凍った月

(15)




グランツの銃から轟いた銃声を聞いた途端、足を打ち抜かれて床の上に横になっていたキム博士は痛 みを忘れて身体を起こした。
爆発した飛行艇から飛んで来た破片で切ったのか、頬の切り傷から血をにじませたブラウン博士がキムの 身体を庇う様にして覆っていたが、その彼も上半身を起こして呆然とした表情でフランソワーズの方を見 つめていた。



銃弾はフランソワーズの身体を貫いてはいなかった。
風のように飛び込んで来た若者が、まるで彼女の楯になるかのようにグランツとフランソワーズの間にその 身体を滑り込ませていた。
黄色いマフラーがふわっと舞い上がり、彼の表情を覆い隠していたが、その背中からは隠しようもない怒 りのオーラが立ち上っていた。
握られていた彼の右手がゆっくりと開くと、弾丸の成れの果てらしい金属の欠片が床にぽろぽろとこぼれ落 ちた。








管制室の手前で009は更に先程の奴らと 同様加速装置を備えている サイボーグマン1体に出くわした。
赤い戦闘服を何度もレーザー光線がかすめる。
応戦するが、逃げ出して来た一般兵士達が邪魔になって思う通り闘 えない。
例えBGであっても人間で在る彼らを出来るだけ犠牲にはしたくなかったが、 その点逆にサイボーグマンの方がシビアで、 兵士の命等には躊躇もしなかった。
サイボーグマンの放った光線は何度も逃げまどう兵士を貫き、そして加速状態の彼らには止まって見える 兵士達を楯にしてその身を守ろうともした。
これでは先に進めない。
焦る気持ちを必死で押さえるが、こうしている間にもフランソワーズへの手がかりが再び 途絶えてしまいそうな気がして堪らなくなる。
何処かに血路を開かなければと更に加速しながら闘うジョーの眼が、廊下の壁につけられた 起爆装置をとらえた。
起爆装置のタイマーがあと2秒を示している。
これだ。
あと2秒。
加速状態の彼らにとっては長い時間だが、009はタイミングを計りながら体勢を整えていった。
あと 一秒。
サイボーグマンをまだ起爆装置に気付いていないようだ。009は相手に気付かれぬ様に、背を向けるような姿勢に追い込んでいく。
懐に飛び込むと、相手の顔面に拳をねじ込んだ。サイボーグマンはよろけるように壁に叩き付けられた。
その瞬間爆発が起こった。
もちろん加速状態の彼らにとってはその爆発さえもスローモーションだったが、背を向けた状態の サイボーグマンは背後で起きつつある爆発に気付くのが遅れた。
慌てて身をかわそうとしたところを渾身の力をこめた009に再び殴られ、起爆装置の方に飛ばされた サイボーグマンは、丁度爆発に巻き込まれるかたちになった。
加速が解けるのと同時にサイボーグマンの身体は吹き飛んだ。


009はそれをちらっと確認するとすかさず身を翻し、その先にある管制室に飛び込んだ。
そこは無人で、ジャマーの為に機能をすっかり失っているモニターが雑音を出 しながら白く光っているだけだった。
ジョーが知る由もなかったが、最高指揮官であるレイチェルが闘いを投げ出したことで、兵士達の動揺 はもう押さえる事が出来なくなっていた。
副官のグランツもすでにこの基地を見限り、その場に残された兵士達を引き連れて脱出しようと格納庫へ 向っていたのだった。


とにかくジャマーを切ってフランソワーズと連絡をとらなければ、とスイッチを捜していた009は、コンソールの端で赤い光がポッと光ったのを見て慌てて駆け寄った。
確認するとそれは格納庫の隔壁が開き始めたことを示していた。
誰かが何処かに逃げる。
あの基地で飛行艇に載せられて連れ去られた003の姿を思い出した。
「ちっ」
格納庫の位置を確認しているところに002が飛んで来た。
「ロボット兵はあらかた片付けたぜ。兵士達は戦闘よりも逃げるのに必死って感じだぜ。」
ジョーは基地の見取り図を映し出したモニターから眼を離さずに002に言った。
「僕は格納庫に向う。飛行艇が発進体勢に入っているんだ。003が乗せられている可能性もある。」
「何?」
その時基地全体が突き上げる様に揺れた。
研究所のあちらこちらに仕掛けられた爆薬が爆発しているようで、細かい揺れも止まらない。
「どこの阿呆だ?こんなにむやみやたらに爆薬を仕掛けてったのは。」
002の言うとおりだ。
無秩序に取り付けられた爆薬が次々と爆発し、施設そのものが崩れるのも時間の問題だろう。
009は002を振返った。
「ジャマーのスイッチを捜してOFFにしてくれ。003と連絡がとれたら彼女を救出して此処を脱出する。」
加速音を残し009の姿が消えた。
002はジャマーのスイッチを必死で捜し始めた。







ジョーが格納庫に飛び込んだとき、フランソワーズの頭部に向けて弾丸が飛び出して行くところだった。
考える間もなく身体が動いた。
フランソワーズの前に身体を滑り込ませると、飛んで来た弾丸を素手で掴んだ。
サイボーグとはいえ、生身の人間に近いフランソワーズの命を奪うだけの威力のあるその弾丸は、ジョーの手のひらであっけなく細かい金属片に変わった。
「銃を降ろせ、さもないと撃つ」
必死に怒りをこらえ冷静で在ろうと努めるその声は、怒りを露にされるより何倍も恐怖心をかき立 てるものだったので、果たしてグランツの耳にちゃんと届いているかは疑問だった。
青ざめパニック状態になったグランツは、喚きながら銃を構え直し連射した。
銃弾はジョーの胸に当たっていたが彼は微動だにせず、少し痛まし気な顔をしたその手から発射された光の 矢がグランツの身体を撃ち抜いた。




サイボーグ009。
BGの当時の科学力の粋を集めた最強の戦士。
先程モニター越しで見た彼は、張り詰めた緊張感と強い決意でその瞳を輝かせていた。
怖いくらいに真摯な瞳。眼を離せないくらい、強い強い光が宿った眼差し。
しかし今、振返った彼が彼女を見つめる瞳は…………。
さきほどの怒りのオーラは既に消え去り、フランソワーズの元に駆け寄る彼の表情からは、安堵と嬉 しさと愛おしさが溢れていた。
そしてそんな彼を見つめるフランソワーズの瞳からは涙が止めどなく流れていた。
「……元気そうで良かった……」
「きっとあなたが助けに来てくれるって思ってた……」
無事を喜び抱き締める訳でもない。
戦闘の最中に交わされる短い言葉だったが、その間に通う二人の愛情と信頼の深さがレイチェルの胸にも伝わって来た。
つい先程までは殺してやりたいとフランソワーズに銃を向けたレイチェルだったが、今涙が溢れるのを止める事が出来なかった。
心が熱くなり、胸の奥から湧いて来た涙は止まる事なくその頬を濡らし続けた。
涙はゆっくりとレイチェルの心に滲み渡り、胸の奥の氷の鎧に身を固めた自分自身をも溶かしていった。







研究所がまた小刻みに揺れた。
壁がピキピキと音をたて、斜めに亀裂が入った。
「もうこの施設はもたない。002がジャマーを切り次第、皆を呼んで脱出しよう」
ジョーの言葉に頷いたフランソワーズは、レイチェルの眼が何かを訴えているのに気が付いた。
レイチェルの口元に耳を近付けて、もうかすかな吐息にしか聞こえないその声を聞き取った途端、フランソワーズの顔が強張った。
フランソワーズは心配そうに覗き込むジョーの顔を見て言った。
「……研究所が修復不可能な程破壊されると自動的に 地下の核融合炉の自爆タイマーが入るって……島が吹き飛ぶ規模らしいわ。この海域を早く脱出しなさいって。」



「核……融合炉?」
009が絶句した。もしそれが爆発したら、この近辺は多量の放射線で汚染される。
海で囲まれているこの島から海洋汚染が、そして空気中にばらまかれた放射性物質は海風に乗って遠くの島々へと広がるだろう。
「き、聞いた事があります。BGの開発した小型だが稼働力の高い核融合炉が地下にあると。」
ハミルトン博士が言った。その顔は真っ青である。
放射性の汚染がどれだけ自然を狂わし、命を蝕んでいくものかは誰もが理解していることだ。
「解除方法は?」
009の問いにレイチェルの唇が動いた。
フランソワーズが一言も聞き漏らすまいと耳をそばだてる。
「……核融合炉の……直コンピューターに解除コードを……入力すれば止まる! コードは……『M,A,U……』」
解除コードを読み取ったフランソワーズはジョーに伝えていく。
その青い瞳がジョーを真正面から見つめた。
「私は大丈夫。行って、009。核融合炉を止めて。」
ジョーがこくんと頷く。止めなければならない。なんとしても。
あまり時間がない。 加速装置を使っても果たして間に合うのかどうか。
「判った。直ぐに戻るよ。002がジャマーを解いたら連絡をとって皆を避難させてくれ。」
そう言った瞬間、ジョーの脳裏に一ヶ月前の光景がデジャブのように蘇って来て 身体がこわばった。


あの基地でもこうやって別れた。
フランソワーズが先に進む様に言い、自分は地殻変動装置を止める為に彼女を置いていった。
「大丈夫」という彼女の言葉も、「すぐ戻る」と誓った自分の言葉も同じだった。
すぐ戻るーーーだがあの後フランソワーズは行方不明になり、一ヶ月が過ぎてしまったのだ。
どれだけ長く辛く不安な日々だっただろう。
今別れてまた同じ事になったら……。
だけど……。
ジョーはフランソワーズを一瞬見つめると姿を消した。
迷っている時間はない。
自分がやるべき事は一つ。
核融合炉の爆発を防ぐ。そして一刻も早く此処に戻ってくる。
何度同じような事態になっても自分は同じように動くだろう。
それがサイボーグ009として採るべき最善の道だから。
ジョーは地下に向って加速して走った。融合炉の自爆を止める為に。







ジョーが姿を消して少しした頃、突然頭の中の霧が引いたように視力と聴力が戻って来た。
002の大音量の声が脳波通信で飛び込んできて、ちょっと顔をしかめながら返事をした。
「002、007。直ぐに格納庫に来て。けが人をドルフィン号まで運んで欲しいの。004、005、006。それ以上進まないで。地下の核融合炉の爆破スイッチが入ったらしいの。今009が解除に行っているわ。」
「核融合炉だぁ?なんてややこしいものを持ってやがったんだ。」007の愚痴が聞こえた。
他のメンバーからもカエルを踏みつぶした様な声が溢れた。
フランソワーズは002と007を格納庫まで、004達を地上の避難通路に誘導しながらジョーの無事を祈った。



聞き慣れたジェット音が近づいてきた。
続いて鳥に化けてきた007の羽音が聞こえて来た。
フランソワーズはそっとレイチェルを床に寝かせると、シドニーとブラウン、キム博士を007の背に、ハミルトン博士を002に任せた。
「すぐにお前も迎えにくるから、ちょっと待ってろ。」
こいつがこんなに重くなきゃ二人いっぺんに連れて飛べるのによ、とハミルトンに向って002が悪態をつくのをたしなめながら、フランソワーズは微笑んだ。
「大丈夫よ、002。009が必ず迎えに来てくれるから。私彼が来るのを待っているから。」


002が片方の眉を上げ、ふ〜んとニヤニヤしながらからかった。
「ふ〜ん、まぁ、奴が遅刻してきそうだったら呼べよな。超特急で迎えに来てやっから。」
002はそう言うと、ハミルトンを抱えて飛び上がった。
大きく開いた隔壁の穴から外に飛び出して行く。
あれだけゆっくり飛んでね、と念を押したというのに、激しい加速によるGで博士の顔が歪んでいた。
ハミルトンの悲鳴が段々小さくなる。
ドルフィン号に着くまで果たして博士が意識を保ってられるかどうか。
フランソワーズはため息をついた。
007の方はけが人を連れて行くのでゆっくりそっと身体を浮かせた。
「頼むわね、007」
フランソワーズの言葉に片目でウインクして007も高く飛び立った。





二人が飛び立つと、広い格納庫に残ったのはフランソワーズとレイチェルだけになった。
乱れたレイチェルの髪をそっと直すと、レイチェルの閉じていた瞼がうっすらと開いた。
「どうして教えてくれたの?核融合炉のこと……黙っていれば、わたしはこの研究所と運命を共にしてたわ。……わたしのこと、どうして助けてくれたの?」
レイチェルの口元がほんの少し持ち上がったように見えた。
声にならない口元の動きを読んだフランソワーズはなんとも複雑な顔をしたが、その後レイチェルの顔を見て涙を堪えきれなかった。
『……あなたとあの世でも一緒じゃあ……煩わしくて…しかたないわ。』
レイチェルの目尻にもこんもりと涙が溜まっていた。
フランソワーズはレイチェルの手を握りながら泣いた。
『馬鹿ね、私の為に泣くなんて……』
それが彼女の最後の言葉になった。
レイチェルの手を握っていたフランソワーズはその手を離し、胸の上で組ませた。





キュイン、という加速音がきこえたかと思うとジョーが姿を表した。
「……今回はちゃんと待ってたね」
ホッとしたようなジョーの表情にフランソワーズは苦笑する。
ミシミシっとまた大きな亀裂が壁に入った。
天井の一部がはがれ落ち、潰れた飛行艇の上に落ちて大きな音を立てた。
予想以上に崩落が進んでいる。
「融合炉は止めた。だけどこの施設の方がもたない。急ごう!早く此処を出ないと巻き込まれる。」
フランソワーズに近寄ったジョーはひょいと身をかがめてフランソワーズの膝の下と背中に手をやると、軽々と抱き上げた。
二人で眼を合わせてちょっと笑った。見た目より広いジョーの胸にフランソワーズは頬を押し付けた。
そんなフランソワーズを大事そうに抱えるとジョーは出口を目指して走った。









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