T 大人のサリンジャー〜ダグラスケネディー
まず最初に悪夢路線3作(「仕事くれ。」「ビッグピクチャー」「売り込み」)を2週間あまりで読み終えた。主人公の年代が自分に近いため読んでいて面白い。退屈だが安定した生活の貴重さを失ってみて始めて理解できるというおきまりのパターンなのだが、不思議と飽きないテーマだ。良い教訓にもなる(笑)そして今更ながらに感じるのは登場人物が日本と比べ男女共に喜怒哀楽、恋愛も含め感情表現がストレートで強力だということ。ただし特に女性についてはどれもみな同じようなタイプすぎるきらいはあるが。それと、これも西欧の特徴とは言え現代小説とは思えないような各セリフに取り入れられる古風で大げさな装飾的形容詞、言い回しの数々。こうした会話が実際にはそこまではいかずともある程度日常のなかで交わされているとすれば、やっぱりそれはそれで日本とは比べ物にならないくらい面白い世界だな、と思う。それと前にも書いたが赤の他人に対する圧倒的な垣根の低さ。特に「ビッグピクチャー」の後半で舞台がモンタナのような田舎になるとなおさら顕著だ。これこそが俺の憧れる世界なのだ。
さてお次は女性もの(これも全部で3作)だが、今のところ翻訳されているのは1作のみ。果たして残りの2作が待ち遠しくなるかどうか・・・。そんな思いで読み始めた「Pursuit of happiness」。ブータンの国家スローガンのような題名のこの作品を読み始めた時、正直悪夢路線3作の起伏のあるストーリー展開と比べると地味な印象は否めなかった。DK独自のウイット溢れる登場人物たちの言い回しなどのおかげでなんとか読み進めていたようなものだ。だがそのうちにこの題名が実は俺自身のライフスタイルそのものをズバリと言い当てていることに気付く。とりわけ熱烈に誰かの事を思ったことがある人間には、この物語はグイグイと心に迫ってくる。どんなに相手を傷つけ破局するくらいの事態になっても、本当に好きになった相手のことはそうそう忘れることはできない。「ジャックのあとでは誰に会おうと誘発されなかった」あるいは絶縁を言い渡したもののにぶる決心。これはまさに体験したものにしかわからない言葉であり心理なのだ。相変わらずやや強引な筋もあったりはするが総じて俺はDKという男の一見軽そうな見かけとは正反対の文学青年っぽいところが好きだ。女主人公もいわゆる主婦っぽい小市民的なメンタリティーを嫌い、一見よそよそしいが実は情熱的でインテリで独立心旺盛というなんとも俺にとっては魅力溢れる性格の持ち主だ。戦後まもない時代のアメリカ人がどの程度保守的だったのか、そんな中でそのような女性が存在し得たのかそのあたりはよくわからない。ただ少なくとも日本のような戦争による負の要素は作中に全く見当たらないところはやっぱり戦勝国なんだなと思う。それと一応現代小説の部類に入れていいであろうこの物語が、数ある古典と呼ばれる小説に負けない本格恋愛ものであることの貴重さもあげておきたい。とりわけ現代においてはいろいろな娯楽や題材にあふれすぎてしまいこうした純粋さそのものが失われつつあるからだ。作中に登場する固有名詞の数々も結構楽しめる。登場人物たちはチャーリーパーカーやリチャードライトと実際に交流を持ちTVディナーやサリンジャーについてコメントする。とにかく読み終わった時この作品は当初の予想に反していつのまにかDKの俺の中でのトップ作となっていた。残りの2作、特に俺の好きな60〜70年代を時代背景にした作品の翻訳も首を長くして待つことになりそうだ。
新潮文庫から出ているDKの全作を読み終えた俺は次にアマゾンドットコムで彼の他の著作を探してみることにした。すると「どんづまり」というフィクションデビュー作とその前のトラベルライター時代の3作中2作の邦訳が入手できることがわかった。そこで俺はDKにまたもや驚かされることになる。洗練された恋愛小説の傑作を読んだあとではいかにDKとは言えデビュー作ならそれほど大した出来ではなかろうとタカをくくっていた。そして読み始めた時は予想通り悪夢路線で多少残っていたコメディー色がまだかなり支配してるなという印象でしかなかった。だが最初の驚きはこれはきわめて個人的な嗜好になってしまうのだがアンジーという女の子の予想もしていなかった魅力だった。それは思わず歓声をあげたくなるものだった。肉付きがよく6フィートちかい長身で豊満なヒップ。しかも前世紀のような集落から出てきた超田舎娘で肉欲の塊のような女。だが物語自体は決して安易な猥談小説などではなくそれこそ手に汗握る「悪夢路線」でしっかり楽しめる。さらに端々には60〜70年代の洋楽が登場。
トラベル小説も悪くなかった。そこでは常にモノではなく人に焦点が当てられている。例えば「エジプトの日々」は日本人が好むような遺跡めぐりといった観光旅行紀なんかではなく、現地の人間との交流に主眼を置いた紀行文だ。ここでも他人との垣根の低さは如何なく発揮されている。しかもノンフィクションであるだけに逆説的にああ本当に日本人は赤の他人にはよそよそしいんだなと実感する。物質文明により景観やものの考え方が侵食されるのを憂うが、いざ同化しようとすると適度な快適さからは所詮抜け出せないというDKの正直さにも共感が持てる。「カネのなる木を探して」ではさらに等身大のDKの取り巻きたちのやりとりが楽しめる。多少は脚色しているだろうがそれらは彼の描く小説の中の登場人物たちと遜色ない世界で、ああこれなら無限の可能性に満ちた出会いが実現できて人生楽しいだろうなと思ってしまう。ついでに世界各国の事情も良くわかるためになる本でもある。こうして気がつくと国内で入手できる彼の翻訳本は全て制覇してしまったというわけだ。
U 恋愛小説〜非道徳
自分の中で「美しい物事」というものがハッキリ確立している場合の恋愛ってやっかいだ。それは、その対象が「人」ではなく「立場」であり「モノ」だからだ。彼女にもそういうところがあった。香ばしそうなくるぶしが好きな彼女。相手が好きというより、相手に好かれているということにうつつをぬかす彼女。「色彩の息子」の解説の女の子が彼女の「うつつをぬかす」という言葉を拡大解釈して、恋愛一般としての広範囲な営みにあてはめようとしていたが、俺が思うに彼女は間違いなく「好かれている」という特定の快感に対することだけにその言葉を使っていたはずだ。解説の女の子は恐らく相手から好かれているということに「うつつをぬかす」ほどの体験をしたことがなかった。何故ならそれはある種うしろめたい気持ちを伴うものであり、自分のなかにある「冷たい感情」を駆使したものだから。それでもどうして?と聞くのならば、じゃあ何故「好き」ではなく「好かれている」と思うのか?ということだ。そこには純粋な恋愛の枠に入りきる事のできない孤独な感情が隠されていると言っていい。したがって恋愛を美化するための言葉でも何でもないのだった。だから「相手の純粋さが好ましかった。私は純粋なんかじゃなかった」という彼女の屈折した一面に真から共感し、共有する喜びを思いがけず味わうことができたのだ。彼女はそういった気持ちを表現するために「うつつをぬかす」という俺が思いつくことのなかった言葉を使ってみせた。俺はその言葉にびっくりすると同時に目からウロコ状態に陥ってしまっていた訳だ。
彼女・・山田詠美とは一体どういう人物なのか。それをもうちょっと具体的に知ることのできる表現が今度は違う解説者の文によって明らかにされた。それはまだ本文までは読んだ事のない長編小説の解説だったが、本屋でチラっと立ち読みしただけで、すっかり俺の頭というか体の中にその文章が染み込んでしまった。曰く彼女は「非道徳な恋愛作家」なのだと言う。ただ、それはひたむきで自分の気持ちに真正直な真摯な態度を証明することはあっても、決して人格そのものを否定するものではない。むしろ他者との折衝に苦労しがちなキャラでありながら、自己に正直に生きようとする彼女のスタンスは多くの共感を呼ぶだろう、というものだった。
非道徳・・これは谷崎にもあてはまるカテゴリーであり、当然俺自身もその中にどっぷりとつかっているのだった。だから詠美と同じように「純粋さ」がまぶしく見えてしまう。それにひたりたいと思うけど長続きできない。でも皮肉なことに「純粋さ」だけでは物語にはなりえない。平凡で仲の良い一組の夫婦がいました、でおしまいだ。人間の持つ欲望や邪悪さが読者である他人を惹きつける。ただそれは意識してできるものではない。あらかじめ特定の人間にのみ内包されたものなのだ。だから当然本人にしかわからない苦しみもある。「不倫」という言葉に最初は反発もしたが、考えてみたら良く出来た言葉だと思う。「純粋さ」の対極にあるもの。どんなに本人が素晴らしいもの、正しいものだと思ってみても、それは麻薬の持つ一瞬の素晴らしさでしかない。刺激的ではあるが継続するには体力がいる。だが薬がキレルとまた欲しくなる。その繰り返しだ。
ところでその内なる声に忠実な繰り返しを非道徳と考えない人達がいる。それが所謂欧米のスタイル。俺は18年前、渡部昇一の「人間らしさの構造」を読んで以来「内なる声」を大切にする考え方を自分の中のバイブルにしてきた。それが非道徳にならない社会では、そういう行為が本人や周囲のストレスになることがない。もちろん愛憎や嫉妬のない世の中などない。あくまでそういう傾向が強いということだ。これは推測の域を出ないが(何しろ俺は詠美の本を2冊しか読んでないので)彼女の欧米志向も自分のスタイルを受け入れてくれるそのような素地があったればこそなのでは、という気がしないでもない。
俺自身も今までブコウスキーやH・ミラーの中にそのような非道徳な世界を見つけてきた。基本的に本は自分を啓蒙する手段として読む場合がほとんどだから、それ以外の恋愛小説や青春小説はほとんど海外のものしか読んだことがなかった。映画もそうだが恋愛ものは海外もののほうが圧倒的に読んでてストレスがない、というのが一番の理由だった。そんな中で今回詠美を知ったのはかなりラッキーだったと言えるだろう。
で、その長編小説
「トラッシュ」の主人公ココは真面目に男を愛することしかできない、恋愛にひどく几帳面な日本人的な女の子だった。(実際日本人なのだが)いっそ誰かと結婚しちゃったほうが幸せだろうに、子持ちの男と同棲なんかしているから苦しむことになる。この本はジュンコが俺にプレゼントしてくれた。そのジュンコが気に入っている本というだけあって、ココという女性からはどうしてもジュンコがオーヴァーラップしてくる。その同棲相手であるリックは愛情表現が苦手で、どうも黒人という設定には無理がないだろうか?どう考えても日本人だと思えてしまうようなところがある。そのわりにセリフが長い上に女々しい。「俺」という主語を除けばとても酒や女にルーズなダメ親父の言葉には聞こえないところはやはり女性作家の文章だ。ココが同棲相手のリックのそういう不摂生に耐えられなくなり、新しい年下の男に近づいた時そのあまりの純粋な愛に相手の年下男ランディーは「自分が男であることをこんなに強く意識させてくれる女性と会ったことはなかった」と感じた。これは「うつつをぬかす」と同様俺の中では名セリフに推薦したい。それは俺がジュンコに感じた気持ちにかなり近い。
ところで俺が個人的に注目したシーンは、そのランディーのベトナム人の友達が白人のぽちゃな既婚女性とできていて(この組み合わせはなかなか良い!)ランディーとそのとりまきたちに馬鹿にされるというところだ。そのぽちゃ女性はこの本に出てくる登場人物達とちがってスレたところがなく、その体型や白人であることも含めてある意味俺の理想女性なのだが、この本での取扱われ方は可哀相なもんだった。そのランディーの態度に違和感を持つココのどこまでも真面目なところにも、少々疲れてしまうのだが。きっとぽちゃ女性をバカにすることだけではなく、逆に俺のように崇拝するような奴のことも彼女は受け入れないだろう。「恋愛ってそんなもんじゃないのよ」って説教されそうだ。まあいろいろ偏屈なことも書いたが、この本が大人の男女交際のための良く出来た教科書であることは間違いない。これを読む限りは(この作品が彼女の中では比較的正統派路線であることもあるが)道徳的恋愛本というカンジがする。
V 企業小説〜現代史のフィルター
小中学生の頃、日本史は好きな科目だった。日本史というより人物史というべきか。ところが近代・現代くらいまで来ると大抵時間切れになってしまう。30を過ぎて自分史を振り返る時、とりわけ無意識のうちに自分が生きてきた昭和40年代頃〜平成にかけての現代史に対する興味がふつふつと沸いてくるようになった。だが現代史だけは歴史の本や教科書を読んで理解しようとしてもあまり効果がない。そこで登場するのが企業小説だ。最近思うのは企業小説こそが現代史を知る上での格好の材料なのではないかという事だ。
小学校高学年の頃、新聞に載っていた政治家をはじめとする著名人の似顔絵を集めていたことがあった。現福田幹事長のお父さんである福田赳夫と大平正芳・中曽根康弘・河本敏男の4人が総裁選に出馬していた頃である。ロッキード事件などと言われても、何のことやらわからないながらもその当事者であった、田中角栄・児玉誉士夫・小佐野賢治などの似顔絵などを切り抜いていた。描き手の山藤章二の名前すら知るよしもない。だが今にして思えば顔と名前がピーンと一致する似顔絵とは便利なものである。
昭和史を理解するには小佐野を知るべしと自分で勝手に判断して大下英治の「梟商(きょうしょう)」を読んだが半分もいかずに投げ出してしまった。その後、清水一行が取り上げていた同じ小佐野ものの小説は難なく読むことができた。大下の文章は実録小説と呼ばれるだけあって緻密でよりドキュメントタッチであるのと、多くの情報を一度につめこうもうとするきらいがあって日本史の教科書や歴史書を読んでるような感じになってしまう。もちろんそれでも小説だからちゃんとセリフもあるのだが、長編小説として読むにはちょっと根気がいるし、俺のように暗記力のない人間には人名を覚えることにばかり頭を使ってしまって話しの展開まで読み取るのが一苦労だ。その点清水の場合は登場人物の家族問題などプライベートにも字数が割かれており血が通っている感じで劇画タッチに近い。セリフの中で登場人物の名前や状況説明を何度も繰り返してくれるので理解も進み易く、一度で覚えられないような俺のような頭の悪い読者には有り難い。高杉良についても同じ事が言える。いわゆるつめこみというか事実の羅列は最小限にとどめられている。彼の場合は人事抗争に主眼を置いたものが多いので、むしろ仕事そのものに関する記述は思ったより少ない。そうは言っても彼が俺の中での企業小説の第一人者であることは間違いない。ヤマト運輸について書いた彼の本などを読むと、今まで何気なく使っていた「宅急便」とか「宅配便」という言葉にも意識が行くようになって本当に楽しい。それと清水にしろ高杉にしろ、仕事をはなれた男女間の心像風景にもストーリーが及んでいるので、それがいいバランス感覚を持たせている。恋愛ものというのは、そればかりでは食傷ぎみになってしまうし、それだけを読む目的にしてしまうとそれ以外のところが頭に入っていかない。反面シビアな企業内抗争やサラリーマン社会があくまでメインで、その中のところどころでふっとプライベートなストーリーが入ってきてくれるほうが読むほうとしては新鮮だ。
アメリカかぶれの俺が世界史より日本史が好きというのは自分でも意外な気がするが、現代史に関しては日本も世界もない。どちらかというとそのグローバルなほうの視点で現代史の教科書たる役割を演じてくれているのが落合信彦だ。ケネディー暗殺からCIAなどの諜報機関についての記述、はたまた現代日本の様々な病巣についての批判など、その書き方にはラディカルというか強引なところはあるが、それこそ両刃の剣で、そういうところがないと読み物として面白くなくなるという側面も否定できない。
彼らの本を読むことによって前提知識が付き、そうした上で、いわゆる教科書的な本や純粋なハウツーもの、つまりいきなりそれだけ読んでも右から左にぬけていってしまうような本が読みやすくなると思う。そうした本は面白みに欠け、事実についての通り一辺倒な評論のみが何のアクセントもなくたんたんと書かれているだけなので、いきなり読んでも何の感慨もなくサラっと読み終えてしまうか途中で飽きてしまうかのどちらかだ。むしろ落合あたりの本に同じ人物のことが興味深い文章で書かれていれば、その後読み返した時になるほどそうだったかと目からウロコを落とす事になるわけだ。
企業小説を読む場合、どこまでが事実でどこからが創作なのかという点はあまり重要ではないような気がする。もちろん全くの創作である場合もあれば、実名と偽名が混ざり合っているもの、実話でも文章にすることがはばかられるような微妙なものまで様々だ。そうしたものは作家自身の身の危険に及ぶ性格のものもあるからあえて偽名を使ったり、わざわざフィクションである由の但し書きをつける場合もある。かと思えば完全な実話とうたっているものもある。落合あたりはバサッと実名を載せているばかりか、時として虚を真と言いくるめているのではないかと疑いたくなるようなものさえある。ただし、小説のほうでも(落合の場合、ノンフィクション路線と小説路線を明確に切り分けている)実話がベースになっている場合が結構あったりする。いずれにせよ、そのあたりの真偽の分析は読む側のひとつの楽しみと言える。
W 小説の中のぽちゃ女性たち
その@
ココには、彼女が、年下の男にうつつを抜かす種類の人妻、つまり、スーのようなワイルドな女ではないことに少なからず驚いていた。太り気味の体に、ごく普通のブラウスとスカートを身に付けた彼女は、家で、パイを焼いたり、テーブルクロスに刺繍をするのに一日を費している種類の女に見えた。リーは、屈託のない笑いを浮かべて、ココを見ていたが、メアリは、そうではなかった。バスルームで自分たちのしていたことを恥じているかのように、伏目がちだった。
〜トラッシュ/山田詠美/文芸春秋p303
スレている登場人物ばかりが氾濫する本作において、唯一ほんの一瞬ではあるが、そうでない種類の女の純粋な愛が描かれていて、際立った印象を受ける。美しいシーンと思っているのは恐らく俺だけだろうけど。ベトナム系の学生と既婚白人女性という組み合わせもいい。アジア系であること、太っていることなど、この本のなかではネガティブな要素として周りの登場人物たちからもからかいの対象として扱われているし、それを非難するココにしたって決して美しいとまでは思っていないだろう。
そのA
私は女に1ドルくれてやった。「まあ、ありがとうございます!」女は両腕で私を抱いてキスした。唇の全体が水をふくんだみたいに濡れてやわらかかった。それから舌をおしこんできた。私はあやうく喉を詰まらせるところだった。唾液たっぷりの肉厚な舌なのだった。胸は大きくぷよぷよして、パンケーキの形をしていた。私は女を振りほどいた。
〜中略〜
「あんたの子供のために、金をまた持ってきたよ」と私は中に入って、いった。女は受け取った。「まあ、ありがとう!ありがとう!」女は唇を押しつけてきた。濡れた吸引ゴムのようだった。そこから出てきた肉の厚い舌をしゃぶって、服をたくしあげた。立派な尻をしていた。尻とケツと臀部が一緒になったような豊かさだ。
〜ありきたりの狂気の物語/C・ブコウスキー/新潮社
目当ての女を尾行して保険のセールスマンのふりをしてアパートの部屋をノックしたら出てきたのは違う女だった。それが1回目のシーンである。目当ての女は結局手に入れることができなかった。仕方なくデブ女の部屋を再訪問。そして徐々にデブ女の魅力に引き込まれていく主人公の姿が独特の乱暴なタッチで描かれている。この手のデブ女は他の短編にも良くでてくるし、作者自身決して嫌いじゃないようだ。ホントはもう少しスレンダーなグラマー路線が一番好みなのだが、高値の花なので、それなら痩せた女よりは豊満な女のほうがいいというスタンスだろうか。男女を問わず野卑な人間の感情をストレートに表現する彼のタッチにはカタルシスを感じる。
そのB
彼女は肉感的なユダヤ娘で、大きなうるんだ目や、あけっぴろげな態度が、多情を物語っていた。
〜南回帰線/H・ミラー/河出書房p242
いちご色をおびた金髪の、むっちりとした肉体の娘で、瑪瑙(めのう)色の目をして、顔はソバカスだらけだった。
〜南回帰線/H・ミラー/河出書房p281
私よりいくぶん背が低く、しっかりしたからだつきで…、つまりどちらかというと肉付きが良く、ぴちぴちと健康ではちきれそうな女の子だった。
〜愛と笑いの夜/H・ミラー/福武文庫
これだけ何度もぽちゃ娘が登場すれば、作者の嗜好と言ってしまっても差し支えないだろう。小説の中にぽちゃ女性が登場すること自体はめずらしくはないが、作者自身の感情移入がストレートに投影されているケースにはあまりお目にかからない。もしかしたら見落としているだけなのか知れないが…。ただ言えるのは遠い過去においてはゾラ等ふくよかな女性への賛歌が一般的だった時代があったし、近代においては逆に小説家=人並みはずれているという路線の延長で倒錯的な作品が今より多くあったような気がする。(今はただそれを意識的に演出してるだけだから何かキレイだったりする)そんな中でぽちゃ女性が語られることもあったろうし、H・ミラーもその流れをくむ小説家と言える。そういう傾向はもちろん海外だけではなく日本にもあったと思う。谷崎などもそうだろう。どちらもどこかちょっと堅苦しくて情緒的かつ内向的な文体が特徴だ。
そのC
自分は西洋婦人の肉体美を賞賛する一人で、その曲線美の著しい腰、表情に富んだ眼、彫像のような滑らかな肩、豊かな腕、広い胸から、踵の高い小さな靴をはいた足までを愛するばかりか、彼等の化粧法の巧妙なる、流行の選択の機敏なのに、無上の敬意を払っている第一人である。
〜あめりか物語/永井荷風
前述の倒錯作家日本版のひとり。本当に好きでなくては書けない表現でありものすごく共感できる。今、誰がこんな文章書けるだろう。
そのD
体脂肪率の高そうな肉づきのいい体躯、背丈はそれほどなく、スタイルもいいとはいえない。いわゆるぼってりしたタイプで、顔は丸く、唇が半開きになっていた。
〜情事/志水辰夫
サスペンス風の小説でたまたまアクセントをつけるためにこういう女性を登場させただけだと思うが、一応登場人物の中核を成しているだけにじっくりとこのぽちゃ女を味わうことはできる。まあ表現的にも取りたてて特徴があるわけではないが、主人公の男の気持ちにはちゃんと火をつけているし、ぽちゃ好きな読者にとってはそれなりに楽しめるだろう。
X谷崎版Plumpy Dolls「肉塊」
「痴人の愛」では主人公譲治とナオミはお互い独身同志でありそういう意味で比較的容易に元のサヤに戻ることができた。だが「肉塊」では妻子ある男性が理想の女性にめぐり合うというところがまず興味深い。同時に奥さんの道徳的な美と、出会った女の外見的な美との対比やそれに伴う悩み、葛藤を繰り返す男の様子も切実だ。俺自身も味わってきたことだけに非常に身近な主題として楽しむことができた。だが「肉塊」の凄さはそれだけではない。失敗作とも「痴人の愛」の完成前の姿とも言われ、あまり取り上げられない本作だが、主人公の吉之助はもう俺そのものだ。メッセージボードではちょっと書ききれないと判断してここに書くことにした。残念ながら本作品を普通に書店で見つけるのは多分無理だ。取寄せで入手できる。中公文庫の「潤一郎ラビリンス15」に収められているので。と言ってもそんな物好きは俺くらいかも知れぬが。だが潤一郎さんよ、喜んでほしい。そんなあなたの陽の当らなかったこの作品に傾倒する男が、あなたの死後2年経ってから誕生したのだ。そのくらいマイナーな作品ゆえ、簡単にストーリーだけは紹介しておく必要があるだろう。
横浜元町に住む家具屋の息子、吉之助は俺に似て純粋無垢な男であり、白人女性が好きなところもやはり同じだ。そんな彼が典型的な良妻である民子と見合い結婚したあと、自分の夢を映画のなかに投影したいと思うようになる。その夢とは俳優として雇った少年に紹介されて出会ったグランドレンという混血女性の美を表現することだった。店舗を売却し自分の夢を追う夫や彼のお気に入りの女のために自分を犠牲にしてけなげに働く妻。吉之助のエゴによって出来た第一作は全く受けなかった。美しい女性が必ずしも人間的に優れているとは限らない。グランドレンに傾倒する吉之助は彼女のわがままを聞くことによって妻の民子やカメラマンの柴山から愛想をつかされてしまう。
個人的にこの作品は「痴人の愛」以上だと思う。ひとつには妻民子の存在が本作品を奥深いものにしている。グランドレンと対照的に地味で勤勉な典型的な日本人女性。病の姑を最後まで介抱し、その死に涙した人間的な姿に女性の外見的な美しさばかりを追及していた吉之助も打ちのめされる。それは真正の美を見せられることにより自分の価値観の邪道さを思い知らされることによるやるせなさだった。人間的に振舞えない自分へのコンプレックスを持つ一方で真正な価値観への憧れもある。そのはざまで苦しむ吉之助。だが彼は最終的に改心することなく邪の道を進んでいくことになる。俺はこの終わり方が好きだ。彼は彼らしさを最後まで貫き通したのだった。ミレイが描いた水面に浮かぶオフィーリアの絵が好きだったり、海外に行ってその原風景に漠然とした感慨を持ち涙してしまうなどいちいち俺にそっくりな彼。決して悪い奴ではない。彼なりに芸術の心を持ち合わせてはいたが、そこまでの才能がない為本当の芸術家となり得ず、それゆえに俗人ともうまくまじわれないでいる不幸さを味わったというくだりも凄く共感できる。きっと作者自身そういう青年だったに違いないと思わせるくらいの説得力で、そうでもない限りとてもここまでの表現は不可能と思えるのだ。
Y 若者たちがまだ熱かった時代
この国の魅力は、あくまでわたしにとっての魅力という意味だが、日本で偏りがちになる精神のバランスを元に戻せるというところにある。その異常性、いいかげんさ、不条理、でたらめ、不当性などが逆にわたしの精神に血を通わせてくれるところがあるのだ。
〜死んでもいい(浜なつ子)太田出版
フィリピンについてかかれたノンフィクション本。(小説ではないがまあいいか)日本では不真面目ぶってる奴らでさえ妙に規則ただしく堅苦しく見え、逆にそういうやつらからは真面目っていわれる俺にとって、じゃあ一体お前は何なんだって言われたとき、そうそうコレが俺の言いたいコトなんだって心底共感できた文章。はっきり言ってみんなとは真面目の尺度が違うんだって思った。この文章で連想してしまうのがアルバム評で「コレは音楽ではない」とゴミ扱いされていたFザッパ。一見ただのあばずれおやじ。だが彼の思想はびっくりするほど奥が深い。人から見れば単なるふざけた奴かもしれない。だがそれは強固なアイデンティティーに裏打ちされたものなんだ。日本人だとあの「東大一直線」でおもろいバカを演じる一方、オウムや台湾人の目のかたきとなるような言動で波紋を呼ぶようなことまでやってのける小林よしのりみたいなカンジだ。
私はすぐ、あらゆることに矛盾と対立を見、現実と虚構のあいだの風刺と逆説を感じとった。私自身が私の敵であった。(中略)ときおり友人が改宗したという話を聞くと、私は胸がむかついた。神が私を必要としないように、私もまた神を必要としなかった。もし神が実在するものなら、私は堂々と彼に会って、その顔に唾をはきかけてやりたいものだと、しばしば心のなかでつぶやいた。なによりも私を当惑させたのは、多くの人が私を一見しただけで、きわめて善良で親切で寛大で誠実で信義にあつい人間だと思いこんでしまうことであった。〜南回帰線(ヘンリーミラー)河出書房新社
発禁本であるこの作品は現在古本屋でしか手に入らないはずだ。これは作者自身の子供時代の心情を吐露したくだりだが、とにかくすさまじいの一語につきる。彼の文面はこれ以上ないというくらい露骨で難解で読破するのに大変なエネルギーがいるのだが、「暗い春」などの短編のほうは彼のそういうエッセンスがコンパクトに凝縮されていくらか入りやすいかも知れない。Jレノンが「我々は今や神よりも有名になった」と発言したところ激しい反発に遭ってしまいやむなくその言を撤回した時、「彼は正しい。コメントは撤回するべきではなかった」とのたまったのはFザッパだった。
ジャニタときたら、いつもおれのことを方々の映画にひっぱって行く。そこで例の戦争ものなんかを見せられるってわけだ。すごくハンサムな野郎どもが、うまいところを撃たれてきれいな顔をして死んでゆく。おまけに奴らくたばる前にたっぷり暇があって、故郷の女に甘いことばなんか残して行くってわけだ。(中略)ありゃけっこうなくたばりかただねって、おれはいってやるのさ。するとあいつ、すっかり気を悪くして二度といっしょに映画なんか見に行かないってぬかすんだ。
(中略)バークさんというひとりの軍曹の話が語られる
バークさんはたった一人で死んでいった。女の子にもだれにもことづけをするでもなかった。合衆国で盛大な葬式がおこなわれもしなかった。はでな野郎が消燈ラッパを吹いてやるでもなかった。ジャニタにフランキーの手紙を読んでやって、それからおれの知っていることをもう一度話してやったら、ジャニタのやつが泣き出した。それがバークさんのための唯一の葬式みたいなもんだった。
〜やさしい軍曹(JDサリンジャー)荒地出版社
中学の時、Jレノンを殺った直後にチャップマンが手にしていたというあの「ライ麦畑」を読んだあと俺はすっかり主人公のホールデンになりきっていた。本作は「ナインストーリーズ」からは漏れてしまったが珠玉の短編といえる。ロック世代の戦争といえばベトナム戦争であり、ロックと戦争の両者に深くかかわっていたのが薬。初期のZEPなども戦地でかなり聞かれていたようだ。
ふたりが出会ったのは昼食時で、彼女は自分の下宿先に帰る途中だった。女子学生クラブには入会しなかったのだ。それを告げる彼女の表情は誇らしげな反抗の色を見せていて、それがジョンには気に入った。「どうもああいう人たちとうまくやっていけそうもないのよ。一人の方がいいの。あなたは?今世の中で問題なのは、みんなが妥協したり、順応したりしなくちゃならないことじゃないかしら。ああ、あたしは、そんなことにはうんざり!そんなの絶対いやよ。自分の人生ですもの、自分で思うように生きて行きたいわ」ジョンも友愛会の入会についてはフローラと同じように感じていたので、それを彼女に話した。「まあ、じゃあ、あたしたちふたりともアンチ・クラブのバーブ(野蛮人)じゃない」彼女は甲高い声で言った。「すてきじゃない。寮にいる女の子たちはバーブって言われるのをとっても嫌がるのよ。でも、あたしだったら大喜びだわ。バーブなんてよばれるの。すてきじゃない?もし、その気になれば、着ているものを脱ぎ捨てて、通りで裸で踊りでも出来そうな感じじゃない」ジョンは、酒を飲んだときのような熱い火照りを感じた。それはこの春、樫の木立のなかで彼女と話したときと同じだった。突然言いたいことがたくさんあるのに、何から話してよいのか分からないような気分になってしまった。興奮した彼は、今書いている一幕劇のことを早口にしゃべりだした。象徴的な意味が縦横に絡み合い、説明しにくいものだった。しかし、フローラは熱心に頷きながら、彼がことばに詰まると、すぐに適切なことばを補ってくれた。
〜たいせつなこと(Tウイリアムズ)太陽選書
バーブ(Verve)って言われて頭にうかぶのはFザッパがアルバム「フリークアウト」を出してた頃のレーベル名だ。書評ではフローラという女の子をヒッピー世代にあてはめているが、ザッパは「フリークスとヒッピーは違う。本当のイミでヒップ(個性的)なのはフリークスのほうだ。何故ならヒッピーとはそれ自体ひとつの様式に過ぎずみな同じスタイルだが、フリークスはひとりひとりが違うから」と言っている。ともあれジョン君の「熱い火照り」に乾杯したい。
マサトの好きな本50選
《国内》
〜評 論〜
人間らしさの構造/渡部昇一(講談社学術文庫)
国家なる幻影/石原慎太郎(文芸春秋)
狼たちへの伝言/落合信彦(集英社文庫)
堕落論/坂口安吾(角川文庫)
〜ノンフィクション〜
ストロベリー・ロード/石川好(文芸春秋)
ストロベリー・ボーイ/石川好(文芸春秋)
アメリカよ!あめりかよ!/落合信彦(集英社文庫)
弟/石原慎太郎(幻冬舎文庫)
わが人生の時の人々/石原慎太郎(文春文庫)
小説東急王国/大下英治(講談社文庫)
三浦和義事件/島田荘司(角川文庫)
カリスマ/佐野眞一(新潮文庫)
死んでもいい/浜なつ子(太田出版)
〜小 説〜
痴人の愛/谷崎潤一郎(新潮文庫)
肉塊〜潤一郎ラビリンス]X/谷崎潤一郎(中公文庫)
ただ栄光のためでなく/落合信彦(集英社文庫)
男たちの伝説/落合信彦(集英社文庫)
太陽の馬/落合信彦(集英社文庫)
燃ゆるとき/高杉良(角川文庫)
ザ・エクセレント・カンパニー/高杉良(角川文庫)
祖国へ、熱き心を/高杉良(講談社文庫)
毎日が日曜日/城山三郎(新潮文庫)
真昼のワンマンオフィス/城山三郎(新潮文庫)
イベリアの雷鳴/逢坂剛(講談社文庫)
カディスの赤い星/逢坂剛(講談社文庫)
プラハの春/春江一也(集英社)
トラッシュ/山田詠美(文芸春秋)
情事/志水辰夫(新潮文庫)
凛冽の宙/幸田真音(講談社文庫)
〜紀 行〜
アメリカ/藤原新也(集英社文庫)
あめりか物語/永井荷風(新潮文庫)
《海外》
〜小 説〜
ライ麦畑でつかまえて/JDサリンジャー(白水社)
若者たち短編集T/JDサリンジャー(荒地出版社)
倒錯の森短編集U/JDサリンジャー(荒地出版社)
ホテルニューハンプシャー/Jアーヴィング(新潮文庫)
南回帰線/ヘンリーミラー(河出書房新社)
暗い春/ヘンリーミラー(福武文庫)
愛と笑いの夜/ヘンリーミラー(福武文庫)
夏の黄昏/カーソンマッカラーズ(福武文庫)
町でいちばんの美女/Cブコウスキー(新潮文庫)
ありきたりの狂気の物語/Cブコウスキー(新潮社)
マディソン群の橋/ロバートジェームスウォラー(文芸春秋)
ボーダーミュージック/ロバートジェームスウォラー(文芸春秋)
たいせつなこと/Tウイリアムズ〜アメリカ短編15(太陽選書)
従妹ベット/バルザック(中央公論)
幻滅/バルザック(河出書房)
この日をつかめ/ソールベロー(新潮文庫)
ビッグピクチャー/Dケネディー(新潮文庫)
幸福と報復/Dケネディー(新潮文庫)
どんづまり/Dケネディー(講談社文庫)
エルマーの冒険/RSガネット(福音社)
〜紀 行〜
チャーリーとの旅/ジョンスタインベック(サイマル出版社)
エジプトの旅/Dケネディー(心交社)
所持冊数ランキング
1位 落合信彦 42冊
2位 高杉 良 20冊
3位 城山三郎、 清水一行、 バルザック Jフィンダー 9冊
7位 Dケネディ 8冊
8位 逢坂 剛、 夏目漱石 7冊
10位 石川 好、 サリンジャー 6冊