![]()      1985〜1985 LIVE AID            ▼      ┃      ┃1985/1      ┣12,19日 ブラジル リオデジャネイロのバラ・ダ・テユカで開催されたフェスティバル      ┃ロック・イン・リオ・フェスティバルのヘッドライナーとして参加し、夜中の2時にも      ┃係わらず、QUEENは25万人の観衆の前で堂々のパフォーマンスを披露した。      ┃      ┣フェスティバルは8日間開催されたがQUEENはトリを努めた12,19日しか演奏しなかった。      ┃      ┣ショーのハイライトを収録した番組がTV局グロボにより南米全土に放送されたため      ┃約2億人が番組を見たことになる。      ┃      ┣2度目のアンコールに登場するフレディは大きなユニオン・ジャックの国旗を両手を掲げ      ┃ステージに表れ、背中を観衆に向けた時、英国国旗の裏にはブラジル国旗が大きく浮かび      ┃上がり25万人の観衆の熱狂は最高潮に達した。      ┃      ┣QUEENは19日の模様を収録したフィルムの映像権をグロボより買い取り、5月13日に      ┃16曲収録した"QUEEN LIVE IN RIO"として発売する。      ┃      ┃1985/2      ┣ブライアンはオックスフォード大学から出版する「ギター教授ハンドブック」に一章を      ┃奇稿し、同大学でのギター講義でも教鞭を振るった。      ┃      ┣ロジャーは精力的にプロデュース作業をこなした。      ┃      ┣フレディはミュンヘンでレコーディング作業を続けていた。      ┃      ┃1985/4      ┣13日 初のニュージーランド公演をマウント・スマート・スタジアムで行なう。      ┃初来日に胸踊らせていた彼等を空港で待ち受けていたのは、反アパルトヘイト団体      ┃による抗議デモであった。      ┃      ┣16日 10年振りのオーストラリア公演をメルボルンとシドニーでそれぞれ4日間行なう。      ┃10年前と違い観客は歓迎したが、メルボルン最終日は照明、音響のトラブルがあり      ┃惨憺たるコンサートとなってしまった。      ┃      ┣29日 フレディの1stソロ・アルバム『Mr.Bad Guy』リリース。      ┃多くの人々がQUEENのボーカリスト、フレディ・マーキュリーのソロ・アルバムという      ┃ことである種の期待を持っていたが、リリースされたアルバムはそれを見事に裏切る      ┃フレディらしいアルバムであった。      ┃      ┃1985/5      ┣7日 6度目の来日を果たし4会場6公演を行なう。が、これが最後の来日となった。      ┃日本でのみ歌われていた"手をとりあって"はセット・リストから外されていた。      ┃      ┃1985/7      ┣13日 エチオピア難民飢餓救済のためのボブ・ゲルドフが英・米国ミュージシャンと共に      ┃"BAND AID"のチャリティコンサート"Live AID"をロンドン、ウェンブリースタジアムと      ┃フィラデルフィア、JFKスタジアムにて同時開催し、その模様はBBCテレビとラジオ1が      ┃完全中継し、衛生中継により160ヶ国以上、15億人が見たとされ、5千万ポンドの収益      ┃を挙げた。      ┃      ┣去年の12月にBAND AIDによる"DTKiC?"のリリース直後より、ボブは大規模なチャリティ      ┃コンサートをを企画していた。      ┃      ┣各国に中継するためには、世界中で通用するバンドの出演が不可欠だったボブは      ┃QUEENに出演依頼をするため、ボブのバンドのキーボードプレィヤーでQUEENのツアー      ┃でもキーボードをサポートしているスパイク・エドニーに最初の交渉を依頼した。      ┃しかし演奏時間20分という条件に、QUEENのメンバーの反応は冷やかだった。      ┃      ┣QUEENが公演でニュージーランドを訪れている時、ボブ自身が始めてジム・ビーチと      ┃コンタクトを取り、コンサートの趣旨を説明し説得を行なった。      ┃      ┣QUEENのメンバーがLIVE AIDの出演を正式に決めたのは日本公演が終了した後だった。      ┃      ┣7月10日 LIVE AIDのたった20分の演奏のために、彼等はロンドンのキングス・クロス      ┃にある劇場に集まり三日間ハードなリハーサルを行なった。      ┃      ┣7月13日 米国へ中継が開始された18時、ウィンブリースタジアムステージ中央に表れた      ┃ロンドンの警官の衣装を来たコメディアン"ル・スミス、グリフ・ジョーンズ"の二人に      ┃よる「女王陛下の登場です!」という紹介とともに世界一短いエンターテナーショーの      ┃幕が上がった。      ┃   セット・リスト      ┃       Bohemian Rhapsody      ┃       Radio Ga Ga      ┃       Hammer to Fall      ┃       Crazy Little Thing Called Love      ┃       We Will Rock You      ┃       We Are the Champion      ┃      ┣関係者内外よりこの日一番の演奏だったと絶賛されるほどの完璧な演奏だった。      ┃当の本人達も、サウンドチェック無しでの本番に不安を抱いていたが、嘘のような      ┃成功に再びQUEENとしての活動に自信を取り戻した。      ┃      ┣21:50 "THE WORKS"に収録されている"Is This The World We Created?"がコンサート      ┃で演奏するに意義のある曲ということで特別フレディとブライアンの二人により演奏      ┃される。      ┃      ┣コンサート最後の演奏曲"Do They Know it Christmas?"を英国側参加ミュージシャン      ┃としてメンバーも一緒に歌う。      ┃大成功に終わった演奏に満足したフレディはとりわけご機嫌だった。      ┃      ┃1985/9      ┣4人は自信を取り戻し、新しいアルバムのレコーディングに入った。      ┃      ┃1985/11      ┣4日 今年最初で最後のシングル曲"ONE VISION"がリリースされチャート7位まで上昇する。      ┃この曲は始めて4人による共作となり、ビデオクリップには"Bohemian Rhapsody"と同じ      ┃ように、あれから10年を経た四人の肖像から始まる凝った作りであった。      ┃しかし、例によって英国マスコミはこぞって「Live AIDの便乗商売!!」と批判した。      ┃が、マスコミの批判とは裏腹に、"LIVE AID"以降QUEENの全アルバムは全世界で再び      ┃チャートを急上昇することとなった。      ┃      ┃1985/12      ┣2日 BOXSET"THE COMPLETE WORKS"が英国でのみリリースされる。      ┃これは"THE WORKS"までの全アルバムに7曲のボーナストラック付きのもので、初の      ┃デジタル・リマスターされたものだった。      ┃      ┣リトル・スティーブンらによる"サン・シティ"に対する反アパルトヘイトを訴える      ┃シングル、アルバムの中で、南アフリカで演奏したQUEENが名指しで非難され、QUEENは      ┃再びマスコミの注目を浴びることになる。      ┃      ┣12日 サン・シティのマネジャーが「QUEENがサン・シティに戻る可能性は否定出来ない」      ┃というコメントを発表したことに対し「QUEENが現在のところサン・シティに戻る可能性      ┃が無いことをここに断言します。またQUEENがアパルトヘイトを憎むべきものであると考      ┃えていることを、ここに名言します。」というコメントを発表し、反論した。      ┃      ▲      
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