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錦林多摩記
2005年12月


十二月一日(木)
神無月晦日 先負 【井】

今日は月に一回取ることにしている有休をもらって、いろいろ片づけてきました。

まず病院へ行って躁鬱病の治療。パキシルから精神安定剤への切り替えは来月に考えることになりました。鬱状態のみの患者は、鬱の再発を防ぐためにパキシルを鬱がなくなった後もしばらく服用する方がいいのですが、躁状態がある患者にとってはパキシルは躁の呼び水になることもあるそうで、その見極めはまだ今の医学では難しいそうです。

ズボンをクリーニングに出し、次に紳士服店へ行って、新しい長袖のYシャツとチョッキそれにネクタイを買ってきました。今持っている長袖は3年前にまとめて買ったやつなのですが、洗いざらしで袖が縮み始めています。襟も縮んでもう締めることができません。太ったんだろうって!?何を言うんですかもう。

次銀行へ行って利殖をしてきました。投資信託というのはややこしいですな、書類を10枚は書かされました。4つ買うだけで2時間くらいかかりました。初心者だからいろいろ説明を聞いたというのもあります。投資信託は、元本には税金はかからないけれど、銀行に払う手数料には消費税がかかるそうです。また、解約してお金にした時、利益が出ていれば10%が税金としてさっ引かれるとのこと。どちらも初めて知りました。まあ定期預金よりも金利が高ければいいです、二倍、三倍にしてやろうなんて欲をかくつもりはありません。窓口のおねえちゃんはとても親切に説明してくれました。と既に俺、銀行に騙されてる(^^;?

さらに、ヨドバシカメラへ行って薄型液晶テレビ26インチを買いました。先月と比べても値段はグッと安くなっています。今が買い時だと思います。今度のボーナスでどっと出るでしょう。今はボーナス前の端境期ですから、ちょっと安めというのもあるかもしれません。ポイントは4倍だったし。しばらくヨドバシではポイントだけで買い物ができそうなくらいたまりました。日曜日に届きます。とても楽しみです。今のテレビは大学入学から9年近く頑張ってくれましたが、そろそろ滲んで細かいところは見えなくなってきました。もう十分働いたと言うべきでしょう。テレビさんご苦労様でした。

本屋では漫画の資料にするために原色写真付きの植物図鑑を買いました。

いやはや、今日は一気にいろいろ片づけました。こんなに金を使ったりして、もしかして既に躁状態に入っているのかもしれません。あれ、困ったな?株に手を出して身代を潰したら、それこそマンボウ先生の轍をなぞることになってしまいます。躁になると勝負事がしたくなるんですよね、困ったことに、また囲碁を始めるかな。



十二月三日(土)
霜月二日 赤口 【柳】 【秩父夜祭り】

いよいよ躁に入りつつあります。
昨日はプールへ行って2時間泳いだあとに酒を飲んで寝たのが1時半、にもかかわらず今日の朝は8時頃には目が覚めて活動を始めました。身体が全身筋肉痛であったのですが、1時間くらいすると嘘のように疲れが取れてしまいました。躁病恐るべし。覚醒剤を打つとこんな感じになるのでしょうか?もちろん薬物なんか飲んでいませんよ。


電車に乗って渋谷の本屋に行き、その後靖国神社を参拝しました。靖国神社にお参りしたのは初めてです。今まで靖国神社に少しわだかまりがあったのですが、最近それが解けました、そのいきさつはまた別の機会に書きます。半蔵門線市ヶ谷駅を降りると、なにやら品の良いなりをした可愛らしい女の子がいっぱい歩いています。「なんかいな」と思ったら、どうやら法政大学かあるいは附属高校の入試があったみたいです。法制が市ヶ谷にあるのは知りませんでした。麹町のあたりを歩くのは初めてです。はとバスで通り過ぎたことはあるんだけど。

横の門から入って靖国神社にお参り。なかなか結構な作りでした。内部はすっきりしていて、いい感じの神社であると思います。天皇陛下の町名と小泉首相が無事に任期を勤め上げられるようお祈りしました。通常ならここでじいさんとかおじさんの冥福を祈るのでしょうけれども、幸い私の家からは戦死者は出ませんでしたので、靖国に祀られている人はいません。次に隣にある遊就館へ。靖国神社に奉納された遺品が展示してあります。日本で唯一の本格的な軍事博物館です。

入ってすぐに零戦が展示してあります。思ったよりも大きかったです。大東亜戦争当時の兵器は、工業品とはいえ、手作りですので、打ち出したあとが見えて、良くできた工芸品のように見えました。後ろには大砲が展示してありました。私の父方の祖父は砲兵でした。祖父も満洲や九十九里浜でこれを引きずっていたのでしょうか。

2階の常設展では、主に明治維新からの日本の軍事を中心とした歴史が学べることになっています。軍事を抜きにして近代の歴史を語ることはできません。久坂玄随が武市半平太に宛てた手紙、徳川斉昭公の陣羽織など、司馬遼太郎のファンにはたまらない名品の数々がならんでいます。錦の御旗もありました。日本近代史の息づかいが伝わってきます。

軍服が展示されているのですが、幕末の日本人は身長がすごく低かったことが分かります。150cmくらい、軍服もまるで女子高生の制服くらいの大きさしかありません。幕末の志士たちは、こんな小さな身体のどこにあれほどのヴァイタリティーを納めていたのでしょうか。

遊就館のメインはなんといっても日露戦争の展示でしょう。勝った戦争は何度見ても胸が踊りますね。日露戦争ともなると映像資料も豊富で、奉天会戦や日本海海戦の映像、乃木大将が歩く姿も見ることができました。

その奥にあるのが悪名高き大東亜戦争の展示ですが、大変にバランスの取れた展示であったと思います。あれはどう見ても戦争を賛美する展示ではありません。大日本帝国が何故勝ち目のない戦いに赴かなければならなかったかの冷静な分析と、純軍事的に見ても拙劣だった作戦の数々が遺品とともに説明され、見る者を厳粛な気持ちにさせます。最後の「ポツダム宣言受諾の詔勅」(いわゆる玉音放送)では胸にこみ上げてきました。

最後には大東亜戦争の兵器の展示があります。特攻機桜花、人間魚雷回天、彗星、九七式戦車、戦地で発掘された弾痕のある鉄兜、飯盒、海底から引き上げられた沈没船の部品、何を感じるかは見る者に任されています。しかしあれを見て戦争万歳!と思う奴はいないでしょう。日本軍の軍備は連合軍によって徹底的に破壊されたので、遊就館に展示されているのは、戦後20年以上たってから余裕ができた元兵隊さんが、戦地に赴いて発掘して私費を投じて日本まで運んばれてきた物がほとんどです。戦争に参加された方には何かそうしないではいられない特別な感情があるのでしょう。

売店には軍事関係の本や軍帽が売っていました。海軍カレーのレトルトにはひかれましたが、少し高かったので諦めました。のらくろのぬいぐるみが置いてあったのはご愛敬でした。


まだ元気が有り余っていたので、そのまま北の丸公園に行き宮城を遙拝した後、竹橋から 地下鉄に乗って高田馬場へ行って、ぶらぶら歩いて、ちょっとエッチなビデオを入手し、帰りました。一日中歩いてあんまり疲れていない、しかしあんまりハッスルしすぎると後が怖いので今日は早めに寝ます。



十二月四日
霜月三日 先勝 【星】

昨日の暦が間違っていました。すみません。

一日に注文したワイド液晶テレビが届きました。
まさに感動の画質!最近のアニメってこんなにきれいになっていたのですね。昔のアニメのDVDもすごくきれいです。きれいすぎて、JPG化の痕が見えてしまうくらいです(笑)
配線の整理をしたら、何故だかアンプの音が良くなるおまけまで付いてきました。余計な配線のせいでCDやDVDの出力が落ちていたのかもしれません。本当に買って良かったです。


「ふしぎ星のふたご姫」
ブライトがプリンセスパーティーに乱入してしづくにの国女王夫妻を籠絡です。跳ね返されるファイントレインの力、しかしエターナルソーラープリンセスとなってブライトの催眠を破りました。最近の「ふたご姫」は、悪の総帥が身近にいて堂々と表に出てくるところが、最近には珍しい構成ですね。それにしてもしづくの国はどうしてそんなに貧乏なのでしょうか?

「義経」
いよいよ最終回まで今日を入れてあと二回。流れ流れて陸奥は平泉、そこで迎えるは桃太郎侍・・・じゃなくて北国の王者藤原秀衡。鎌倉の挑発に乗らず義経をあくまで守り抜く度量を示すのでした。「九郎どのがいようがいまいが、鎌倉は口実をもうけて平泉に攻め込む」パワーバランスから言って、二雄は並び立ちません。三雄ならば三すくみが成立します。組み合わせ次第で全員に滅ぼされる可能性があるからです。しかし二つだけの場合、強い方は弱い方を早晩呑み込もうとします。的確な情勢判断といえるでしょう。敵対が避けられない以上、交渉材料として義経は非常に価値があります。もちろんいざ戦いとなったら、100年間平和が続いて戦いに慣れていない平泉にとっては義経は力強い戦力となってくれることでしょう。史実の秀衡もこのように考えていたと思って外れではないと思います。

しかし、頼みの秀衡倒れる!後に残されたのは頼りない泰衡。いよいよ物語も最終章です。



十二月六日(火)
霜月五日 先負 【翼】

「今まで皇位継承者が途絶えた時にどうしていたか」【歴史】

まず、今まで天皇になった人を☆印で表すと
(1)天皇(男)ー☆
(2)天皇(男)ー男ー☆
(3)天皇(男)ー男ー男ー☆
(4)天皇(男)ー男ー男ー男ー☆
(5)天皇(男)−男ー男ー男ー男ー☆
に限られています。

(1)は一般的なので、(2)以下の例を
中世〜近世には天皇号は送られていないので、「院」と書きました。現代の天皇と同じです。


(2)
第14代仲哀天皇
景行天皇ー日本武尊(やまとたけるのみこと)ー仲哀天皇

第34代舒明天皇
敏達天皇ー押坂彦人大兄皇子ー舒明天皇

第42代文武天皇
天武天皇ー草壁皇子ー文武天皇

第44代元正天皇(女帝)
天武天皇ー草壁皇子ー元正天皇

第49代光仁天皇
天智天皇ー志貴皇子ー光仁天皇

第86代後堀河院
高倉院ー守貞親王ー後堀河院

第107代後陽成院
正親町院ー誠仁親王ー後陽成院


(3)
第35代皇極天皇(女帝)
敏達天皇ー押坂彦人大兄皇子ー茅渟王ー皇極天皇

第102代後花園院
崇光院ー栄仁親王(伏見宮)ー貞成親王(伏見宮)ー後花園院

第119代光格天皇(天皇号復活)
東山院ー直仁親王(閑院宮)ー典仁親王(閑院宮)ー光格天皇

(4)事例なし


(5)
第26代継体天皇
応神天皇ー稚野毛二派王ー意冨々等王ー乎非王ー彦主人王ー継体天皇

南朝正統に立った場合の第102代後花園院
後伏見院ー光厳院(北朝1)ー崇光院(北朝3)ー栄仁親王(伏見宮)ー貞成親王(伏見宮)ー後花園院


女帝の次はどのような人が皇位を継いだのでしょうか?


第33代推古天皇
皇太子・・・厩戸皇子(用明天皇ー厩戸皇子)
厩戸皇子死後・・・田村皇子(舒明天皇)
(敏達天皇ー押坂彦人大兄皇子ー田村皇子)

第35代皇極天皇
皇太子・・・軽皇子(孝徳天皇)
(敏達天皇ー押坂彦人大兄皇子ー茅渟王ー軽皇子)

第37代斉明天皇
皇太子・・・中大兄皇子(天智天皇)(舒明天皇ー中大兄皇子)

第41代持統天皇
皇太子・・・軽皇子(文武天皇)
(天武天皇ー草壁皇子ー軽皇子)

第43代元明天皇
皇太子・・・首皇子(聖武天皇)(文武天皇ー首皇子)

第44代元正天皇
皇太子・・・首皇子(聖武天皇)(文武天皇ー首皇子)

第46代孝謙天皇
皇太子1・・・道祖王(廃太子)(天武天皇ー新田部皇子ー道祖王)
皇太子2・・・大炒王(淳仁天皇)(天武天皇ー舎人皇子ー大炒王)


第48代称徳天皇
皇太子・・・なし
崩御の後、群臣会議で皇位継承候補者となった人物
1,文屋真人浄三(天武天皇ー長皇子ー浄三)
2,白壁王(光仁天皇)(天智天皇ー志貴皇子ー白壁王)

第109代明正院
皇太子(確認できませんでしたが)・・・紹仁親王(後光明院)
(後水尾院ー後光明院)

第117代後桜町院
皇太子・・・英仁親王(後桃園院)(桃園院ー英仁親王)


このように、全て父系(男系)継承であるのです。
今まで母系(女系)の子孫が皇位を継いだ例はありません。



十二月八日
霜月七日 大安 【角】【上弦】【針供養】

「父系と母系の違い」【歴史】
皇位継承問題で男系継承、女系継承、という言葉が出てきますが、いまいちわかりにくいですね。さらに男性天皇女性天皇、と混同して「女系天皇?敬宮(愛子様)が天皇になるってことでしょ、いいじゃん」という浅薄な理解を広めかねません。とりあえず、用語の混乱を避けるために「父系・母系」という言葉を使うことを提唱したいです。男ー男ー男と地位を継承していくのが父系(男系)継承。女ー女ー女と継承していくのが母系(女系)継承です。父系・母系という言葉は昔からあります。男系という言葉はポピュラーでしたが、女系という言葉は家督継承で使われることはありませんでした。今までも「母系」という言葉が使われてきました。

たとえば、平安時代の日本、藤原氏が娘を天皇のお嫁さんにして、生まれてきた子供を天皇にすることによって権力を維持していたというのは学校で習いましたね。200年間くらい、ずっと藤原氏の血をひく皇族が天皇になり続けました。これは母系継承ではないのでしょうか?実は違うのです。


実際に父系と母系がかち合った英仏百年戦争を例にとって説明しましょう。

【カペー家】
フィリップ3世(仏王1)ーーフィリップ4世(仏王2)ーーシャルル4世(仏王3)(断絶)
            |             |
            |             |ーイザベル(英王妃)ーエドワード3世(英王)
            |
     【ヴァロア家】|ーシャルル(男)ーーーーーーフィリップ6世(仏王4)
           
1328年(嘉歴三)シャルル4世が男子を残すことなく死亡したため、カペー長の父系は断絶しました。そのため、シャルル4世から2代遡って、フィリップ3世の父系の孫のヴァロア家のフィリップがフランス王として即位しました。フィリップ6世です。直近のフランス王であったシャルル4世とは4親等離れています。

これに対して、イングランド王のエドワード3世は母親を通してカペー家の血を受け継いでいます。シャルル4世とは3親等離れています。エドワード3世はフランス王の母系の子孫です。エドワード3世は、ヴァロア家のフィリップよりも、自分の方がシャルル4世と近縁であるとしてフランス王位継承権を主張してフランスに攻め込みました。英仏百年戦争の勃発です。

それまで、フランス王は父系継承されてきました。イングランド王位は父系・母系関係なく継承されてきました。ただし「フランス王位は父系継承に限る」という成文法はなかったらしく、そこをイングランドにつけ込まれました。しかし、イングランドの風下に立つことと、母系継承を認めないフランス貴族は、エドワード3世のフランス王位を認めませんでした。


これに対して、日本の皇族。

戦国時代もたけなわの頃にこのような例があります。

後奈良院ーー正親町院ーーーー誠仁親王(若死)ーーーーー後陽成院
     |
     |ー永寿女王
        ||ーーーー勧修寺晴右ーーーーーーーー晴豊・他
       勧修寺尹豊

後奈良院は即位の礼を挙行する金にも苦しんだ歴代最も貧乏な天皇。正親町院は織田信長が日の出の勢いであった時の天皇。誠仁親王は正親町院の皇太子で、織田信長と仲が良かったけれど即位直前になくなりました。その子供が豊臣秀吉や徳川家康とやり合った後陽成院です。

勧修寺晴右は、永寿女王の子供ですから、後奈良院の母系の孫です。しかし、皇位継承権は全くありません。誠仁親王が早死にした時も、勧修寺家の男子が皇位継承候補者に上ることはありませんでした。

幾分整理されたかと思います。



十二月二十日(火)
霜月十九日 大安 【室】

ようやく落ち着きましたので日記を再開します。

「魔法の妖精ペルシャ」DVD-BOX IIと「牧場の少女カトリ」のDVD全12巻を購入しました。この二作は本来なら真っ先に買うべきところですが、まず見たことがないのを優先して買っていたため後回しになっていました。ペルシャとカトリの総てが我が手に!感無量です。

ペルシャのエンディング四部作はもちろんいの一番に見ました。いつ見ても感動します。カトリもこれからゆっくり見ていこうと思います。

昭和59年(1984)は、金曜夕方にペルシャがあり、日曜朝にメモル、夜はカトリだったんですよね、信じられないくらい豪華な週末。当時6歳だった私はこの3作から多くのことを学びました。

ペルシャのブックレットには、アニメーターの洞沢由美子さんと片山一良さんの対談が掲載されていました。私はペルシャは洞沢さんが作画監督の回が一番きれいであると信じているのですが、洞沢さんにとってもペルシャは初めて作画監督を務めたと言うことで思い出深い作品であるそうです。洞沢さんの絵が好きな私にとってはなんだか嬉しい言葉でした。

片山さんのことは失礼ながらブックレットを読むまで気がつかなかったのですが、「スクープ結婚宣言」「科学博カッパ騒動」「ペルシャが好き!」などどれをとっても名作揃いなペルシャの中でも特に珠玉の作品の演出をされていると言うことでした。片山さんにとっても、ペルシャは存分に自分の好きなことができた作品として良い思い出になっているそうです。

このような作る側の声をきくのはファンとしても嬉しいです。

ブックレットの説明では、ペルシャは魔女っ子シリーズの中でも特に子供の人気が高かったとありました。そうですよね、マミにもドキドキしましたが、当時幼稚園児くらいだった子供はみんなペルシャに夢中だったのです。お祭りの縁日ではペルシャが終わってから数年くらいペルシャのお面はなくなりませんでした(単におもちゃ屋が作りすぎただけかな)。おもちゃもいっぱい生産されて売れたそうです。ただしいかんせん子供ですので覚えている人が少ないんですよね、見せられれば思い出す人は多いと思うんですが。

いつまでも守り継いでいきたい作品です。



十二月二十一日(水)
霜月廿日 赤口 【壁】 【しまい弘法】

昨日MAGICARUさんに教えてもらいました。「ふしぎ星のふたご姫」が二年目に突入するそうです。めでたい!

二年目はどのような展開になるのでしょうか?
さすがにブライトの悪役は3月までだろうから、新キャラ登場?MAGICARUさんは外の星から誰かが来るのではないかと言っています。楽しみですね。

「ウエディングドレスブック」(カーリー・ロニー著 沖野十亜子訳 フレックスファーム刊)という本を買いました。

女性がドレスを着ている姿が大好きでして、ずっとドレスの写真集が欲しかったのです。
きれいですね〜エレガントで、飾りが少ないのが良い。女性が憧れるのも分かる気がする。普通に暮らしていたら結婚式くらいしか着る機会がないですものね。
本の中のドレスを参考にして、アニメキャラにもドレスを着せちゃいました。

りりかとペルシャ

波音ちゃん
柄は日本の文様を参考にしました。結構ドレスと合うのが不思議。りりかは桔梗と鞠。ペルシャは雀と笹です。波音ちゃんのは唐草文様です。



十二月二十二日(木)
霜月廿三日 先勝 【奎】 【冬至】

十二月二十三日〔金〕【天皇誕生日】
霜月廿二日  友引 【婁】
今日は天皇誕生日、昨日は冬至でした。天皇陛下万歳

ところで、最近のプリンタはケント紙や画用紙でも印刷ができるのですね。
今日初めて気がつきました。
これなら線画を印刷していろいろいろ塗りが試せる。
気づくのが遅すぎでしょうか(^^;

Amazonからエウレカの5巻と姫ちゃんのリボンのDVD-BOX第3巻が届きました。週明けだとばかり思っていたので驚きました。財布の中にあるお金では足りなかったので貯金箱から1500円出しました。そもそも私が財布に1万8千円も入れていること自体が珍しいことで、これは明日の忘年会の軍資金であったのです。今月はボーナスがあったとはいえちょっと散財しすぎました。来月は締めよう。
さくらちゃん




十二月二十五日(日)【クリスマス】
霜月廿四日 仏滅 【昴】

邪教の淫祠狗痢須魔崇のことなど知らぬわ!
はい毎年恒例の雄叫びでした。
今日は少し寒さが緩んだようです。日本海側はもう半月も雪続きで大変でしょう。不便なだけならまだしも、雪下ろしが大変そうです。時ならぬ大雪が、しかも二週間も続くとなると、そろそろ健康にも差し支えが出てくることだと思います。年末年始までに収まると良いですね。


「意外と日本に依存して多アメリカ」【歴史】
これはあんまりちゃんと調べずに印象だけで描いているのでまあ歴史漫談程度に受け取ってもらいたいのですが。

当時の日本というのは、大雑把に言うとアメリカから資源と工作機械を輸入して、加工してそれを欧米や列強の植民地に輸出して稼いでいた。現在の支那に似ています。ですから自由貿易が維持できないと、資源の輸入も製品の販売もできないわけですから、自由貿易は日本の生命線でした。

それで大恐慌が起きて、第一次世界大戦以来経済的に弱体化していたイギリスは大英連邦の中だけで引き籠もってしまって自由貿易を守る役割を放棄してしまった。イギリスは金融の中心ですから、イギリスがブロック経済を作ってしまった影響は多分物の売り買いだけに留まるものだけではなかったのだと思います。日本そしてアメリカもかなり経済的に難渋したのでしょう。

普通「持てる国・持たざる国」という見方で当時の世界情勢を腑分けする場合、アメリカは「持てる国」に入れます。けれど私はアメリカは半分「持たざる国」であったと考えた方が1930年代の世界を説明しやすいと思うのです。

もちろんアメリカは資源は持っているし、内需だけでも大変な市場を持っている。それでも猶有り余る生産力を資本の使い道を持て余しているという意味では持たざる国でもあるのです。イギリスが自由貿易を壊した影響をアメリカも受けていました。

フランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策は1930年代後半には効果がなくなってきて、アメリカの経済は再び沈滞し始めていました。広い植民地を持たない日米はともに製品を売りさばく先を探し求めていたのです。

これより先にまず、植民地から閉め出された日米は依存を強め合っていました。
思いっきり大雑把な計算で

1935年頃のアメリカの総輸出額が2,000百万ドル
そのうち対日輸出が250百万ドル(12.5%)
当時のアメリカの最大輸出品である原綿の総輸出額が360百万ドル
そのうち対日輸出が100百万ドル(28%)
当時のアメリカの2番目の輸出品であった石油・石油製品の総輸出額が230百万ドル
そのうち対日輸出が50百万ドル(くらい)(22%)

アメリカも結構日本に物を輸出しています。当時のアメリカが一番貿易黒字を稼いでいたのはドイツであったらしいのですが、ナチスドイツが国内産業を保護する政策を取ったため、米独は関税引き上げ競争に発展し、アメリカは最大の貿易相手国を失いました。第一次世界大戦後の復興のためにさんざん資本をドイツに投入したのに、恩を仇で返されてアメリカのナチスドイツに対する憎しみは強まったでしょう。ドイツを失ったことによってアメリカの日本に対する依存は1930年代後半に深まりました。ただしネットで探せた範囲では資料は1937年くらいまでしかありませんでした。

昭和12年(1937)の日支事変勃発以来、日本は国債残高を毎年倍増させるペースで財政規模を拡大して、軍需産業の増強と支那への兵力の投入を続けていました。1940年頃の日米支の関係というのは、

アメリカ(原綿・石油・鉄鋼・工作機械)
↓(輸出の1/5〜1/3) ↑(生絲:ナイロンの発明で先細り、でも輸出の1/2)
日本(軍需産業・繊維産業)
↓(綿製品・戦争)
支那
↓銀 ↑軍事援助
アメリカ

結局ニューディール政策が行き詰まったのをアメリカは日本と支那の戦争を煽ることで帳消ししていたのですね。

だからといって「日支事変も真珠湾もルーズベルトの陰謀だ!」とは成りませんけれども、1930年代後半のアメリカが、意外と日本に依存していたことは歴史の研究では無視されています。もちろん日本の方がさらに依存していたわけですが。1937年、つまり日支事変が始まってから先のアメリカの貿易統計がなかなか見つからないというのがなんだか、隠しているんですかね(^^;



十二月二十六日(月)
霜月廿五日 仏滅 【胃】

中華料理の「大根餅」に挑戦してみたのですが、上新粉の量を間違えてしまって、固まりませんでした。ドロドロのままですが、でも味は悪くないので良しとするか。台湾のお正月料理だそうで、本物は干し椎茸を入れたり出汁を取ったり、じっくりと蒸し上げたりと手間がかかるそうなのですが、それは面倒なので、ネットにあった即席版でやってみました。大根一本をすり下ろして、ネギとエビと鱈のすり身とハムを刻んで混ぜて、鍋で蒸らしました。ドロドロのカマボコのできぞこないみたいな物ができました。味は悪くないです。でも上新粉を途中で足したので、少々粉っぽいのが玉に瑕です。料理の途中から水や粉を足したらダメですね(XoX)

上新粉なので冷やせば固まるかなと期待して、今冷蔵庫に入れています。

固まったら、あぶったり油で揚げたりして、食べるそうです。
酒の肴にぴったりだとか。
私が作った大根餅ならぬ大根ドロドロも、味は酒の肴に良さそうです。味付けは間違っていなかったみたい。

近所のスーパーはお節用の食材が列んでいました。いよいよ年の瀬ですね。
なんだかまとまりませんが今日はこの辺で。



十二月二十七日(火) 霜月廿八日 赤口 【觜】
風邪をひいてしまいました。
会社へは行ける程度の元気があるのがちとつらい。
でも明日頑張れば冬休みなので、もう一踏ん張りです。


「日米交渉の見直し」【歴史】
アメリカが大市場であるドイツを失って日本と支那への輸出に頼らざるを得なかったと考えると、1930年代の通商を巡る日米の対決と開戦までの経緯の様相もだいぶ変わって見えてきます。

保護主義をとる(アメリカ自身も保護主義をとっていましたが)ドイツと日本が結んだ昭和11年(1936)の日独防共協定にはアメリカは本気で脅威を覚えたのでしょう。これで日本が支那の市場と、仏印・蘭印の資源を押さえて自立してしまうと、アメリカは潰れてしまいます。貿易でアメリカが日本に頼る度合いは1/5くらいでしたから、貿易が1/4消えてしまうとアメリカにとっては非常に痛い。

でも、もしかしたらアメリカが一番困るのは、日本とイギリスが手を結んで日本がイギリスのブロックに入ってしまうことだったのではないかと思います。あるいは英独の経済一体化も然り。イギリスと日独が結ぶと、アメリカは本当に滅亡を覚悟しなければならなくなります。

となると、1941年12月の開戦までのドミノ倒しの第一打は、昭和14年(1939)7月26日のアメリカによる日米通商修好条約破棄予告といえるでしょう。ヨーロッパでドイツが戦争を起こすことを見越して、アメリカが日本に対して「ドイツ側へは行くなよ」と釘を刺したのでしょう。7月21日から日本はイギリスと支那問題を調節するための会談を持っていましたが、それに対する何らかのメッセージも込められていると思います。

7月21日、日英が天津租借地問題で交渉
7月26日、米・日本に日米通商修好条約破棄予告
8月21日に日英交渉は決裂
8月23日に独ソ不可侵条約の発表
8月28日に平沼内閣総辞職(イギリスとの交渉に失敗し、ドイツとの同盟も有名無実となれば当然です)
9月1日ドイツ軍とソ連軍がポーランドに侵攻
    日本、内蒙古に蒙彊連合自治政府を設立させる(主席徳王・日本の傀儡政権)

この1ヶ月の経緯を見ると、日本はドイツによってうまくダシに使われたと言うことになるでしょう。
これで日本はアメリカとサシで話し合いをせざるを得なくなりますが、北支への更なる関与と、明けて昭和15年

1月26日、日米通商修好条約失効
3月30日、南京に王精衛の中華民国政府成立
6月12日、英泰・仏泰・日泰不可侵条約締結
7月18日、日本がイギリスとビルマルート3ヶ月閉鎖の協定を結ぶ
9月23日、日本軍が北部仏印進駐
9月27日、日独伊三国同盟締結

で応えます(日本にはアメリカに対する回答のつもりはなかったでしょうが)、アメリカにとって日本は保護主義を目指す敵となったわけです。また、日英が再び植民地問題で同意に向かいつつあるようにも見えたでしょう。これはアメリカにとって不気味です。イギリスは日本軍の仏印進駐に対してさして抗議はしていません。多分1940年においてインドシナ半島の分割について、日本とイギリス(チャーチル政権です!)とフランスは合意に達していたのでしょう。

1940年におけるイギリスの立場というのが面白くて、イギリスは東アジアで日本と手を結ぶ姿勢をアメリカに見せて、アメリカに対して対独戦でイギリス側につくように誘っているわけです。イギリスの制空権を巡る英独戦は既に始まっていました。これで1940年にアメリカは孤立してしまったわけです。

20世紀以降のアメリカは、ヨーロッパと東アジアに最低一国はアメリカ製品を売る市場及び安全な港がなければ自由貿易体制が維持できなくて、国家が維持できないわけですが、日本が手元から離れてしまうと、ユーラシアに全く足がかりがなくなってしまい、大変に不利な立場になります。ドイツを失い、イギリスがいまいち信用できない1940年の時点で、アメリカにとって日本は全く失うことができない地域になりました。

そこで1939年から日本に対していろいろとメッセージを送ったのに対して、当時の日本は情報収集力と外交的センスがなかったので、ことごとく無視して、アメリカの神経を逆撫ですることばかり行っていました。それは怒るのも当然でしょう。でも日本としては「あれだけアメリカから物を買っているんだから大目に見てくれよ」と言うことだったのかも知れません。

アメリカは口先だけではなく、本気で自由貿易体制に命を懸けていると言うことと、1940年の時点で実は日本がアメリカの死命を決する重要な立場に立っていたという意外な事実を認識すると、アメリカがなんで戦争に訴えてまで、日本を自分の陣営に引き込もうとしたのかが分かります。

そして今の日本も1940年の日本と似た立場に立っているように思えます。



十二月二十九日(木)
霜月廿八日 友引 【井】

昨日は風邪で寝込んでいました。
まだのどが痛いです。
仕事納めだったのですが、休んじゃいました。
ちょっと後ろめたいです。

久し振りににこぱへいったら、ちゃいさんが復活していました。
コメットさんのイラストの新作もありました。
また巡回ルートに加えたいと思います。

帰省しました。
のんびりしようと思います。



十二月三十一日(土)
師走朔日 【柳】

氣志団の曙は面白かったです。あんなことやって怒られないのでしょうか? 最後の一時間で赤組が勝ったと思ったのですが、携帯とデジタルの投票は白の圧勝でしたね、まだおじいちゃんとお父さんの権威は健在だと思いました。
今年の目標(もう明けてしまいましたが)は漫画を描くことでした、八割方は達成できました。来年の目標は、月10ページのペースでガンガン書いていくことです。小説も復活させます。今年はやりますよ!



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