― 1965年7月2日(金)午後10時、マドリードのラス・ベンタス闘牛場で行われたコンサートにて、
司会者トレブルーノによるビートルズ紹介の言葉
暫定版 β1 公開 2000.7.10
同 β1.1 一部修正 2001.3.10
同 β1.2 「ライブ記録」の項に記載を追加 2003.8.22
同 β1.3 サンタ・イサベルについての記述を追加 2003.9.15
1965年の夏、ヨーロッパ・ミニツアーの一環として、フランス、イタリアそしてまたフランスと廻ってきたビートルズは、7月1日に最後の目的地であるスペインの地に足を踏み入れました。ここでは彼らが南欧の暑い日差しのもと、この国で慌ただしく過ごした4日間の足取りをたどります。
ビートルズの4人がスペインを訪問したのは1965年7月が初めてではなく、それ以前に、それぞれプライベートで来たことがあった。そのうちジョンはエプスタインと、いくぶんホモちっくな休暇旅行を楽しんだ経験があり、残りの3人もクラウス・フォアマン家の別荘を訪ねて、アフリカ沖の大西洋に浮かぶスペイン領カナリア諸島で過ごしていた。しかし、グループとして演奏のために訪れたのはこれが最初で最後の機会だった。
しかしジョンだけは、映画「How I Won The War」撮影のためほどなくスペインに戻り、そのさなかアルメリア Almería の地で、名曲「Strawberry Fields Forever」を作曲することになる。
この試飲会中に撮られた、シェリーの樽の前でフラメンコダンサー
(ウルタード姉妹) と写っている写真がよく知られているためか、シェリーの産地として有名なヘレス・デ・ラ・フロンテーラをビートルズが訪れたと誤って伝えられることがあるが、実際にはこれは彼らが宿泊していたマドリードのホテル内で行われたものである。参考資料によると、マーク・ルイソンの「Complete Chronicle」にさえ、この誤りが引き継がれているようだが、邦訳「ザ・ビートルズ/全記録」では幸いそのような記述は見当たらない。
ただし、邦訳には重大な誤りがある。別冊付録「索引・完全データ集」の447ページに、「グループはヘレス・デ・ラ・フロンテーラでライブは行っていないが、訪れてはいる」といった趣旨のことがもっともらしく書かれているが、全くのでたらめである。ビートルズはヘレスを訪れてはいない。醸造所を訪れる時間がなかったため、マドリードのホテルでの試飲会となったのである。
ついでに言うと、上述の邦訳書でこの町を「イェレズ・デ・ラ・フロンテーラ」と呼んでいるが、そんな名前の町はない。「Jerez」をてきとーにスペイン語っぽく読んだのだろうが、正しい読み方は地図などを調べればすぐに分かるはずである。シェリーの産地として世界的に有名な町なのだから。
スペインでの公演は2回とも、いかにもスペインらしく闘牛場で行われた (とはいえ東京でも、本来は武道競技場である武道館をコンサートに使っているわけだから、似たようなものと言えるが)。現在でも、普通のホールでは小さすぎるがサッカー場では大きすぎるようなコンサートの場合、マドリードではラス・ベンタスが使われるが、元が闘牛場だけにアリーナの床は土で、ライブが盛り上がるにつれそれが舞いあがり、ひどい土ぼこりまみれになってしまうのが難点。
2部に分かれており、前半は前座の演奏だった。
主役の登場を待ちかねた観客は、ほとんどの前座に対して野次やブーイングを浴びせかけた。それでも、Beat Chics、Trinidad Steel Band や地元バンドの Los Pekenikes などは比較的好意をもって迎えられたが、Martin's Brothers や Michel にはことさら非友好的な態度を示し、特にこのラインナップの中でも浮いていた後者は、観客に促されて退場するはめになった。
Y ahora sí que ha llegado de verdad el momento. Sí, queridas amigas y amigos, aquí están, por primera vez en España, los fantásticos, los únicos, ¡los Beatles! (さて、いよいよお待ちかねのこのときがやってきました。さあみなさん、スペインで初めての登場となる、すばらしい、唯一無比の、ザ・ビートルズです!)
ジョンはコルドバ帽 (てっぺんと縁が平らなスペイン特有の帽子。著書「A Spaniard In The Works」の表紙などでも着用しているのを見ることができる) をかぶって登場
演奏曲は次のとおり。
いつもどおりアンコールにはこたえず、演奏時間は全部で40分ほど。
入場者数は約1万2千人。これは会場の収容人数の約半分であり、少ないように思われるが、これには以下のような理由が考えられる。
まず、当局の嫌がらせにより、コンサート開催の正式な許可が下りたのがわずか7日前で、事前の告知が不十分だったこと、また、秩序を維持するという名目で山のように会場周辺に配置されていた警官隊が、怪しげな者を――例えば長髪だというだけで――かたっぱしから拘束しており、会場に近づけなかった者も少なくなかったことなど、いずれも当時のスペインの社会情勢に由来する特殊な事情である。
14時45分発イベリア航空214便 (通常の定期便)
でバルセロナに移動
ムンターダス Muntadas 空港に到着
ホテル・アベニーダ・パラスに向かう
記者会見
インタビュー
(注: 「全記録」245ページや別冊索引集448ページでいうような「モニュメンタル」ではない)
マドリードのライブとは前座のメンバーが一部異なる。
全般的に、マドリードよりも観客の反応は暖かく、特に地元出身の Los Sirex に対しては熱狂的な声援が送られた。
音楽雑誌「フォノラマ」によって録音されたマドリード・ライブの音源と、NO-DO (ニュース・ドキュメンタリー映画社) が撮影したマドリード、バルセロナのライブ映像がある。
65年夏のヨーロッパ・ミニツアーでは、現在までにパリとローマの計4公演の音源が知られているが、第5の音源としてマドリードでのライブのもようをとらえた録音が存在するらしい。
参考文献によると、音楽雑誌「フォノラマ」は、ブライアン・エプスタインとスペイン公演のプロモーターの許可のもと、4本のマイクと1つのミキサーを使い、2トラックのテープレコーダーでマドリード公演の全曲を録音していた。
しかしながら、この参考文献の刊行時までのところ、この音源は1994年の夏にスペイン国営ラジオの番組で一部が流されたのみで、その後も「The
910's Guide」に記載がないことからすると、残念ながらその全体像は現在に至るまで未公開のままのようである。
参考文献によれば、NO-DO (ニュース・ドキュメンタリー映画社) はビートルズのスペイン公演に関して、マドリード、バルセロナのライブ映像を含む約30分のフィルムを残している。
マドリード Madrid
バルセロナ Barcelona
ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ Jerez de la Frontera (Cádiz)
(おまけ) アルメリア Almería
参考文献:
E. Sánchez y J. de Castro: Olé,
Beatles!, Pagès Editors, 1994 (ISBN 84-7935-220-5)
マーク・ルイソン: 「ザ・ビートルズ/全記録」,
全2巻, プロデュース・センター出版局, 1994 (ISBN 4-938456-23-0/24-9)
Doug Sulpy: The 910's Guide to the Beatles' Outtakes Part 1, 4th edition, The 910, 2001 (ISBN 0-9643869-1-7)