動乱の皇子(どうらんのみこ) 第四話 「老女の回想 その一」
女は後悔していた、人々が自分には聞こえぬところで、彼女のことを多情だ気が触れているなどと陰口を叩いていることは知っていた。確かに彼女はこれまでの人生で多くの男を愛したが、一度に多くの男に心を通わせたことはなかった。あるいは年老いて死に、病気で死に、また剣にかけられて死んだ。男を失って程なくして現れた者に惹かれただけだったのである。どの男への気持ちも嘘はなかったことだけは胸を張っていえる。
女の祖父は大王の子で血筋も良かったが、淡泊な人物で、茅渟県※に豊かな土地をもらうのと引き替えに大和における権力争いからは引き下がることを高位を独占する王族や豪族たちと約束して悠々自適の生活を送っていた。
ほどなくして祖父は死に遺産は二人の息子に残された。病身であった弟は二人の子供の行く末を心配し、娘を老齢の王族のもとに嫁がせ、財産を積んで息子を唐から帰ったばかりの一流の学者の学校に通わせた。父は自分よりも年老いた婿に娘と息子の親代わりになってくれるよう頼みながら息を引き取った。
男女の仲もわからぬうちに親よりも年の離れた男のところへ嫁いだ彼女であったが、かいがいしいところのあった彼女をその男も愛した。弟の学業はあまりうまくいっていなかったようであるが、大和の雲上人と顔見知りになるだけでも後々役に立つだろうと夫は言っていた。
茅渟の海に出入りする舟を眺めながらのんびりとした時代は過ぎ、女の周辺がにわかに騒がしくなってきた。治世三十数年に及んだ女帝はそのふくよかな外観に似つかわしい円満な性格で大和をまとめていたが、それだけに皇位を継ぐべき皇子を決めることができないままお隠れになった。絶えて見ることもなかった甲冑姿の武人達が山野を行き交い、茅渟の海にも軍船が浮かんだ。夫は「こういうときは静かにしているに限る」といって、どちらにも付かずにじっと息を潜めていた。
血生臭い争いの後に皇位についたのは、なんと女の伯父であった。血筋が良かったのと、大和にいなかったために手垢にまみれていなかったのが豪族達の好感を呼んだらしい。伯父が大王の位についたのと丁度同じ頃、夫が年老いて死んだ。「これでそなたも大王の姪じゃ、わしも安心してあの世に旅立つことができる。」・・・夫の死に顔は安らかであった。女は既に三十になろうとしており、当時としてはすでに壮年であった。
死んだ夫の殯※2を済ませ、ささやかな陵墓をつくり、幼い子供と静かに暮らしていた女の屋敷に大和から賑々しい行列が見舞った。なんと大王になった伯父であった。大臣もその場に控えていて、彼が言うには女に后になってほしいのだという。あまりの変転に気が遠くなりそうであったが、女一人で屋敷や広い領地をどう切り盛りして良いものか途方に暮れていたこともあり、女は承諾した。伯父は弟にもしかるべき地位を与えようと約束してくれた。弟思いの彼女にとってはこれは殺し文句に近かった。しかし残念ながら初めの夫との間に生まれた幼い息子は手放さなければならなかった。
当時は妻問婚であるので女はそのまま茅渟の館に住み、大王が女の館まで通うのである。宮廷が王と一緒に移動するのは、古代ではどの国でも珍しいことではない。領内の視察も兼ねていたのである。それに妻の領地はいずれ息子の領地となるので、その経営もないがせにはできないのである。
大王は頻繁に女のもとへ通ってきた。茅渟は大王にとっても故郷なので、どことなく他人行儀な扱いをされる大和よりも居心地がよいようであった。それに女のそばにいると心が安らぐといってくれた。二人の関係は円満で、女は二人の息子と一人の娘を生み、三人ともすくすくと育った。これほど釣り合った大王と后が並び立ったのは敏達天皇以来ほぼ五十年ぶりのことであり、畿内の豪族達はこの宮廷の安定感に満足していた。この時の評判が後々まで周囲が女を政の場に引き出すことになった理由かもしれない。なに不自由ない暮らしであったが、上の息子の勘が強く、時に遊び友達や舎人※3たちに怪我をさせることもあったのが気がかりであった。
十年して、大王がお隠れになった。大和から大臣が次の大王に誰を立てるかの相談に来た。少々厄介な事態が発生していた。女の上の息子が血筋の上からは次の大王に相応しいのは勿論であるが、まだ大人になっていない。古代の大王は虚位ではないので、大人でなければ勤まらない。そういう場合、大王の弟が中継ぎにたつのが慣例であったけれども、大王の兄弟はもう地方に流れてしまっていて大和で政治をみることができるような人物はいない。弟も候補といえば候補であるが、大王の曾孫であり相応しくない。大臣は驚くべき提案をした、大后である女に大和でしばらく称制※4と言うことで政務を執ってもらいたい、なに政治は全て豪族達が執り行うから心配することはない、という。
ことがことなのですぐには返事はできなかった。女は悩んだ。あの大臣は女帝がお隠れになった後の争いで厩戸皇子の一族を根絶やしにしている。実は女の最初の夫も厩戸皇子の血縁であったが、直接の子孫ではないので大臣から敵とはみなされずに済んだ。彼の手口を知っているだけにこの申し出を断った時の報復が怖かった。息子はまだ政治を任せるには幼いし、弟も頼りない、こうやって自分が悩んでいるせいで豪族達が動揺し、また血が流されるのはいやだった。女は大和に入る決心をした。子供達も連れて住み慣れた屋敷を立った。
女たちは華やかな輿に乗せられ、長い行列を作って大和に入った。上の息子はすぐにでも皇位が自分に回ってくるものと得意満面の顔をしていた。下の息子は輿の揺れが心地よかったのか、ずっと母の膝で眠りこけていた。
大和では太陽が厳しく照りつけ、茅渟とは異なり風は流れず、よどんだ空気が人の心をも執念深くしそうに女には感じられた。この直感は間違ってはいなかった、この大和行きは穏やかで幸せな日々との別れになったのである。
(2008/06/16)
※ 茅渟県(ちぬのあがた) 和泉国(現在の大阪府南部)の地名、五世紀頃に宮が置かれていたことがある。
※2 殯(もがり) 死者をしばらく安置する昔の葬礼
※3 舎人(とねり) 皇子の世話をする人
※4 称制(しょうせい) 天皇には即位しないが、天皇として政務を執ること
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