〜20世紀が生んだ至高の家庭和食料理書〜
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(書名)吉兆味ばなし
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たいていの料理の本は料理のテクニックに終始するものの、それを裏付けるセオリーに乏しい。試行錯誤で生まれた料理の集合体のようで、どうしてそのようにすると美味しいのかの説明が欠如している。従って読者はいつまでもセオリーそのものが身に付かないのであって、料理の本のはしごをすることになる。
私も料理の本のはしごを続けているが、理由は全く別で、本著のような料理の本を見つけだして再び○○文学賞の小説にも負けない感動を味わいたいからである。私は当時ひとりの手料理人としてこの本に出会ったが、私において手料理にはなくてはならない本になった。家事従事者を含めた料理の専門家に与えた影響も大きかったろう。この本がきっかけでプロの料理人になったという人がおられても少しも不思議ではない。
この本で私が共鳴しなかったのは、湯木さんが納豆に卵黄を入れることだけである。その他共鳴できなかった部分もその後の実践や食材との出会いで必ず湯木さんに軍配があがる。私の十八番になったものは約8割。驚異的な打率である。
湯木さんにとって最も大切なのは素材の出会いである。調味も醤油にするか塩にするか、そんなことも素材がどちらの方が引き立つかである。外見を味覚より優先することは家庭では絶対にいけないとお叱りの言葉。生でいただくのが一番美味しいものは生でいただき、焼いていただくのが一番美味しいものは焼いていただく。煮ることも蒸すことも必然なのである。
湯木さんは料理屋の仕事(料理)と家庭での仕事(料理)をきちんと区別している。お互いに上下関係はない。目的がお金をいただくことと家庭の団らんを守ることの違いであると。名料亭「吉兆」の献立が時折、歳時記のように紹介されるが、本著はどの料理の本よりも「よき」家庭に的を絞っている。読んでいて自己嫌悪に陥る家事従事者もおられるだろう。
しかし、やはり本著を実践するには経済力は要求されよう。そこいらのスーパーの食材は「フライにしかなりません」と言われそうだ。湯木さんの知らないうちに大衆の食材の質はどんどん低下しているようである。生ずしなどに使える鯖は築地にでも行かないと東京人には入手できないだろう。
私が「ああこれは湯木さんからの直伝だな」と思うのはふんだんに調理で日本酒を使う時である。大さじ小さじではなくカッブ単位の量を使うのだ。水を一滴も入れないこともある。京都店では掘り立ての筍を茹でずに酒で煮るという。湯木さんという人はそういうダイナミズムも併せ持つ料理人なのである。
「味ばなし」のシリーズは全部で4册。重複する話題もあるが、すべて揃えられて決して損はない。至高の名著群である。
2001.8.21 コンノート