錦林多摩記
2005年1月



一月八日(土)
旧暦 十一月二十八日 友引 二十八宿:ともぼし(低のつくり)

昨日は七草粥の日でした。私も七草とまではいきませんでしたが、蕪と長芋を刻んで粥にして、正月料理で疲れた胃を癒しました。


「ロックマンエグゼ・ストリーム」
群れを作らず一人気高く生きる
究極超人バブルマンかっこいい!

「ケロロ軍曹」
えっと、マンガではお酒を飲んだモアちゃんが暴走します。

最近は子供向けのアニメではお酒とたばこは御法度みたいですね。昔は出てたような気がするのですが。「Dr.スランプ」のたろさは吸ってたよな。それとも海外で流せなくなることを気にしているのかもしれません。

お酒じゃなくても面白いのですが、惜しむらくは、ギロロ伍長が酒に弱くて一滴でダウンするシーンがなくなってしまったところでした。最近ギロロ伍長、おもいっきし汚れ役ですね、お気の毒です(笑)


「ガンダムSEEDデスティニー」
ラクスに刺客の魔の手が!しかもコーディネーターだという(どうして分かったのでしょうか?)。ユリウス7を落とした連中と同じものどもなのでしょうか?

ラミアス船長とアンディーは、特殊部隊相手にすごい戦いぶりでした。ていうか特殊部隊だらしなさ過ぎ。正規兵ではないのかもしれません。

今日のラクスちゃんは、初めて塩らしいところを見せたりして、人間らしさが仄見えてとっても可愛かったです。キラのことが本当に好きなのでしょうね。だから、恋人を戦地に送りたくない。

大事な人達を助けるために立ち上がったキラ。戦い終えた後の顔が、前作と違ってすがすがして良かったです。


「カードキャプターさくら」
思うのですが、小狼は母子家庭で、しかもお姉さん4人に囲まれて育ったから、大人の男性に対して免疫?がないのですね。ああいう年上のお兄さんに対する憧れの感情は、小学校に入る前くらいに、父親とか兄とか近所のお兄さんに抱く物なのですが、小狼はちょっと大きくなってから経験したと言うことなのでしょう。

新潟地震がなければ、今日のお話はクリスマス当日に流れるはずでした。惜しかったですね。



一月九日(日) 若草山山焼き
旧暦 十一月二十九日 先負 二十八宿:房 天一天上

天一天上:天一神(中神)が天上へ行ってしまうので、この日から十六日間は方角の禁忌がなくなるのだそうです。迷信ですが。平安貴族は方角の善し悪しを大変気にしたそうですね。何かというと方違えだとか言って、仕事をさぼっていたそうです(笑)

平安貴族は官僚でした。官僚というのは命令を拒否できませんから、サボタージュという形で拒否権を行使するんですね。だから平安貴族が方違えとのたまってぐずぐずしている時には、そいつは命令拒否をしていると見て良い。あと日本の律令制で大事なのは「勘」という制度。これは「報告書」という意味なのですが、勘を出させる権限があるというのは、監督権限があるという意味なのです。

そう言えば、立川には中神という地名があるのですが、これと関係があるのでしょうか?

去年の山焼きでは鹿が可愛そうに一匹逃げ遅れてローストになってしまったそうです。今年はばっちり監視するとのこと。自然保護、と言うよりは、神域だから殺生してはいけないと言うことなのでしょう。神社も楽じゃありませんね。

「名探偵ポワロとマーブル」
め、メイベルちゃんのメイド姿〜!
NHKマニアック過ぎ、一生付いていきます。


「義経」
「時宗」と「新撰組」があまりに駄作だったので見るのを止めるつもりだったのですが、ナンチャンに免じて見ることにしました。

大河ドラマは毎回最初の三ヶ月くらいはいいんだけどね・・・

清盛が常磐を抱かなきゃ話が進まないでしょ!

清盛は、常磐の体に目がくらんだの。そして、常磐の命を助けた手前、頼朝を殺せなくなったというのがドラマの筋。(本当は、常磐は平家ゆかりの藤原氏に縁があったから殺せなかった)

何で子供向けのドラマでセックスシーンがどんどん出てくるようになったのに、大人向けの作品でちゃんとしたセックスシーンが出てこないの?馬鹿にするな

と思ったら、ちゃんと抱いてましたね、よし許す。しばらく黙って見ることにしよう。

何でこう、登場人物を全員「いいひと」にしようとするかなあ、だから面白くなくなるんだって。悪を作らなければ駄目。

稲森いづみが意外と良い演技をしていました。渡哲也の平清盛もかっこいいですね。平幹二郎の後白河法皇が楽しみ。でもどうして重衡が出てこないんだ?知らないと思って省略したな。



一月十日(月) 成人の日
十二月朔日 赤口 二十八宿:心



一月十一日(火) 鏡開き
旧暦 十二月二日 先勝 【尾】

旧暦では昨日から師走に入りました。最近寒さが身に染みます。変な風邪が流行っているようなので、皆様もお気をつけください。

昨日今日とちょっと忙しくてアニメを見ていません。

と言うわけで歴史系サイトに書いたものの転載でお茶を濁します、 支那(中国)北部の燕雲十六州という要地の説明から、10世紀の動乱の導入です。日本では菅原道真や平将門の時代にあたります。藤原道長が生まれる50年前から、生まれた頃に書けてです。日本も昔から東アジアの一部であったことがよく分かります。


>燕雲十六州

事実関係を確認しますと、
907年 朱全忠が唐の哀帝を退位させて帝位に就く、唐の滅亡、後梁の建国、五代十国の開始
916年 契丹の耶律阿保機、帝を称する、遼の建国
926年 渤海が遼に滅ぼされる、渤海人の高麗への亡命が盛んに
935年 高麗の王建、新羅を滅ぼす。平将門の乱(〜940)ー承平天慶の乱
936年 石敬唐(*王編に唐)が遼の助けを借りて後唐を滅ぼし、後晋を建てる、この時に代償として燕雲十六州を契丹に割譲。高麗が後百済を滅ぼして朝鮮半島統一
940年 藤原純友の乱(〜941)
946年 後晋、遼に滅ぼされる
959年 後周の世宗が莫州と瀛州(現在の天津のあたり)を回復、世宗は直後に死去
960年 後周の禁軍長官趙匡胤(北宋の太祖、世宗の第一の部下)、軍隊に推戴されて宋を建国

この時期は、日本、朝鮮、支那の大動乱期に当たり、菅原道真の改革と失脚(延喜元年:901)や古今和歌集の撰集(延喜五年;905)、度重なる渤海使の来航、延喜儀式の編纂も支那の影響力低下の中で、当時の平安貴族達が律令体制立て直しを計った一環と見ることが出来ます。

<菅原道真の改革の中に、在地領主層への分権があります。これが武家を育てることになる、またそれ故に菅原道真というのは全国的に評判が良かったのですね。平将門の主人に当たる藤原忠平は、道真を失脚させた藤原時平の弟です。忠平は道真の政策を引き継ぎます>


契丹はモンゴル系の遊牧民。
燕雲十六州は、大体現在の大同ー北京ー天津にかけての地域です。

これはOさん得意の地政学で説明が付きます。

燕雲十六州の北は山間部で、そこにある長城の高さが約1000m、
それに対して燕州(北京)は平原にあり、その高さは200mくらい。
燕雲十六州を遊牧民に奪われてしまうと、華北平原は全く無防備になるのです。この後、北宋は遊牧民対策のために莫大な出費を強いられます。

ちなみに、満州国建国のあと、関東軍と北洋軍閥の間で係争の的となった地域も燕雲十六州。関東軍としては、燕雲十六州を押さえてしまえば、北洋軍閥は日本に逆らえなくなると考えていました。北洋軍閥も、地政学上古の地域を取られるわけにはいかない。これが廬溝橋事件(昭和12年:1937)の地政学的背景です。

この後、高麗と北宋の建国と李氏朝鮮と明の建国が続きます。それは明日以降のお楽しみ、



一月十二日(水)
旧暦 十二月三日 友引 【箕】

澄んだ西の空に輝く三日月が大変きれいでした。薄い鉄色の空、下の方はうっすらとピンク色がさしていて、そこに剣先のような三日月が浮かんでいました。あまりに細く糸のように張っていたので、乱視の私にはふたえにぶれて見えたくらいです・・・やっぱ私には詩は無理のようです(笑)


「ミルモでポン」
今度は極悪リスが登場。兎とリスを悪者にしてどういうつもりなのか知らん?

しかし、それ以前に何でタコが普通にアルバイトしているんですか〜!
おっさん驚けよ!
でもまあロボットが会津磐梯山を踊る時代ですからね。タコが空飛んでも不思議ではないのかも。


「アイドル伝説えり子」
第44話「揺れ動く心の詩曲」
正岡さんも言ってましたが、省吾よ、何で何もしないのだ。押し倒せよ〜。って無理ですね。

出も一番不思議なのはえり子のママさんの「省吾君なら大丈夫よ」という言葉、どういうつもりなんでしょ(^^;省吾君なら一線を越えても良いと言うことなのかな?まさか何も出来ないから、じゃあないよねママさん(笑)



一月十三日(木)
旧暦 十二月四日 先負 【斗】

今日は、なぜだか強烈な眠気に襲われてしまい。10時前に一度寝てしまいました。12時前にもう一度目が覚めたので、皿を洗って、朝ご飯の支度をして、洗濯物を取り込みました。


私、学生時代に3年間小学生の家庭教師をしていたことがあります。男二人の兄弟です。とても可愛くて、利発な子供達でした。兄弟二人で、性格がだいぶ違って、勉強の得手不得手もまるっきり違って、新鮮な驚きを覚えました。年の差は二つ。私にも二つ下の妹がいますが、歳の近い男兄弟というのは、大変お互いにプレッシャーをかけているのだなと思いました。

さて、子供というのはまだ自分のことも世の中のことも何も分からない。言うなれば、暗い夜の海を航海する船のようなものです。だから、どんな些細なことでも、こちらが懇切丁寧に教えてあげて、分かれば、「ぱっ」と明るい顔を見せてくれます。これが本当に良い顔なのです。

その時私は知りました。本当の知識というのは人を明るくする物なのだと。

中途半端に物知り顔な人が、恐怖を煽ったり、人に迷惑をかけたりしていますが、これはきっと偽物なのでしょう。それはまだ暗い夜の海にいて、でも船のスピードだけは大きくなって、モーターボートをめくら滅法操って、岸にぶつけてみたり、他の船に体当たりしたりしているような物だと思います。言うなれば不幸な人達なのです。

また、よくよく調べてみると、最後には最初の直感に戻ってくることが多い、と言うこともしみじみ思います。人間は結局自分が信じたいことしか見えない、と言うだけかもしれませんが、よく調べても揺るがなかった良質な直感は素直に信じても良いのではなかろうかと思います。


「未来少年コナン」
翼もないのに反重力装置で飛ぶ(あるいはマッチで、笑)飛行物体と、プロペラの飛行艇と、銛(もり)で戦う少年が違和感なく一つの画面に収まっている、これこそが宮崎駿先生の世界の醍醐味です。

この回からダイス船長は心強い味方となります。モンスリー女史も今までの自分のあり方に疑問を持って、独り立ちしようとしています。一人の少年のパワーが多くの人達を巻き込んで変えていきます。



一月十四日(金)
旧暦 十二月五日 仏滅 【牛】

今日は半年ぶりに会社の囲碁部へ顔を出してきました。

結果は一勝一敗。

五段には三目勝ちしたのですが、二級には中押し(最後まで持たずにKO負け)で負けてしまいました。一局目は快心局でした。でもそれで力を使い果たしたみたいで、二局目はへろへろでぜんぜん手が読めなかったです。私の碁はそう言うパターンが多いです。しかし勝ちが決まってるのに全部殺しに来るんだもんな〜あそこまでやらんでも(ぶつぶつ)

囲碁は厳密にハンディキャップを設定できます。大体一段差十三目です。13点差みたいな物です。囲碁ははじめに打つ石ほど価値を持ちますので、ハンディキャップとして一段差が付くごとに、はじめから盤上に一子置いてから勝負することになります。段差が重なると、あらかじめ碁盤に置く黒石が多くなる仕組みです。私は四級ですので、二級の人とは二子置いて勝負、五段の人とは八子置いて勝負と言うことになります。

趙治勲先生の詰め碁をやったおかげで、少し筋が良くなった気がします。頭の中でダメが埋められるようになったし。趙治勲先生の本が、今まで読んだ本の中で、私にとっては一番わかりやすいです。ものの考え方が近いのかもしれません。五段の人にも褒められました。二級には負けてしまいましたが(囲碁で負けると本当に悔しいのです)めげずに来週もトライしたいです。

囲碁続きで、12日から読売新聞の棋聖戦が始まりました。羽根棋聖対結城聡九段。羽根棋聖の棋聖初防衛なるか結城九段の初ビッグタイトルなるか。羽根棋聖は日本棋院中部総本院(名古屋)所属の棋士で、結城九段は関西棋院所属の棋士です。珍しく、東京の本院以外の棋士同士の戦いとなりました。

第一戦は羽根棋聖の中押し勝ち。羽根ファンの私としては嬉しい結果です。

棋聖戦は四番先取の七番勝負です。去年の山下対羽根は歴史に残る熱戦続きでした。今年も良い勝負を期待したいです。


※趙治勲
九段、木谷実門下、韓国釜山出身
タイトル数65は最大。
平成8年から11年にかけて本因坊・名人・棋聖の大三冠を成し遂げた。
地で先行してしのぐタイプ。
しかし、おっちょこちょいで、時間切れ負けや、コウ材を打たずにコウを打って負けたなどの逸話も多い。しかも対局中も始終落ち着かない行動からADHDであると思われる。私が似ているのは多分ここ。



一月十五日(日) 小正月
旧暦 十二月六日 大安 【女】

一月十六日(日)
旧暦 十二月七日 赤口 【虚】 藪入り

昨日は学生時代の友人と御徒町のメキシコ料理屋「アミーゴ」で新年会を開きました。

御徒町で飲むのは初めてでした。店の種類も多いし、安くて、美味しくて、良い繁華街だと思いました。それに、なぜかアットホームな雰囲気があって腰を落ち着けて飲めるのが良い。新宿や渋谷はなぜか落ち着かないです。それに新宿渋谷にある店はチェーン店の親玉みたいなのばかりで実は個性がないんですよね。

御徒町が気に入りました、また行きたいなと思います。


「ロックマンエグゼ・ストリーム」
世に認められない研究者の悲哀、分かります。それに認めてくれる人がいたら、悪魔にだって魂売っちゃいます、研究者は。そういうものです。

独立行政法人化で大学はますます厳しくなりますから、ああいう人はこれから増えるでしょうね。なまじ頭が良いからプライドが邪魔して人に頭が下げられなくなって、生きる道がますます狭まるのです。

でもまあ、微罪ですからすぐに出てこられるでしょう。


「ガンダムSEED・デスティニー」
花嫁泥棒キター!
デスティニーは戦記物ではないですね、これはもう恋愛アニメです。ラブコメです。
この調子でどんどん突っ走って欲しいです。


今日は、プールへ行ってきました。

横泳ぎですが、平目も鰈もかなり上達しました。
ゆったりと横泳ぎで泳いでいると、時々水と体が一体になったように感じることがあります。真綿で抱かれたような心地よさを感じるのです。

やはり周りの人は、古式泳法が珍しいみたいです。
女子高生風の子と8歳くらいの子が、じっと観察したり周りにまとわりつくように泳いできましたが、もしかして教えて欲しかったのかな?大歓迎だけれど、やはりこういうのは教えてもらう方が自分から教えを請わなければなりません。そうしないと師弟の関係が乱れますからね。

最近の若い人は、知らない人に声をかける訓練をしていませんから、なかなか難しいのかもしれません。


【藪入り】
江戸時代から戦前にかけて、住み込みで働いていた商店の丁稚が年に二回もらえたお休みの日。家が近郊にある者は、帰って親に甘え、帰れない人は劇場や寄席で骨休みをした。商店によってはお小遣いをくれるところもあった。



一月十七日(月)
旧暦 十二月八日 先勝 【危】 上弦 土用の入り

【土用】
立春・立夏・立秋・立冬の前の十八日間を指す。
古代中国の陰陽五行説では春は木、夏は火、秋は金、冬は水の気が一番強まる時期とされた。季節の変わり目の十八日間は、前の季節の気が土に潜って、新しい気を生み出す時期とされていた、それが土用。現在では土用と言えば夏の土用を指すのが一般的である


久しぶりに少し寒さが緩む一日になりました。

いつもならばそろそろ風邪を引く時期なので、体調に書きをつけたいですね。


高麗建国史

岩波の「世界史年表」から抜き出しますと、
780年 新羅の恵恭王が暗殺される、これ以降新羅は混乱、王族が各地に割拠する
892年 武珍州(光州)の農民の甄萱が反乱、後百済と称す。
894年 新羅憲安王の落とし胤の弓裔が反乱を起こす(後高句麗)
896年 松岳(開城)城主の王建が弓裔に帰服、主力武将になる。
902年 南詔(タイ・雲南)が滅亡、この頃ベトナムの曲承祐が唐から自立
904年 弓裔が摩震を建国(後高句麗に当たる、弓裔は国号の変更を繰り返している)
907年 唐の滅亡
918年 王建、弓裔を放逐して高麗を建国
922年2月 高麗に遼使が到り、通交が始まる。
    6月 後百済、日本に遣使。
    9月 越前に渤海客が来貢する
923年 唐の王族が後唐を建国、高麗が後唐と通交
926年 遼が渤海を滅ぼす、耶律阿保機が死去
927年 後百済の甄萱、新羅の王都を蹂躙
930年 高麗、西京(平壌)に学校を創設
933年 高麗が後唐から冊封を受ける
934年 渤海の世子大光顕、数万人を率いて高麗に降る
935年2月 平将門、叔父の国香の館を襲う
    6月 後百済の甄萱、内紛により高麗へ亡命
    12月 新羅の敬順王、高麗に降伏、新羅滅亡
    この頃、土佐の国司紀貫之が「土佐日記」を記す
936年6月 伊予の海賊が蜂起、紀淑人を伊予の守とし、藤原純友に宣司を下して帰順を命ずる
    9月 高麗、後百済を滅ぼして、後三国を統一する
    11月 石敬唐が遼に燕雲十六州を割譲
938年 高麗へ耽羅国の太子が来たる
940年2月 藤原秀郷と平貞盛が平将門を殺害
    3月 高麗、州府郡県の名号を改める
    8月 藤原純友が伊予・讃岐を襲う。朝廷小野好古を追補山陽南海両道凶賊使とする
941年5月 藤原純友が太宰府を襲撃
    6月 伊予国の警護使橘遠保、藤原純友を殺害
945年 高麗で王位継承争いが起こる(王規の乱)
955年 後周の世宗、廃仏を行う
956年 高麗が奴婢の按検を行う
958年 高麗、科挙制度を定める
960年1月 趙匡胤が宋を建国
    3月 高麗、百官の公服を定める
高麗は、遼、宋、金、元、明の間に挟まれて苦しい外交を余儀なくされましたから、宗主国の手前、書き残せないことも多く、記録が少ないそうです。建国から7代については、特に記録が少ないとか。

後高句麗を作った弓裔は新羅の王族で、高句麗とは直接関係はないようです。国号は、自立した地域と、彼を推戴した高句麗関係者に配慮してつけたのかもしれません。しかし諸資料の書き方からすると、後高句麗というのは後世の人が便宜的に付けた名前らしく、弓裔自身は後高句麗の王とは名乗っていないようなのです。

高麗の太祖王建は開城(平壌とソウルの中間にある都市、高麗の首都)の豪族で彼自身にはあまり高句麗との縁はなさそうです。

高麗は、渤海の亡命者を吸収して強力になって、一気に新羅と後百済を倒したようです。渤海の遺民と同盟関係を結んだのかもしれません。京畿道と黄海道を本拠地とした王建は、北側の渤海遺民とは同盟関係を結んで、遼や宋に当たらせ、自身は南方の新羅や後百済と戦ったと言えそうです。

統一新羅の北限は平壌ですが、高麗の北辺はそれよりやや北西に伸長していて、平安道を版図に入れています。ここら辺が、亡命してきた渤海遺民が住んだ場所かもしれません。

渤海と言うのは扶余の国らしいのですが、この扶余と女真と朝鮮の関係がまだはっきりとは分かっていないみたいなのです。満州と沿海州と朝鮮半島北部の民族は、10世紀当時はまだ未分化であったとしておいた方が無難のようです。

余談ですが、この頃の日本史を見ると、紀氏・小野氏・橘氏など中央でうだつが上がらなくなった豪族達が、地方で武装貴族として活動しているのが分かる。これが武士の起源となります。



一月十八日(火)
旧暦 十二月九日 友引 【室】

リンク集を更新しました。
・ろくさんの「まりべる堂」を追加しました
・友樹さんの「水石」を追加しました。
・ちゃい25%さんの「ニコパ」のリンク先を最新の場所に更新、説明文を変更
・nonoさんの「マカロニパフェ」のリンク先を最新の場所に更新、説明を追加。
皆さん約束しておきながらリンク集更新が遅れて済みませんでした (^^;>
どれも素晴らしいページですので、どうぞご訪問ください。


昨日は阪神大震災十周年でした。

その日は何故だか5時47分ぐらいに一度目が醒めました。少し揺れたのかもしれません。朝起きると、日本地図全体に震度が記入された震度分布図がニュースにでていました。まだ被災地の映像はあまり届いていなかったと思います。

昼休みに職員室へ行くと、先生がテレビにかじりついていました。高速道路が倒れ、町から火の手が上がっていました。大変なことが起きたのだと初めて思いました。

その後のことは皆さんご存じの通り。

私は大雨とかが好きで、台風なんかが来るとわくわくしてしまい、当時までは地震が起きてもたいして被害がないと「な〜んだ」と思う不届きな奴で、神戸の火事も最初のうちは「おーすげー」と思っていたのですが、二日目くらいからなんだか怖くなってきました。あの下では人が死んでたんですよね・・・

私の親戚も宝塚にいましたが、無事でした。自分と関係がないとどうしても身に染みて理解することは出来ません。それでも、被災地の人達のことを考えなければいけない、そういう風にそれ以来考えるようになりました。と言って神戸の自身でも、インド洋の津波でも具体的に何も行動はしていないのですが・・・焦っても仕方がないです。いずれ私の力がそう言う人達のお役に立つこともあるだろうと思っています。



一月十九日(水)
旧暦 十二月十日 先負 【壁】

最近体の調子がいいです。酒を控えているのがよいのかもしれません。でも今日は甲州ワインを飲んでしまいました(笑)ここ二年くらい、日本のワインが美味しくなったように感じます。添加物か少ないので自然に飲めるところが好きです。


李氏朝鮮建国史と身分制度

李氏朝鮮の太祖李成桂の祖父の李安社は元の役人として高麗と元の国境がある咸鏡道(当時は元の領土)へ赴任。

1344年 黄河大氾濫
1351年 支那で白蓮教徒が紅巾の乱を起こし、瞬く間に全土へ広がる。
1352年 足利幕府半済令を出す(古代荘園制度はほぼ壊滅)
1356年3月 朱元璋が応天府(南京)入城。
     5月 高麗の恭愍王、反元運動を開始。現に占領されていた平壌、元山付近を回復、さらに北上して鴨緑江付近まで占領する。李成桂の父である李子春は元の弱体化を見て自立して高麗軍に合流。最終的に、本拠地付近の守将となって自立したかっこうになる。
1357年 和冦が高麗昇天府興天寺を襲撃、以後高麗沿岸を襲う
1359年 紅巾の賊の第一次高麗侵入→和冦と紅巾により高麗は疲弊
1360年 この頃李子春死去、李成桂が家を継ぐ
1361年 紅巾の第二次高麗侵入
1368年1月 朱元璋、応天府で皇帝として即位、大明と号す
     12月 足利義満征夷大将軍に任命される
1371年 九州の懐良親王(南朝方)、明に使者を使わして臣従を請う、洪武帝懐良を「日本国王」に任ず
1372年 九州探題の今川了俊(北朝方)が明使を抑留。李成桂が元帥に任命されて和冦防衛につく
1373年 幕府に招かれて、明使が上洛
1375年 大明宝鈔を発行(世界初の不兌換紙幣、明後期の経済混乱の原因)
1377年 高麗が幕府に和冦鎮圧を要請
1380年 李成桂が和冦鎮圧で功を上げる。幕府と懐良親王が同時に明に使者を送り、両方とも退けられる。
その後李成桂は女真撃退の将軍になる。当時の高麗朝廷内では親元派と親明派が対立。李成桂は親明派。
1388年 明遼東攻撃中の李成桂が反転して開城を攻撃、新元派を一掃、辛ご王を廃して辛昌王を建てる、翌年これも廃して恭譲王を建てる
1392年2月 李成桂恭譲王を追放して即位
     閏10月 南北朝合一
1393年 李成桂、明皇帝から「朝鮮」の国号を下賜される
1396年 和冦数百人、朝鮮に降伏
1398年閏5月 洪武帝死去
     8月 足利義満、朝鮮使節に和冦禁圧を約束
        朝鮮、第一次王子の乱(王位継承争い)、李成桂は失意のうちに退位
1399年7月 燕王朱棣反乱を起こす(靖難の変)
     12月 幕府、大内義弘を和泉国堺に攻め滅ぼす(応永の乱)
1400年 朝鮮、第二次王子の乱(王位継承争い)、李成桂四男が即位(太宗)親政を確立
1402年 朱棣南京に入城、即位(成租永楽帝)、明使来日
1403年 明使帰国、足利義満「日本国王臣源表」を書いた国書を明使に持たせる
1404年 明使が義満と会見(勘合貿易の始まり)
1405年 鄭和の遠征の開始。朝鮮の廃仏が始まる。
1406年 足利義満、朝鮮に使者を送り贈り物をする
1407年4月 周防・長門の守護大内盛見、朝鮮に遣使
     5月 明の成租ベトナム平定
     7月 朝鮮、日本商人との交易を定める
1408年5月 李成桂死去
     12月 明の成租、足利義持を日本国王に任ず
1409年 足利義満死去、義持朝鮮に使者を遣わし和冦鎮圧を約束
1410年 明の成租第一回モンゴル遠征
1411年 足利義持、明使を兵庫から国外へ追放
1412年 若狭に南蛮船に来たる
      このころ伊達氏、北畠氏、鎌倉公方、足利義嗣などが反乱
1419年 朝鮮兵、対馬来襲(応永の外冦)

足利義満が明や朝鮮の動きに敏感に反応して、交易を熱望していたのがよく分かります。 面白いのが、義持は明を嫌い、朝鮮に対して大変友好的で、何度も使者を引見したり、経を贈ったりしていること。おそらく朝鮮使は義持に対して臣従の姿勢を取ったはずですから、父義満の明への態度を面白からず思っていた義持にとっては悪い気はしなかったのかもしれません。

まず、李氏朝鮮の太祖李成桂の出自ですが、彼が女真族であることは朝鮮史では公然の秘密であるとのこと。

李成桂の一族は女真として、金を滅ぼした元に反感を持っていたと思われます。正史では女真を優遇し、朝鮮を虐げる現に対して憤った故の元への反乱と言うことになっています。

李氏朝鮮の身分制度ですが、大きく分けて良民と賤民があり、屠殺業者、漁民、狩猟民、芸人、僧侶、などが差別されていました。李氏朝鮮初期に南部の大邸では人口の3割を賤民が占めていたそうです。

朝鮮半島北部に多くいたという水尺(狩猟民)はおそらく女真か扶余族を指すと思われ、李朝時代を通じてひどく差別されたそうです。咸鏡道以北は李氏朝鮮になって初めて朝鮮に編入された地域であるので、ココには元々朝鮮人は住んでいませんでした。おそらく女真は蝦夷同様、先住民として差別されたのでしょう。

鴨緑江両岸の「朝鮮人」はこの水尺の末裔である可能性が高い。となると、やはりソ連の援助を受けて北朝鮮を作った人達は、満州と朝鮮の境界付近と沿海州に居住していた朝鮮族の人達ですから、長年虐げられてきた人達の末裔である可能性が高いと思われます。

長年差別をされ続けてきた、朝鮮北部の被差別民の人達が、ソ連と中共の援助を受けて、国を作って、自分たちを差別してきた南部の人達を苦しめて復讐しているのが北朝鮮という国の実態ではないかと私は考えます。

李氏朝鮮の二度にわたる王子の乱は、高麗の遺臣の儒教官僚が、李成桂に付いてきた女真の将軍達を打倒したクーデタといえるのではないでしょうか?

朝鮮人は女真を差別したのですが、今度は他ならぬ女真族が支那の皇帝になってしまい(清朝)、朝鮮人は女真の皇帝と国王を戴きながら、女真を差別するという分裂的な行動を余儀なくされました。もしかしたら、これが決定的に彼等の心性をねじ曲げてしまった原因かもしれません。



一月二十日(木)
旧暦 十二月十一日 仏滅 【奎】 二十四節季:大寒

【大寒】
天気予報で一番良く耳にする節季。節季は黄河流域の気候から決めているので、日本人には馴染まないものもあるが、この大寒は大体日本にもあっている、第一字面通りなのでわかりやすい。
一年中で最も寒い季節。しかし、地面の下では草の芽吹きも始まり、鳥も卵をかえし始めるなど、春はもうすぐそこまで迫っている。 

大寒とはいうものの、多摩は今日一日温かかったです。
寒さは明日からと言うこと。ここから二週間くらいが一年で一番寒い時期となるでしょう。

今年になってから、昼飯は弁当を作っています。
うちの会社は工場がありますから、社員食堂は工員さん向けになっていて、量が多い。デスクワークの身には多すぎます。社員食堂にしては美味しいのでついつい食べ過ぎてしまいます。で、お弁当の出番です。

ご飯を八分くらい詰めて、おかづを二種類くらい入れて終わりです。もう育ち盛りはとっくに過ぎたので、これで十分。おかげで食は細くなったし、晩の六時を過ぎるとちゃんと腹が減ってまことに健康的です。

それに、弁当というのは作ってもそんなにお金がかからないんです。多分200円くらいだと思います。一月お弁当で通せば、DVD一枚分くらいのお金が出る計算。

お金というのは不思議なもので、自炊の設備、非常食、DVDデッキ、など先行投資を一旦済ましてからそれ以降はあまり出費がかさまなくなりました。今月5万円くらいで割といい生活が出来ています。この調子でお金貯めて、DVDも集めたいです。



一月二十一日(金) 
旧暦 十二月十二日 大安 【婁】 初大師

そう言えば、関西にいる間結局高野山へは登りませんでした。真言宗なのにいけません。
初大師は京都の東寺の縁日ですが、川崎大師でもやっているのでしょうか?
川崎大師には、中学生の時に厄落としへ行きましたが、こちらは東寺とはうってかわって鉄筋コンクリで、キンキラキンでした(笑)お参りは、マクドナルド並みにシステム化されていて、別の意味であっけにとられてしまいました。



一月二十二日(土)
旧暦 十二月十三日 赤口 【胃】

「ローマ人の物語XIIIー最後の努力」
塩野七生著 新潮社

正月に買ってきて、昨日やっと読み終えました。

イケイケドンドンの草創期も面白いですが、真に役に立つのは衰亡史です。西欧人はキリスト教が邪魔するのでローマ帝政後期の歴史を偏見なしに描くことが出来ません。塩野先生こそ、その役割を担うにふさわしい。

今回は、日本では情報が少ないけれど、実は西洋史上重要なディオクレティアヌス帝とコンスタンティヌス大帝の時代です。

ディオクレティアヌスは大統領制に近かったローマの帝政を、オリエント型の絶対君主制に組み直しました。強い権威で、軍隊を強力に指揮して、強まる蛮族(ゲルマン人、ペルシャ人、ベルベル人)の侵入を防ごうとしたのでした。

なぜそのような改革が必要であったか、塩野先生はローマ人の公共への奉仕の精神が減退したからだと言います。ここらへん、私なりに解説すると、
(1)ローマの財政を支えていた銀山(イベリア半島にあった)が枯渇したため、財政が悪化した

(2)東方(インド、ペルシャ、シナ)からの高級品を買うために銀が流出した
ローマは高度な社会でしたが、科学技術は東方の方が進んでいましたから、ローマには貴金属しか輸出品がありませんでした

(3)安定した社会が続き、その間に貧富・貴賤の差が固定化した
安定した社会が続くと、資産は世代を繰り返すごとに蓄積され、お金持ちは子供に高い教育を受けさせられますし、政治家になった場合も資金力のおかげで選挙に勝てるし、寄付も出来るので成功しやすい。逆に事業の新規参入は難しくなるし、戦争などで成り上がることも難しくなる。必然的に、身分が固定化する。

(4)財政悪化と銀の流出により、貨幣の質が悪くなり、インフレが進んだ
旺盛な経済活動を支えるために、政府としては貨幣を供給しなければなりません。しかし銀は枯渇し、さらに東方へ流出しています。従って、銀の量を減らした質の低い貨幣を濫造せざるを得ません。しかし、銀が少ないことは重さを量ればすぐに分かりますから、同じだけ銀を取ろうとすれば、必然的に物の値段は上がります。

(5)その結果、自立した市民が減少し、有力者への隷属化が進んだ
インフレで困るのは、ささやかな預金を当てに生活をしている、中小の事業者や老人。預金が目減りするからです。生活基盤を壊された小市民は、大きな力を持つ富農や領主の家来となって生活の面倒を見てもらう羽目に陥ります。戦争が減ったので奴隷の供給が細っていたことも、この動きを加速します。農奴の誕生です。

(6)市民によって支えられるローマ帝国という前提が崩れた
これが塩野先生が出した結論ですね。社会は、少数の有力者とそれに隷属する不自由民に二分化します。


このような事態に対処するために、2人の皇帝は、皇帝と官僚の権威を高めました。人権抑制と蛮族への迅速な対処が改革の眼目ですから、合議制は排除されます。元老院は完全に有名無実化します。職業は軍隊も含めて世襲制になりました。蛮族の侵入が常態化したので、都市から離れた農地は放棄されました。街道や城塞の整備もなおざりになります。世界帝国を維持するよりは、こぢんまりとまとまった方が小回りがきいて良いではないか、と言うことになり、ローマ帝国は崩壊します。

といいつつも、コンスタンティヌス大帝の後150年間ローマ帝国は存続します。150年は十分長い時間です。2人の改革は有効であったと思います。千年帝国なんて無理ですからね。



一月二十三日(日)
旧暦 十二月十四日 先勝 【昴】

外は雪が降っています。

建物の北側の道路には少しつもりました。私たち人間は感じなくても地面の温度が違っているのでしょう。

静かに降る雪には情感を覚えます。私はなぜか8年前の受験生時代を思い出しました。こういう静かな晩は勉強がはかどったものです。

漫画やアニメでは揶揄されることが多いガリ勉ですが、ガリ勉もガリ勉なりに野望を持ち根性で受験を勝ち抜くのです。私が入った大学の学部は、難易度で言えば、高校球児が甲子園へ行くのと同じくらいでした。

結局勉強の方は鬱病のせいで物にならなかったのですが、掛け替えのない経験が出来ました。生涯の友も得られました。今の私は学生時代の自分にはそれなりに満足しています。


今日は福生の方へ行ってきました。

図書館で借りていた本を返し、スーパーへ行きました。何でかというと、東京ではこの町のスーパーにしかない醤油があるのです。東丸の薄口醤油と言って、関西や瀬戸内では珍しくもないのですが、東日本で探すのは一苦労です。兵庫県龍野市の醤油です。房総の野田と並ぶ醤油の産地です。

このスーパーは調味料が充実していまして、ついつい沢山買い込んでしまいました。多摩の羽村で醸造された醤油というのがありまして、試しに買ってみました。今時珍しい瓶入りです。これが、むちゃくちゃおいしい。こんなおいしいお醤油は初めてです。明日お吸い物を作ろうと思います。やはり食品は地場が一番。多摩川の水はきれいなので、多摩は結構うまい物が多いです。多摩が好きになりました。

他にはトマトソースと、鶏ガラスープ(顆粒)、カンサラドレッシング(酢醤油に胡麻と唐辛子の粉末を溶かしてある、朝鮮料理の調味料らしい)を買いました。良い調味料や料理道具が手にはいるととても幸せな気持ちになります。



一月二十四日(月)
旧暦 十二月十五日 友引 【畢】 初地蔵



一月二十五日(火)
旧暦 十二月十六日 先負 【觜】 望 法然上人忌

昨日はお吸い物を作るつもりだったのですが、薬と味醂を買ったら財布の中に350円しか残りませんでした。それで何とかお腹が起きる物を作ろうと思い、スーパーに入ると大根が半分で98円、豚が500円のところ半額で250円、これに冷蔵庫に残っていた人参半分を加えて、醤油出汁で煮込みました。豚がはいっているので、すましとは行きませんでしたが、しみじみとおいしかったです。醤油の真価は、出汁よりは、だしがらの昆布と鰹節で作った佃煮の方で発揮されました。これはおいしくできました。長時間熱を加えると、善し悪しがはっきり分かります。


「ロックマンエクゼ・ストリーム」
体重に振り回される真鍋さんがかわいかったです。

「ガンダムSEED。デスティニー」
御輿担いで壇ノ浦。


キラ達の行動とオーブの選択は、ハチャメチャそうに見えて、結構戦略的には間違っていません。

キラ達としては、アークエンジェルはカガリ親父が秘密に作った物だから、カガリを守るために使うのは当然。それに国家元首を乗せている船には攻撃が出来ない。まあ、あんなデカ物を一体全体どこに隠していたんだという突っ込みはなしにするとして、普段は兵器敞の作業員、しかしてその実態は、カガリちゃんの私兵でした。

オーブとしては、元首を局外に置くことによって、もしも大西洋連邦が負けたときに、プラントに対する言い訳が立つ。キラ達を逃がしちゃうことはそんなに悪い選択ではない。

今度はカガリちゃんをアスランの所までお届け、アスランもよくよく敵に恋人を届けてもらう変な巡り合わせに恵まれています。


「ふたりはプリキュア」
何かいまいち盛り上がらない。

東映って最近視聴率やおもちゃの売り上げに一喜一憂しすぎで、ストーリーが行き当たりばったりですよね。

とりあえず、第二期も続くようで目出度い限りです。何人まで増えるのかな?


「カードキャプターさくら」
小狼、知世ちゃんにもばれちゃいました。

岩男さん、知世の時はすごく高い声を出している、ジーンダイバーのティルや不動ジュンと同じ人とはとても思えん、声優ってすごいです(^^;


「名探偵ポワロとマーブル」
今回はメイベルちゃんが大活躍しています。
最初はどうかな?と思ったけれど、最近の私はメイベルちゃんに萌え萌えです。



一月二十六日(水)
旧暦 十二月十七日 仏滅 【参】

今日はなんだか疲れたのでだらだらモードです。

酒飲んで11時には寝てしまう予定。


「ミルモでポン」

赤ちゃんをあやしている間に、ムルモも少し大人になれたかな?

一瞬ですが、懐かしい映画監督とプロデューサーが映っていました。


バルバロッサ海賊団(赤ひげ海賊団)

バルバロッサは、地中海中部を根城にする海賊団でした。バルバロッサというのはその初代のあだ名だったかと思います。

最初はフランス王や神聖ローマ皇帝カール5世の側についていたのですが、報償で折り合わなかったのでより良い条件を提示したオスマン帝国の封臣となりました。

16世紀を通じて、スペインとドイツを領するハプスブルグ家とオスマン・トルコは地中海の制海権をかけて争いました。

地政学的な解説をしますと、地中海の一番細くなっている、イタリア・シチリアの間のメッシナ海峡とシチリア・チュニジアの間のシチリア海峡が争奪地域。トルコがここを制すれば、西ヨーロッパの脇腹であるフランス南岸とスペイン南岸は無防備になります。対馬海峡みたいなものですね。カール5世とすれば必死です。また、ハプスブルグ家は当時ナポリ王国(イタリア半島南部)とシチリア王国とサルディニア王国の君主も兼ねていました。対岸のチュニジアとアルジェリアは絶対に譲れません。

バルバロッサがトルコについたために、戦況は圧倒的にトルコ有利に傾き、オスマン・トルコは1510年チュニジアに海軍基地を建設、1516年アルジェ占領、1525年、アルジェリア全土を制圧、1538年プレヴェザの戦いでヴェネチア・スペイン連合軍を撃破して、トルコは地中海の制海権を掌握しました。1571年のレパントの会戦に敗北したものの、17世紀途中までオスマン・トルコは地中海の制海権を保ち続けます。

このため、スペイン・ポルトガル・ヴェネチアの香辛料貿易は結局失敗に終わりました。彼等のインドとインドネシア経営も失敗に帰します。この後ヨーロッパ人がアメリカ大陸に細々と植民をするしかなかった原因は東半球の制海権をイスラムから奪えなかったからです。インドでは未だムガール帝国が精強を誇っていました。

また、ナポレオンとイギリスが最後まで折り合いがつかず、総力戦に突入してしまうのは、マルタ島を両国が譲らなかったからなのですが、これなどもバルバロッサ海賊団を補助線として引けば理解が出来るのかもしれません。ナポレオンのイタリア遠征とエジプト遠征も彼の名誉欲で説明されてきたのですが、フランス南岸を海賊から防衛するという意味があったのかもしれないですね。



一月二十七日(木)
旧暦 十二月十八日 大安 【井】

丁度「ふしぎ遊戯」の南方七宿まで回ってきたことだし、これから一ヶ月、二十八宿の説明をしていこうと思います。

【井】ちちりぼし
第22宿、南方の星宿、双子座のμ星あるいは南極老人(竜骨座カノープス)の方向
神事・種まきなどに吉、衣類裁断すれば離婚となる
言われてみれば、双子座の腰から下の形は「井」の字に見えますね。
カノープスは太陽系に一番近い恒星(※間違えました、一番近いのはケンタウルス座のα星です。カノープスも2番か3番目に近い星だったと思います)。黄河流域や日本では、夏の南の空にたまに見ることが出来て、これを見れば長生きが出来ると言われていた。老人と呼ばれたのは、黄色をしているから(黄色は支那では老人を表す色である)。
ちちりの飄々としたイメージは南極老人からとったのかもしれません。

どうにも話が飛んで申し訳ないのですが、この日記には私の備忘録的な役割も付与したいので、思いつくままに記します。

最近学習障害や自閉症に興味があります。なぜかというと、以前話した家庭教師の時の経験からです。

男兄弟を二人教えたのですが、お兄さんは頑張り屋さんの優等生でしたが、弟は人懐っこくてよい子なのですが、勉強がとことん苦手でした。驚いたことに最初は字がまともに書けませんでした。かなくぎ文字なんてものではないのです。大きさはまちまち、漢字を書かせたら一字の中でも大きさがそろわない、字の向きがバラバラ。真っ直ぐ字を並べて書くことが出来ない。本当に驚きました。しかし不思議なことにとても難しい漢字でも読みは完璧でした。

仕方がないので、小学校一年生の時にやる書写の波線やギザギザをなぞる練習から始めました。結局最初の一年間は持ち時間の半分くらいを書き取りの練習に費やしました。書けなかった字はひたすら書き取り。結局字を揃えてますに納めて書けるようになるまで一年半かかりました。

しかし読みは完璧なのです。また、本を読むのもとても早くて、誕生日プレゼントに「ルドルフとイッパイアッテナ」という童話をあげたら、200ページくらいあるのに二日で読んでしまいました。それ以来本を読むのが好きになり、やがてハーリーポッターシリーズにはまって、数百ページを数日で読破するようになりました。

国語をやらせると、説明文は全く出来なかったにもかかわらず、物語文の問題は完璧に答えました。算数は、初めのうちは計算が得意だったのですが、私の教え方が少し悪かったのと、プレッシャーをかけてしまったせいで、少し悪くなってしまいました。しかし、図形の定義や幾何学の定理を教えてあげると大変喜んでいました。

世の中理論通りに行くはずがない、だから理論通り答えさせるような問題は答えにくい、と言うふうに思っていたらしくて、理科の実験を一緒にやって、理論通りではなく、誤差混じりの結果が出るととても安心したようでした。

この子の症状はどうやら学習障害の一種であると言うことを知ったのは、その子の家庭教師が終わってから一年くらい経ってからでした。もう少し早く気づいていればもっと効率的な教え方が出来たかもしれません。しかし、学習障害の子供が、普通の子と同じような字を書けるようになるのは大変なことらしいですから、二年かけて字が書けるところまで行ったのでも、その子にとっては超人的な努力で十分な成果だったかもしれないと思って今は自分を慰めています。

学習障害という言葉を知ってから、周りや過去を見回してみると、本来なら十分なポテンシャルがあるにもかかわらず、そう言う理解がないために、可能性を摘まされて、駄目にされていく子供が大変多いことに気がつきました。

私自身も幼少時は鏡文字を書いていたり、時々話し言葉が出てこなくなったり(これは今でもあります。頭の中で言いたいことは浮かぶのだが言葉が出てこなくなることがある、まさに言葉が消える感覚です)、音が「見える」感覚がしたり(音を聞いた瞬間にその音が立体として脳裏に像を結びます)と、やや自閉症に近い症状を持っていますので、ただしこれは自閉症と言うよりは右脳の働きが強いためらしいです、左利きですし、自閉症の人達の感覚というのが何となく分かる気がするのです。

大人の自閉症を相手にするのはちとしんどいので、子供であれば何らかの助けが出来るかもとちょっと考えています。


「未来少年コナン」

一月二十八日(金)
旧暦 十二月十九日 赤口 【鬼】 初不動

【鬼】たまほめぼし
第23宿 蟹座のθ星
万事に大吉 28宿の中でも一番良い日
支那では正方形を縁起が良い形として尊びました。そのため蟹座が尊ばれたのでしょう。
主役として申し分がありません(^^)
蟹座を挟んで上にある双子座のカルトスとボルックスを「北河」と呼び、下にある子犬座(これも星が2つ並んでいる)を「南河」と呼ぶそうです。



一月二十九日(土)
旧暦 十二月廿日 先勝 【柳】
【柳】ぬりこぼし
海蛇座のδ星 
海蛇の上半分。海蛇が鎌首を持ち上げているところが丁度しなだれた柳のように見える。
造作に凶、葬送をすれば二重に不幸が重なる。
凶星だったのか(^^;
だから真っ先に殺されたのだな。



一月三十日(日)
旧暦 十二月廿一日 友引 【星】
【星】ほとおりぼし
海蛇座のα星
海蛇の下半分。
馬に乗り始め、療養始めなどに吉、葬送に凶。


今日のNHK囲碁の時間は、先月急逝された加藤正夫名誉王座の回顧特集でした。

加藤名誉王座は若い頃は「コンピューター」石田二十四世本因坊、「宇宙流」武宮正樹九段、と並んで「木谷門下の三羽烏」と称せられていました。取ったタイトル数は54。厚い棋風と正確な読みで、プロの大石を殺し、「殺し屋加藤」の異名を取りました。晩年になってからは寄せの正確さも評価され「寄せの加藤」と呼ばれることもありました。

平成元年、王座戦八連覇。
平成十四年には、日本棋院副理事長として囲碁界の改革という激務をこなしながら、24年ぶりに本因坊に復帰。時に55歳、実力制本因坊としては最年長の本因坊奪取に囲碁界は湧きました。

加藤王座は、囲碁の段位を名目にして、タイトルの予選を完全実力制にしました。今までは、段が高い人はシード権があったんです。それがなくなったのですからすごい改革です。給料も完全に勝敗だけになりました。

去年の春には日本棋院理事長となり、さらなる囲碁界の改革に乗り出そうという矢先の急逝でした。

絶局は12月3日の天元戦予選。殺し屋の名の通り、大石をしとめての快勝でした。

今日の番組では、木谷門の大竹英雄名誉碁聖、石田芳夫二十四世本因坊、趙治勲二十五世本因坊、小林光一九段、武宮正樹九段、信じられないほど豪華なメンバーが集まり、加藤名誉王座の碁の解説や思い出話に花を咲かせていました。最後には皆声に詰まり、これほど素晴らしい番組は逸見政孝さんの回顧番組以来です。

加藤名誉王座のご冥福をお祈りします。



一月三十一日(月)
旧暦 十二月廿二日 【張】
【張】ちりこぼし
海蛇座のν1星 海蛇座の尻尾
出航、就職、婚礼などに吉。種まき養蚕に大利あり。
弓を張っているように見えるそうですが、未確認です。海蛇座は暗いのでわかりにくい。

2004年年末年始

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