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動乱の皇子(どうらんのみこ) 第2回



 軍議は紛糾していた。大規模な外征など大和朝廷にとっては雄略天皇の時代以来二百年ぶりのことである。それどころかこの二百年というもの日本の中でも大規模な戦乱はなかった。筑紫の磐井が継体天皇に刃向かったのが最後で、それ以降百五十年に渡って平和な時代が続いていた。意外なことかもしれないが、飛鳥時代というのは江戸時代に次いで平和が長続きした時代だったのである。そのため軍人達も勝手が分からない。強いていえば陸奥の俘囚と戦った時の経験を参考にするしかなかった。みな「これでいいのだろうか」という不安を抱えていたが、乗り気の中大兄皇子と百済王子豊璋に引きずられていた。

 「中大兄皇子、倭国の軍人達は何を長々と軍議ばかり開いているのですか!那大津を埋め尽くす軍船は釣りでもしにきているのですか」

 「申し訳ない、豊璋どの、この風が止み次第将軍達には韓へと攻め込ませる。なに、神世の時代から我が国は新羅に負けたことはないのだ、任那が奪われたのも新羅が卑怯な手を使ったからに過ぎぬ、わしの目が黒いうちはそのようなことはあり得ない」

 「そのように願いたいものですな」

 人質とはいえ、国賓待遇で大事に育てられてきた豊璋は人の苦労というものを知らなかった。豊璋は幼少期から自分を守り育ててくれた百済の高官の一族と一緒に宿舎へと戻っていった。彼は外国人なので軍議には参加できない。それが豊璋のいらだちをますますと高めるのだった。

 軍議はようやく二つの作戦にまとまろうとしていた。一つは全ての軍船を唐の援軍が終結すると予測される漢江の河口へ推し進めて唐と新羅の連合軍を一気に押し潰そうという作戦。俘囚征伐に実績がある阿倍比羅夫の提案。森の中では神出鬼没の俘囚に勝つことはできないので、大和軍は水軍を使い平野を押さえて俘囚を降参させる作戦を使っていた。俘囚とはいえ、田畑からの収穫がなければ生きていけないからだった。

 それに対して、まず加羅(朝鮮半島南部)に上陸して任那を回復して、そこを基地にして徐々に百済を回復させようという作戦を提案するものもいた。上毛野君稚子を中心とする東国の軍人達であった。征討軍の総大将となるはずの大海人皇子もこの意見に傾いていた。

 「皇子、唐の軍は水上での戦いに慣れていません。それに対して我が国は水軍には古来から秀でています。これだけの水軍を使わない手はありません。」

 「我々は大軍の用兵に慣れていない。まず縁がある加羅を取り戻すべきだ、加羅ならその地の人々も我が軍を迎え入れてくれるだろう。一気に勝敗を決するのは危険すぎる、十年、二十年かけるべき長い戦いだ。」

 阿倍比羅夫も上毛野君稚子も一歩も譲らない。そろそろ春が来て冬の季節風が止む。そうすれば玄界灘を渡って攻め込まなければならない。決断の時は近づいていた。

 夜半、中大兄皇子は中臣鎌足と密談を重ねていた。鎌足は軍に送り込んだ間諜(スパイ)から軍議の内容を手に入れている。

 「大海人皇子様は、加羅に攻め込む作戦に傾いているようです」
 「勝算はあるのか」
 「大海人皇子様ならば、加羅の回復に成功するでしょう。その後は長い戦いになると思われます。ただし、一つだけ心配なことがございます。」
 「なんだ、言ってみよ」
 「大海人皇子様に全ての兵を与えてしまってよろしいものでしょうか?」
 「さすがは鎌足よ、わしもそれを考えていた。かつて応神天皇は韓から大軍を率いて大和に攻め込んで河内の王朝を建てたと聞く。あやつに全ての兵を与えて、十年二十年も戦わせるつもりはない、必ずや大友にあだをなすであろう」
 「さすれば、軍を二つに分けて両方の作戦をとらせるのがよいかと。海と陸から新羅の軍勢を挟み撃ちにするのです。大海人皇子様に片方の兵しか与えず、なおかつ勝利する秘策です。」
 「良い作戦じゃ、冬の間中ずっと頭を付き合わせて一つも結論を出せぬ将軍どもの度肝を抜いてやろう」

 中大兄皇子の寝所を抜けだした中臣鎌足は心の底でつぶやいた。
 「これでいい、この戦いに勝ってはならない、勝てば大海人皇子様に名声が集まり、韓へ送った軍勢と大和の軍勢の間で必ず戦いとなる。軍を二手に分ければおそらく戦いには負けるであろう。しかし、そのことによって大海人皇子様は韓で討ち死にあそばす。両雄は並び立たない。大友皇子様に皇位を平和のうちに嗣がせるためにはこれしかないのだ・・・」



(2007/05/17)



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