錦林多摩記
2009年8月
9月1日(火)【防災記念日】
陰暦 七月十三日【二百十日】

 体調が回復してきました。ぼちぼち日記を再開します。



9月2日(水)
陰暦 七月十四日

 ちょっと身体を壊して食が細くなり、体重が3kgほど減って、適正体重(自己設定)になりました。たまに身体を壊すのも悪くないかもしれないと思った次第。少しづつ食は戻ってきています。でもこの体型を維持したいのであまり調子に乗って食べないようにしたいです。

 土曜日はスケッチブックを片手に高尾山に登って絵を描いてきました。日野に六年間住んでいながら頂上まで登ったのは今回が初めてでした。六号路から登ったのですが、大木と渓流に心を洗われました。

 この秋は週末ごとにハイキングを兼ねてスケッチ旅行三昧といこうかと思っています。



9月3日(木)
陰暦 七月十五日 【盆】

 陰暦では今日が今年のお盆です。

 九月になってから急に涼しくなってしまいました。まだプールに四回しか行っていないのに。今週の日曜くらいまでは開いているところが多いのだけれど、水が冷たそう(−ー;)

 8月12日は、吉備路にスケッチ旅行に行きました。炎天下を歩いて吉備津彦神社や備中國国分寺を回っていたら、脱水症状になって死にかけました。国分寺の五重塔の横にある土産物屋で氷宇治金時を頼んだのですが、熱中症で手が震えてお皿をひっくり返してしまい、呆然とする私を見るに見かねたのか、お店のおばちゃんがおかわりをくれました。おばちゃんありがとう。

 8月13日は大阪から関西線廻りで奈良に入り、石上神宮にお参りしてから、友人の家に泊まりました。奈良はきれいに条里制が残っており、友人の家のすぐ近くには下ッ道が通っていました。

 14日は彼の車に乗せてもらって、身体を壊している京都の城陽の友人のところへお見舞いに行きました。ガリガリに痩せていて痛々しかったですが、最悪期は脱したそうです。早く良くなってもらいたいものです。そのあと名古屋に寄って熱田神宮にお参りしてから帰りました。本殿は修繕中でした。

 天理の友人の家には二年前に遊びに行くといっておきながら、私の不手際でドタキャンしてしまい、城陽の友人はこっちにきてもらってばかりで(向こうは三十過ぎて独り身で家族と暮らしているので金があり剰っているというのもあるけれど)悪いなあとずっと思っていたのですが、今回はその義理を少し返すことができて良かったです。



9月4日(金)
陰暦 七月十六日

 今日は休みを取って精神神経科へ行きました。五月から八月にかけて薬はなにも飲んでいなかったのですが、ここ半月ほどは調子を崩して飲んでいると言ったら、お医者さんが言うには「多分薬はいらないのではないか」ということでした。パキシルはそろそろやめて別の薬(精神安定剤?)に切り替える時期ではないかともいっていました。パキシルは躁状態が進行させる副作用があるからです。でも精神安定剤を飲むと車酔いみたいになるし、なかなか難しい。

 あるいは去年の冬は鬱が軽かったので、今年は睡眠導入剤だけで切り抜けられるかもしれません。

 振り返ってみれば、六月から七月にかけての自分は行動力があり過ぎました。三時間くらいしか眠らないでも大丈夫でした。全て自分の思い通りに世界が回っているように考えて疑いませんでした。

 躁鬱病は人格障害と違って、記憶や人格が入れ替わるということはありません。けれども躁鬱病というのは躁の時期と鬱の時期で別人のように行動力が変わってしまいます。

 本人は鬱の時が一番辛いのですが、周囲にとっては鬱の人は無害です。なにせ行動が起こせないのですから。

 逆に本人は躁の時は全てが薔薇色に見えますのでいい気な物ですが、周囲は突拍子もない行動に振り回されて迷惑を被ることになります。北杜夫先生のエッセイにはそのあたりのことが軽妙に記述されています。

 躁の時と鬱の時で気持ちは変わらないんですけれどね。鬱の時には迷った末にマイナス思考が勝って行動を起こせず、躁の時には迷った末にプラス思考が勝ってどんどん行動に移します。われながら難儀な身体です。ともあれ、先生がいらないだろうといったのでパキシルはやめておきます。


 病院へ行った後は、八重洲ブックセンターに行って「荀子」の下巻と白川静の「字統」と権丈善一先生の「年金改革と積極的社会保障政策」を買いました。二万円弱でしたが、この秋は自分の心のポケットの中身を増やしたいので勉強や絵の練習、それに囲碁など研鑽に努めたいと思っていますので高い買い物ではありませんでした。



9月5日(土)
陰暦 七月十七日【望】

 久々の爽やかな好天に誘われ、プールへ行ってきました。お昼前に着いたら、開始は一時からとあったので、近くのそば屋でとろろそばを食べてから、小一時間用水路の鯉を写生しました。絵を描きながら鯉を観察したですが、連中かなり知能があります。これについてはそのうち説明をかこうと思います。鯉のユーモラスなお顔に心が和みました。

 プールはやはり水が冷たかったです。今日はおっさんがえらく多かった(笑)珍しいことに外人さんもいました。一時間半ほど泳いでから、高幡不動へ行き、そこからモノレールに乗って玉川上水へ。

 多摩モノレール玉川上水駅から西武線鷹の台駅まで一時間半くらい歩きました。上水沿いは雑木林になっていて、落ち着いた雰囲気が良かったです。なかなか環境のいい土地でした。鷹の台駅で上水と線路の交差の絵を描いて帰りました。

 家に着く頃にはまん丸いお月様が迎えてくれました。外界はいろいろと慌ただしいようですが、個人的にはとても心が落ち着いて明鏡止水の心境です。



9月6日(日)
陰暦 七月十八日

 好きな食べ物の話をば。

 コロッケが好きです。料理の中で一番好きです。お総菜屋でよく買っていますが、お店で売っている平べったいコロッケよりも、家庭で作るお饅頭みたいな形のコロッケの方がもっと好きです。こんがりきつね色、ところどころ焦げ色が見えるあの色合いがたまりません。ホクホクのおいもとひき肉の味の組み合わせは最高です。

 嫁さんをもらうのならば、あのまん丸いコロッケが作れる人と決めています。コロッケが美味しければ、顔や性格が多少合わなくても我慢ができると思っています。しかし顔と性格が好みであっても、コロッケが作れない人とは破綻すると思います。コロッケキチガイも極まっています(笑)

 お店のコロッケを食べ歩いたりとかはしていません。とにかく家庭で作る丸いコロッケが大好きなんですね(^_^)

 料理を作るのは得意ですが、コロッケだけは作らないことにしています。なぜかというと嫁さんに作ってもらうためです。自分で作ってしまっては意味がありません。

 コロッケ万歳!ビバ、コロッケ!ああコロッケが食いたいな。

 とまあコロッケへの愛を叫んでしまったわけですが、コロッケを作るのが上手な女性が現れたからといってすぐに結婚するぞと宣言しているわけではないので誤解しないでくださいね(^^;

 コロッケの次はりんごでしょうか。なんでりんごかというと、二歳の時にウイルス性腸炎で死にかけたことがありまして、ひどい下痢で脱水症状、なのに何も食べられないというときに、なぜかりんごだけは食べられて、もう亡くなった母方の祖母がりんごをすりおろして食べさせてくれました。その記憶があるのかないのか、りんごをたべると安心します。

 三位以下はいっぱいあって順序が付けられません。


 今日のNHK杯は見応えがあった。張栩名人十段王座天元碁聖 対 中小野田九段。張栩は向かうところ敵なしの五冠。それに対して中小野田九段が手筋で一本とって上辺の黒を取り、長大な壁を作って中央を丸まる地に。五冠は四隅を取り、キリキリと中央の地を削る。

 スケールの大きな戦いであったのに、何と最後は半目勝負となり、五冠が勝利。まさか最後のコウで勝負が決まるとは思わなかった。解説の二人も地合の計算が難しいようであった。盤面は黒の圧勝のであったが、上辺のアゲハマで白が追いついていた模様。五冠を土俵際に追いつめながら、あと一歩及ばず、張栩の運が勝った感じ。中小野田九段は惜しかった。双方打ち損じ全くなし、がっぷりよつの好勝負であった。

 本因坊リーグでは、武宮正樹九段が十四年ぶりの復帰。六十が近づいて、円熟を加え、去年のNHK杯では準優勝。再び勝利を重ねるようになった武宮正樹九段の活躍が楽しみである。今年の碁は面白くなりそうである。



9月8日(火)
陰暦 七月二十日

 体調が戻ってきたので秋にCOMITIAだけでなくもうあと一、二回くらいは同人誌販売会に参加できそうだ思ったので、昨日は別のオールジャンル同人誌即売会を探していました。でも遠かったり、もう募集期間が終わっていたりしていて、なかなか見つかりませんでした。ようやくCOMIC CITY SPARK、という良さそうなオールジャンル販売会を見つけたのですが、参加者は女性が中心らしいのです。まあ追い出されるほどのこともあるまいと思い、申し込むことにしました。

 最近見たいと思えるアニメが全然ありません。惰性でしゅごキャラを見ていますが、本シリーズが終われば見るのはやめるつもりです。あいまいまいんもどうしても見たいと言うほどの作品ではないです。十月からついに見るアニメがなくなってしまいました。生まれて初めてのことです。残念ですが、キン肉マンでも借りてきて見ることにしようかなと思っています(注:キン肉マンを見るのが不本意だという意味ではありません)。



9月9日(水)【救急の日】
陰暦 七月二十一日

 体調を崩す前よりも食べる量が減っているはずなのにちょっと食べる量を戻しただけでリバウンドの兆候が・・・

 身体の燃費よすぎ。

 「易経」を白川静の「字統」片手に読んでいるのだが、なかなか面白い。易経の骨格ができたのは西周と推測され、支那の文化は秦漢に統一されたときに商や周といった古代の文化が一度否定されて新しい文明として再構築されているので、易経や書経といった西周以前のことを記した文章が、既に二千年前にはわからなくなっていた。

 そのため、易経の解釈には古来から学者が苦労して、中にはかなり無理がありそうな解釈も少なくない。

 甲骨文や金文に新しい光を当てたのが白川静である。白川静が現出した古代支那文明は、呪術的で哲学的だが即物的な文化を持った世界であった。形而上の概念も、必ず身の回りの物を通して表現されていた。これは世界中の古代文明に共通する性質である。

 易経は儒教の根本教典に指定されているので、学者たちは何か深遠な真理が描かれているのではないかと深読みして、やたら難しい解釈を書き連ねてきた。易経に深遠な真理が記されていることには私も同意するが、その表現はすこぶる即物的であるのではないか、字統を頼りに易経を読むようになってその思いが強くなっている。

 例えば「雷地豫」これは雷気が地面の上を覆い、今まさに天の意思が実行されようとしている状態を表すと解釈されているが、爻辞を読んでも全然そのような意味は読み取れない。後代の学者が無理矢理儒教的徳目を当てはめようとしたため生じた無理である。ようはこじつけなのだ。

 「豫」というのは動物の「象」のことである。これは「字統」を引くまでもなく、漢和辞典に書いてある。古代の支那には象がいた、これは春秋その他の書物にも出てくる。楚は呉との戦いで象軍を繰り出した。孔子が生きていた頃の話だ。それよりもっと前は中原にも象がいたらしく、土木工事や戦争に使われていたらしい。

 雷地というのは、落雷によって地面が震え、恐ろしい爆音がすることであろう。つまり、象がのっしのっし歩いて地面が揺れて、あのラッパのような鳴き声が響くことを意味しているに違いない。

 象のことだと思って読んでみると、爻辞が簡単に読み解ける。これは要するに象の生態を利用した「象占い」の記事なのである。象が鳴いたら凶、象が睨んだら注意しろ、象が病気になったら・・・、象が死んだら・・・何にも難しいことは書かれてはいないのである。

 この調子で読んでいけば、易経や書経や礼記も、もっと親しみやすい書物として現代に復活するのではないか、そんな気がしている。



9月10日(木)
陰暦 七月二十二日

 今週は仕事が忙しくて、数ヶ月ぶりに残業が入ったりして大変です。

 九月に入ってから仕事後はおもに漢籍を読んだり囲碁の勉強をしたりして過ごしています。漫画を描くのはお休み中。私の場合、画風を変えたい時にはしばらく筆を休める方がいいからです。

 囲碁は十年前に古本屋で見つけた岩本薫の「形の感覚」と武宮正樹の「武宮の白番」それと本因坊秀栄の打ち碁集を並べて勉強しています。「形の感覚」は岩本薫の本ということで物珍しさも手伝って手に取ったのですが、ずっと内容がさっぱり分かりませんでした。けれども最近急に書かれてある内容が分かるようになってきました。

 この本はきれいな碁形、石の並び方の必要性を説いた本です。石の形を守っていれば、どのような事態に遭遇しても、碁を崩さないで済むことが丁寧に説かれていて、大変に勉強になります。これはいい本です。いわゆる手割りの入門書にもなっています。ずっと壁に当たっていたけれど、突破するための手掛かりになりそうです。

 もう数ヶ月くらい練習したら、こてんぱんにされて以来足が遠のいている会社の囲碁部にもまた顔を出そうかなと思っています。

 年代物で昭和三十八年の発行です。けれども囲碁は時間を超えていますので、昔の本でも生命を失うことはありません。千年前の宋代に作られた「玄玄碁経」が今も最高の詰め碁集として扱われているくらいです。局地戦の戦法は千年前も今も変わりはありません。中盤以降の戦いなら、千年前の碁打ちと現代の碁打ちが戦っても互角の戦いになるでしょう。

 本因坊秀栄が活躍したのは明治の後半ですけれども、打ち方は近代的、むしろ秀栄の中に辺と中央を重視する現代の碁の原点があるというべきかもしれません。碁盤と碁石があれば、百年前に生きた棋士とも心を通わせることができるのですね。



9月11日(金)
陰暦 七月二十三日【二百十日】

 仕事が一山越えたので祝いの酒を飲んでいます。でもまだまだ先は長いのだ。

 なにかが変わりつつある、そんな風を感じます。

 多くの人から守られていることを知ったこの一ヶ月。一番迷惑をかけたはずの人が、私を救ってくれました。敵として現れた人も最後は私の気持ちを理解して助けてくれました。親や友人や上司も私の愚行を受け止めてくれました。私は返し切れないほどの恩を抱えています。直接は難しいかもしれませんが、世の中に恩返しをしなければ、そう思っています。



9月12日(土)
陰暦 七月二十四日【旧地蔵盆】【下弦】

 京王井の頭線の西永福から善福寺川沿いの緑地を途中スケッチをしながら歩いてきました。

 関東バスの車庫から吉祥寺駅までバスに乗り、そこから中野へ、中野のまんだらけ本店でCOMIC CITYの申込用紙を入手。ついでにCD館ををのぞいたところ「魔法使いサリー」(第二期)のサウンドトラックが2,600円で売っていたので購入。

 サリーちゃんの第二期は音楽が良いのです。山本百合子さんがステップジュンのときの声で元気いっぱいに歌ってくれていますし、朝川ひろこさんのエンディング「リトルプリンセス」は名曲です。詞もメロディーもとてもきれいです。それを朝川さんが物悲しい声で歌っています。作曲は小坂明子先生。帰ってからエンドレスで「リトルプリンセス」をかけています。

 漫画売り場へ行ったら何と「マジカルエミ」の漫画版が売っていました。これは買うしかありません。申込用紙をもらいに寄っただけなのに思わぬ散財を強いられました。嬉しい悲鳴というやつです。「クリィーミーマミ」もありましたが、これは高くて手が出ませんでした。



9月13日(日)
陰暦 七月二十五日

 床屋へ行ってきました。昨日も行ったのですが休みでした。その理由を話してくれて、子供時代からの友人が秩父の山奥で開いた結婚式に行っていたのだそうです。その友人というのが無類のキャンプ好きで、三日間キャンプ場を借り切って、バーベキューとかキャンプファイアーをやったんだとか。

 床屋さんは牛の太ももをローストする役だったんだそうです。午前中鉄の取っ手をくるくる回しながらひたすら巨大な肉の塊を焼いて、お昼からの披露宴ではケーキ入刀ならぬ牛入刀をやったんだとか。肉の塊の外側が焦げて、それが肉汁を閉じこめ、中の肉は真っ赤なのに薪の遠赤外線で火は通っていて、ものすごく美味しいローストビーフに仕上がったそうです。聴いているだけでよだれが出そうでした。

 新郎新婦のひな壇は大工の友人が作ったんだそうです。キャンプ場なので料理も両家の親戚が作ったそうで、当然新婦もアウトドアは好きなんだそうです。そりゃそうじゃなきゃここまでできませんよね。世の中には面白い人がいるもんだなと思いました。

 八王子へ行ってヤシの実洗剤の買い出し。これで洗わないと肌が突っ張ります。でも近くのスーパーが置かなくなって困っていました。本店にメールをして売っているお店を教えてもらいました。

 「マジカルエミ」の漫画版、とてもいい作品だなと思いました。エミのマジックは出てこなくて、舞ちゃんと将の恋がテーマになっています。少女漫画らしいです。舞ちゃんとエミと将の三角関係がしっかりと描かれていて面白かったです。アニメを見ながら、「もっと将とエミの関係を膨らませば良かったのにな」とそこだけは不完全燃焼であったのですが、漫画の方でやっていたんですね。うまく補完できた気がしました。

 私はぴえろ魔女っ子をリメイクするのならば、狙い目はクリィーミーマミではなくてマジカルエミだろうと思っています。クリィーミーマミならば大人のアニメファンは泣いて喜ぶと思いますが、お人形さんみたいなコケティッシュなアイドルというのは今の子供には理解されない恐れがあります。マジカルエミの方が活動的で今の女の子にあっているのではないでしょうか。それにエミと将なら釣り合いが取れているので恋愛もしっかり描けますしね。エミ復活の折には、アニメ版と漫画版を融合させた作りにしてほしいです。

 ペルシャは、ちょっと難しいでしょう。あの作品世界は今のアニメーターや声優では再現ができないと思います。あれはとにかく難しい。むしろ今ならばアニメよりもむしろ実写にした方がうまく作れそうな気がします。



9月14日(月)
陰暦 七月二十六日

 近くのスーパーマーケットが業務用の冷凍フライを置くようになり、白身のフライやポテトフライが手軽に食べられるようになって助かっています。今日はササミチーズフライが安売りだったので初めて作ってみました。揚げただけですけれどね(笑)学食や社食のササチーよりもサクッとしていて美味しかったです。

 岩本薫の本のおかげか、近頃参考図を並べたあとに手を戻せるようになりました。父に話したところ「形が分かるようになったから、どこに石があるのが自然か不自然か見分けられるようになったのだろう」ということでした。



9月19日(土)
陰暦 八月朔日 【八朔】

 生田緑地の日本民家園へ行ってきました。整った寺社建築もきれいですが、民家もまた趣があって良いです。床上展示をしていた作田家で説明員のおじさんといろいろとお話ができました。きれいに整備されていてなかなか良かったです。絵の練習もできました。

 外国人の観光客が多かったです。確かにここは古い日本が味わえて良いのではないかと思います。でも日本民家園って前は向ヶ丘遊園内になかったっけ?もうちょっと広くて平らなところに展示してあった記憶があるのですが、記憶違いかな。

 仕事も忙しいですし、碁を並べたり漢籍を読んだりと充実した日々を送っているのですが、特に日記で知らせるようなことはないのでしばらく書きませんでした。しばらくはこんな調子が続くんじゃないかと思います。





9月20日(日)
陰暦 八月二日 【高幡不動ござれ市】【彼岸の入り】

 午前中は昨日の酒が残っていたためボーっと過ごし。昼はNHKの囲碁を見て、そのあと近所の公園で木やトンボをスケッチしました。木を描くコツみたいなモノがつかめてきました。ただし漫画には応用しにくいので、まだまだ練習が必要です。

 六時にはもう真っ暗に、彼岸になると急激に日が短くなって秋を感じます。



9月21日(月) 【敬老の日】
陰暦 九月三日

 firefoxとinternet explorerでtableの表示形式が違うせいでえらい苦労してしまった・・・文章を書くのに一時間、卦の表示に一時間。


 山天大畜という卦がある。



この卦は乾天
の上に艮山


が乗っかっている象(形)をしていて、智慧や財産、外部への発展性を現すとされている。

 例の如く「易経」の伝統的解釈では、乾天が進もうとしているのを艮山が留めていて勢いが溜まっているからと、陰陽から説こうとするのだが、古代文明はそのような解析的発想は取らないと信じる私はこの説明は採用しない。

 ではなぜこの卦を「大畜」と呼び習わすのかの説明が象の解説にある。

 象に曰く、天山の中にあるは大畜なり、君子もって多く前言往行を識りて、もってその徳を蓄ふ。

【現代語訳】天が山の中にあるのを大畜という。君子(儒教では人格の完成された人のことをいうが、易経ができた頃は紳士というくらいの意味だった)はそこから多くの昔の人の知恵や参考とするべき行いを知って、人格を成長させる(あるいはもっと直接的に「財産を蓄える」という意味かもしれない)

 普通天が山の中にあるとは、天を衝くほど高い山のことだと解釈するが、古代人の描写というのは写実的であるので、これは文字通り天が山の中にあるという意味だろう。といっても一つの山の中に天があると考えていたら何が何だか分からなくなって当然。これはおそらく見渡す限り360度、山に囲まれている土地のことをいっているのだと考えられる。

 山でいっぱいの土地では「天が山の中にある」というよりは「天が山に載っかっている」というイメージになるので、これは平らな広い盆地があって、その周りを高い山脈が取り込んでいるイメージであろう。

 しかし日本の盆地のように小さなものではあるまい。天がすっぽり入るというくらいなのだからかなり巨大な盆地だろう。ここで易経が支那大陸の東の商ではなくて西側の周で生まれた思想書であることを思い出してもらいたい。周自身も盆地を根拠地としていたが、これはおそらくもっと西の西域のことを指しているのではないだろうか。

 つまりこれは南はコンロン山脈、北は天山山脈に囲まれたタクラマカン盆地のオアシス国家群のことでは無かろうか。

 種明かしをすると、山天大畜の爻辞はおそらくメソポタミアから伝わった星座のことを意味している。周には羌や狄を通して西域の文明が入ってきた形跡がある。彩色土器には明らかにメソポタミアの影響が見られるし、天を崇める思想や、歳星(木星)を重視する思想もメソポタミアの影響である。また周の王侯貴族にはペルシャからインド北部にかけての地域からやって来たインド・ヨーロッパ語族が交じっていた可能性がある。太公望が封じられた斉の首都のリンシの最も古い地層からは、コーカソイドの骨が出土している。古代支那には金髪碧眼の人物がたまに出てくる。文王や武王はかなり背が高かったらしいし、君子は顔が長くて龍のよう、という言い伝えもある。

 さて大畜の冒頭の説明には

 大畜は貞って(うらなって)利あり、家食せずして吉なり、大川を渡るに利あり

 とある。普通は貞して利あり(正しく振る舞っていれば利益がある)と読むのであるが、易経にでてくる貞は全て占いという意味ではないかと私は考えているのでこう読んだ。

 家食せずというのは、農業や機織りをしないで、宮仕えをせよという意味で、転じて閉じこもっていないで大いに外部と交流しなさいと言う意味だとされる。けれども従来の解釈をしていては、なぜ山と天で社交性につながるのか理解ができない。

 山天とは則ち西域のオアシス国家であるとすると、彼等がもたらす西洋の智慧、メソポタミア・ペルシャ・インドの珍しい文物をもたらす交易が連想されるだろう。ここで山・天・知識・富そして外の世界との交流がつながるのである。これに隊商が連れてくる家畜を加えてもいいだろう。

 それでは明日以降爻辞を星座と結びつけて説明していこうと思う。



9月22日(火)
陰暦 八月四日 【大土】

 山天大畜の細かい内容の説明です。見ての通り、卦というのは六つの陰陽が重なってできていて、その一つ一つに意味があります。ですので占うときには、まず筮竹を二回(正式なやり方の時は十八回)振って卦を決めたあとで、もう一度筮竹を振って、六つの爻の内どれに当たるのかを占います。

 最初に結論を書いた方が分かり易いので、私なりの解釈を載せておきます。爻辞とは易経の説明です。

爻辞
支那
西洋
日本神話
上九天を通る衢(やちまた、交差点)が通過できる昴(すばる)牡牛座プレアデス星団すばる、天の八衢
六五猪の牙畢宿(あめふりぼし)牡牛座の両角と頭(アルデバラン)猿田彦の両目と長鼻
六四仔牛を押さえる角木参(からすきぼし)?オリオン座天宇受売命(あめのうずめのみこと)
九三人夫が輿を囲んで(主人を)守る五車馭者座天照皇大神と素戔嗚尊の警約(うけひ)によって生まれた八神?
九二人夫が輿の横紐を解く井宿(ちちりぼし)双子座(カストル、ボルックス)海幸彦(銀星)、山幸彦(金星)
初九悪霊がいるので前へ進めない、動かない方が良い天狼大犬座のシリウス猿田彦に留められている神武天皇


 本来とは逆に一番上の上の上九から行きます。易経の爻辞には天を通る衢(ちまた・交差点)とあります。天の八衢(あめのやちまた)とは日本では昴のことを言います。星がいっぱい集まっているのが雑踏のように見えるからです。ギリシャ神話でもこれをゼウスにさらわれたフェニキアの乙女たち(プレアデス姉妹)としています。昴を人の集まりと見る点では東洋も西洋も同じです。面白いですね。

 六五は猪の牙とあります。星空散歩が好きな人はすぐにピンと来るはずです。昴のすぐ下に伸びている牡牛座の大きな角が目に浮かぶことでしょう。角の先を目、角の根元の赤色のアルデバランを長い鼻の先と見立てて、これを天狗、もしくは猿田彦(天狗のように長い角を持っている智慧の神様、天の八衢まで来た神武天皇を通せんぼする)に当てはめる説があります。これは私の想像じゃなくて学者さんが言っていたことです。

 六四は仔牛を押さえる角木とあります。これが何を意味するのか一番ハッキリしないのですが、オリオン座が牛の頭に見えないこともないので、オリオン座のベテルギウスではないかと思います。日本神話では、神武天皇が猿田彦に通せんぼされたときに、天宇受売命(あめのうずめのみこと、天照皇大神が天の岩戸に隠れたときに踊った女神)がやっぱり踊って猿田彦の心を和らげて(誘惑して?)、神武天皇を通してもらったという話があり、オリオン座はまさしく踊る人間に見えるのでこれはオリオン座と天宇受売命でしょう。

 九三には輿を囲む人夫とあります。冬の空で何かを囲むように並ぶ星というと馭者座です。五つの同じくらいの明るさを持った粒のそろった一等星と二等星が五角形に並んでいます。支那ではこれを五車と呼びます。車輪に似ているからです。面白いことにギリシャ神話でもこの星座は四輪馬車を発明したエリクトニウスとされています。やはり五角形を車輪に見立てたからでしょう。日本神話で何に当たるのかは今のところ分かりません。馭者座は大きな五角形と小さな三角形の組み合わせですので、天照皇大神と素戔嗚尊の警約(うけひ)によって生まれた八神(男神が五柱、女神が三柱)かもしれません。

 九二は人夫が輿の横紐をとくとあります。輿というのは井桁の形に木を組んで、真ん中の四角部分に座る場所を設けて人を運ぶ乗り物です。御神輿と構造は同じです。間違いなく双子座でしょう。支那の二十八宿でもこれは井戸とされています。横紐とは輿の木の先頭に通して結ぶ紐のことですが、おそらく双子座の兄弟星を指しているのだと思います。

 日本神話で兄弟と言えば、海幸彦山幸彦です。お兄さん星は青色の海幸彦、弟星は黄色の山幸彦でしょう。双子座の兄弟星を海幸彦山幸彦と呼んだ記録はありません(兄弟星とは日本でも呼ぶことがあります)。西洋でも東洋でも一等星の青白い星をお兄さん星とし、二等星の黄色い星を弟星と呼んでいるのは変わりません、日本神話でも海幸彦がお兄さんで、山幸彦が弟です。青ー海、黄ー火(山幸彦は炎の神様)、という連想もそう無理はないでしょう。

 そして初九は悪霊に遮られて前進できないとあります。これだけは形を表していないのでどれを指すのかはハッキリ分かりません。日本神話では明白でして、猿田彦に遮られた神武天皇となります。冬の星空を飾る一等星の中でまだ残っているのはオリオン座のベテルギウスと子犬座のプロキオンと大犬座のシリウスですが、やはりこれは地球から見ることができる一番明るい恒星のシリウスと考えるべきではないでしょうか。

 シリウスを神聖視したのは古代エジプト文明です。シリウスが夜明けとともに上るのを待って新年としました。ナイル川の氾濫を伝える星ともされました。シリウスが日本神話と易経で「遮られて前に進めない星」とされているのは、シリウスがあまり高い場所まで上ることがないからだと思います。また天で一番明るい星を神武天皇(神倭伊波礼琵古命、かむやまとのいわれびこのみこと)に当てはめるのはあながち無理な想像ではないと思います。一番明るいですし、新年の頃に天高く上りますので、初代の天皇というイメージにぴったりです。

 冬の六角形の星々は一際明るく、その美しさに感動した古代人は、東洋でも西洋でも想像の翼をはためかせて雄大な神話と結びつけようとしました。古代人のどこまでも深く広がる想像力に感銘を覚えます。

 ついでにいうとプロキオンはおそらく八咫烏(やたがらす・太陽の象徴)に当たるのではないかと思います。またシリウスのもっと南に見える竜骨座のカノープス(支那では南極寿星)はやはり神武天皇を道案内した海の神の椎根津彦(しいねつひこ)に当たるのではないかと思うのですが、海人系神話と星座の関係についてはまた項を改めようと思います。夜の海で頼りになるのは星だけですので、船乗りと星というのは縁が深いのです。



9月23日(水)
陰暦 八月五日 【秋分】【お彼岸の中日】

 午後半休を取ってボーっとしたり、昼寝をしたり、縫い物をしたりしていました。明日から忙しくなるので、そのための体力を養いました。年休は一月前から決まっていたのですが、最近なんだかちょっと疲れていましたので、ちょうど良かったです。

 コミックシティから受け付け確認証が来ました。



9月24日(木)
陰暦 八月六日

 だいぶ涼しくなってきました。クールビズも来週でお仕舞いです。


 もうばれていると思いますが、私は理系のはずなのに占いが大好きです(^^;

 典型的な蠍座気質なので、星占いは良く当たります。蠍座だから蠍座気質なのか、蠍座気質がたまたま11月に生まれたから星座占いが良く当たるのか、どっちなんでしょう。

 最近は易に凝っています。

 昔から勘が鋭い方でして、人が考えていることが何となく分かります。普段は面倒なので敢えて空気が読めないふりをしているのですが、たまに気が合う人に出会うと嬉しくなってどんどん相手の先回りをして行動してしまうことがあります。それでうまくいくこともありますし、気味悪がられて疎遠になってしまうことも両方あります。

 けれども、この特有の勘の鋭さを、易という枠を嵌めることで自分なりにコントロールできるんじゃないかという気がしてきました。易に出会うことができたのは先月に躓きに遭ってしまったからです。けれども、実害はありませんでしたし、おかげで少し角が取れたのか、かえって家族や仕事仲間とはうまくいくようになりました。通り過ぎてみれば笑い話です。

 自動的に占ってくれるサイトも探しましたが、これが初心者、特に女性には説明が分かり易くていいと思います。恋易。今日は 第61番 風沢中孚 がでました。恋愛で最強の卦です。でもいくらいい卦が出たところでなあ・・・


(16)雷地豫(らいちよ)
卦辞
伝統的解釈
セラフィー解釈
 豫は侯をたて師(いくさ)をやるに利あり
 雷出でて地を奮うは豫。先王もって楽を作り徳を崇ぶ。殷に(さかんに)これを上帝に薦め、もって祖考を配す。
 豫は、君主を立てて軍隊を動かすのによろしい
 雷は地下に閉じこめられた陽気が爆発する現象である。雷が鳴ってしまえば、陰陽の気は和合する。古代の聖王はこの卦に則って音楽を創造した。祭において音楽を上帝に供え、父祖の霊魂をあわせて祀った。
 豫は(商が)軍事行動を始める前に行った呪い(まじない)である。
 象が行進して、雷が落ちたときのように地面を震うのは豫である。商王は音楽を鳴らして、霊力を高めようとした。妊婦の腹を打って上帝に捧げ(「字統」より)、父祖の霊魂を合わせて祀って(士気を高めた)。
爻辞
伝統的解釈
セラフィー解釈
上六冥豫する、成るもかわることあり、咎なし楽しみに耽って目がくらむ、悔い改めれば罰を受けることはない象が死ぬ、進軍は成功するが、何らかの情勢の変化が生じるだろう、しかし不利にはならない。
六五貞って、疾む(やむ)、恒には死せず実権を失った君主(六五)が楽しみに溺れている。味方を失って気息炎々となる。象占いをした後にその象が病気になっても、死ぬことはないので心配しなくて良い。
九四由豫する、大いに得るあらん、疑うなかれ、朋あいあつまる九四(宰相)が全権を委任されて大いに楽しんでいる、下の者を信用すれば、志を同じくする人たちが集まって助けてくれるだろう象が寄って来たら、今度の軍旅は大成功するだろう。 進軍を大いに宣伝してよろしい。援軍が馳せ参じるであろう(象は志の高い人のところへ行くからだ)。
六三く豫する(うわめづかいをする)、悔いよ、遅ければ悔い有らん六三が君子の九四を上目遣いして、陰で楽しんでいる。不正なので早めに行いを改めよ。象が上目遣いして天を仰いでいる、今回の進軍は上帝の意に添っていない証拠なので早めに改めよ。
六二石に介たり、日を終えずして貞って吉皆が楽しみに溺れているときに、一人だけ石のようにしっかりと中庸を守っている、占った人が正しくあれば吉である。象が石のように動かない、その日の内に神に伺いを立てて良い(象が何か異常を察知したからか?)
初六鳴豫する、凶なり一番下の初六は小人(愚か者)であり、それが喜んでいるので、これは凶である。象が泣き叫ぶのは凶である。

 漫画の「封神演義」に商(殷)の紂王が象に乗って登場するシーンがありますが、あれは間違っていないかもしれません。商軍の最強兵器は象軍であり、周の秘密兵器は西域から導入した馬車だったのではないか、そのように想像しています。

 「春秋左氏伝」には乾燥寒冷化を示唆する記事が多く(春に氷が張ったとか、太陽が雲で隠れたとか、雨降らずとか)、この時期に中原で森林が後退し、草原が広がったことが推測できます。これは花粉の化石からも確認できます。史記の記述では、商の末期に占いに使うための亀の甲羅の入手が困難になって、周辺諸国に遠征したと有ります。乱獲による亀の不足ではないかとされていますが、乾燥寒冷化によって水棲生物の分布に変化が生じたのかもしれません。

 寒冷化と森林の後退により、象の生息地はどんどん南へと後退していきました。商の弱体化は、乾燥寒冷化による農業生産の低下、そして亀や象などが減って商王が権威を維持できなくなったことにあるのではないでしょうか。

 そこを西域から乾燥地を生き抜くすべを獲得した周に攻められて滅びたのだと思います。

 春秋にはしきりに馬車が登場します。何らかの理由で、周の時代の中原は馬の生育に適していたのでしょう。けれども、漢以降の支那の王朝は馬不足に苦しんでいます。支那の歴史で馬車が戦争の花形だった時代は、西周と春秋の数百年間だけです。

 戦国時代には戦争の主力は馬から歩兵に変わっています。そして、戦国時代は飛躍的に農業の生産力が上がっています。従来は鉄器のおかげとされてきましたが、乾燥寒冷化が収まったのかもしれません。そういえば、馬というのはあまり湿潤な土地にはいません。戦国時代の支那は馬にとっては住みにくい土地に戻っていたのかもしれません。

 漢の時代になって匈奴が攻めてきたときに、なぜ馬車で迎え撃たなかったのか不思議でならなかったのですが、気候の変動が関わっているのではないでしょうか。



9月26日(土)
陰暦 八月八日 【彼岸明け】

 昨日は会社の小旅行があって山中湖の保養所へ行っていました。飲み過ぎの二日酔いでさっきまで倒れていました。

(18)山風蠱(さんぷうこ)
卦辞
伝統的解釈
セラフィー解釈
 蠱は元に(おおいに)亨る(とおる)、大川を渡るに利あり、甲に先立つこと三日、甲に後れる(おくれる)こと三日  卦の形が、三匹の虫が食い合っているように見えるので蠱である。
 物事が崩壊し、再生しようとしている状態を表す。だから大いに進むのである。
 思い切ったことをするには絶好の機会である(大川を渡るに利あり)。
 甲に〜ついては古来より定まった解釈がない。
 神霊が集まる山に殯屋(もがりや)を立てて死者を虫や鳥に食べさせてるのが蠱である(風葬、鳥葬)。
 新しい当主が先代から祖先の霊を受け継ぐのが殯(もがり)であるので、死者を送るのは悲しいことであるが物事は大いに進む。
爻辞
伝統的解釈
セラフィー解釈
上九王侯につかえず、その事を高尚にす 王侯に仕えることのない隠者を称賛している爻辞である。 殯が済んだばかりの後継者は宮廷に出仕しない。何故なら、祖霊を受け継いだばかりで霊的に高ぶっているからだ。
六五父の蠱に幹たり、もって誉れ有り 周囲の後ろ盾があって、父の偉業を受け継ぐ。 父親の殯を立派にやり遂げた。跡継ぎは周囲から称賛を受けるだろう。
六四父の蠱に裕する、往きて見て吝する 柔弱な性格だと、父親の失敗の立て直しはできない。 父親の死に装束を着て、父親の死体の横に寝て、父親から祖霊を受け継ぐ。
 山へ行って父親の霊を呼び戻そうとする。
 おそらく大嘗祭の古い形式と考えられる。
九三父の蠱に幹たり、少しく悔いあり、大いなる咎なし 父親の失敗の立て直しをする場合でも、親をないがしろにするようなやり方をしてはいけない。親も悪気があったわけではなく、小さな失敗で済んだのは、親が積み重ねた徳があるからだ。 父親の殯を執り行っている最中に、小さな天罰(悔の原義)が落ちることがあるが、殯をきちんとやっていれば重大な祟りにつながることはないだろう。
九二母の蠱に幹たり、貞うべからず 母の失態を譴責するときには、四角四面にやってはいけない。 母親の殯を取り仕切る場合、殯の期間を占って決める必要はない。昔から決められた通りにやればよい。
初六父の蠱に幹たる子有れば考(ちち)の咎なし、れい(厂に萬)ば終に吉 子供が父親の失敗を立て直す。このような恥ずかしからぬ子がいれば、家は立ち直るので吉である。 父親の殯を取り仕切る子孫が有れば、亡父は祟り(咎の原義)をなさない。慎重に殯を執り行えば、先代の霊(厂萬)は家を守ってくれるので吉。




9月27日(日)
陰暦 八月九日

 旅というのは古代ではふつう軍事行動、集団行動をさします。後代の儒学者はどうしても火と山と旅が結びつかなかったらしく、山火事から逃げるような不本意な旅などと苦しい解釈をしていますが、これは読んで字のごとく山火事のことでしょう。

 山火事は山火事でも焼畑です。管子には焼畑の記述があり、四川や雲南の山地では今でも焼畑農業が行われています。西周の頃はまだ華北にも森林が残っていましたので、盛んに焼畑が行われていたと思われます。焼畑はほとんど耕したり肥料をやったりしなくても収穫ができるので効率がよい農業です。森林の回復を上回るスピードで人間が森を焼かない限りは十分に持続可能な賢い農法です。

 焼畑は火をコントロールするために、火の通り道をつくったりと入念な準備をしてやります。それを軍事行動と結びつけて「旅」と表現したのでしょう。

(46)火山旅(かざんりょ)
卦辞
伝統的解釈
セラフィー解釈
旅は小し亨る(とおる)、旅は貞って吉  次から次へと燃え移る火から逃げているイメージ。
 失意の旅。旅人には安住の地はないので、小さな願いしか叶わない。
 知り合いがいない旅の空でも、「旅の恥はかきすて」と投げやりにならずに、正しさを失わなければ吉である。
 焼畑農業をするために山に火を付けるのが旅である。
 旅の時には山の神様にお伺いを立てると良い。
爻辞
伝統的解釈
セラフィー解釈
上九鳥その巣を焚く、旅人先に笑ひ、後にはさけびよばう、牛を喪して易するは凶 旅人なのに驕り高ぶっていると、最初は笑っていられるかもしれないが、最終的には泣き叫ぶことになるだろう。 木の上の鳥の巣まで焼けて山焼きが終了した。
 まず笑い、次に泣き叫ぶ礼をして山の神を慰める。
 山焼きが終わった後に牛を捧げる祭をしてはならない。
六五雉を射て一矢を亡う、終にもって誉命あり 雉を射て、最初の一本は外すけれど、最終的には射止めて名誉と爵位を得るであろう。 炎に巻かれて逃げてきた雉をあやまたず一矢で仕留める(日本の言い伝えでは雉は山焼きの時にも卵を守ってなかなか逃げないとされている)。
 弓矢の腕を主君から褒められて褒美を得るであろう。
九四旅のとき于に処る(おる)、それ斧を資る(とる)ことを得たり。わが心快からず。 柔軟謙遜な旅人なので、安心して野宿できる場所を見つけることができる。
 露営(テントを張る)ために必要な斧も手に入れることができた。
 火が横道(于の原義)にそれそうになる、その時は延焼を防ぐために周囲の木を切っても構わない。
 延焼が防ぐためには仕方がない(おそらく緊急避難的に伐採許可が得られていない森林を切っても構わないという意味)。
九三旅を焚くはそれを次げる。それ童僕は喪をし、れい(厂に萬)を貞う、またもって傷つける、旅はもって下よりす、その義を喪う 旅をしながら泊まった宿が火事になり、お供に逃げられる。 山に火をつけるときには、(山の神や動物たちに逃げるように)呼ばわる。
 神官は哭礼をし、自傷をして山の神を慰める。
 延焼を防ぐために火は山の麓から点火する。犠牲を捧げても良い。
六二旅は即ち次げる(つげる)、その資(たから)を懐く、童僕は貞うことを得たり、・・・終に尤なからん 旅の時に安心できるのは宿に着いたときである(伝統的解釈では次を"やどる"と読む)。
 忠実なお供であれば咎はない。
 山焼きをするときには、山の神様にそのことを告げる祭を行う。
 財物を捧げて、神官は山焼きをして良いかどうか神様にお伺いを立てる。そうすれば神の祟り(咎の原義)はないであろう。
初六旅の時瑣瑣(ささ)たり、これその災いを取るところなり こせこせ(瑣瑣)とした小人(初爻でしかも陰なので小人となす)が苦しい旅に出ている。
 自分から災いに赴いているようなものだ。
 山焼きの時には細心の注意を払って、周囲に延焼しないように木の伐採をする。




new 9月28日(月)
陰暦 八月十日

「八咫烏は何故三本足なのか その一」

 サッカー日本代表の青いユニフォームの胸のあたりに烏のマークがプリントされていることはご存知でしょうか。あれは八咫烏(やたがらす, wikipedia)といって、熊野神社のお使いです。これは日本にサッカーを紹介した東京高等師範大学の中村覚之助が熊野の出身であったからとされています。

 この烏、良く見てみると足が三本有ります。日本サッカーのシンボルに選ばれたのは足が多いからと言うのもあるでしょう。

 さらに八咫烏は太陽を象徴する鳥です。神武天皇が日向国(宮崎県)から大和まで東征(東に向かって遠征)したときに、道案内をしたのがこの八咫烏です。太陽とサッカーボールという連想もあると思います。

 三本足の烏を太陽の象徴、あるいは太陽に住む鳥とする伝説は世界中に広がっています。支那の南部の伝説を集めた「准南辞」では東海の果てにあるの扶桑の木には三本足の烏がとまっていて、太陽を生み出すとされています。高句麗でも三本足の烏は天孫の象徴とされ、墳墓の壁画に描かれています。ギリシャ神話では、太陽神アポロンの使いは烏です。古い星座絵図の中には、烏座が三本足で描かれている例があるそうです。

 烏と太陽を結びつけたのは、太陽の黒点が烏に似ているからではないかと言われています。小さな穴から太陽光を採光して、像を壁に映せば太陽の観察は可能です。このようにして古代人も太陽の観察をして、黒点を発見していたのでしょう。

 しかしそれだけでは八咫烏が三本足であることの説明はつきません。私はこれには星座が関わっているのではないかと推測しています。

 この前書きました山天大畜の解説で、オリオン座(「星座早見検索小図鑑 下」より)の腰の三つ星を支那では参と呼ぶことを紹介しました。オリオンは支那ではもう一つ別の星座の名を持っています。オリオンの頭部に当たるφ星の細々とした星が小さな三角形を作っている部分を、支那では觜と呼びます。「くちばし」です。

 ここで"くちばし"と"三"がそろうわけです。ちょっと安直じゃないかとお思いかもしれません。けれどもオリオンの上半身を見てみましょう。オリオンの両腕を翼とみなし、ベテルギウスと觜とλ星とω星が作る四辺形を身体とし、三つ星を足にすれば鳥の姿に見えてきませんか?

 八咫烏座・・・に見えるかな?



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