(対象)---初学者・中級者向け
---英語や英会話をもう一度一からやり直したい人のために//
「英語の先生からいるから日本人は英語が話せない」これは大前研一氏の名言だ。英語教師は自分たちが教えているのは、英語の基礎だ、英会話の基礎だと思いこんでいる。
そんな彼らに次のことばを贈りたい。「それなら、文法も知っており、単語も熟語も基本文も覚えているあなたがたは自由な英会話ができるのか?」と。
私は、彼らの無能を笑ってはいない。彼らに無能さを認識して欲しいのだ。
実は、私も彼らの仲間だった。私もあるひょんなことで、8ビットのコンピュータの英語学習ソフトを作り、その制作の過程で思いついたファンクションメソッドを体系化するまで、英会話などまったくできなかった。
学生時代から、ビートルズの歌詞を覚え、あるいはリンガフォンのレコードで英会話も必死に勉強したが、まったくものにならなかったことを白状したい。あるいは、私は普通の大学を出、家庭教師も、塾教師も、また予備校で英語を教えてきた。しかし教えたら教えるほど、この日本の英語教育そしてそれを支えている英語教師のインチキさをいやになるほど知らされてきた。
日本は自由主義の国だ。民間企業は自由競争によって日本の産業をここまで押し上げてきたのだ。しかし、この日本において唯一、自由競争のない世界が存在するとすれば、それは教育の世界だ。彼らは自由競争のない世界の住人なのだ。彼らは受験英語の勝者なのだが、自分自身の受験戦争の成果でしか教えることができない人たちなのだ。
彼らに英語教育の歴史を学んで欲しい。
現在の英語教育を支えているのは、変則文法というものだ。これはラフカディオハーンなどが明治時代に教えた正則文法、つまり英会話の授業とは異なるものなのだ。その変則文法について、ある本に次のように述べられていた。
「変則文法は、英語の知らない者でも英語を教えることができるものだ」
「広く世界の書物を読解し、列強に肩を並べるためには、あまねく英語の
読解力を身につけさせなければならない。それには英語を知らない者で
あっても、英語を教えることができなければならない」
これが、sometimesを「ソメチメス」と、あるいはnameを「ナメー」などと丸暗記するような英語教育を生み出してきた。
以上、