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沙羅羅ー少女編1−

屋敷に帰ると、すでにもう金春秋が来ているようだった。沙羅羅は急いで支度をして応接間のほうへ出た。

「お待たせしました」

「おお、どこへ行っておったのだ、いやいや春秋どの、申し訳ない」

「そんなことありません、それにしても鵜野様いつ見てもお美しいですな」

沙羅羅は顔を赤くした。こういうことは何度言われても悪い気はしない。

「そろそろ桜の花がふくらんできましたね。まことに大和の桜はきれいです・・」

やがて話は、取り留めのない花鳥風月ことから、本題とも言うべき最近の政治のことに移った。

「どうなのでしょう、皇子、皇太子と天皇はやはり戦うことになるのでしょうか」

「わたしがお諌めしているのだが、兄上は一度決めたらなかなか動かない性分だから」

「わが新羅への援助をお願いしようと思っているのですが、この調子では大和の朝廷は外のことに関わる余裕はなさそうですね」

「そのとおりです、春秋どの、いま唐や韓は大きく動いていると聞く。そのようなときに狭い朝廷の中で仲たがいをしているわけにはいかない。」

聖徳太子があこがれた国の隋は、高句麗遠征の失敗と運河の建設などの大工事で疲弊してあっけなく滅んでしまった。その後しばらく混乱が続いたが、唐という国によって統一されつつある。韓では百済が急に力をつけ始めて、残りの二カ国に攻め込もうとしていた。

「いえ、仲たがいは大和だけではないのです。わたしの国も一時期は百済を圧倒するほどの力がありながら、最近は王と貴族たちの間が上手くいかなくて、今では百済に押される有様です。」

全くどこの国も同じようなことばかりしている、沙羅羅はなんだか腹が立ってきた。何でそんなにいがみ合う必要があるのだろう。王族や貴族ならば食べるのに困るわけでもないだろうに。

「私は大海人皇子様や鵜野様が暮らしているこの国が好きです。それに大和が乱れれば、それは必ず韓のほうにも響きます。それに韓が乱れれば、唐が黙ってはいないでしょう。大和や韓を守るためには私は労をいといません。」

ひとしきり話した後、春秋は帰った。春秋の危惧がやがて現実となることを沙羅羅はまだ知らない。



沙羅羅はあの後も何回か人麻呂とであった。彼は博識だった。この国ができたころの古い神々の話。昔の男女の恋の物語などいろいろな話を知っていた。政治の話しかしない人たちや、沙羅羅の容姿を褒めることしかしない人たちとは違ったものを沙羅羅は人麻呂から感じた。見た目を褒めることしか知らない人は結局話すことがないのだろう、と沙羅羅は思った。そのような人たちと比べて、人麻呂の頭は宝箱のように見えた。

「それで木梨軽皇子と衣通姫はどうなったの?」

「皇子は皇太子の位を追われて、衣通姫とも引き裂かれて、伊予の地に流されたのです。そして最後は、逃げてきた衣通姫と一緒に川の淵に身を投げて死んでしまいます。」

「なんて悲しい話なのかしら・・・それにしてもこの二人を追い落とした弟の穴穂御子というのは許せないわ。」

「確かに軽皇子と衣通姫は許されないことをしたといっても、それを暴いたのは自分が天皇になるという勝手な気持ちのためでしたからね、穴穂御子は人気もなかったのでしょう、三年でさらに弟に天皇の位を奪われてしまいます、兄弟同士で争った結果大和の力はそのとき衰えたということです」

沙羅羅は王家の内部で起こっている暗闘を思い出した。父に聞かせてやりたいものである。


またあるとき、約束の場所で舞っていたら、人麻呂が息を切らせて走ってきた。

「うのさららさん、また新しい文の書き方を思いつきました」

「どうしたの、こんなに急いで」

人麻呂はぜえぜえ肩で息をしている。沙羅羅は竹筒を差し出した。人麻呂は水をぐいっと飲み干してやっと落ち着いたようだった。

「私の友人に僧侶の見習いをしているのがいるのですが、僧侶は梵語(古代インドの言葉)を習うためにこのように簡単な字を使って読み方を表すそうです。たとえば『あ』なら『阿』と小さく書く。」

人麻呂は地面に木の枝で「阿」と字を書いた。

「このように、簡単な字を使えば、漢言葉にないような言葉も表すことができるのです。」

『春来牟等云』

「これで、『はるこむといふ』と読みます。」

今まで形のなかった言葉が字となって地面の上で形を持つのを見た沙羅羅は、不思議なような、わくわくするような気持ちを感じた。そうか、

「これが、私たちが話している言葉の姿なのね」

「そうなんです、形にされた言葉には口から出る言葉とまた違った美しさがあるのですよ!」

感激した人麻呂は急に、沙羅羅の右手を両手で握って言った

「あなたと会うようになってからよい歌が次から次へと詠めるようになりました。あなたは私にとって、天からおりてきた神様です。どうかいつまでも私のそばにいてください。」

「えっ!?」
これは何を意味しているのだろう?ものの弾みで言ったのだろうか、それとももっと深い意味があるのだろうか・・・「いつまでもそばに」・・・この言葉が沙羅羅の頭の中でいつまでも繰り返し響いた。





(2003/5/21)

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