★オフコース

「yes−yes−yes」(ベスト盤)LPにて所持。
どういう経緯でこのレコードを買ったかは思い出せない。兄貴から譲り受けた「陽水U」を先日売ったため、日本人アーティストでは唯一のLPとなった。が、洋楽嗜好の俺でもこのLPだけは、そんじょそこらの洋楽なんぞ足元にも及ばない。その最大の理由は、彼らの旋律の美しさのみならず何といってもその歌詞だ。子供の頃は当然恋なんかしないから、最初は純粋な音楽性のみに惹かれた。レコードを買った動機も当然そこだけだった。だが30代のある時期、ひとりの女性と出会う事になる。彼女の恋心はまさしく本物だった。当初はそれをただ無自覚に享受し、ひたすら酔いしれるだけだった。だがそれだけの強い気持ちを長期にわたって受け入れ続けるということは強力なエネルギーを必要とするだけでなく、並大抵の精神力ではとても務まらないということにやがて気付く。結果としてそうした状況に精神的に耐えられなくなったとき、「愛に縛られて動けなくなる。何気ない言葉は傷付けていく。愛のない毎日は自由な毎日」という小田の言葉が閃光のように俺を覚醒させる。彼らの音楽が俺自身に完全に同化した瞬間だった。そして次の段階がやがてめぐって来る。失ってみて初めてわかる至福の日々への渇望。そのときまたしても俺の心の魂を揺さぶったのが「愛を止めないで。眠れぬ夜はもういらない」という新たな一節だった。その時ほど心底小田という男の表現力に脱帽したことはなかった。涙が流れて仕方なかったのを覚えている。
その後4年の月日を経て、俺はその女性と再会した。そもそも恋愛に賞味期限はつきもの。それが強力であればそれだけ風化するのも早い。それだけに再会を果たせたのは奇跡のようなものだった。それはとても楽しい時間だった。彼女はいつになく穏やかで笑顔が絶えなかった。結局彼女とはそれが最後となった。だいぶ経ってからそこには既に当初の「恋(愛)」は存在せず「愛(情)」に昇華していたことを悟った。出会った当初のギリギリの切迫感ではなく、かわりに存在したのは安心感のようなものだった。ただそうした安心感は彼女の中では既に他の男性との間に育んできたものがあった。だからそれ以上会う理由はなかった。「恋」と「愛」の違いについては、最近読んだ夏目漱石の「こころ」においてその明確な定義を見ることができる。曰く「香をかぎ得るのは香を炊き出した瞬間に限るが如く(中略)一度其所を通り抜けたら、馴れれば馴れる程。親しみ(愛情)が増すだけで、恋の神経はだんだん麻痺して来る」そしてその頃「さよなら」の歌詞を聴いてあらためて強い感慨が体中を突き抜けた。ああ、終わったんだなあという。「愛したのは確かに君だけ。。」奇しくも季節は既に冬になっていた。
小田の瞠目すべきセンスはソロ作にも数多い。オルガンによるイントロと表題から入る歌いだしが印象的な「伝えたいことがあるんだ」や「あの日あの時あの場所で出会わなければ見知らぬ二人のまま」とやはり個人的にY子との出会いを彷彿させる歌詞が秀逸な「ラブストーリーは突然に」など、ドラマの力を借りなくても十分にドラマティックだ。
★谷山浩子
「しっぽの気持ち」テープで所持。
小〜中学時代に朝食を取りながら聴いていたNHKみんなの歌は、子供向けの歌として片付けてしまうにはあまりにも個性の強い曲が揃っていた。言葉本来の意味からすればプチプログレと言ってしまってもいいくらいだ。対照的にプログレというジャンルにとらわれすぎて日本人としてのアイデンティティーを放棄したかのようないわゆるジャパニーズプログレと呼ばれる面々は、どんなに完成度が高かろうと、聴く気が起きない。何より肩に力が入りすぎてしまっている。イタリアンロックの持つ見事なローカル色と比べると雲泥の差だ。プログレに限らず今の音楽はコンビニ文化のなれの果てというのか、どんどんオリジナリティーがなくなってきている。話がだいぶ横道にそれてしまったようだ。谷山の音楽的ルーツが実は後期ビートルズにあることは意外に知られていない。さらに言えばクリムゾンのファンでもあるのだ。だが彼女の音楽を聴けばそれは容易に納得できることだ。未確認ではあるが、ケイトブッシュも意識しているかも知れない。みんなの歌で取り上げられていた「まっくら森の歌」などは「魔物語」の大向こうを張れるだけの名曲だ。
「まっくら森」と並び、俺の中での「みんなの歌」ベスト3の残りの2曲を紹介したい。大貫妙子の「メトロポリタンミュージアム」と戸川純の「ラジャマハラジャ」だ。いずれも個性の塊のような曲なのに驚くほどキャッチーで頭の中かでずっとメロディーが鳴り続けていたものだった。特に後者のポップな中でのシタールの取り入れ方などには完全にぶっ飛んでしまった。こいつはジョージハリソン以上だと。