19世紀半ば頃までにコルセットは大変短いものになりました。
紐締めなどに関しては、1840年代までは一般に後ろ中心で紐締めされていました。
紐通しの穴はルネサンス期以来差ほどの変化はなく、直径7oくらいの穴の周囲を糸で縫ったに
すぎませんでした。
しかし1828年に金属の鳩目(紐などを通る丸い穴の金具)を用いる事が創案されてからは、
この部分は丈夫になり強い紐締めも可能になりました。
また、1847年には前中央を特別なクリップで留める形式も現れ、この形式は大変便利な為
大いに普及し、一般化しました。
コルセットの仕立ては全てにわたって衛生や動作の自由を配慮するようになり、
1850年代には堅い鯨鬚は減少し、これに代わってキルティングなどで堅さをもたせる手法が
考えられました。
コルセットは一般にズック布などのしっかりした綿布で作られていました。高価なものは、絹、
サテン、その他の美しい布製で色は白よりも赤、黒、灰色などの色物が好まれ、
いずれも白い裏布がつきました。
クリノリーヌの流行が衰えてから西洋の女性の衣装は急速にほっそりした形を形成しました。
コルセットはすっきりした形を整えるためにも必携のものとなったのです。
1870〜80年代には、コルセットの技術は著しく進歩してもはや家庭での縫製は不可能となりました。
(1840年代後半、モード誌もコルセットを取り上げて仕立て方を載せたため、一般婦人は型紙を
用いて家庭で仕立てる事が多かったと言われています。)
全ての面で工場生産が発達しつつあった事や、縫製ミシンの採用もコルセット製造を
促進させました。
一方1860年代の末に、スチームで仕上げる方法が創案されました。
つまり、コルセットが出来上がってから全体に堅く糊付して金属製の形に合わせてスチームで
形作りながら仕上げるのです。
この方法は貼り骨挿入法や仕立ての進歩とともにコルセットをいっそう合理化にし、
現代化へと導きました。
コルセットの長さは1875年頃までは比較的短かったものが、スカートのふくらみが縮小し
クリノリーヌも腰当も廃れて、胴体から腰にかけてほっそりとしたシルエットが流行すると
腰の曲線を整えるコルセットが必要となりました。
1876年頃のものは前中央の部分に堅いバスクが入っていて、これが胴から腹部にかけての曲線を
形作りながら下腹部まで伸びていました。
あきは、前中央がクリップ留め形式で、後ろ中央を紐で調節しました。
また、布地はますます美しく装飾化されました。
例えば1880年代のあるコルセットは黒サテン地と黄・青・赤・緑・ピンク色などで装飾され、
貼り骨の挿入箇所はそれぞれさまざまな刺繍のステッチで装飾されました。
高価なものは色物の絹・サテン・刺繍入りの絹・ブロケードで作られ、絹、または麻布の
裏布がつきました。
安いものは、灰色・黄みがかった白・または黒などのズック布製で、白綿布の裏布がつきました。
また、夏物は軽い鯨鬚を用いたチュール布製でした。
1880年代のイブニング用コルセットとしては特に青色のサテン製のものが、
1890年代には黄色が好まれたという事です。
コルセットはまだその頃、装飾用のペティコートの上に着用する習慣だったので、
美しいコルセットはペティコートの胴体の役目も果たしていた事になります。
そのためペティコートを直接コルセットの下のほうにボタン留めして
ひと続きの下着のように装うこともありました。