死神くん作:えんどコイチ 連載時期(昭和58年?〜平成2年8月 月刊フレッシュジャンプ→月刊少年ジャンプ)
雑感
赤ちゃん狂詩曲(ラプソディー)(第1巻)
新しき旅立ち(第1巻)
因果応報(第2巻)
偽善者(第2巻)
おばあちゃんのあき地(第4巻)
神の選択(第6巻)
 
大岡裁き(第7巻)
蛍祭り(第9巻)
ひとり歩きのクリスマス(第12巻)
 
 
 
 

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雑感

私はこれがえんどコイチの代表作だと思っています。初連載作です。「ついでにとんちんかん」よりも前から書いているマンガです。

ストーリーは、主人公の死神が、人間(たまに動物の時もある)に死期が迫っていることを告げて、それによってその人間の運命が変わっていく様子を描くと言うものです。各話完結型。

世の中に対してかなりシビアな見方をして入る作品です。「とんちんかん」しか見たことがない人には「これが本当にえんどコイチか?」と感じられるでしょう。一応死者は満足して死んでいくのが基本なのですが、その「満足」と言うのも、一般言われる所の「幸せ」とは違っています。この作品の印象は読む人によってかなり違って来るでしょう。

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赤ちゃん狂詩曲(ラプソディー)(第1巻)

はずみで子供を作ってしまった高校生のカップルの話。

これは誰かが死ぬと言うよりも、子供を捨てようとする2人を死神くんが止めるストーリーです。

普通の高校生のタカシとゆかりは、カップルなのですが、クリスマスのよるにタカシが欲情してやちゃったところ一発的中で子供ができてしまう。タカシのほうは親から離れて一人暮しをしているので、当座は誤魔化せるのですが、やがて夏休みも終わって学校が始まるともう育てられなくなります。

子供を育てたくない、捨ててしまおうと言うタカシの身勝手さが目立ちますが、まあ高校生で子供ができてしまえば誰だだってああなるでしょうね。ゆかりの方はタカシさえその気ならば一緒に育てたいとは思っているのですが、タカシに押しきられてやっぱり子供を捨てようとしまう。

死神くんのほうは、捨て子を強いて止めようとはしないのですが(人生に過度に干渉することは禁じられている)、「どうせ捨てるのなら死ぬ危険のないところに捨てろ」と言います。これも結構厳しいですね。

死神くんはその子の未来を二人に見せます。孤児として寂しく生きて行く姿ですが、それでもやっぱり捨てると決断してしまいます。しかし…

この二人はまだ一応好きあって子供ができてしまったわけですが、いまや若年の売春が横行しています(援助交際などと言う言葉を私は認めない)。これほど真剣に思い詰められる人は何人いることでしょうか?

(2002/7/3)

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新しき旅立ち(第1巻)

これは、育ての親が子供を捨てて蒸発してしまう話。

実の母親は伊藤君(子供)を産んですぐに亡くなってしまいます。そこで紀子さんがお手伝いに来るのですが、やがて父親と仲が良くなって結婚します。しかしその父親も死んでしまって、家には紀子さんと伊藤君だけが残る。

伊藤君の父親は財産家だったらしく、生活には困らないのですが、「財産狙い」と言う世間の声に耐えられなくなって,紀子さんは伊藤君を捨てて蒸発します。それで伊藤君は紀子さんを探しに出かけるのですが、「危ないことをすればお母さんが助けに来てくれる」と思ってトラックの前に飛び出して轢かれてしまいます。ここらへんの子供の心理描写は見事です。

その通り、紀子さんは記事を見てお見舞いに現れます。目を包帯でぐるぐる巻きの伊藤君ですが、手を握った瞬間にお母さんだと気付きます。このシーンはすごいですね。でも紀子さんは伊藤君を置いて再び逃げてしまうのでした

このマンガ名台詞が多いです。
「あんたに会いたくてわざとトラックにぶつかったんだ」
「知らないわ、他人の子だわ」
「残念ね、人違いよ…」
「そうか 人違いか、子供を見放すなんて母親の資格ないもんなァ」

「あの子はあんたを母親だと思っているし、あんたもあの子を自分の子と思っている」

「なんだい、あんたは?」
「その子の母です」

「死神くん」には子捨ての話が多いです。私もそれが一番好きです。えんどコイチは概して育ての親の方に好意的なようですね。でも連載誌が少年誌だったために、読者の方には子捨てがテーマの話は評判が悪かったみたいです。
(2002/7/3)

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ひとり歩きのクリスマス(第12巻)

不治の病(筋ジストロフィー?)にかかった少女の聖美とそれを励まそうとする青年柴田君。しかし彼も心に病気を抱えていた。

自閉症にかかって腹話術の人形を通さないと他人と全く会話できない柴田青年。非常に現代的なテーマの作品と言えます。「こいつは俺がいないと何も出来ないんだ」と人形に言われてしまうシーン、人が物に支配されてしまうこともあるのですね。もちろん人形に仮託されたもう1人の柴田青年が言っているわけですが。最後のどんでん返しは圧巻です。

えんどコイチ先生が描く「美少女」私は好みです。ギャルゲー風のカマキリみたいな絵が横行していますが、私はあんな物は絵とは認めていません。

(2002/7/5)


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因果応報(第2巻)

いきなり三段ぶち抜きで子供が父親を刺すシーンから始まります。恐いですねえ。

俊彦はだらしなくて暴力を家族にふるう父を持ち、その父親を反面教師に生きてきたつもりだった。それなのに、かつての自分のように息子は父親を殺そうとした。一体なぜ?

死神くんは「因果応報」だと言う。子供を愛さない心が代々受け継がれているのだと言う。暴力を振るうのも、子供に生き方を強要するのも、子供を見ていないと言う点では同じなのだった。

そして非常に象徴的な場面が続く。傷は治ったが、包丁が刺さったままの俊彦の父親の魂。俊彦は父親を許すことによって、息子との関係も修復することができたのだった。

家庭内暴力やアル中と言うのは代々受け継がれる傾向が高いそうです。子供と言うのは始め見本が親しかいませんから、親の姿が心の深いところに刻み込まれていて、どうしても似たような行動を取ってしまう。俊彦のように、親を反面教師にしようとしている人も、表面的な反面教師で、もっと深い所の「家族を愛さない」と言う所で親そっくりになってしまう、ということは多くあるようです。

これを「因果応報」と表現したえんどコイチ先生は、日本人が昔からもっている物の見方を受け継いでいる人なのだろうと思います。今や「因果応報」は怪しげな前世療法や、女性脅迫産業の水子供養の専売特許になってしまいましたが、昔の人はこうやって代々受け継がれてしまう習慣なども因果応報と表現したのかもしれません。もっと深い意味があったのでしょう。えんどコイチ先生は新潟出身、北陸といえば浄土真宗です。真宗は特に縁起を強調する宗教です。それが現れているのかもしれません。 (2002/7/11)


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あこがれの私(第6巻)

引っ込み思案の少女(高校生?)の絵美。しかし、時々性格が豹変して、明るくて素直な女の子に変身する。それは双子として生まれて来るはずだった妹の由里が、絵美が寝ている間体を借りているのだった。けれども、腫瘍(由里の脳)を取り出すことになってしまう。それは由里にとっては「死」を意味していた。絵美は提案をする…


教訓とかは抜きにして好きな話。絵美ちゃんが好みの顔と言うのが理由かもしれないけれど、由里ちゃんは死んじゃうわけなのですが、いさぎが良くてきれいな話ですよね。

女の子の心理と言うのは良く分かりませんが、そんなに不細工でも悪い性格でもないのに、友達を変に理想化してくよくよする人と言うのが結構いるらしいですね。それが可愛く描かれていると思いました。簡単に自分が死ぬことを提案してしまう絵美ちゃんも、いかにも年頃の女の子らしいですね。俺なら人を追い落としてでも生き残るぞ!


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蛍祭り(第9巻)

主人公の研二君は村に唯一の工場のお坊ちゃん。この村では昔は川に蛍が飛び交っていたが、工場廃水と農薬のせいで既に見かけなくなって久しい。村の子供たちはひがみもあって、研二をいじめる。研二のおじいさんは村に蛍を戻そうと、蛍の餌のカワニナ(貝)を養殖して川に放しつづけていた。しかしおじいさんに死期が近づく。蛍を通して村の子供たちとの関係を取り戻す研二。おじいさんが死ぬ前に蛍を見せることが出きるのだろうか?


これが好きなのは、田舎のいやらしさがよく出ているからです。えんどコイチ先生ははっきりと、この村がもっているのは工場のおかげだと描いています。田舎が一番つらいのは、現金収入がない点です。農村・漁村は生きていく分には何とかなりますが、現金収入がないので、好きな服もおもちゃも買うことができません。でも工場があってそこで働くことができる場合、あるいは道路工事などの公共事業がある場合は、現金収入を得ることができます。研二君のお父さんは言います
「この村の半分は私の工場で職を得ているんだ!」
「でなけりゃ今頃誰もいない過疎の村になっていますよ!!」

子供たちが研二君をいじめるのもはっきりと「妬み」であることが描かれています。成功者は田舎で妬まれます。それがその田舎の出身者である場合はなおさらです。その妬みは本人(この場合お父さん)へは向わずに、その子供や妻といった家族へ向かうものです。世話になっている人であるからこそ妬むのは人間の常です。

蛍を川へ戻すためにおじいさんが行動しますが、「蛍の餌になるカワニナの養殖」です。非常に現実的です。こういう考えは、実際に目の前で蛍の生態を見ている人にしか思いつきません。

一番素晴らしいと思ったのは、研二君が川の汚染源について発言するシーンです。
「工場からじゃなく家から出る水も川を汚している。」
「一番の原因は畑や田んぼで使う農薬なんだ ボクだけのせいじゃない。」
そうなのです。マスコミは工業を攻撃しますが、工業排水はもう十分きれいになっているのです。昭和60年代以降、水質汚染の最大の原因は、生活廃水と農薬なのです。私達は工業を攻撃して自己満足に浸っている場合ではないのです。(2002/7/17)


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大岡裁き(第7巻)

主人公(30代の女性だろう)は、交通事故で死んだ姉夫婦に代わって姪の由美ちゃんを育てていた。夫婦で我が子のように可愛がるけれども、由美ちゃんは完全にはなついていないてくれなかった。そんな折、父親が体を壊したので実家の八百屋を手伝うことになった。主人公にとっては20年ぶりの我が家、由美ちゃんにとっても小さい頃まで実の両親と暮らした町に帰ってきた。事故現場では、お姉さん(由美ちゃんの実のお母さん)の幽霊が出ると噂になっていた。育ての親をどうしても受け入れられない由美ちゃんは、やがて幽霊と毎日遊ぶようになる。そしてついに幽霊は娘を自分のところに連れて行こうとする。死神くんに知らされて、必死で止めようとする主人公だが…


また似たような話を選んでしまいました(笑)。子供の、ある意味自分勝手さが出ているところが好きです。自分の子のように可愛がっているといいながらも、主人公夫婦は忙しさにかまけてどこか他人行儀になっていたみたいですね。

疲れて深夜にウィスキーで晩酌する姿にはなんか妙にリアリティーがあります。今のマンガ家にこういった生活感あるシーンを描ける人が何人いるでしょうか?精緻な絵とリアリティーはまた別なんだと思います。

最近思うのですが、子供は一時期親を捨てたいと思うらしいですね。自分の限界を知り始め、目標だったはずの親が実はたいしたことないオッサンオバハンに見えてくる。それで幻想の親と言うのを作る。こう言った気持ちと言うのは大きくなってもどこかに生き残っていて、育ての親と生みの親が違う人の場合は、このような心に振り回されてしまうことがあるのかもしれません。愛情とか感謝の念とは別に「一度でもいいから親を捨ててみたい」と言う誘惑が子供にはあるのではないかと私は思います。それが良いとか悪いとか言う判断はまた別の話ですよ。私は幻想と決別できた由美ちゃんが正しいと思っています。


さらに蛇足をすると…
幽霊になった生みの母は、子供を全て自分の物にしようとする母親の悪い面を、自分の子供の痛みを思って手を離した育ての親の方は、子供を認めた上で可愛がる母親の良い面を象徴しています。「大岡裁き」の物語は、世界中にあるそうです。あの話は遺伝上の母親がどっちかと言うことは問題にしていないんですよね。子供が嫌がるような過度の愛情は、本当の愛情ではなくて親の自分勝手だと言うことを説いた、人類に普遍的な物語なのだと思います。(2002/7/23)


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神の選択(第6巻)

医学生の雄二とその恋人の真奈美は別れる前の最後のドライブをしていた。雄二は、傾きかけた自宅の病院のために真奈美を捨てて銀行の頭取の娘と結婚しようとしていた。そこに、体を悪くした子供と母親、次に人を殺して逃亡中の男が乗りこんできた。男と雄二がもみ合う内に、車はガードレールを突き破って崖から飛び出してしまった。そこへ死神くんが現れる。この5人の中で一人が死ななければならないので、死に急いでいる人は名乗り出て欲しいと言う。しかしそれぞれ事情を抱えた人々は是ない。そんななかで真奈美は元々ドライブのあとに自殺するつもりだったといった。しかし真奈美の大切さを思い出した雄二はとめる。誰が死ぬかは決まらないまま、選択は神に委ねられた。病院のベッドで目覚めた雄二。彼は死ななかった。ならば一体死んだのは誰なのだろうか?


この話はラストのどんでん返しが全てです。そこまでの盛り上げにえんどコイチ先生の精魂が込められています。

この作品はカット割りが洗練されていると思います。やたらと大きいコマとか斜めのコマとかはないですが、動きがあります。やはりマンガは本来こうあるべきでしょう。(2002/7/30)


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偽善者(第2巻)

人質をとって銀行に立てこもる凶悪犯。彼の目的は金ではなかった。世の中に嫌気がさして、とにかく人の耳目を驚かしたくて犯罪を起こしたのだという。このままでは次々に人質が殺されてしまう。そこに死神くんが現れ、女子行員の一人を指差して「まず手始めに彼女を殺せ」とけしかけた。彼女は今でこそ善良な銀行員を装っているが、かつてはツッパリで、万匹・恐喝・シンナー・売春なんでもござれで、今も銀行の金を横領しようと計画していた、だから彼女ならいいだろう。彼女を呼びつけた凶悪犯は、服を脱がせたり、キスをするように要求する。黙って従おうとする彼女だが、そこにはなぜか卑屈さはなく毅然とすらしていた。イラつく凶悪犯。
「ちくしょうおもしろくねえなァ いやならいやではっきりいえよ 銃がこわいからやってんだろ!?」
「・・・・・・そうよ!」
「銃がこわいからやってんのよ!! あんたなんか全然こわくないわ!!」
似たものを感じ激しくぶつかる二人・・・凶悪犯は自分の気持ちを断ち切るかのように天井へ向けて猟銃を放った・・・


この話も映画みたいで気に入っています。冒頭の3ページはかっこいいですよね。

死神くんが何と殺人教唆!こう言った善悪で割りきれない所がこの作品の魅力だと思います。もちろん最終的な破局を防ぐための作戦だった訳ですが。社会的にダメな人間だから殺しても良い、と言ってのける死神くんはすごいと思います(最終的にはそうでないことが最後まで読めばわかります)。「死神くん」には「凄味」があります。

これ、ソドム事件に元をとっているのではないでしょうか?にしても似たような事件が増えてきていますよね。しかもこの主人公のようにハッキリとした不満とかがあるわけでもないのに、普通の生活をしていた人が自己主張だといって、考えもつかない凶悪な事件を実行する。この手の突発的な犯罪はふぜぎようがないし、損得ずくで説得できないからたちが悪い。(2002/7/30)


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おばあちゃんのあき地(第4巻)

都会の真ん中にぽつんとあるちいさな空き地。そこは子供達にとってかっこうの遊び場だった。しかし空き地のはじには、あばら家を立てて住む偏屈なお婆さんがいた。ガラスを壊したり落書きをするいたずら坊主を一喝。仲間外れにされていた女の子にあやとりを教えてあげたり。「わしは子供が嫌いじゃ!」と言う割りには子供と仲良く過ごしていた。

やがてお婆さんが亡くなると,その空き地がスーパーマーケットの建設予定地だったことが分かる。お婆さんは立ち退きを拒否することで子供達の遊び場を守っていたのだ。子供達の「お婆さんの空き地を守ろう!」という声が地域の人達を動かして行く…


中学生のときに引っ越しで,茨城の田舎から東京へ出て来た時に感じたことは,「都会には目的のない場所がない」ということでした。遊び場がないわけじゃないんですね。でも「ここは遊び場」となっているような遊び場しかない。何にも目的のないような場所がない。働く所,住む所,自然を残している場所全て目的が人間によって決められていて,どこか息苦しさ,狭さを感じました。(2002/10/3)


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