凍った月

(4)




所内にはシールドがはられていなかったので、フランソワーズの能力をもってすれば、情報を集める事はさほど難しいことではなかった。
もちろん機密情報が置かれている部屋は覗けないようになっていたが、フランソワーズは兵士達の詰め所や食堂のような場所に主にアンテナを伸ばした。
また、研究室に出向く度にさりげに情報を探った。
はじめは口が堅かった研究者たちも、ついついフランソワーズのお喋利に引き込まれ、ときどきぽろっと口を滑らせる事もあった。
そのかいあって、少しずつではあるが、此処がどんな研究所であるかが判ってきた。




レイチェルはBGのアジア支部の上級幹部。
人工子宮や早期育成システム等の開発で目覚ましい功績を残した。
今ではその美貌を生かして、さまざまな折衝活動や人員のスカウト、ときには諜報活動までこなす、やり手であった。
あの若さからするとかなり驚異的な出世で幹部に昇格したらしい。


そして此処は彼女のプライベートな研究施設だった。
彼女の為だけに用意された研究施設。
たった一人の幹部の為にこれほどの規模と人員を配置するのだから、レイチェルがどれほどBGから優遇されているかが判る。
しかしその優遇は、それだけBGに尽くして来た証である。
『氷の女王』とあだ名される彼女がどれほど非道な事をしてきたかが想像できた。





護衛につくBGの兵士達も、人間であるからには感情もある。
フランソワーズがにっこりと微笑めば、中には顔を赤らめて立ち尽くす者もいる位だった。
フランソワーズの華奢な体つきからは、彼女があの名高い00ナンバーサイボーグであることはなかなか結びつかないのも無理はなかった。

フランソワーズがより人に近く、そして唯一の女性型であるのは、BGが諜報活動、つまりその美貌をいかしてスパイ活動をすることも視野にいれての開発だったとギルモア博士に聞いたことがあった。
今までその手の活動をした事はなかったが、こういう事態になってくると成る程なぁと納得する。
話には聞いていても、上官にいくら気を許すなと言われても、天使の様な愛らしい容貌のフランソワーズを前にして、彼女がサイボーグであることを信じられずにいる者も少なからずいたし、実際休憩室で本当にあれがサイボーグなのかと話し合う兵士達もいたくらいだ。

『私ってけっこう悪女にも向いているかも……』
今日もあえて無邪気さを振りまきながら、護衛の兵士達から情報を集めていたフランソワーズは苦笑した。
もちろん兵士達はレイチェルを恐れていたし、その命令を覆そうとは思わなかっただろうが、それでも研究室と個室の往復だけの生活を送るフランソワーズを可哀相に思って、いろいろ便宜を図ってくれる者も出てきていた。




ある日、フランソワーズは研究室と個室の間の連絡通路の途中にある中庭に入る事を許された。
そこはベージュを基調とした殺風景なこの研究所で唯一癒される空間だった。
どうやらレイチェルのプライベートな空間に近いらしく、フランの眼でも透視出来ない場所だったので、その中庭を見れるのは研究室からの行き帰りだけだった。
融通の効く兵士が護衛についたときには時々立ち止まってガラス越しに覗かせてもらっていた。
瑞々しい緑はガーデニングが好きなフランソワーズに心の平穏をもたらせた。
あまりにいつも嬉しそうに眺めているので、その日護衛についた兵士たちは顔を見合わせると、中に入ってもいいと、大きな窓の脇に作られたガラスの扉を開けてくれたのだった。


「いいの?」
「しばらくレイチェル様はお出かけになっていないからな。……内緒だぞ」
「ありがとう」
今回ばかりは自然に笑顔がでた。嬉しい。
緑の中に飛び込んだフランソワーズは大きく息を吸い込んだ。



そして3度目に中庭に入る事が許されたある日、フランソワーズはそこで一人の少女に出会った。

その子は何も言わず、ただ黙ってフランソワーズを見つめていた。
3,4歳くらいだろうか、子供ながら整った顔だちの少女だ。
フランソワーズが手招きすると、警戒心もなく近寄って来て、フランの横にちょこんと座った。
金髪に薄いブルーの瞳。どこかで会った気がするわ、と考えていると、女の子の顔がレイチェルのそれと重なった。
似ている。
レイチェルのような冷たい瞳ではないが、どこかさめざめとしたその瞳がなぜか哀しみを感じさせた。
「私はフランソワーズよ。あなたは?」
小首を傾げてフランソワーズを見上げるその少女にもう一度名前を問いかけるが返事はない。
仕方なく自分を指さしてフランソワーズよ、と言い、その後少女を指さしてあなたは?と聞いた。
それでもまだ首を傾げて微笑んでいる少女は、どうも言葉をうまく話せないようだった。
発音器官には障害がなさそうだった。ときどき小さな声が溢れるから。
でもちゃんと言葉を習っていない,そんな気がした。
どこから来たの?と尋ねてみたら、中庭の奥を指さした。
フランソワーズの目で覗けない奥の空間。レイチェルのプライベートな場所。
やはりこの子はレイチェルとなにかつながりがあるのだと思われた。


そうそういつまでも中庭にいるわけにはいかなかった。
ガラス扉の向こうで兵士達がフランソワーズが戻ってくるのを待っているから。
いつもせいぜい30分だった。
それでもフランソワーズが中庭に入るといつも必ず少女も姿を表すようになり、二人はいつのまにかとても仲良しになっていた。






その少女との出会いはフランソワーズにとって大きな希望になった。
少女とレイチェルの間には確かに血のつながりを感じさせたし、あの冷血といわれるレイチェルに子供がいたのなら、人の親になれる人ならば、心を込めてBGから離れる様に説得すれば聞いてもらえるかもしれない。
子供の為にも真っ当に生きて行くように説得できるかもしれない。
それに何といっても子供と一緒に居られるのは楽しい。
此処に連れて来られてからもう1ヶ月近くが経とうとしていたが、その間フランソワーズは気の抜けない相手に囲まれてひとりぼっちだった。
こうして無心に遊べる時間はフランの心を思いのほか癒していた。


フランソワーズは少女に少しずつ言葉を教えた。
これは『木』、これは『葉っぱ』、これは『土』。
私は『フランソワーズ』、これは『手』、これは『眼』、あなたと一緒の『蒼い瞳』。


少女はまるで土が水を吸い取る様に言葉を覚えた。
語彙が増えていくにつれて、表情が豊かになっていった。
葉っぱがちらちらと舞い落ちてくるのを見て少女が笑った。
「フランソワーズ、葉っぱ。葉っぱがクルクル。」
一番大きな木の根元に座りながら、葉っぱと戯れる少女を見つめてフランソワーズは微笑んだ。
今の自分の状況も一瞬忘れていた。



いいな。こんな風に子供と過ごせたら。
楽しいだろうな。
公園とか海とか、あちこちにいっぱい連れていくの。
そしてお日様の温かさや風の匂いや土の手触りをその柔らかい心にいっぱい感じさせてあげるの。


いいな。
いつかジョーの子供を産めたらいいな。大好きなあの人との子供。
誰にも言えない、わたしには叶わない夢だろうけど。
でもいつかこんな風に過ごせたらいいな。
昔こんな身体になる前には当たり前のように夢見た事。
バレエのプリマになってオペラ座で踊る事。まだ見ぬ将来を共に歩む人のこと。
そしていつか授かるかわいい赤ちゃん。
穏やかに流れるであろう温かな日々。温かな家族。
そのどれも今のわたしには遥か遠いものになってしまったけれど。

サイボーグのわたしがこんな夢を見るなんておかしいかしら。
此処から出られる日が来るかも判らないのに。
でもいいよね。少しくらいなら、夢見るくらいならいいよね。
誰にも言わないで、心の奥にそっとしまっておくだけだから。






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