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第6回

屋敷を出た笠娘子は,左右を見てだれもいないのを確かめて,屋敷の裏の天の香具山に入っていった。しばらく登ると,藪の中に一人の若い男性が立っていた。

「ごめんなさい,待たせてしまって」
「良かった,今日はもう帰ろうかと思っていたところだ」

笠娘子が弓削皇子と紀皇女の恋愛に熱心だったのには理由があった。これより前,笠娘子と弓削皇子の舎人の,土師秋篠は恋仲になっていたのだった。土師秋篠は,弓削皇子が紀皇女に興味を持ったのを知って,ことあるごとに紀皇女の話を皇子の耳に入れた。そのかいあってか,弓削皇子は紀皇女のとりこになっていった。

「うちの姫様は,弓削皇子様のお歌にうっとりとしてらっしゃったわ」
「そうか,それもこれも笠,お前のおかげだな」

秋篠の言葉に,笠娘子は顔を真っ赤にしてうつむいた。愛する人に褒められたのは何よりも嬉しい。紀皇女と弓削皇子の仲が深まれば,ますます自分と秋篠の会う機会も増えるだろう。

「姫様は,皇子にお会いしたいとおっしゃっていました,なにかいい方法はない?」

秋篠はしばらく考えてから,ハッと思い至った。

「そうだ,笠,おまえの所では次の十三日に,この山へ登って,新しい都の造営を見ると言っていたな」
「はい」
「休憩にふもとの紀の寺を使うとか」
「そうです」
「これをうまく使えるかもしれない,私に任せておけ」

秋篠の目はふもとの紀の寺に向けられていた。紀の寺には少し大きめの金堂があった。紀氏は大王が熊野から飛鳥に入って以来の藩屏である。ここ飛鳥にも彼等は根を生やしていた。そして,紀皇女の乳母は紀氏の出であった。

「この次はいつお会いできるのでしょうか」
笠娘子は尋ねた。
「そうだな,あさっての夕にまたここへ来てはくれぬか」
「はい」
笠娘子の顔が明るく輝いた。あさってが待ち遠しい。



土師秋篠は用心して,一度山道を抜けてから屋敷へ戻った。この道沿いには,斉明天皇が作った石造りの庭園や,蘇我氏の古墳などが並んでいた。実は,この飛鳥の都には狭いところに大勢の工人や宮人が住みすぎて,水が足りなくなっている。びろうな話になってしまうが,厠から出るものは全て周りの山や飛鳥川に捨てられていた。慣れているとはいえ,秋篠にも,初夏ということもあり,山に捨てられた汚物の汚臭は答えた。女性であった斉明天皇は,きれいな水を引くための上水道の雛型を宮廷で作らせていたのだった。しかし,新しい国家を作ることしか頭にない息子の天智天皇には,母親の真意は理解される事はなかった。それは天武天皇や持統天皇も同じことであった。斉明天皇の水道は,歳を取った女の酔狂で片付けられて,今は山の中で草が生えるに任されている。

秋篠はそのような事は知らない。山を下りて飛鳥の都の南にでた彼は,屋敷のへ入っていった。

「今返りました,皇子」
「おお,はやかったな」
「紀皇女のお屋敷に勤めている私の友の話によると」
秋篠は,連絡に,友人を使っていることにしていた。
「かの姫様のうちでは次の十三日に天の香具山に登って,新しい都の造営を見物なさるそうです」
「それがどうかしたのか?」
「休憩に紀の寺へ寄るそうです。次の人麻呂先生との学問の場を隣の日向寺には出来ませんか?」
「おおなるほど,おまえはよくきがつくな」

日向寺の別当と柿本人麻呂は懇意である。学問するのはおかしくない。そのあとで紀の寺へあいさつにでむけば紀皇女を一目でも見られるかもしれない。

「よし,さっそく先生にたのんでみよう。」



(2002/10/20)

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