凍った月

(14)




この一ヶ月の間、フランソワーズはあらゆる可能性を考えて脱出ルートを模索していた。
研究所内にはいたるところにモニターが備え付けられているため、脱出を試みても直ぐに発見 されてしまう。
唯一可能性として残されたのは、所内にはりめぐらされている送風口を通って出口まで辿り着くことだった。
今まではフランソワーズに与えられた個室は天井に付けられた監視カメラで24時間チェックされていたし、 どこに行くにも兵士達が常に銃を持って監視していたので、脱出の機会は皆無といって良かった。
それ故仲間の助けをただ待つしかなかったのだが、博士達が協力してくれるということになれば話は 違ってくる。
幸い研究室と治療室にはモニターの類いは一切置かれていない。
監視役の兵士達はレイチェルが廊下に人払いしたままだし、この機会を生かさない手はない。
送風口を通り、200メートル程進んだところで壁の中にある配管メンテナンス用の通路へと降りる。
そしてその通路を通って格納庫へと向かい、飛行艇を奪取して外に出る。
これがフランソワーズの考えた脱出計画だった。


ただしこれは正直言って賭けである。
格納庫等の重要施設にはシールドが張ってあるのでフランソワーズの能力を持ってしても覗くことは出来 ない。
他の脱出口も掴めていない今の状況では、格納庫だろうと目星をつけた建物の西側にある広いシールド された空間に進むしかないのだ。
一応博士達にも格納庫の位置を確認したが、ここ何年も外の世界に出ることすらなかった博士達には 正確な位置が判ろうはずもなかった。
格納庫の位置が予想と違っていたら、そして整備や監視にあたっている兵士達が対処できない程多 ければ、まともな武器一つないフランソワーズにはどうする事も出来ない。
自分の命を賭けるだけではない。
博士達やシドニーの運命さえも自分が握っているのだと思うと怖くて身体が震えてくる。
(ジョーはいつもこんな想いをしてるのね……)
もちろんできるだけ仲間の意見を聞き、集められうる情報を全て集めた上で判断をくだす事の方が多 いが、それでも今までの闘いの中でいつも最終的な決断を下すのは彼だった。
かなり際どい状況で選択を迫られる事も少なくなかった。
(そんなとききっと彼もこんな不安と闘っているのだ。)
どんなときも不安などおくびにも出さずに「行こう」と皆を奮い立たせてくれる彼は、どんな気持ちで戦場に皆 を送りだそうとしていたのか……。
ジョーの強い真摯な瞳を思い浮かべた。 不安や心細さを全て心の奥底に隠して微笑む彼の顔を思いだしてフランソワーズは決意を固めた。
此処で黙って理不尽な運命を受け入れるわけにはいかない。
不安そうにフランソワーズを見つめる博士達を励ます様にフランソワーズは微笑んだ。



シドニーの傷に響かない様にと身体にプロテクターを付けて固定し、シーツを裂いて簡易おぶいヒモ にしてキム博士が背負った。
送風口は大人がようやく四つん這いで進める広さしかなかったので、この行軍はかなり大変な作業 になった。
シドニーを背負ったキム博士はほとんど匍匐前進に近い姿勢での前進を強いられたし、体格のいい ハミルトン博士にいたってはほんの少し進んだだけでもう息があがってしまっていた。
予想以上に時間がかかってしまい内心かなり焦っていたフランソワーズは、とてつもなく長く感じた200 メートルが終わって配管メンテナンス用の通路に降りたときには心底ホッとした。
眼と耳を使って周囲を探るが兵士達がうろついている姿は見えない。
更に広い範囲を探索しようとレンジをあげた途端、まるで断ち切られたように唐突に視界が閉ざされた。
慌てて耳をそばだてるも聞こえるのはノイズだけ。
この時丁度009達が研究所に侵入を始め、レイチェルが所内にジャマーを張ったからだったが、もちろん フランソワーズは知る術もない。
てっきり自分たちの脱出がばれて、それを阻止する為に自分の眼と耳を塞いだのだと理解した。
急がなければ……。
メンテナンス用の通路の見取り図は頭の中にしっかりインプットされている。
あとはこのまま格納庫へと向うしかない。
フランソワーズはこれから進むべき道を指し示した。
「さぁ、行きましょう。この先に格納庫があるはずです。」





メンテナンス通路には誰一人いなかった。
一応警戒しつつも順調に格納庫脇の整備室へと辿り着いた博士達は胸を撫で下ろしたようだったが、 フランソワーズだけは緊張を解いていなかった。
博士達を不安にさせてはいけないと思い、先程から自分の能力が使えなくなっていることは伝えていない。
整備室と格納庫を隔てるドアを開けた途端、兵士達が銃を構えていないとも限らないのだ。
しかし格納庫には誰一人おらず、緊張してドアを開けたフランソワーズは安堵して息を吐き出した。




格納庫の片隅に中型の飛行艇が停まっていた。
隔壁の開閉装置の場所を確認すると、フランソワーズは博士達に先に飛行艇に乗り込む様に指示を出 した。
「わたしは隔壁を開けてきます。先に乗り込んで待っていてください。」
博士達が慌てて飛行艇に向う姿を視界の端で確認し格納庫の隅にある開閉スイッチへと走り出した。
しかしそのすぐ後に広い空間に響いた乾いた破裂音に、フランソワーズはぎょっとして動きを止めた。
「キム博士!!」
ブラウン博士の絶叫が聞こえると同時にフランソワーズはきびすを返した。

飛行艇のハッチが開き、その下にキム博士が蹲っていた。
立ち尽くすハミルトンとブラウンの身体 はわなわなと震え、二人は一点から眼を離せずにいた。
その視線を辿ったフランソワーズは、開いたハッチの上で銃を構えたレイチェルを確認し、その銃口がキム 博士の背中に背負われている シドニーを狙っているのを認めると、その間に割って入った。


レイチェルの唇がゆるゆると持ち上がり、とてつもなく魅惑的な微笑みへと変わる。
だが彼女の瞳は笑っていない。
狂おしいほどの乾いた心の色を映して、その両眼はぎらぎらと輝いていた。
「残念だったわね。いい線いってたわよ、003。もう少し気付くのが遅かったら、まんまと逃 げられていたかもしれないわ。」
蹲るキム博士の太ももからズボンを伝わって赤い鮮血が床に流れた。
その赤い色を見て、ようやく我に返ったハミルトンとブラウンが恐る恐る近づいてくると、背中にしょった シドニー をそっと床の上に降ろし、キム博士を寝かせて、白衣を裂いて止血を始めた。
その様子を見てレイチェルは馬鹿にしたように言い放った。
「そんなことをしても無駄よ。裏切った人間は許さないわ。あなたたちの替えなんていくらでもいるんだから。
みんな此処から逃がさないわ。」



フランソワーズはレイチェルを睨みつけた。
恐れていた最悪の展開になってしまった。
「博士達は無理やりわたしが巻き込んだのよ。撃つのならわたしを撃てばいいでしょう?」
大きく両腕を広げ、博士達をかばうかのようにレイチェルの前に立つフランソワーズの姿を、不快そうに眉 をひそめてレイチェルは見つめ返した。
全身で皆を守ろうとするフランソワーズの姿に、心がまるで逆撫でされたかのようにざわついた。
この娘はなぜ他人の為に自分の命を投げ出そうとするのだろう。
今まさに殺されそうだというのに、なぜこんな強い瞳でまっすぐ見つめ返してくるのだろう。
003のこのひたむきな強さはいったい何なのだろう?
ああ、いやだ。
この娘を見ていると、いつも私の心はざわつきはじめる。落ち着かなくなる。
自分が昔どこかに置いて来てしまった何かを思い出して、心が悲鳴を上げ始める。
早く眼の前から消してしまわなければ。00ナンバーが取り戻しにくる前に。
もうこの基地はそう長く持たないだろう。
003を始末したら、このまま飛行艇で脱出しよう。
そして何処かに新しい研究所を作ってまた全てを記憶の奥底に沈めて、ニ度とふたが開いて苦 しまないで 済む様に頑丈に鍵をかけよう。
「……御希望どうり、あなたを殺してあげるわ、003。」
そうよ、あなただけ幸せになんかさせない。 私だけが孤独だなんて耐えられない。
レイチェルはフランソワーズの額に銃口を合わせた。
トリガーにかけた指に力が入る。
フランソワーズはただ黙ってじっとレイチェルを見つめ続けた。








今まさにフランソワーズが撃たれようとしたそのとき、格納庫の扉が軽い音を立てて開いた。
「困りますな、勝手な事をされては。」
数人の兵士を引き連れて現れたのは、嫌みな笑いを口元に浮かべたグランツだった。
その手に握られた銃弾が、驚いて振返ったレイチェルの腹部を貫いた。
あっけにとられ、その場にいた誰もが動きを止めた。
レイチェルだけが信じられない様にのろのろと撃たれた場所を手でそっと押さえ、そこから赤い血が流れ出 しているのを確認するかのように手のひらを濡らす血を受け止めた。
レイチェルの瞳が燃え上がり、視線でグランツの息の根を止めようかとするかのように睨みつけた。
「……自分が何をしたか判っているの?上官に銃を向けるなんて厳罰ものよ。」
荒くなった息を隠すかのように大きく息を吸い込んで痛みに耐えると、レイチェルは 気丈にも胸を張って自分の優位を示そうとした。
しかしいつもどこかおどおどとしてレイチェルの機嫌を伺っている様なグランツの姿はどこにも見られず、 彼は勝ち誇ったような微笑みを浮かべた。
「上官?私の上官はレイチェル様ですよ、あなたではありません。」
「何を行っているの?」
グランツの豹変ぶりに痛みすら忘れていぶかし気に見やるレイチェルの視線をものともせず、グランツ は続けた。
「あなたはレイチェル様ではありませんよ。私の上官はいつも冷静沈着で、ときには非情な程冷徹 だったレイチェル様です。
嫉妬に狂い、敵の来襲に背を向け、おろかな指示をだすような人はレイチェル様ではありえません。そんな 馬鹿な人物は……夫に捨てられた恨みつらみで整形手術で若返りを繰り返し、それでも対処できなくなると 今度はクローンの皮を剥ぐ、愚かで醜い老婆のシドニー.ブロンテ博士くらいでしょう?」
レイチェルの顔が真っ青になり、口元が細かく震えだした。
「グランツ……あなた……」
「ええ、知っていましたとも。貴女がアジア支部に配置替えになって私の上官になったときに調 べたんですよ。支部を変わるなんて異例なことですからね。
そうしたらおもしろいではないですか。その前にいたヨーロッパ支部にはバーシア、その前の南米支部には シドニーというあなたそっくりの人物が全く同じ顔で存在していたんですよ。もう30年以上たつというのに。
貴女はいつも私を能無しだの役立たずなどといって馬鹿にしていましたが、私もずっと、本当は シワシワの老婆のくせにとあなたをあざ笑ってきたんですよ、シドニー.ブロンテ博士」


グランツはおかしくて仕方が無いというかのように、にこやかに笑いながらなおも続けた。
ずっと押さえ付けていた思いをようやく発散できる喜びに、グランツの舌は饒舌になり、自分が調 べあげた レイチェルの秘密を全て暴き立てた。
レイチェル、いやシドニー.ブロンテが子供が欲しいと願うばかりに研究に没頭し、そのあげくに夫に捨 てられたという一番触れて欲しくない過去までも暴露されたレイチェルの顔は、もう血の色を失っていた。
足元から砂に飲み込まれる様に身体が沈んで行く様な感覚にレイチェルは眼を閉じた。
不思議と悔しさも怒りも悲しみすらも感じられなくなっていた。
本人は気が付いていなかったが身体は 小刻みに震え、そして膝から崩れ落ちる様にして飛行艇のハッチから転がり落ちた。


グランツの衝撃の告白におもわず固まっていたフランソワーズは、床に倒れ込んだレイチェルを見て我 にかえり駆け寄った。
「レイチェル!」
おびただしい血があっという間に床を染める。
ぎくしゃくした動きで近寄って来たハミルトン博士がレイチェルの傷を確認し、フランソワーズの眼を悲し気 に見つめると黙って頭を横に振った。
銃弾は肝臓を撃ち抜き、今レイチェルの命の火は消えようとしていた。
そんなレイチェルを見てもグランツの憎々しげな独白は止まることはなかった。
更にむち打つ様にレイチェルの過去を暴いていくグランツの洪笑を、フランソワーズの悲鳴に近い声が 遮った。
「もう、もう止めて。もうこれ以上彼女を傷つけないで!!」






ずっと判らなかった。
なぜ彼女がこんなにも若さにこだわるのか。
命を生み出す研究をしていたはずの彼女が、なぜこんなにも簡単に自分のクローンを抹殺してしまうのか。
でもグランツの暴露で、全て判った気がした。

彼女はただ夫を愛していただけだったのだ。
大好きな人の子供が産みたかった、ただそれだけだったのだ。
けれどそれに夢中になり過ぎて夫が本当に望んでいたものに気付かず、ある日大事な人は彼女の元を 去って行ったのだ。
レイチェルは夫を取り戻そうと若さを追い求めた。
夫の愛が戻らない事を認められなくて、希望を捨てられなくて、長い間若さに固執し続けたのだ。
自分のクローンを作り、しかしずっと自分を許せないでいるレイチェルには その存在は耐えうるものではなく、目の前から消す事で自分自身を何度も殺した。
自分自身への復讐だったのかもしれない。
彼女のしたことは決して許されることではない。だけど、だけど……。



中庭でシドニーを見つめながら私は夢を見た。
大好きなあの人の子供が欲しいと。
そんなこと望み様もない自分の身の上など百も承知していたが、それでも止められない想いを自分は 知っている。
方法は間違っていたけれど、決して許されないことだけど、レイチェルはただ必死に夫だけを追い求 めてきた。愛されたいと願ってきたのだ。
その想いは痛い程フランソワーズの胸を打った。



フランソワーズの瞳から涙がこぼれ落ちた。
涙が頬を伝い、抱え起こしたレイチェルの顔に落ちた。
その冷たい感触にレイチェルがうっすらと眼を開けて、薄く微笑んだ。
「……馬鹿ね、他人の為に泣くなんて……」





なおも何か悪態をつこうと口を開きかけたグランツは、建物が細かに震え始めたのに気付き、「早く 飛行艇を発進させろ!」と慌てて兵士達に指示をだした。
次々兵士達が乗り込んでいき、最後にハッチに足をかけたグランツは床に座り込んだフランソワーズ達を 振返ると嘲る様に笑った。
「この研究所に爆薬を仕掛けたんですよ。この基地もろとも00ナンバーズを葬って、わたしはそれを手土産 にBGの幹部になりますよ。」



あちらこちらで爆発が起き始めたようで、建物全体が更に揺れ始めた。
天井や壁に細かい亀裂が入り始める。
そんな中飛行艇が発進しはじめ、格納庫の隔壁がゆっくりと開き始めた。
フランソワーズの腕の中でその様子を黙って見ていたレイチェルが、痛みを堪えながらかすれた声で 言った
「……頭を低く……飛行艇が爆発する……」
あわててハミルトンが床に横たわっているシドニーの上に覆いかぶさった。
フランソワーズもレイチェルを庇う様に彼女の頭を抱え込んだ。
その途端に凄まじい爆風が格納庫内を 駆け巡り、振動が身体を襲った。
熱い炎を纏った風が終わると飛行艇の残骸が降って来て、ガランガランと大きな音を立てた。
そっと顔を上げたフランソワーズが見たものは、丁度隔壁の手前で横倒 しになっている飛行艇の残骸だった。
海を望む岩肌に作られていた隔壁はそれを覆っていた岩盤と一緒に吹き飛び、ぽっかりと青い海が大 きくあがった穴から姿を覗かせていた。
「……エンジンを始動させて5分以内に……解除コードを入力しないと、爆発する様にセットしてあったのよ……。」
レイチェルの声は更に小さく細くなっていたが、彼女の今の状況からは信じられないほどしっかりした口調 だった。
皆の安否を確認するが、シドニーも博士達も怪我はしていない。
大腿部を撃ち抜かれたキム博士もハミルトンたちの手で止血されており、命が危険 になることはないだろう。
フランソワーズは自分の腕の中で浅く肩を上下させているレイチェルを痛ましそうに見るとそっと問 いかけた。
「00ナンバーが……仲間が来ているのね?」
この基地はもうもたない。グランツが仕掛けた爆弾がさらに誘爆を産んでるのか、先程から床の揺れが止 まらない。
早く脱出しなければ基地の崩落に巻き込まれる。
けが人を連れてではとても逃げ出しようもないが、 此処に彼らが来ているのなら希望はある。
何とか彼らとは連絡をとらなければ。




フランソワーズが思案していたそのとき、瓦礫の一つが持ち上がりその下から顔を血まみれにしたグランツが顔を出した。
怒りに燃えたその瞳がまっすぐフランソワーズとレイチェルを見据えると、ぎょっとして腰を浮かし掛かった フランソワーズの顔に銃口が狙いを定めた。
レイチェルが持っていた銃は飛んで来た飛行艇の破片の下に埋まっている。
抵抗するすべのないフランソワーズの青ざめた顔を見て、グランツの血に染まった顔が陰湿な微笑みに歪 んだ。



近くまでジョーが来ているのに。
ジョーが助けにきてくれたというのに。
一目会いたかった。
ジョーの顔が見たかった。
それが無理ならば、命が終わる最後の時にはジョーの顔を思い浮かべたい。



トリガーがまさに引かれようとしたとき、フランソワーズは眼をぎゅっとつぶった。
乾いた銃声が格納庫内に響いた。









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