〜歴史上のベジタリアンたちの姿を鮮明に描く〜
| (書名)ベジタリアンの文化誌 (著者)鶴田静 (出版社)昌文社 (ISBN)4-7949-5843-9 (価格)本体\1,942 (版)1996年5月10日 第9刷 |
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一般的な食生活を送っている人間にはベジタリアンという人々は世間との一線を越えたところで生活しているように思える。お坊さんが永平寺などに籠もって精進料理という菜食で修行の日々を過ごしているのは、何となく宗教上の理由で理解できるが、そのような宗教上の理由を持たない人たちが菜食をするのに「違和感」を感じるからだ。
確かに欧米人にベジタリアンは多い。なかにはタバコを吸うベジタリアンも少なくなく、ベジタリアンをヘルシーな人々と短絡すると、全く理解できないことになる。しかし、私の知人の欧米人に占めるベジタリアンの比率は高くなっている。
アイルランドのバリマルー料理学校でベジタリアン料理を作ったり、近くの町のベジタリアンレストランで食事したり、その一画に触れてみると、バターや卵・クリーム・チーズなどが多用されていて、美味しいけれども、ヘルシーという印象は全然なかった。なのに何故ベジタリアンなのか。それを知ろうとしてこの本を開いた。
いきなり結論っぽくなるが、この問いにこの本は簡潔に答えてはくれなかった。古代ギリシアの哲学者から宮澤賢治まで古今東西のベジタリアンの生き様が克明に書かれているが、個々は個々の意志で菜食をしていて、流れというか輪郭がみつけにくい。ベジタリアン全体の教義というものはないのだ。従って、入門的なアウトラインは他の本にゆずらなくてはならない。
しかし、実際に「ベジタリアン入門」なんて本はあるのだろうか?ベジタリアンの彼らからして自由を愛する人が多いから、他人を誘い従わせるような入門書なんて少ないのかも知れない。(もちろんベジタリアン料理の入門書はある)反対に自分の信念が強すぎて教条的な本なら少なくないだろう。この本にも若干その傾向が見受けられる。
そうして私は納得できないままこの本を閉じて、あるベジタリアンのウェブサイトを覗いた。そこでは、世界レベルでの食糧の問題から、土地あたりで非効率な食べ物しか生産できない肉食を避け、危惧されている地球規模の飢饉を未然に防ごうと訴えていた。これはベジタリアンの考えのひとつに過ぎないが内面的ではなくて社会的な主張だから納得できた。
その後、この本をサッと読み返してみたら、いままで退屈して読んでいたページが面白く読めた。内面的な考え、例えば「生き物を他人に殺してもらう(畜殺)ということ」とか「農民の視線で暮らすこと」などがベジタリアンに対する私の意識を変えていった。読者も読み方を工夫されたい。
いま金銭的に肉食(特に豚や鶏など)することが止めにくい状況にある。健康志向と違ったサイドからここで肉食を考えるのも悪くない。
2001.2.28 コンノート