる。      ┃一方、米国評論家達も本国同様にQUEENの音楽性を勘違いし、RED ZEPPLINの      ┃後継者として彼らの音楽性を批判していた。      ┃      ┣前回ツアーでのBrianの病気に続いて、今回はフレディが喉をやられる。      ┃フィラデルフィアで声が出なくなりポリープが発見され三ヶ月の安静と診断を受ける。      ┃ワシントンの診察では、ポリープは確認されなかったが、やはり安静と宣告される。      ┃ニューオリンズでは再度ポリープが確認され、抗生物質が投与されたために6公演が      ┃キャンセルとなるが、奇跡的な回復によりその後ツアーを再開する。      ┃      ┣米国ツアー中に米国ショービジネス界のベテランマネージャードン・アーデン氏と接触      ┃トライデントとの契約解消について相談する。トライデントはドン氏からの忠告により      ┃契約解消を了解し、新しいマネージャーが決まるまではメネージメント業務を委託      ┃する内容で再契約を結んだ。最初の契約を無効にする手続きは延々と続けられた。      ┃      ┣米国ツアー終了。ハワイでひとときのオフを過ごす。      ┃      ┃1975/4      ┣18日 日本初来日。      ┃羽田で300人のファンの出迎えに驚く。      ┃またマスコミとのアットホームな関係に終始ご満悦。      ┃武道館を含む8公演を行い、熱狂的なファンの歓声の中公演は大成功に終わる。      ┃横浜文化体育館では、フレディはアンコールに着物を着て登場し大受けした。      ┃フレディは個人的にも日本が気に入り、この後骨董収集に熱心になる。      ┃      ┃1975/5      ┣フィレディはシングル"Killer Queen"の作曲者としてイヴォール・ノヴェロ賞を受賞。      ┃      ┣ロイ・トーマス・ベイカーと4枚目のアルバム制作開始。      ┃2ヶ月間のリハーサルの後、5ヶ月間のレコーディング期間中に6つのスタジオ      ┃(ラウンドハウス、ロックフィールド、サーム・スタジオ 等)で同時に制作された。      ┃  補足資料:Bohemian Rhapsodyのレコーディング記録      ┃    ヴォーカル録り、180パターンのコーラス録りに七日間(Over10H/Day)      ┃    バッキング録り2日間、ギターのオーバーダブ:?日間      ┃    ミックス:2日間      ┃      ┃1975/7      ┣ジョンとベロニカ夫妻に、長男ロバート誕生。      ┃      ┃1975/8      ┣トライデントとの契約解消成立。      ┃しかし、痛手は大きかった。      ┃(1)トライデント所属時の米国公演キャンセルのため莫大な違約金を支払う。      ┃(2)契約解消手当てとして10万ポンドをトライデント側に支払う。(EMIより前借り)      ┃(3)今後発表するアルバム及びシングルの印税1%をトライデント側に支払う。      ┃新たに出版権をEMI、レコード契約をEMI/エレクトラと結ぶ。      ┃      ┃1975/9      ┣新しいマネージャーとしてエルトン・ジョンのマネージャー、ジョン・リード氏を迎える。      ┃      ┃1975/10      ┣4作目アルバム収録の"Bohemian Rhapsody"をシングルとして発表するかどうか      ┃マネージャーとメンバーの意見は対立していた。      ┃(マネージャーの立場としては、6分もの曲をラジオ局は流してくれない      ┃と考えていたが、メンバーは曲をカットする気など毛頭なかった。)      ┃フレディとロジャーは友人DJ:ケニー・エヴェレットに意見を聞こうと、ラジオでは絶対      ┃流さない約束で"Bohemian Rhapsody"の試作版を渡したが、この曲を気に入った      ┃ケニーは週末の自分の番組の中で二日間で14回も"Bohemian Rhapsody"を流した。      ┃      ┣31日 シングル"Bohemian Rhapsody"発売。      ┃      ┣ロンドンのラウンドハウス・スタジオでマスコミ向け4枚目のアルバム発表会を開く。      ┃      ┣トライデントのノーマン・シェフィールド氏に名誉棄損で訴えられる。      ┃新作に収録されている"Death on To Legs"の副題"(Dedicated to …"が「お前が      ┃俺の財産を奪い取った!」という氏への皮肉を指している、との主張だった。      ┃→ 示談まで発展した。      ┃      ┃1975/11      ┣14日 リバプール・エンパイアより15開場23公演のイギリス・ツアー開始。      ┃フレディはアンコールで着物姿で登場し、それを脱ぎ捨てた後は裸に      ┃紅白ストライプで登場し、ファンを熱狂させた。      ┃      ┣ドキュメンタリー映画"Live at the Rainbow"のリハーサル中にブルース・ガワーズ      ┃監督らと共同で音楽業界初のプロモーション・ビデオ"Bohemian Rhapsody"を制作。      ┃      ┣20日 TV番組「トップ・オブ・ポップス」で"Bohemian Rhapsody"のプロモーション      ┃ビデオが初めて流され、この手法はその後音楽業界に多大なる影響をもたらした。      ┃      ┣21日 4枚目のアルバム"A HIGTH AT THE OPERA"リリース。      ┃(タイトルはトーキー映画時代のマルクス・ブラザースの同名の映画より)      ┃日本での発売は1975年12月25日      ┃      ┣25日 "Bohemian Rhapsody"がチャート1位を獲得し、以後9週間1位の記録を作る。      ┃      ┃1975/12      ┣24日 ハマー・スミス・オデオンで凱旋コンサトがオールド・グレイ・ウィッスル・テスト      ┃というTVとBBC・ラジオ・ワンの両方で生中継された。      ┃      ┣27日 "A HIGTH AT THE OPERA"が念願のチャート1位を獲得。      ┃      ▲      
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