動乱の皇子(どうらんのみこ) 第五話 「老女の回想 その二」



 古代の大和では大王に即位するしないは後世ほどは重要視されなかった。なんとなく血筋のよい王族が宮廷にいて、祭祀がそれなりに行われていれば、さほど問題視する人もいなかった。荘厳な即位の儀式が必要とされるのは、唐の律令制度がこの国に移植されてから後のことである。今回も、しばらく大后が祭祀の中心に立つのだろうと豪族達もごく自然に受け止めた。

 政治向きのことは大臣が見るとは言えども、最後の決定はやはり大后が下さなければならない。その時に君主から下される諮問や、顔色の変化といった些細なことから臣下は君主の意思を読み取ろうとする。ほとんど臣下の奏上に異議を唱えなかったとしても、君主の賢愚を自然と官吏達は嗅ぎわける。

 しばらくして、大臣は女が聡明で民百姓の事情にも通じていることに気がつき、意外なことと驚かされる。さすが長い間家政を切り盛りしてきただけあって数字にも明るい。税の収量などもよく覚えていて、鋭い質問に冷や汗をかかされることも一度や二度ではなかった。

 女の方でも今まで巷で聴いていたのとは違う大臣の一面を知った。かの大臣は自分の一族が豊かになることだけしか頭にないといわれていたがそうではなかった、大臣は「優秀なものが君主であるべきだ」との強い信念を抱いており、山背大兄王子を排除したのも彼が凡庸であるにもかかわらず、位につくのは当然という横柄な態度に出たからであり、さらに大臣は己の父をも、国よりも一族のことを重く見ているとの理由で隠居させてしまった。

 二人は意気投合し、大臣は重い政治の課題についても女に相談するようになった。お互いに惹かれるものはあったが、大王と臣下でもあり、女も老年にさしかかりつつあったので男女の仲までは進まなかった。もう少し若ければわからなかったと女も思ったが、大臣は政治のことで頭がいっぱいであり、夜更けに寝所に押しかけてきてまで政の話を続けて女を閉口させた。

 しかしこの二人三脚を穏やかならぬ気持ちで眺めている男がいた。女の上の息子である。母はいつになったら自分に大王の位を譲ってくれるのだろうか。まさか彼の大臣に誑かされているのではあるまいか。宮廷では大后と大臣の関係についてあること無いことが噂されていて、彼の心を悩ませた。

 女が称制を初めて足かけ四年が過ぎた。先の大王の喪も開けたので、新しい大王を立てなければならない。大臣はこのまま女が大王の位につくのがいいと薦めた。皇子はしばらく仕事に就けて世の中のことを勉強させた方がいいだろうといった。女も才気走ったところのある息子には心配していたので大臣の提案に乗りかけたが、もう少しだけ考えさせてほしいと返事をした。これが大臣との最後の会話になるとは思いもよらなかった。

 また暑い夏がやってきた。その日は外国からの使節を大后が謁見することになっていた。この日は珍しく息子が儀式の裏方を手伝うことをかってでてくれて女を喜ばせた。やっと息子も海の向こうの国の文字だけで知ったきらびやかな世界だけではなく、目の前の仕事に目を向けるようになってくれたようだ。息子のためにも今日の儀式はしっかりと果たさなければと女は張り切った。

 しかし、女の目の前で信じがたい凶行が発生した。学生達が大臣を斬殺したのである。しかもその首謀者は息子と弟であった。もっとも信頼する臣下を、よりによって愛する息子と弟に殺された女は深い痛手を心に負ってしまった。なによりも息子の「母上は私よりもこの男を信頼するのですか」という責めるようなまなざしが頭の奥底から離れない。息子からそのような誤解を受けていたことが悲しくてならなかった。

 女は宮廷の奥深くに閉じこもった。息子と弟を中心にした学生達は宮廷を我が物顔で闊歩し、大王を唐の皇帝のようなきらぎらしき位にして、大和をどこにも負けぬ強い国にするのだと息巻いていた。新しい大王には弟が立った。女は宮廷の奧で呆然としながらことの成り行きを見守るしかなかった。



(2008/07/04)



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