*Sweet ten
家の壁を塗り替え、給湯器もそろそろ替え時。そして今度は洗濯機が故障。来るときは一度に来るものだ、そして夫婦間においても。雅代のあの生活感のない甘えたような笑顔とふくよかな肢体が来る日も来る日もケンの心を悩ませる。一方で週末までに小夜(さよ)へ返事をしなければならなかった。別れるか別れないかの。
「結局のところあなたは今の生活に対して何ひとつ満足していなくてむしろ私や子供つまり家庭という存在がうとましく邪魔で自分の人生において何ひとつメリットがないという事に悲観してもっともっと自分に共感できる女性をみつけ平行してすすめてうまい具合に進んだ時切り捨てようという考えなのね。そしてその人とは嫁姑、家庭といったわずらわしさのない世界をみつけ会社も辞め好きなことを好きなところで好きなだけしていく生活を夢みているんでしょう。」
「でも我慢をしているのは自分だけなの?私にだって夢はあったわ。」独身時代、女性でありながら証券会社の営業として強い上昇指向のもと仕事に打ち込んでいた小夜。だが他の家庭と比べると教養も品性も欠けているような気がしてみじめな気分になることもあった。それがバブル期の証券会社というものだった。彼女の両親は共に貧しく親もなく育ち「夢」など望むべくもなかった。強いてあげるなら「平凡な家庭」だった。一方ケンの父親は総合商社に長年勤め、母親は典型的な専業主婦。いまだに共働きで頑張っている小夜の両親とは対照的であり、それが小夜にとっては強いコンプレックスとなっていた。だが「家庭や子供のため」に証券時代に勝ち取った中流意識を捨て、今はパートの清掃員としてケンの少ない給料をバックアップしている。もちろん落ち込むこともあったがそれも家庭のためと頑張ってきた。
ケンの浮気は今にはじまったことではなかった。そしてその都度離婚をせまっていたのは小夜のほうだった。ある時小夜とのSEXでゴムがはずれてしまった。挿入直前に萎えてしまったのだ。まるでへびに睨まれたカエルのようだった。こんなことは今までないことだった。ふたりともショックだった。「もうあんたなんかとHしない」小夜はそうはきすてた。そして今回も小夜は「離婚する」と言った。「もう愛想がつきた。嫌いだ。けがらわしい」と。だが今回のケンはいつもと反応が違った。彼は否定しなかったのだ。雅代にたいしては今までと違って本気になれると思った。その分胃がキリキリして夜眠れない日が続いた。小夜が隣の部屋でシクシク泣き出すと余計に眠れない。「嫌いなら何故泣くんだよ」理由はわかっていた。ケンが離婚を否定しなかったことがこたえたのだ。今までは小夜が離婚を迫る都度「何でそんなこと言うんだ」とはぐらかしてきた。そこまでの勇気もきっかけもなかった。だが小夜にはわかっていた。妻はいつも離婚、離婚と口に出して言うものだ。でもそういっているうちは押し問答で終わる。ところが夫が離婚を口にしたときは要注意なんだ。そういうときは結論がすぐ出てしまう。「とにかく、私が好きなのか嫌いなのかはっきり今ここで宣言してほしいの。別れるとなるとやらないといけないことが沢山あるの。家の売却、学校そして子供のプール教室の脱会届、月曜からは住宅、学校そして職探し」確かに泣いてもわめいても現実から逃げられないのが母親なのだ。雅代がここでとどめをさしていればどうころんでいたかわからなかった。だが、半分とどめをささないでくれという気持ちがあったことも確かだった。それはわずかに残っていた妻への情に違いなかった。そして恐らく雅代にはケンのそんな雰囲気が読み取れたのだろう。スーっと波がひいていくようにその姿を消していった。そういうイミで雅代もまたひとりの素晴らしい女性だった。
結婚記念日、ふたりは久々に夜を共にした。挿入しようとしたとき悪夢が再び訪れた。今まで保っていた勢いがなくなってゴムがはずれてしまったのだ。トラウマだった。テンプルを打てない矢吹丈のようだった。一瞬ふたりの表情がこわばった。だが小夜は言った。「ケンちゃん無理しないで。私はいいの。こうしてるだけで。ケンちゃんが戻ってきてくれただけでウレシイの」ケンの負けだった。涙がでかかったが何とかこらえた。その後3度目のトライで何とか成就した。
*大切なもの
PART1 エディー
70年代初頭のロックシーンの持っていたあのさん然とした輝き以上のものを当時を知るこの50男ですら感じていた。「でっぷりと太った女のジャケット通りのボリューム感があった」という彼は、ポモナに住んでいるというこの日本人青年にどうしても会いたくなった。と言うのも「とても日本人がだせるような音じゃない」と判断したからだ。CDにはいっている曲は2曲だけだった。それで約20分だから1曲あたりの演奏時間はかなり長いはずだったが「あっという間に聞き終えてしまった」と言う。「1曲目はブルースだったよ。それもクリームとフランクザッパを足して2で割ったようなやつだ」つまりどう考えてもそれらのアーティストを相当聴き込んでいないかぎり、出せないような音らしいのである。しかもその大半がインプロヴィゼイションなので説得力という点では申し分ない。ところが曲の後半ブリティッシュ風ハモンドオルガンが加わったあたりから、その先の展開が全く読めなくなってしまう。「この男の音楽的ルーツが後期ビートルズであることは何となく読めた。だがあとは何も考える余裕がなかった」PFMのセレブレイションの間奏部を発展させて作ったという次の教会音楽風のバラード「Haunting Beauty」はラファエル前派のミレイの絵からインスピレーションを得たという。「それにしても造詣が深い。オレの知り合いでもミレイのその絵を知っている人間が何人いるかな」
彼の家は普通のアメリカ人の家と変わらない白いペンキがはがれかかった木造の平屋だった。そこには清楚な日本人のイメージは皆無だった。おまけに部屋からはクラプトンの「レイラ」がかかっている。と、戸口からいきなり例のCDの写真の白い肉塊女が出てきた。なんと同居人だったのだ。「エディーですか」エイジがなまってエディーになっている。青年と言っても35だ。だが童顔で内気そうなところは写真で見たイメージ通りだった。
「僕にとっての70年代は一言でいうとデジャブ(既視感)そのものなんです。」エディーはゆっくりと語り始めた。「全ては80年代に対する幻滅感が出発点でした。67年生まれの僕にとって70年代は気づいたら終わってたんです。だるまセリカもC・イーストウッドも小さかった僕にはまだ早かった。全て80年代にはいってから後を追うように70年代の軌跡を辿っていくしかなかった。でもそのひとつひとつがとても初めてという感じがしなくて、むしろ僕自身が体験していたはずのほんの僅かな記憶の中の70年代のイメージと化学反応のようにマッチングしていき、やがてそれが何十倍もの輝きを増して劇的な復活を果たして行く。例えばPFMのセレブレーションという曲の間奏部に一瞬登場するムーグの音は幼少時に父や祖母に連れられた教会でよく耳にしたエレクトーンの音そのものなんです」
「そんなエディーの内面は私にも全然違和感がなかったのよ」今度はローラという名の同棲女のほうが口を開いた。「彼は何十年も前からのここアメリカの住人のようだったわ」それは一緒に彼の表情や話を聞いている50男トムにも充分わかることだった。だが同時に疑問も無いではない「エディー、君は日本の曲からはそういうノスタルジーは感じなかったの?」「全く無いわけではなかった。日本という国は好きだったし・・。こう表現するとわかりやすいかもしれない。僕は日本のもつ快適性や利便性は好きだけど日本人の立ち振る舞いや精神的な部分はあまり好きじゃなかった。カチッとまとまりすぎててとても肩のこるものだった。逆にアメリカの場合は国家やシステム的な部分はあまり好きではないかもしれないが、個々の人間や風景、その不完全性、寛容性といったものがとても居心地のよさそうなものに感じられた。そして一番身近な存在だったロックからそういう雰囲気をよりリアルに吸収できたんだと思う。それは僕にとって未だ見ぬ桃源郷への窓口の役割を果たしてくれてたんだ」「だが君が主に聴いていたのはブリティッシュだったよね」「そこが面白いところでね」彼は身を乗り出して50男の顔をのぞきこんだ。「まあ、あなた方イギリス系のブルーストックがアメリカ人の一部という考え方もあるかもしれないが・・」と前置きした上で彼は次のように話してくれた。
アメリカの音とイギリスの音は確かに違う。前者が陽とすれば後者はむしろ陰だろう。イタリアなどもむしろ後者の部類にはいる。さきほどのPFMにしてもそうだが、彼の幼少時代をオーバーラップさせるものには後者のいわゆる欧州系の音が多い。どこか寒々しく陰鬱な雰囲気。今のような自由はなかったかも知れないが無心に楽しむことのできた友達との思い出や家族と旅行した日々。過ぎ行く古き良き過去を懐かしむ時、もう決して戻ってこないはかないものなんだと感慨にふけるときのセンチメンタリズムをこれらの音は表現している。そこには小学生の時に聞いていたイギリスの象徴ビートルズが大きなきっかけになっていたはずだ。一方、アメリカの音とはそうした過去をふまえた上での理想の部分を体現しているといえる。その明るさは抑圧されることのない精神的な豊かさそのものだ。だから19の時に初めてここポモナに来たとき心のなかにうかんだのはクイーンやZEPではなくレイナードスキナードだった。ロッドスチュワートだってアトランティッククロッシングで文字通り大西洋を渡ってアメリカ人に変身したんだ。つまり思い出の国から希望の国に渡ってきた。今の僕はそれと同じさ。
つぎにトムはエディーの傍らでうなずいていたローラに目を向けた。
「彼女かい?たしかに僕は彼女のようなチャビー(ぽっちゃりした)な女性は好きだ。だけどやっぱりいろんな環境が伴っていないと、うまくはやっていけない。この国では会社と家の往復といったマンネリが存在しない。新しいことをするために誰かに遠慮する必要もないし、予期しない出会いもある。今日の貴方のようにね。つまりドラマに満ちている。だからテレビを見る必要もないし、自分を取り繕う必要なんて一切ないんだ。いくら理想の女性と出会ってもそれらの環境が整っていなかったから人生の楽しみは半減してしまうのさ。」
トムは彼のCDのなかに宿っていた魂の本質を、今の言葉のなかに見たような気がした。
PART2 ローラ
ローラはバツイチだった。「私は最初マディソン郡の橋のフランチェスカだった。でも彼女と違って私は自分を貫き通したの」
「マディソン郡の橋」ではごく平凡な主婦であるフランチェスカが、ある日無垢な心を持つカメラマン、キンケイドに出会い、夫にない野性的な魅力に少しづつ惹かれていく。それは本来自分自身のなかにもあった本当の人間らしさみたいなものだった。ふたりは理想と現実の狭間でしばし葛藤を繰り返す。が、最終的にフランチェスカは現在の家族を選択することになる。こうしてふたりの短くもはかない物語は幕を閉じるわけだが、それはその後の彼女の余生において何かのおりに素敵な気分にひたらせてくれる感動的な挿話として生き続けていったし、息子たちにも美しい思い出として語り継がれていくことになるのだった。
「だけど、私の場合はただのきれいな思い出だけでは済ませたくなかったの。もちろんそのせいで精神的に深いダメージを負うことになったけど。でもその先の自由に満ちたバラ色の人生を考えるとあえてイバラの道を歩んで行くべきだって思ったの。それは大変な勇気や決断のいることだった。でもエディーはそれだけの存在だったし」
「当時ローラが良く聞いていたというイーグルスの曲があるんだ」クラプトンが終わるとエディーがONE OF THESE NIGHTSと書かれたレコードのA面の最後の曲に針を落とした。
娘は早くから笑顔ひとつで幸運を得る方法を心得ていた。
金持ちの老人を見つけたらもうこっちのもの
最新流行のレースの服を身にまとって贅沢三昧の暮らしができる
夜も更けて大邸宅はひっそりと静まりかえる
安定した暮らしを手にした代償さ
そして女はは自分の大切な愛を氷のような手をした老人だけに捧げたことを深い後悔とともにかみしめる
(中略)
街の向こうではひとりの少年が待っている
炎のように燃え立つ瞳と誰にも奪うことのできない夢を持って・・・
女は期待に胸をときめかせ
失いかけた情熱を思い出させる恋人のもとへと夜の街へと車を走らせる
女は恋人の腕にとびこみふたりはもつれあって倒れる
「あまり時間がないのよ」と女は囁く
そしてまた必ず戻ってくると誓いながら微笑みを残し女は去っていく
(中略)
眠れぬままに強い酒を喉に流しこみ
女は夜空に輝く星をじっと見つめる
また今夜も孤独な長い夜になりそうだ
女はシェードを降ろし泣き崩れる
(中略)
嘘の瞳を隠すことはできない
笑顔をとりつくろってみても無駄さ
いつわりの瞳は隠せるものじゃないともうわかっているはずなのに・・・
〜イーグルス詩集(山本安見)シンコー・ミュージック
*13日の金曜日
「初めて彼女を目にしたのは丁度1週間前の木曜日だった。会社へ向かう車の窓越しから警察署の前あたりを歩いている姿が見え思わず目を奪われてしまった。ズボンごしからでも充分わかるくらいの立派な下半身をしたまさに俺好みの大柄な白人女性だった。それから翌日、今度はもう少し手前のM団地入口交差点にN町の方角から出てくるところを発見。その日は女性らしいワンピース姿のせいでその美しさは一層際立っていた。まるで絵画からでも飛び出してきたかのようだった。こんな近所であのような美しい白人女性に出会えるのは願ってもない事だ。しかも通勤ルートと時間も把握できている。だた如何せん通勤時なので声をかけるにしても時間がなさすぎる。そこで週末、彼女に渡すための手紙を書く事にした。これなら、その時時間がなくてもただ渡しておけばあとでゆっくり読んでもらえる。自分の意志さえ伝える事ができればしめたものだ。ついでにメアドも書いておけばいい。
こうして月曜日、さっそくM団地交差点から左にはいったあたりで停車して彼女を待った。だが彼女は現れない。水曜日も来なかった。翌木曜は雨だった。雨だからやめようかなと思ったが、先週見たのも確か木曜だったしと思い一応行ってみる。と、傘越しからでもそれとわかる大柄な西洋女がこちらに向かってくるではないか。俺は慌てて車から飛び出すと傘と手紙を持って「エクスキューズミー」と声を掛けた。。。」
彼女から好意的な返事が来ると確信していた達也は、早くもこのような手記をしたためていた。だが淡い期待は長くは続かなかった。
それは13日の金曜日に相応しい、西欧流の忌まわしい日となった。その前日、達也は1週間ほど前に近所のN駅付近で見かけた一人の美しいそれこそ彼好みの大柄な白人女性に、思いのたけを英語で綴った手紙を渡す事に成功していた。恐らくそんなことをするいい年をした日本人などいやしないだろう。せいぜいよっぽどの変わり者だと呆れられるのがいいところだ。去勢された情熱のないつまらない人間どもからすればだが。この国はお行儀のいいそんな輩達の巣窟なのだから。彼自身はそんな奴らとは違う自分が誇らしかったし、手紙を渡すのに成功した直後には思わず雄たけびを上げたほどだ。手紙を受け取った女の反応は彼が常日頃感じている通り日本人のそれとは大きな違いで、初対面の見知らぬ男に対するものとは思えないほどの好意的な笑顔で「サンキュー」とまで言ってくれた。体つきは申し分がないが真近で見るその顔立ちはお世辞にも美人とは言い難い。だが日本人のブ女とは違いある意味そそられてしまうようなところがあった。きっとかなりのコンプレックスがあって(太っていることだって一般的には誉められたことじゃないだろうし)、そんな彼女からすれば達也自身容姿的には自分で言うのも何だがかなりまともな方だと思っていたし、そういう嬉しさも多少手伝ってのあの表情なのではないか、などと勝手な想像をたくましくしたものだった。少なくとも翌日のあのメールを読むまでは。
それは彼女自身からではなく、彼女が恐らく教員として勤めている県立高校からのものだった。「N駅付近で手渡された英文手紙の件」というえらく事務的な表題を目にした時点で嫌な予感がしたものだ。(当然手紙には彼女からの返事を期待して自分のメールアドレスをしたためていた)曰く、「我々の所属する県の職員の一人より見知らぬ男性から侮辱的な手紙を受け取ったという訴えがあった。手紙の内容からすると好意的なものと受け取れなくもないが一部の表現はinsultingなものである。また本人は結婚もしており、ついては今後彼女に接触するのは控えてほしい」、という内容のものだった。達也は悲しいというより無償に腹が立った。確かに手紙には「Plump bottomed」などの表現がある。だが前後の文脈を見ればそれが侮蔑的な表現などではないことなどすぐわかるはずだった。むしろ美に対する憧憬的表現なのだ。(百万回説いたところで頭の固い連中にはわかりっこないだろうが)そもそも人間の価値観など千差万別でありそんな中で何をもってinsultingなどと断定するのか。また既婚者に接触するなというのなら、俺が手紙を渡した時点で何故拒まなかったのか。俺は「読んでもらえますか?」と事前に確認した筈だ。それを受け入れたのは彼女であり、笑顔まで見せたのは明らかに誤解を呼ぶ態度だった。それが不意に声を掛けられたことに対する無意識な防衛本能のなせるわざであったのなら仕方がないが。いずれにせよ、彼はよっぽど以上のようなことを返信してやろうかと思った。だが、そこまでやるのはただのバカだと思い、又、そんなつまらない奴らを相手にするのも嫌なのでやめた。外国人とは言っても教育者という肩書きのつく者はやはりダメだ。人間性がどこか欠如している。アメリカ人でも2種類の人間がいて、それが日本以上に両極化している点はわかっているつもりだったが、それを改めて実感した。彼は「カッコーの巣の上で」のあの冷たい婦長を思い出していた。そしてできる事なら、あのバルザックの描く奔放で情熱的な男女関係が実に心地いい19世紀パリ社交界の世界に身を委ねたいと切に願うのだった。