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     1984〜1984 活動再開〜『THE WORKS』まで
     
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     ┃1984/1
     ┣23日 ニュー・シングル"RADIO GA GA"(ロジャー作)リリース。
     ┃3歳になる息子のフェリックスがラジオに向かって叫んだ響きをヒントに作られた
     ┃ことはあまりにも有名な話しである。
     ┃今回のビデオ制作には、フレディが携わっていた『メトロポリス』の映像を使用
     ┃することになり、ドイツ政府と交渉し使用権を取得して出来上がった逸話がある。
     ┃英国ではチャート2位止まりだが、世界19カ国でチャート1位を記録する大ヒット
     ┃となった。
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     ┣この頃、盛んにQUEENの解散説が囁かれ、メンバーはインタビューの中で度々
     ┃解散を否定することとなる。
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     ┃1984/2
     ┣3日 イタリアのサン・レモ音楽祭にヘッドライナーとして参加するが、この時
     ┃ロジャーとブライアンの間でステージ・セットやセットリストについてことごとく
     ┃意見が衝突し、フレディの気の効いたジョークでその場を乗り切るアクシデントがあった。
     ┃イタリアでの演奏は今回が初めてのため、イタリアのファンは大いに熱狂した。
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     ┣27日 2年振り12枚目のニューアルバム"THE WORKS"リリース。
     ┃"KEEP PASSING THE OPEN WINDOWS"は映画『ホテル・ニューハンプシャー』
     ┃用に作られたもので、タイトルは同小説の一説を引用したものだった。
     ┃"HAMMER TO FALL"映画『ハイランダー』のサントラとしても使用される。
     ┃同アルバム収録曲は、全曲シングル(A/B面)となる前代未聞のアルバムとなった。
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     ┃1984/4
     ┣2日 "I WANT TO BREAK FREE"がシングル・リリースさチャート3位まで上昇した。
     ┃このプロモーション・ビデオはロジャーのガールフレンドのドミニクのアイディア
     ┃から制作されたが、全員が女装し英国の人気ドラマ「コロネーション・ストリート」
     ┃のパロディを理解出来なかった米国の幾つかの州では放送禁止となった。
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     ┣ファン向けに12インチ、ピクチャーディスク、特別仕様ジャケットなどグッズが
     ┃登場する。
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     ┃1984/5
     ┣12日 モントルーで開催されたゴールデン・ローズ・ポップ・フェスティバルに出演。
     ┃口パクの演奏という悪条件に激怒しながらも4億人の視聴者のために出演する。
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     ┃1984/6
     ┣25日 ロジャー2枚目のソロアルバム「ストレンジ・フロンティア」を発表する。
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     ┣ブライアンは米国のギルド社と協力し、ハンドメイド・ギター"RED SPECIAL"
     ┃の完全コピーモデルの制作に合意し、ギルド社は"BHM1"モデルとして発売するが
     ┃高額(1200ポンド)のため、ギルド社はブライアンの協力抜きの廃価版を後に販売する。
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     ┃1984/7
     ┣16日 "IT'S A HARDLIFE"をリリースするが、最高6位止まりだった。
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     ┣ミュンヘンでツアーリハーサル開始。
     ┃このツアーより、キーボード奏者に元ブームタン・ラッツのスパイク・エドニーが参加。
     ┃5月頃より南アフリカからコンサートの要請を受け検討していたが、ヨーロッパツアー後に
     ┃南アフリカ公演を行なうことを正式に発表する。
     ┃が大きな波紋を巻き起こす結果となった。
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     ┃1984/8
     ┣24日 7都市14会場23回のヨーロッパツアー開始。
     ┃初日のブリュッセルで演奏した"HAMMER TO FALL"はそのままプロモとして採用された。
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     ┣31日 二年振り英国公演を果たしたバーミンガムでのレセプションに於いてフレディは
     ┃「レコードが売れる限りコンサートをやり続ける。」と宣言した…。
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     ┃1984/9
     ┣10日 "HAMMER TO FALL"をリリース。最高13位まで上昇する。
     ┃幾つかの音楽評論家より賞賛される。
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     ┣同日 '82年に収録したモントリオールでのコンサート"WE WILL ROCK YOU"がビデオ化され
     ┃ビデオチャートの第一位となる。
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     ┣同日 フレディのソロ・シングル"LOVE KILLS"がリリース。
     ┃これは映画「メトロポリス」の挿入歌として採用された曲だった。
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     ┃1984/10
     ┣5日 サン・シティ、スーパー・ボウルを皮切りに12回の公演が開始される。
     ┃しかし乾燥した大陸で初日開演直後に喉を傷めたフレディは、絶対安静となり
     ┃5公演がキャンセルとなる。
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     ┣サン・シティ公演をきっかけに、以前発売した"LIVE KILLERS"を一枚に再編集したアルバム
     ┃を南アフリカで発売し、収益金、印税を全て障害者のための学校に寄付した。
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     ┣帰国後、彼等を待っていたのは非難の嵐だった。
     ┃音楽家組合での弁明も虚しく莫大な罰金を支払い、彼等は国連のブラック・リストに
     ┃載ることとなった。
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     ┃1984/11
     ┣26日 クリスマス・シングルとして"THANK GOD IT'S CHRISTMAS"をリリースする。
     ┃企画物ということもありチャート21位止まりとなる。
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     ┃1984/12
     ┣エチオピア難民飢餓救済のためボブ・ゲルドフが英国ミュージシャンに声をかけ
     ┃"BAND AID"を結成し、シングル"Do They Know it Christmas?"を発表する。
     ┃QUEENはこのレコーディングと自分達のレコーディングのスケジュールが重なり
     ┃参加出来なかったが、翌年のLive AIDの参加によって、その実力を世界中の人々
     ┃の目に焼き付けることとなった。
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