症状軽減体験記 |
カウンセリングに通って、神経症の症状が軽減するまでの過程を書いてみました
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『 自己紹介の欄にも書きましたが、私は15才の時から神経症の症状が出始めました。対人緊張・視線恐怖・大勢の人の中で不安になる空間恐怖(オフィス・喫茶店・電車)などの症状です。一歩外に出ればもう固まっている状態で、日常生活も症状が出る前と比べると大変辛いものになりました。症状をなくしたい一心で様々な事を試して来ましたが、30代に入って出合ったカウンセリング&催眠所≠ェ私には一番効果があったようです。 2001年〜2005年までカウンセリング&催眠所≠ノ気長に通い続け、試行錯誤しながら少しずつ神経症の症状が軽減してきました。私自身が嬉しいことと共に、何かひとつでも心の悩みを抱えている方の気付きに繋がることがあれば幸いです。 私の場合、緊張や不安、マイナスの感情を隠さず発散すること∞症状を治すことに囚われなくなること∞自分には緊張や不安があっても決して病気ではなく、普通の人と何ら変わりはないこと≠アの段階を踏んで、また良い方との出会いもあり、自然にこれが治るということなのかなぁ…と感じるようになりました。 』 ★・・・一番辛かった時 ☆・・・症状が軽減するにあたって、気付きがあった時 ・2001年3月 営業のバイトに加えて病院のカルテ整理のバイトを始めた。倉庫での単純作業だと思っていたら、オフィスでの単純作業。空間恐怖症(広い空間で大勢の人の中にひとり入ると、存在の不安でいたたまれなくなってしまう)の私にとっては一番辛い場所。当時通っていたヨガ教室≠ナは薬を飲まないようにと言われていたので我慢していたが、後頭部の痛み・めまい・ヒザの硬直も感じるようになり辛くて断念。バイトを辞めた後のある晩、脳全体が硬直したようになり、しだいに左半身が固まり動かなくなる。安定剤を飲んで落ち着いたが恐怖に近い状態で、8年間神経症を治すために通ったヨガ教室≠烽アこでは治らないと思い辞めることに。 ・2001年5月 カウンセリング&催眠所に通い始める。最初は良い状態を潜在意識に焼き付ける催眠かと思っていたが、基本的にはカウンセリングの後にありのままの自分≠認める暗示をする場所だった。「いつ治るんですか?」と聞いても答えは「いずれね…」とはぐらかされるまま。不安になるが週1回通い続ける。特に変化は無し。 ☆2001年11月 症状に囚われずに過ごすと、楽な瞬間を何度か経験した。意識的にその状態を求めると逆に症状が出た。 囚われない状態というのは、結局な〜んにも考えていない状態。緊張しててもいいや≠ニいう諦めの状態だったように思う。症状を治そうとも思っていない状態だったかもしれない。 ★2002年1月 日常生活上で今までより大きな不安が出現。薬にも抵抗があったし(大勢集まる場所でしか飲まなかった)、特に営業バイト中は不安で公園でうずくまったりしていた。辛くてまあ君≠ノメールをしたら不安が急に治まった経験をする。先生は「今が一番辛い時です」と言っていた。あの時は辛すぎて分からなかったが、思い返せばありのままでいい≠ニいう暗示により自分の中に長年溜まっていた不安を隠せなくなっていたのだと思う。その場で「不安だ」という感情をメールで表現すると楽になることも発見。カウンセリングでは「絶対に大丈夫」という先生のフォロー&幼い頃から母親が病気がちだったこともあり感情を溜め込む癖が付いていることの話をする。大きな不安状態は何ヶ月か続いた。 ☆2002年7月 大きな不安は少しずつ減ってきたが、まだ波がある。ある日、人込みの中でまあ君≠ノ対して怒りの感情が出て(いろいろありまして…)、言葉よりも先に涙が出た。人前で泣いて恥ずかしいことよりも、その後清々しい気持ちになり症状もその時は安定したことが嬉しかった。だんだんと周囲を気にせず感情表現が出来るようになってきたのかもしれない…またすぐに不安・緊張状態は戻ったけれど。巨大な不安は減ったが、以前からの症状は相変わらず。治るまでには何年もかかると覚悟していたので、とにかくカウンセリングに通った。 ・2003年4月 先生から「日記を書いてみたら」と勧められる。文章でも表現すると自分を分かってもらえる気がして毎日のように書いた。内容は相変わらず、その日の緊張・不安状態を確認していることが多い。ごくまれに症状に囚われない瞬間≠経験する日もあったが、嬉しくて無理にそこに持って行こうとすると逆に不自然でうまくいかない。行ったり来たりの繰り返し。ある日、日記を読んだ先生に「上手に書きすぎてるね、説明よりも気持ちを正直に書いてみて」と言われ、殴り書きしたら涙が出て気持ちがスッキリした。 ・2003年8月 日記は書き続けているが、症状は相変わらず波がある。この頃精神保健福祉士に興味を持ち始める。今の私の状態で援助が出来るのか?&s安ながらも願書提出の準備を始める。2年経っても不安・緊張が消えないので「いつ治るんですか?」と時たま聞いてみたりもした。「ぼちぼちね〜」との返事に正直不安。頭では治そうとしないことが治る道≠ニは理解出来ていても、やはり本当に治るのかは気になるところ。 ・2004年3月 HP開設と共に、他の掲示板で知り合った方のオフ会に参加。出会いに恵まれ、メンタルな悩みでも様々な形があることを知る。集団が苦手な私でも、緊張しながら薬を飲みながら機会があれば参加するようにした。周りの方々の話を聞くうちに、薬に対する抵抗感は減ったように思う。 カウンセリングに通い始めて、そろそろ3年が経つ。2年前には大きな不安を乗り越え、身近な人には感情を隠さなくなってきた。症状に囚われない経験も何度もしてきた。それでもまだ症状に波はあり治ったとはいえない。 更に精神保健福祉士になった時に集団の中でオロオロしている自分のイメージが先行し、日々の営業バイトでも薬を微量ながら飲むことが多くなる。精神障害者作業所のボランティアに月数回行ってみたが、やはり集団活動は苦手。あと1年で適切な援助が出来るのか?≠ニいう責任感も加わりプレッシャー。 2004年はバイト・自らのHP・オフ会・ボランティア・学校の勉強も始まり、カウンセリングには通い続けたが治る≠アとを半ば諦めていたかもしれない。カウンセリングでは日々起こる新しい事の報告をし、忙しさもあってか症状よりも薬を飲みながら将来PSWの仕事をこなしていけるかを気にかけるようになった。 ☆2005年7月 精神保健福祉士の勉強を始めて1年ちょっと、この間にスクーリング・苦手な演習の授業…そしていよいよ実習が始まった。日常では辛くなったら薬を飲むと割り切っていたので症状に関しては深く考えなかったが、それでも緊張や不安の波はあった。薬だけでは解決出来ないこともあるのはなんとなく分かっていた。 何時もより多めの薬を飲んで、恐る恐る実習先へ。HPの日記に不安を吐き出したり掲示板で皆様に励まして頂きながら、なんとか乗り切ることが出来た。学ぶことが多くあり自信は付いたが、そこにおまけが付いて来た。最終日、実習先の指導責任者の方から私へのアドバイス「援助者にとって心の波があるのは確かにマイナス。あなたに波があることに気付いている利用者さんもいる。でも、そんなにひどい状態には見えないし、何よりあなたが神経症の当事者意識を強く持ちすぎることによって、あなた自身が辛くなる」…と。 こんな一言によって私は変化したようだ。営業のバイトに戻ったら薬が必要なくなった。実習先より遥かに楽な仕事ということもあるが、それにしても以前(カウンセリングに初めて来た時)よりも楽。自信が付いただけではない。頭で考えるだけでなく、自然に当事者意識が薄れていた。営業中もまったく薬を飲んでいないので以前より緊張したりするが、契約とはあまり関係がないみたい。「緊張が伝わってしまったかも」と一瞬落ち込むが、別にだからといって病気ではないと思えるようになった。 カウンセリングでその話をすると「あなたが自分のことを病気だと思わなくなること、他の人と比べて自分は神経症だから劣っていると思わなくなること…これがあなたの終始一貫した治療方針です。ここまで良く頑張ってきたね」と言われた。いまだに緊張したり肩こりがあったりするが、それも病気のせいだとは思っていない。まだ少し楽になっただけで、この感覚が根付いていないため不安定さもあるし集団活動はまだ恐い。ただ、何が変わったのかといえば…やはり私はたとえ緊張していても不安な顔をしていても、病気ではなく周囲にいる人となんら変わりはないと思えるようになったこと。緊張の度合いの差はあれ、それはどうでもいいと思えるようになった。 単に実習指導者の方の一言で、ここまで自立出来るようになったのではない。一番最初に書いたように、4年間で様々な段階を踏んでやっと辿り着いた末の良い方との出会いだったと思う。これからも落ち込むことは多々あるだろう。しかし神経症が治る≠ニいうことに関しては、症状を消し去るのではなく緊張・不安≠特別に悪いものだと思い込まず、他人に対する劣等感を持ちすぎないことがいかに大切なのかを実感した。 |
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