凍った月

(6)




その日いつものように研究室へと向かったフランソワーズは、そこでレイチェルとあの少女の姿を見 かけた。
道理で今日は兵士達が緊張していると思ったわ、とフランソワーズは納得した。
此処に居る人たちはみな 彼女を恐れている。
彼女が帰って来たというだけで、研究所全体の雰囲気ががらりと変わっていた。



レイチェルは兵士達に連れて来られたフランソワーズを横目でちらりと見ると、にっこりと笑いかけた。
あいかわらず、瞳の奥は凍りついていたけれど。



「久しぶりね。」
レイチェルは椅子に腰掛けたままくるりと身体をフランの方へと向けた。
「ねえ、あなたの仲間って余程あなたが大事だとみえるわね。00ナンバーサイボーグがこ
 の一ヶ月で7つもBGの拠点を落したわ。」
冷ややかな瞳がフランソワーズの瞳を食い入る様に見つめる。
「あなたたちが破壊してくれた地殻変動装置の件では痛い目にあったわ。
 私の責任じゃないけれど、その 後始末で飛び回ってやっと帰ってきたら、今度はレベル
 4の厳戒体制の指示よ。もう、おちおち休 んでられないわ。
 寝不足で化粧の乗りも悪いし、まいっちゃうわ。」



フランソワーズはレイチェルの瞳を見つめ返した。
この基地の誰もが恐れるレイチェル。
でもわたしはサイボーグ戦士。闘う事は出来なくとも、気持ちだけは負けたくなかった。
そして彼女の真意を探る為にもこの瞳をそらすわけにはいかなかった。
冷たい薄い色の蒼い瞳と、溢れる気持ちを抑えきれずに輝く蒼い瞳がからみ合い、最初に眼 をそらしたのはレイチェルの方だった。
「……イヤな子ね。その皮膚のことがなければ、眼の前から消したいわ。
 ……愛される事が当たり前 のような顔をして。そうだったわね。あなた以外はみんな
 男性型サイボーグなのよね。 だから大事にされてるってわけね。」



ふぅっと息を吐いてレイチェルは自分の横に立っている少女に眼をとめた。
「ねぇ、この子に言葉を教えたのはあなた?
 びっくりしたわよ。久しぶりに会ったら言葉を喋るんだもの。 さっきは歌まで歌ってた
 わ。」
無駄な事をするとは思うけど、とさもおかしそうに話すレイチェルに、フランソワーズは頭にかっと血が のぼった。
感情的になってはいけないとどこかで警告する気持ちもあったが、止められなかった。
「どうしてこの子に言葉を教えないの?あなたの……子供じゃないの?」


「母親?私が?」
とてつもなくおもしろいことを言われたかのように、レイチェルはくくくっと笑った。
「そう……そうね、子供だわね、わたしの。」
すぐ横に立っている少女の髪を梳きながら、まるで歌う様に言った。
「そうよ、大切な私の分身よ、この子は。」



「名前は何ていうの?どうして何も教えてあげないの?大事な娘なんでしょう?」
フランソワーズの問いかけに、なおも少女の髪を梳きその頬を撫でながら、レイチェルは何も答 えなかった。
そしてそのまま無言で立ち上がり、博士達にもっと早く研究データを集める様に指示すると、フランソワーズ にひらひらと手を振りながら 研究室を出 て行こうとしたが、ふと振返ってフランソワーズを見つめた。


「シドニーよ。」
「え?」
何を言われたか判らなかったフランソワーズが聞き直すと、もう背中を向けてレイチェルは歩き出 していた。
そして背中越しに冷たい声が聞こえた。
「その子の名前よ。シドニーっていうのよ。」








レイチェルの後ろで軽い空気音とともに扉が閉まると、その場に居た科学者や兵士達は一斉に息を吐き出 した。
緊張がほどける。
安心したせいか、つい兵士達の間から安堵の声が漏れる。
「お叱りを受けると思ったぜ。」
「寿命が縮んだよ、全く……」


中庭に遊びに行っていたこと、そしてシドニーに会っていたことで兵士たちが何か罰を受 けるかもしれなかった事に気付き、フランソワーズは彼らの方へと向き直った。
「ごめんなさい。あなた達に迷惑を掛けてしまうところだったのね。わたし、そこまで気
 が回らなくて。
 シドニーとお喋りするのが楽しくて、後の事まで考えてなくて……本当にごめんなさ
 い。」


フランソワーズからしてみれば、好意で中庭に出る事を黙認していてくれた兵士達が自分のせいで、 なにか重い罰を受けては大変、といった気持ちであった。
だけれども彼らにしてみれば、まさか敵である自分達の事を心配してくれるなど想像も出来なかったに 違い無い。
護衛の兵士達は眼を白黒させて、あたふたと気にする事はない旨をフランソワーズに伝えていた。


そのときシドニーが小さな声で歌い始めた。
中庭でフランソワーズがシドニーの為に歌った童謡。
小さくて少したどたどしいが、透明感の溢れるその声は、研究室の隅々に響き渡った。


夕焼け小焼け
大きな古時計
ゆりかごのうた


それはよくフランソワーズがイワンに歌い聞かせる子守唄。
ジョーに日本の子守唄を教えてと頼んだら、童謡集とCDを贈ってくれた。
本当はジョーに歌ってもらいたかったのに、真っ赤な顔をして「勘弁して」と言われたことを思い出して、 フランソワーズはそっと眼を伏せた。



科学者も兵士達も暫くその歌声を聞いていたが、やがて一人の科学者が何かを振払う様に頭を振ると、 シドニーに近寄ってその肩に手を置いた。
「さぁ、こっちへ。奥の処置室に行きなさい。……003、君の今日の研究は取り止めだ。
 自室に引き上 げてくれたまえ。」
そして兵士達に顎をしゃくると、連れて行く様に合図した。


フランソワーズはシドニーに近寄ると、両膝をつき、眼を覗き込むようにして微笑んだ。
「あなたはシドニーっていうのね。今度から名前を呼べるのが嬉しいわ。」
兵士達に促され、研究室を出て行こうとするフランソワーズは、シドニーの呼び止める声に振返った。
シドニーが手を振っている。
その姿に手を振り返すと、フランソワーズは微笑んだ。





「……不思議な娘ですね、003は。」
研究者の一人、アジア系のキム博士がぽつりと言った。
彼はフランソワーズが出て行ったドアの方を暫く見つめていた。
「そうじゃな。」
ハミルトン博士が深いためいきを吐き出した。
「……久しぶりに聞きました。あれはどこの国の子守唄でしょうか。……昔母がよく歌っ
 てくれました。歌は違 うけれど、どうしてこんなにも懐かしい感じがするんでしょうか
 ……」
どこか遠くを見る様なキム博士は、夢見る様な口調で続けた。
「……すごく遠くにきてしまった気がします。ボクは……あの頃から……。」
そんなキムをハミルトンとブラウン博士が見つめた。
「そうだな、我々は随分遠くまできてしまった。……今日程今の自分が情けなく、恥ずか
 しいと 思ったことはない。それでも……我々の罪はもう消えない。」
ブラウンの言葉にハミルトンがさみしそうに呟いた。
「そうだな。いくら天使のようなあの娘でも、我々がしてきたことを知れば、決して許し
 てはくれぬだろうな。」






自室に引き上げたフランソワーズは壁にもたれ掛かり、小さく息を吐いた。
みんながBGの基地を叩いている、とレイチェルは言っていた。
良かった。安堵で胸が熱くなる。
みんな無事だったのね。
地殻プレートが動かなかったことは以前レイチェルに聞いていたが、あの激しい闘いで誰かが傷付 いていないかどうかずっと心配していたのだ。
研究所をすっぽりと包むようにシールドが張られているため無駄だとは判ってはいたが、脳波通信で呼び掛 けてみる。
聞こえるのはノイズだけ。
今までも何度か試し、その度に通じる訳がないのに……と落ち込んだが、今回は違った。
いつか助けにきてくれるかもしれない。
すぐそこまで来てくれているかも。
一筋の希望はフランソワーズの心に 熱いエネルギーのようなものを満たしていった。






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