【13世紀〜のコルセット】

コルセットはフランス語で『コルセ』と言われます。
このコルセは、13世紀〜15世紀のフランスの婦人が用いた衣装の名前として使われていた 記録もあります。 中世期のコルセットについての解釈はさまざまなのですが、13世紀頃のものは今と違って 短い袖のついたワンピース型衣服で、胴の細いことが特徴でした。
最近のコルセットは背開きのものですが、このコルセは前締めされるものだったようです。

15世紀頃になるとコルセはさまざまな方法で用いられるようになりました。
形は胴と袖がぴったりとして、ゆるやかな長いスカートがつきました。袖は肘上までの長さで、 その先からはシュミューズ(肌とコルセットの間に着用した下着)をのぞかせたりもしました。 衿ぐりはシュミューズと同様に大きく、前中心は胴の下までぴっちりと紐締めされます。

他に、シュールコー(13,4世紀、コットの上に重ねた男女の表着)と同じ形態のようなものや、 コット(13,4世紀、ヨーロッパの男女が着用した内着)のようにもちいるものもありました。 いずれにせよコルセは全てワンピース形式で、細いウエストを特徴としているものでした。



【ルネサンス期のコルセット】

ルネサンス期からフランス革命の間、婦人達の熱愛していた胴着は革命後のエンパイアスタイル (1804〜15年を中心とする簡潔で直線的なスタイル)の服装様式の流行とともに 姿を消してしまいました。 エンパイアスタイルには胴着らしいものは何一つ用いられていなかったのです。

一方、植民地との海外貿易を背景に独自のモードを確立しつつあった英国は、 フランスとは少し違っていました。 英国婦人が胴に何もつけていなかったのは1800年の直前の間だけであったと言われているからです。 1800年を過ぎると数多くのコルセットメーカーの広告が目に付き始め、 1807年の新案コルセットについての宣伝文を見ると、『伸縮性に富む綿製の胴衣は従来のように 脇下で強く紐締めするような不条理なものではなく全ての欠点を改良して真のギリシア的体型を 整えるのに役立つものである。』と記してあり、また 『それは肩の線を美しくし、肥満の婦人のためには胸を小さく見せ、やせた人には豊に見せるのに 役立つだろう。』とも記してあります。 胴体を鍛える工夫はフランスよりも英国の方が進んでいた事になります。



1810〜11年頃、女性の衣装のシルエットに変化が目立つようになりました。 その頃に、『ニノン製コルセット』という胸から腰にかけて整える長いコルセットが考案されました。 それは、綾織の綿布(糸の入り混じったような状態の綿布)や バクラム([backram]および多くの鯨鬚[くじらひげ])を用いて作ってあり、前面の上部は胸の形を 整えながら乳の上まで覆うように構成されていて、背の中央で紐締めされていました。

また、私たちオ想像できるコルセットはウエストラインの下辺りまでのものだと思いますが、 これは腰まであり、そのふくらみを整えるために三角形のまちを入れて工夫してありました。

なお、この頃から紳士の間でも胴を細くするためにコルセットを用いていた事も分かっています。



【王政復古時代のコルセット】

この王政復古時代へと社会が安定してくると再び胸に対するコルセットの容赦ない横暴が 目立ち始めてきます。 エンパイアスタイルが流行している間コルセットはほとんど必要ありませんでしたが、 胴を細めて体つきを人工的に整える風潮が高まると、何よりもまずコルセットに関心が集りました。



そのため、胸から腰の辺りまでを包むコルセットが創案されたのです。 新型コルセットは全体的に柔らかく仕立てられており、鯨鬚をたくさん使用していた 従来のものと比べると胴を無理に締め付けるようなこともなく、体つきを不自然にゆがませる事も ありませんでした。 裁断や仕立ての仕方にも一段と進歩が見られました。例えば、胸のふくらみの部分はそれぞれ2枚、 またはそれ以上のまち布を挿入して作られており、胸のまち布は逆三角形の布を胴衣の上端から 差し込むようにして縫い付けたものでした。 同じようにして、腰の部分も両側に胸の部分より大きいまち布を1〜2枚ずつ付けて ふくらみを形作った事が認められました。