クリントの好きなところは、まず一匹狼で世間に迎合しない、口数が少ないがウイットには富んでいる、男女関係には奔放だが束縛は嫌う、つまり俺の理想とするところが全て凝縮されている。役柄ではそうした要素プラス、スーパーマンのような強さが伴う訳だ。次に彼の映画が何故好きかと問われればほのぼのとした等身大のアメリカ人たちやアメリカのローカルな風景・美しい風景がふんだんに見れると言ったところ、これに尽きるだろう。これは意外と他の映画ではなかなか見られない点なのだ。普通の映画は「見せる」という意識が強すぎるせいかどうしても構えたものになりがちでクリントのようにワンテイクで撮り切らない限り表情なども本当の意味での自然体にはならない。またどうしても人物やストーリーが中心になるから風景などの遊びは少ない。これは映画を商品として考えれば当然のことかも知れない。だがそうした事が映画を魅力的にするとは限らない。反対に詰め込み主義に陥りかねない。スタジオよりもわざわざ片田舎に行って撮るのが好きなのはアウトドア嗜好のクリントならではの特徴だが、それが結果として他の映画では再現できない奥行きを表現することだってあるのだ。クリントの映画にはそうした要素を含みながらもちゃんと見る者を楽しませるストーリー展開も存在する。つまりストーリーオンリーではないので展開に余裕があり、見ていて疲れることがないのだ。そうした特長を備えている作品のひとつが「ダーティーファイター」だ。評論家にはボロクソ言われたが興行収入はピカイチだった。これなど彼の作品がいかに単なる「商品」と掛け離れているかを示すバロメーターだろう。評論家の評価というのは商品としての見てくればかりに気を取られ、本質を見ていないものだ。「商品」の対極にあるもの。それは人間臭さだろう。例えば「ガントレット」の冒頭。朝まで酒飲みながらポーカーやって、路上駐車していた車に乗り込み出勤するクリント。現実にはとてもまかり通らないこの絵だけでもうどっぷりと自由奔放な世界につかることができる。娼婦役のソンドラの自宅もアメリカならではの広々とした敷地にある白い平屋の家で実にいい雰囲気だ。とにかくクリントが登場するだけでもう充分なのだった。その瞬間彼のいる世界に同化したいと思ってしまう。気づいたら彼の作品は24本もダビングして持っている。最初は山田康雄の声が好きだった。「ダーティーハリー」を始め70年代から80年代にかけての作品において彼の声をきくことができる。その声役の彼も亡くなってもうだいぶ経つ。ルパン三世の時よりもややマッチョでありながら饒舌なスタイルで、上司や悪役をやり込める歯切れの良さにスカっとした気分を味わえたものだ。また人物や服装も普段着そのもので東海岸のソフィスティケイトされた雰囲気とは好対照だし、同じ西海岸でもハリウッドのきらびやかで着飾った雰囲気とも違う。とにかく何もかもが等身大なのだ。「サンダーボルト」などそういうところがふんだんに垣間見れてとても好きだ。B級性という言葉が使われることがあるが、そこには合理性とか効率主義といったものが一切ない。人間たちもアバウトでルーズ、ワイルドでさえある。そんな中、クリントだけがクレバーでクール、時に女を口説く時でさえそう見えてしまうところがおかしい。音楽もカントリー、ジャズといった路線が主流で人間臭さ、泥臭さといったものを感じる。

一方、現代の日本および日本人は、そういった世界から徐々に遠ざかりつつある。特に若者の行儀の良さ、効率主義はどうだろう。何でも便利になりコマーシャリズムに流された結果と言ってしまえばそれまでだが、あまりにも味気ない。ある若者が嬉しいからと小躍りするCMがあるが、顔は照れ体の動きはまるであやつり人形のよう。感情の吐露が下手な国民性を表している。ツヴァイの広告に出てくる若者のコメントも「無駄がない」とか「効率のいいシステム」などを誉めちぎっている。出会いの機会がないと言うが、既婚の俺でもこれだけ出会っているのだ。独身ならその倍は出会えるだろう。無謀なことをさけ確実性や迅速性、行儀の良さを追求することはむしろ素晴らしいことなのかもしれない。でもそれによって失うものはたくさんある。森永卓郎の言う「精神的に豊かな人生」とは必ずしも合致しなくなる。アテネではオリンピック施設の工事が遅れても、慌てず騒がずで、せっかちな日本のマスコミとは対照的だった。「奴等を高くつるせ」の時代には、罪人のギロチン場に沢山の見物人が訪れ、そこではまるで行楽地よろしくビール売りまで登場していた。恐らく実際に行われていたことだろう。「ダーティーファイター」では喧嘩が見世物になった。今ならそんな野蛮なことは許されない世の中だ。でも何故かそういうことが容認されていた過去の時代が懐かしい。「それは映画だから」と言う者もいるだろう。でもクリントの映画はちゃんと地に足がついているし、一部の刑事物などにおける多少の誇張やマンガチックな側面はあるにせよ過去あるいは現在でもある一定のローカルな地域においては間違いなく存在してきた、あるいは存在している世界なのだ。

この居心地の良さはミュージシャンで言えばFザッパなどにも通じる。死ぬまでに必ず再びアメリカの地を踏み、「サンダーボルト」や「ダーティーファイター」に出てくるクリントの良き相棒ジェフリー・ルイスのような友人を作るのが俺の夢だ。

●女たち

女性たちに関しても彼の映画でしか見られない魅力がある。女性たちはみな綺麗なのだが、気取りがなくむしろ田舎臭い。それが女性たちを逆説的に美しくしている。

「ダーティファイター燃えよ鉄拳」

ファイロ(クリント)の喧嘩マッチの賭博ツアー?に参加した愉快な仲間達の中でひときわ無邪気さの目立っていた女の子。賭けに負けても「試合を見られただけでいい」と話す楽天嗜好の愛すべき気のいいオヤジの横で見せる綺麗な笑顔が素晴らしい。何か心が洗われるようだ。今の日本の女の子でこれだけの笑顔を作れるコがどれだけいるだろう。

 

 

「ダーティハリー5」

どこにでもいるような女性記者。きれいな金髪と服の青の組み合わせが生む視覚的な美しさと、本人の「女」を売り物にせず地味なキャラに徹するコントラストがとてもいい。これでもかと色気を前面に押し出すキャラよりよほど映える。だからこそストーリーの最後、犯人に対して一瞬だけ見せる女らしい仕草が見もの。

 

「ダーティーファイター」

オーヴィル(ジェフリールイス)に口説かれてはにかむ表情が印象的な野菜売りの女。女はいつもファーストコンタクトの初々しさが新鮮だ。ちなみにナンパは成功する。

 

「ペンチャーワゴン」

旦那になったばかりの男(リー・マーヴィン)に服を剥ぎ取られ、コルセット姿になるも気の強そうな表情を見せる新妻。19世紀の服装は「女」を感じさせる。

 

「許されざる者」

この娼婦も19世紀。女性がまだその「らしさ」をふんだんに保っていた時代。女の刺激的なセリフにもかかわらずクリントの表情はつれない。

 

「白い肌の異常な夜」

男のいない生活環境で暮らしてきた女の子が人目を盗んでクリントにキスしようとする実に甘酸っぱいシーン。女の純真な雰囲気は俺の好みだがこちらもクリントの食指は動かず。むしろソンドラやフランシス、そして現在の奥さんのほうが俺にとってはいずれも印象が薄い。どうやら女の好みだけはクリントとはかなり違うようだ。

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