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頭の中がぐちゃぐちゃで何も考えられない。
たった一晩で何もかもが急転直下で、どうしていいかわからない。
自分の気持ちがわからないまま、周囲の時間だけがどんどん流れていって
置き去りにされるような気がする。
ああ、でもなんとかしなくちゃ。
ラウルに記憶操作が出来ない以上フランスに行って兄に会わなければいけない。
嬉しくないわけがない。
本当はずっとずっと会いたかったから。
会ってごめんなさいを言いたかったから。
でもこのままフランスに戻ったら二度と日本に帰ってこれないかもしれない。
ううん、きっと帰してはもらえない。
こんな危険な事をしていると知ったら、いつ命を落とすかもしれないって知ったら兄が此処に戻ることを許すはずがない。
以前のように記憶喪失で押し通せる?
だめね、今度こそちゃんと話さなければ兄は納得しないわね。
ラウルと二人でタッグを組んで私が日本に帰るのを阻止するわね、きっと。
そこまで考えてハタっと気付く。
わたしが此処に残りたがっていることを。
フランスに行けば静かに暮らせるのに。
此処にいればまた辛い闘いに赴かなければならないのに。
なのに。
なのにわたしは此処にいたいの。
どんなにつらい未来が待っていても、みんなと一緒にいたいの。
みんなが大好きなの。
柔らかいイワン。抱いていると心が温かくなるの。
ときどき喧嘩しちゃうけど、ジェットがいるといつも明るくなれる。
いつも正しい道を示してくれるアルベルト。
ジェロニモの傍にいるとわたしまで花や鳥の気持ちが分かる気がするのよ。
大人の愛情たっぷりのおいしい料理は元気の素。
気障な英国紳士とは一晩中でも芸術の話が出来るわ。
本人に言うと怒られるだろうけど、ピュンマは笑うと凄くかわいい。
博士は何かに夢中になると食事も食べなくなっちゃうから
いつもジョーと一緒に研究室から引っぱり出すのが大変で。
ジョーは……
ジョーは……
フランソワーズは俯いて自分の指先を見つめた。
『お兄さんの元ヘ帰してあげてください』
ジョーがそう言ってみんなを説得したとラウルに聞いた。
ジョーわかってる?
フランスに戻ったらニ度と会えなくなるかもしれないのよ?
あなたそれでも平気なの?
わたしの為を思って言ってくれたの?
それともお互い想いあってると感じていたのはわたしの勘違いだったの?
出口が見つけられないまま二日が過ぎた。
その間仲間達はみないつも通りに接してくれた。いや、さりげなく気
づかってくれていた。
張々湖の作る料理はフランソワーズの好物ばかりだったし、ジェロニモが作り始
めた木彫りの人形は多分フランソワーズへの餞なのであろう。
いつもいろいろ問題行動を起こしてはフランソワーズに怒られてばかりのあの
ジェットでさえ、模範的な生徒の様に大人しくしている。
「ラウルは?」
「今日も朝早く食事を済ませたらすぐに研究室へこもってしまったよ。今日中
に眼を通し たい文献があるんだとさ。」
グレートの言葉にフランソワーズはそう、と答えたきり黙り込んでしまった。
あれからずっと考えていた。
自分はどうしたいのかと。
兄に会いたい。心配させてごめんなさいと謝りたい。 フランスに戻ればもう
悲惨な光景も誰かの断末魔の声も聞かずに済む。 あれ程望んだ静かな日々が
待っている。
でも。
ここに残りたいという気持ちも本当。 みんなは大丈夫だというけれど、確かに
私の戦闘能力は低いけれど、レーダーとしての役割を担えるのは私しかいない。
私が抜けた後の闘いで、誰かが傷付いたりしたら!と思っただけで怖くて堪
らない。
いくら考えても二つの気持ちに心が裂けそうになるだけで、答えが出
せないでいる。
顔を上げてリビングを見渡す。
みんなで何度となく集まって笑ったり怒ったりした部屋。
テレビの上に飾られている写真はこの前のクリスマスに撮ったもので、大きな
ツリーの前で皆が笑っていた。 写真嫌いなジョーやいつもニヒルなアルベルト
さえもにこやかに微笑んでいる写真はフランソワーズの宝物だった。
もし仲間の誰かが、『ここに残れ』と一言言ってくれたら!とつい
思ってしまう。
そんなずるい自分に嫌悪感が湧く。
それでも誰かが引き止めてくれたら。 『お前の力が必要だ』
と言ってくれたなら、私は……。
そう言葉に出した途端、悲し気な兄の顔が浮かんで身体が強張った。
ここに残るということは兄を断ち切るということ。
あれだけ私の事を愛してくれている兄を更に哀しませるということ。
そんなことは出来ない。
兄にこれ以上つらい想いはして欲しくない。
どうしても両立できない想いがまたフランソワーズを襲った。
両方とも大事なの。どちらかを選ぶなんて出来ないのに。
「フランソワーズ」
ジョーの声にハッと我にかえりフランソワーズは目線を上げた。
目の前にジョーの顔があって、思わず赤面してしまう。
「なあに?」
「今から映画を見に行かない?見たがっていたのがあったろう?」
それはある一組の夫婦の物語。
穏やかで温かな日常を暮らす夫婦が、妻の発病をきっかけに自分たちの生き方を見つめ直していくストーリー。
およそ地味で若者受けするような映画ではないが、原作を読んだフランソワーズはその話を気に入っていた。
キャスティングも素敵だったので、テレビでCMが流れているのを見て『見に行こうかな』とつぶやいたのだった。
でも男の人が楽しいと思う様な映画ではないし、行くとしても一人で見に行くつもりだった。
あのときにつぶやいた言葉をジョーが覚えていてくれたことが無性に嬉しかった。
「ありがとう、でも貴男には退屈よ、きっと」
「そんなことはないよ。じゃあ決まり。着替えておいでよ。」
映画はすばらしい内容だったのだと思う。
地味な内容の割には口コミでじわじわと評判が広がっているせいか、平日だというのにけっこう人が入っていた。
お互いを思いあう夫婦の姿に会場のあちらこちらでハンカチで涙を拭う姿が見られた。
いつもなら、感情移入しやすいフランソワーズもハンカチのお世話になっているところだが、終盤が近づくにつれ逆にどんどん気持ちが醒めていった。
この映画が終わればジョーと過ごす時間も終わってしまう。 そしてなぜ彼が映画に誘ってくれたのかも察してしまったから。
いくら人気がでても、この地味な邦画がフランスで上映されることはない。
せめて日本にいるうちに見に連れていこうと誘ってくれたジョーの気持ちが嬉しくも悲しかった。
映画を見終わった後、二人は手をつないで町を歩いた。
おおきな公園を見つけるとベンチに座り、買ってきた缶のお茶を飲んだ。
遠くから、野球をしているらしい子供達の歓声が風に乗って聞こえてくる。
それ以外に聞こえるのは風が木々の葉っぱを揺する音だけ。
「連れて来てくれてありがとう。」
「どういたしまして。」
「で、わたしを連れ出して今頃はわたしのお別れ会の準備でもしているのかしら。」
ジョーが苦笑しながら答える。
「さすが、するどいね。張々湖とグレートがすごいごちそうを作るってさ。」
ジョーがちょっと俯いた。
「……いつもみんな、君に送り出してもらうほうだったろう?君はみんなが帰国する前の 晩にはそれぞれの好物を作ってくれて。
だから今度はそのお返しをするんだってみんな張り切っているんだ。」
胸がギュッと掴まれたように痛くて息苦しくなった。
ジョーの横顔を見つめる視界が歪んだかとおもったら、涙がこぼれ落ち頬を伝った。
「……今日中に資料に目を通して、明日の夕方には君を連れて帰りたい、と今朝ラウルさ んに言われたんだ。」
涙がどんどん溢れ出て、すぐ横にいるはずのジョーの顔が見えない。
わたしが大好きなジョーのアンバーの瞳が見えない。
「此処に残りたい……」
手を伸ばしてジョーの腕を掴んだ。
「みんなと一緒にいたい。一緒に、ずっと一緒にがんばってきたのに」
胸が痛くて張り裂けそう。
「ジョーと一緒にいたい。」 今までの数々の思い出が次々と浮かぶ。楽しかったことも、つらかった日々も。
助けて。息が出来ない。胸が痛い。苦しい。
ぎゅっとジョーの胸に抱き寄せられた。
見かけよりずっと広いその胸に顔をうめてフランソワーズは更に泣いた。
みんななぜ何も言わないの?きっと此処には帰ってこれない。 もう一緒に闘えない。 ずるいって思わない?わたしがいなくても平気?さみしくない?
あなたは?あなたはさみしいって思ってくれないの?
どうしてフランスに帰れっていうの?
子供みたいに泣きながら次々に聞いた。 ジョーはずっと黙ってフランソワーズの髪を撫でていた。
「……此処に残っちゃ駄目?……」
ジョーはただフランソワーズを抱き締めていた。
此処に残って欲しい、と言えたらどんなに良かったか。
本当は君と離れたくない。いつまでもこうして自分の腕の中でフランソワーズを感じていたい。
だけど……。
だけど、此処には平穏はない。
僕の体から硝煙の匂いが消える日はこないだろう。
天使の様な君に、なにより幸せになってもらいたい君に、もうこれ以上絶望するようなつらい現実をみせたくはなかった。
どこでもいい。例え遠く離れていても、フランソワーズには夢や希望に溢れた温かな世界で生きてもらいたかった。
ジョーは胸に抱き寄せていたフランソワーズの顔を両手で挟むように包み込むと、ちょっと体を離した。
「ジョー?」
フランソワーズは自分の瞳に映るジョーのこの上も無い優しい笑顔に見蕩れながらつぶやいたが、ジョーの固い決意のこもった口調に体をこわばらせた。
「聞いて、フランソワ−ズ」
ジョーの瞳はあいかわらず優しいが、その奥に光る意志の強さに、次に彼が何を言い出すか想像できて、フランソワーズの眼にはさらに涙が溢れ出てくる。
「君はお兄さんの元ヘ帰るんだ。その方がいい。」
心が痛くて叫びだしたいのに、声が出ない。
「笑っていてもらいたいんだ、君には。 本当は闘いなんて似合わないんだ。
本来君が居るべき場所で、君らしく生きて欲しいんだ。」
ジョーは笑顔だった。いつもの優しい瞳が微笑んでいた。
フランソワーズは今の状況も一瞬忘れてその瞳に引き込まれた。
「イワンが言っていた。 ラウルさんに記憶操作が効かないのは、彼が君の事を強く思っているからだって。 心配していたんだよ、ずっと。催眠にもかからないくらい。 きっと君のお兄さんはもっと心配してたよね。」
帰った方がいい、帰れる場所があるのなら、待っている人がいるのなら。
仲間もそれを望んでいるよ、とジョーの言葉に迷いは無かった。
「……わたしがいなくても平気なの?」
「平気じゃないよ、正直寂しい。でもね」
ジョーは再びフランを抱き寄せるとこれ以上ないくらい、優しく言った。
「君はいつも僕の、僕らのそばにいるよ、例え遠く離れていても。」
「……そばに?」
「うん。君の住む世界を守る為に闘うんだ、僕らは。君が笑っていられる世界にする為 に。 だからいつも君はーーーーーー」
「わたしは?」
「君はいつまでも僕らの心の支えだし、だから離れていてもいつも一緒に闘っているんだ よ」
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