もう、綱引きはしない
クリムゾンサークルのドリームウォーカー・デス・トランジションに参加してきました。
ドリームウォーカーとは、亡くなった方を魂の故郷の入り口である「花の橋」までファシリテートする人の事ですが、
亡くなった後の世界の話しと共に、この世界がどのような世界であるかといった話しも少し伺う事が出来ました。
それはモラハラに悩んでいる私にとって、とても有益なものでした。
そして新たな理解と、そこから抜け出す方法に気付く事が出来ました。
私はモラハラという形で精神的暴力に苦しんできましたが、似たような暴力行為や、
加害者・被害者の関係性はどこにでもあると思います。
至る所でパワーゲームやコントロールゲームがされています。
エネルギーの食い合いや、主導権を争っての綱引きが、あちこちで日常的に行われています。
とても悲しい事ですが、それが二元性の、この世界の現実です。
私は昔からそういった関係性にうんざりしていて、ゲームも楽しくありませんでした。
楽しくないし、したくはないのだけど、気が付くと不本意ながら、ゲームに巻き込まれていた毎日でした。
「ゲームに参加して勝とう、勝ちたい!」と思っていない私という人間は、是非ともゲームに勝ちたいモラ夫にとって、
きっと格好の獲物だったのではないかと思います。
何故なら、ちょっと脅したり罪悪感を刺激すれば、どんどん自分に従ってくれるのですから。
すぐに負けてくれるのですから。
私はモラ夫の事を、ある種のエネルギー・バンパイアだな、と思いました。
自分で責任を追わず、嫌なところからは目を背け、自分で自分を愛する事ができないが故に、
人からの賞賛を得る事に必死になり、家庭では妻を支配し搾取する事で、自分の自尊心を成り立たせている。
そして私にとって、モラ夫は二元性のこの世界の代表であり、象徴でもありました。
私はドリームウォーカーの受講中にその事に気付き、「もう綱引きを止めよう」と思いました。
「ゲームに参加するのは、止めよう」と。
今まで、相手を打ち負かそうという気持ちはなかったものの、いくらかこっちに綱を引いておかないと、
自分に必要なエネルギーがなくなって、自分の身がもたなくなると思っていました。
恐らくそういう気持ちがあったので、綱引きに参加して相手のペースに巻き込まれる事になっていたのだと思います。
でも私はもう、恐れたり不安になったりはしません。
暴力に対する不安や恐れから、自分の身を守る対策を錬ったりもしません。
何故ならそれは、相手にエネルギーを与えてしまう事になるからです。
パンパイアであるモラ夫は、それに味をしめるようになります。
ゲームに買って得られるごちそうに味をしめ、ゲームを喜び楽しみ、更に続ける事につながります。
恐れや恐怖、不安や心配は、バンパイアの食い物です。
バンパイアに自ら餌を与える事は、もう止めましょう。(苦笑)
クリムゾンサークルでは、「箱から出る」と表現していましたが、
「綱引きを止める」「もう、綱を持たない」とは、同じ事を言っているのだと思います。
そして、「低い壁の向こう側に立って、観察する」と言っています。
私も夫を観察してみようと思います。
ドリームウォーカーに参加し、実際に花の橋まで魂をファシリテートして、故郷のエネルギーを携えた私が
家庭に戻って来て、そのエネルギーを流し込む事で、モラ夫がどのように反応して
どのように変化し、彼が何を選択するのか。。。
私からエネルギーのごちそうが得られなくなったのだと知ったら、彼はどうするでしょう?
揺さぶりをかけ、脅しをかけても、もうごちそうは得られないのだと分かったら。
どれだけ押しても「のれんに腕押し」で、綱を引いたら、もう私は綱を引き返さないので、自分が尻もちをつくだけ。
それどころか、まぶしい光が差し込んできて、どんどん見たくなかった自分の姿がさらし出されて来たら。
…やはりそこから目を背け、私から逃げ出し、別の獲物を探すのでしょうか。
あるいは腹をくくって、初めて今まで避けてきた事に、向き合おうとしてみるでしょうか…?
それは、彼の選択です。
そして私自身は、この世でも「灯台」でありたいと思っています。
ドリームウォーカーは亡くなった方の魂の、進むべき道を照らす「灯台」のような存在ですが、
私はこの二元性の世界でも、ゲームに巻き込まれないで生きて行く姿を体現して
「勝ち負け」や「加害者・被害者」を超えて、新しいあり方や解決方法を求めている人の心に
希望の光を照らす「灯台」であり続けたいと思っています。
