モラハラと言う名のイニシエーション

夫のご両親に離婚したいと思っている旨を伝え、

石鹸やヒーリングを仕事として自分でやって行く事を決め、

住みたいと思う物件を(自宅兼ヒーリングルーム)借りる事が出来、

夫からの協力も得て、急激にモラ卒へと、現実が動き出しました。

その時の様子を、ブログ記事に書きました。

部屋が借りられた日は夫に深く感謝し、「もしかしてモラ夫だと思っていたのは

私の勘違いだったんじゃないか?今まで夫の事を、誤解していたんじゃないか?」

と思い、心の中で詫びました。

ところが、しばらくすると「やっぱりモラ夫はモラ夫だ…」と思う事がありました。

離婚する・しないに関わらず、これはずっと変わらなかったですね。

「モラハラ」という言葉を知る前から、夫に対して酷いと思う事は度々あったのですが、

別の時には親切で良い人だったりするので、「あれは自分の思い違いだったんだ」と

思い直してしまったんですね。そんな事が、何年も繰り返されて来ました。

誰が聞いても明らかにおかしい言動や行動ばかりだったなら、もっと前に別れてました。

モラハラのやっかいな所は、普段や表向きは「とても良い人」な所なのかもしれません。

パートナーが少しばかりスピリチュアルをかじっていると、更にやっかいな事があります。

「相手の言動や行動によって自分の感情が揺さぶられる時は、相手ではなくて

自分にそうなる原因がある。相手のせいではなくて、自分のせいである。」

「本当は良い・悪いなんてないのだから、自分が気持ち良いと思う事をすれば良い。

自分が好きな事をして誰かに傷付いたと言われても、それは自分が悪いのではなくて相手自身の問題。」

「人は誰も本当は神なのだから、このままで完璧。何も変える必要はない。」

夫だけでなく、スピ系の仕事のお手伝いをしていた時に経営者の男性からも言われた言葉です。

スピ理論をかざして、自分を正当化して、モラハラします。

一見(スピ理論的に)正しいようで、反論できなくなってしまうのですが、これを振りかざす人は

実は自分自身が、感じる心を閉ざしています。

このスピ理論を楯にして、自分の内面を深く見る事を避けているのです。

相手の感情は相手の責任であっても、自分が誰かに傷つけられたと言われたのなら、

この事を体験をした原因が、自分(モラ夫)の中にあるのです。

なのにこれは自分のせいではないと、スピ理論を自分の都合の良いように解釈して、

自分を振り返り、内省し、自分自身を深く見つめる事を避ける為の言い訳にしています。

モラ夫は自分の感情を、とても強く無視したり、抑圧したり、否定しています。

そしてその事に、自分自身が気付いていません。気付きたくないのかもしれません。

感情を感じる事を自分に許すと、良い感情だけでなく嫌な感情も感じるようになります。

どちらか一方だけ感じる、と言う訳には行きません。必ず両方です。

モラ夫は恐らく、本当は自分が奥底で深く抱えている欠乏感、劣等感、孤独感、空虚感などに

向き合えず、そこから逃げて、架空の理想像を自分だと思い描いているのかもしれません。

本当にスピリチュアルな人であれば、自分が誰かに何かを言われた時、

その現実は自分の内側の反映であると捉え、自分の内面に向き合う事をします。

自分の中にある、分離や対立を解決する為のワークをするはずです。

これは自分の責任ではなく相手の問題だからと言って、放置や逃避はしません。

さて。ここまで読んで頂いて、賢いアナタは思い浮かんでると思います。

「だとしたら、私が夫のモラハラを体験した原因が、何か自分の中にあるはずだ。

自分の内面が外に現れるのなら、自分対自分の関係性がパートナーに現れるのなら、

私は私との関わり方が、何かバランスを欠いていて、相手がモラ化してしまうのではないか?」

そうなんです。

それは意外なところにありました。

全てのモラハラ体験者が、そうだとは言えないかもしれません。

私とは違うケースの方も、いらっしゃるかもしれません。ですが…

私の場合、パートナーをモラハラ化させてしまう要因が、自分の中にありました。

それは善かれと思って、悪いものは全部自分が引き受けようと思う気持ちでした。

夫の事を愛そう、大切にしようと思えば思うほど、私は黙って「良い事、良いもの」ばかりを夫に渡し、

面倒な事、大変な事、嫌な事、良くない事は殆ど自分が引き受けて来ました。

簡単に言えば、それが相手を甘やかし、つけあがらせる事となったのです。

また、夫の母も同じ気持ちで夫を育てて来た事が分りました。

夫は、責任を負う事、面倒な事、嫌な事、大変な事は人に任せて、

自分はやらなくていいのだと思って育ち、それが当たり前になっていたのです。

自分は「おいしいとこ取り(だけ)で良いのだ」と、無意識に深く刻み込んで生きて来たのです。

そして思い起こせば私の母もそういう所があり、それを見て育った私は、自分でも気付かないうちに

「愛情とは自分が悪いものを引き受け、良いものを相手に譲る事だ」と思うようになっていたのですね。

これは信念体系です。刷り込みです。「愛情とは、こういうものである」と言うプログラミングです。

真実ではありません。

男尊女卑や、日本人特有の「他人を優先して自分を抑える」姿勢、本音を隠して建て前で生きる事も、

だんだんと自分の中に内部分裂を作り出し、アンバランスや不調和を起こす原因となって来ます。

この世の中は、必ず相反する二つの要素で成り立っています。

それを「二元性」と言っています。

善と悪、光と闇、男と女、理性と感情、天と地、外側と内側、などなど…

どちらも等しく、必要なんです。

が、私たちは辛い事、苦しい事、不幸な事は避けたがる傾向があります。

だからこそ、自分の大切な人に「良い」ものばかりをあげたいと思うのですね。

ですが「良いもの」ばかりを受け取って来た人は、やはりアンバランスを抱える事になります。

不幸を避けないでください。不幸を呪わないでください。どうか憎まないでください。

大切な人が苦しんでいる姿を見るのは、見ている方も辛いと言う気持ちはよく分ります。

パートナーや子供や友達の泣き顔ではなく、笑顔が見たい気持ちは分ります。

一緒に笑いたいと思う気持ちは良く分ります。

でも、だけど、あなたが他人の「不幸」を取り除き、引っ被ったりはしないでください。

それは最終的に、相手の為にはなりません。むしろ成長の妨げとなってしまいます。

考えてみてください。

誰かが苦しんでいるとします。深い闇の中にいるとします。

あなたはその人を助けたいと思い、光を注いであげるとします。

するとどうなるか、お分りですか?

光を注げば注ぐほど、闇が(影が)濃くなりますよね?

太陽が明るく照っている日ほど、必然的に足元の影は濃くなりますよね?

二元性とは、そのように出来ていて、そのように機能しているのです。

闇を避けたり取り除こうとはせず、闇も光も等しく受け入れた時に両方の極が統合され、

二元性を「超える」事が出来るようになるのです。

想像もつかないような、新しく素晴らしいエネルギー、機会、奇跡のような可能性がやって来ます。

その時、はまっていた溝から抜け出し、未来は過去の繰り返しや延長を超越します。

そして、ワクワクやドキドキ、自分の人生を自分の手で創造して行く実感、情熱がもたらされます。

モラハラは、パートナーを大切にしたいと思うが故に生じていた極性のアンバランス、

それは二元性に対する理解不足、誤解でした。

パートナーが、子供が、部下が、友達が、本当に大切だと思うのなら、

相手が苦しい事にも向き合い、乗り越え、自分で解決して行く事を信じて見守る必要があります。

手出しをしてはいけません。それが救いの手だとしても、です。

あなたの大切な人は、自分で問題を解決する力を持っています。

解決できない問題はやって来ません。

心配」するのでなく、「信頼」の目で見守ってあげてください。

誰かが余計な手出しをすると、始めから誰かの助けをあてにする人になってしまいます。

他人からエネルギーを奪う事が当たり前の、モラハラ人間になってしまいます。

余計な手出しをしないと言う事は、見放し、突き放す事とは違います。

信頼して見守り、求められれば、必要な時に必要なだけのサポートはしても良いと思いますが、

相手や結果を自分の思うような状態にしようと、操作(コントロール)しない事です。

主役はあくまでもその人で、自分はそれ以上は出しゃばらない事です。

私は自分がしてきた「愛し方」が、バランスを欠いていたものだとは、今まで気付きもしませんでした。

愛の深さが、いつしか一種の「執着」に変わってしまっていたのかもしれません。

二元性の片方の極を否定したり取り除こうとすると、もう片方もアンバランスをきたします。

だから「良い」も「悪い」も両方をひっくるめて、丸ごと全てを受け入れて愛する事

自分の大切な人の事と同じくらい、自分の事も大切にする事

パートナーとの関係性において、自分の理想や期待を相手に押し付けない事

…これらの事を、モラハラを通して学んできたように思いました。

それは、より高いレベルへと進むためのイニシエーション(通過儀礼)だったのかもしれません。

いよいよモラ卒を間近に控えた今、しみじみとした気持ちで振り返っています。

ブログ記事より…プログラミングイシスのトラウマ