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     1977〜1977 『NEWS OF THE WORLD』まで
     
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     ┃1977/1
     ┣13日 ウィスコンシン州ミルウォーキーを皮切りに二カ月間41公演の北米ツアー開始。
     ┃LA・フォーラム、マディソン・スクエア・ガーデンを遂に制覇!
     ┃チープ・トリック、シン・リジィがサポートバンドを努める。
     ┃
     ┣メドレーの中で演奏されていた"BOHEMIAN RHAPSODY"が独立して演奏される。
     ┃しかしオペラ・コーラスのパート部分は、堂々とテープ演奏に切り換え、ステージを
     ┃降りたメンバーの代わりに華麗なる照明とドライアイスでのショーが演出された。
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     ┃1977/2
     ┣5日 ニューヨーク、マジソン・スクエア・ガーデンを満員にコンサートを行う。
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     ┃1977/3
     ┣3日 ロサンゼルス、L・Aフォーラムを満員にコンサートを行う。
     ┃
     ┣"A NIGHT AT THE OPERA","A DAY AT THE RACES"のアルバムタイトルに使用
     ┃した映画の主演を努めたグルーチョ・マルクス邸を訪問する。
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     ┣長期ツアーの疲れからかフレディの喉の具合が悪くなり、サクラメント、フレスノ
     ┃の公演がキャンセルとなった。
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     ┃1977/3
     ┣セックス・ピストルズを筆頭とするパンク・ムーブメントが英国を席巻する中、
     ┃米国ツアーから帰国する彼等を待っていたのはマスコミのQUEENバッシングだった。
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     ┣25日 "Teo Toriatte(手をとりあって)"が日本向けにシングル・リリースされる。
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     ┃1977/4
     ┣一カ月間の完全休養を取り、この間にフレディ以外のメンバーが持ち家を持つ。
     ┃ジョン&ベロニカ夫妻はパットニー
     ┃ブライアン&クリッシー夫妻はバーンズ
     ┃ロジャー&ドミニクカップルはフルハム
     ┃フレディ&メアリーのカップルはケンジントンのフラット住まい
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     ┣ロジャーはサリー州に別荘を購入し、地下スタジオでソロ・アルバムの制作を開始。
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     ┃1977/5
     ┣13日 5公演のスカンジナビア・ヨーロッパ・ショートツアーを行う。
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     ┣ストックホルム、アイス・スタジアムの公演で、フレディは偉大な舞踏家ニジンスキー
     ┃の衣装を着てステージに立ち、以後フレディのトレードマークとなる。
     ┃
     ┣23日 ブリストルのヒポドロームを皮切りにイギリス・ツアー開始。
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     ┃1977/6
     ┣エリザベス女王即位25年記念行事の一部としてロンドン・アールズ・コートで2公演
     ┃を行う。この日の目玉は、王冠をモチーフにした照明装置に限る。
     ┃高さ26フィート、幅54フィート,重量5千ポンドの照明がドライアイスに包まれた
     ┃ステージに伏せてあり、オープニングと同時に40フィートの高さまで昇り
     ┃華麗なるライティングを演出し、コンサート終了と同時に
     ┃王冠のライティングは再びステージに降りる仕組みだった。
     ┃しかし王冠をデザインした照明に費用がかかり、75万ポンドもの損が生じた。
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     ┃1977/7
     ┣ベイジングストリート、ウェセックスのスタジオで6枚目のアルバム制作を開始する。
     ┃QUEENの四人によるセルフ・プロデュースとなる。
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     ┃1977/8
     ┣ロジャー初のソロ・シングル発売。米国黒人グループ<パーラメンツ>がアカペラで
     ┃歌った"I Wanna Testify"を全ての楽器を自分で演奏したが、ヒットにはならなかった。
     ┃
     ┣ニュー・ロンドン劇場に5千人のファンを集め"WE ARE THE CHAMPIONS"のビデオ・
     ┃クリップを撮影。
     ┃生演奏だが収録は成功し、収録後メンバーはファンに10曲プレゼントした。
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     ┃1977/10
     ┣レコーディング中のアルバムより、シングルが発表された。
     ┃A面"WE ARE THE CHAMPIONS"、B面"WE WILL ROCK YOU"
     ┃相変わらず英国の評論家達はこのシングルを酷評した。しかし、結果的に世界的に
     ┃大ヒットとなったこのシングルは、あらゆるスポーツ会場で流れるようになる。
     ┃
     ┣BPI主催ブリタニア・アワードで"Bohemian Rhapsody"が特別賞を受賞する。
     ┃これは、英国過去25年間でもっとも優れたアーティストとして認められたのだった。
     ┃
     ┣ニュー・アルバムのプロモーション用コンサートを業界人向けに開く。
     ┃
     ┣トライデントとの契約解消条件として支払い続けていた印税の1%分を買い戻す
     ┃ことによりトライデントとの関係を完全に解消した。
     ┃
     ┣マネージャーのジョン・リードが、本来のマネージャーだったエルトン・ジョンと
     ┃QUEENのマネージメントの両立が難しくなり、マネージメント契約を解除する。
     ┃しかし多額の和解金とマネージメント契約中にリリースしたアルバムの印税15%
     ┃を永久に支払うこととなるが、代わりに彼のスタッフを引き続きサポート・スタッフ
     ┃として仕事を続ける権利を取得。
     ┃以後、QUEENのマネージメントはジョンが中心となり行うこととなる。
     ┃
     ┣28日 6枚目のアルバム"NEWS OF THE WORLD"リリース。
     ┃アルバムジャケットはロジャーのアイディアを採用し、彼が好きなSF雑誌の表紙を
     ┃手掛けたフランク・ケリー・フリーズによるものだった。
     ┃"Sleeping On The Sidewaik"は収録合間のセッションを偶然収録していたものだ。
     ┃初めてシンセサイザーを導入したが、英国の評論家達の評価は様々となった。
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     ┃1977/11
     ┣ポートランドを皮切りに、この年二度目の米国ツアー25公演を行う。
     ┃今回から前座なしの2時間二及ぶコンサートとなった。また、王冠のライティングは
     ┃縮小されたが、米国でも披露された。
     ┃ロジャーが初めてリー・ドボーカルを取り"I'm I Love With My Car"を歌う。また、この
     ┃ツアーで初めて"Love Of My Life"の大合唱が観客より自発的に始まる。
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     ┃1977/12
     ┣マジソン・スクエア・ガーデンの公演にブライアン、ロジャーの両親を招待。
     ┃この年ワールド・シリーズに優勝したヤンキースのユニフォームと帽子姿で登場した
     ┃フレディ姿に満員の観衆が熱狂する。(ヤンキースは"WE WIL ROCK YOU"をチーム
     ┃のテーマ曲として球場で使っていたのだ。フレディはそのお礼をしたのだ。)
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     ┣22日 L・Aフォーラムで行われた公演はクリスマス間近もあり異様に盛り上がった。
     ┃アンコールではクリスマスに関連した演出が行われ、フレディとブライアンにより
     ┃特別"White Christmas"が演奏される。
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     ┣24日 英国に帰国。
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     ┣ヨーロッパで唯一QUEENが苦手としていたフランスで"WE WILL ROCK YOU"が
     ┃12週間もチャートNo.1を独占し、13週目に一位に輝いたのは
     ┃"WE ARE THE CHAMPIONS"だった。
     ┃この後、フランスでのQUEENの存在は巨大になり、大成功を収めるようになる。
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