凍った月

(9)




「な、何をおっしゃってるんです?正気ですか、レイチェル様!」
キム博士が慌てて叫んだ。
「003の身体を老婆に変えるなんて、そんな恐ろしいことを本気でなさるおつもりです
 か?」
ブラウン博士も顔色を変えてレイチェルに詰め寄った。


いつもは絶対に反論などしない博士達が口々と反対の意を唱えるのを煩わしそうに見やると、レイチェルは 淡々とした口調で言った。
「003のデータはもう充分取ったでしょう? ならいいじゃない。どうせいつかは処理する
 はずだったんだから。」
「人工皮膚が完成していない今の状況では、彼女の身体は必要になることもあると思いま
 す。彼女を生 かしておいた方が無難 です。」
「……脳を抜いた後でもサイボーグ体の身体を生かしておくことくらい出来るでしょ
 う?」
「理論上は可能です。ただわたしたちの技術では、003の脳を移植した被験体の生命も、
 脳を抜かれ た003の身体を生かしておくことも保証しかねます。
 それに老人の身体 にするなんて……あまりにも残酷ではないでしょうか……」
ハミルトン博士の言葉に、レイチェルは驚いて見つめかえした。
「……あなたまでこんな娘に取り込まれるとはね。急に良心に目覚めたってわけ?
 でも一つ言わせてもらうわ。 あなたたちはもうとっくに悪魔 に魂を売り飛ばしているの
 よ?
 クローンの皮膚を剥いでわたしに移植し続けたのはあなたたちでしょう?
 皮膚 だけじゃないわ。ときには内臓や筋肉まで、私が望む事は全てやってくれたじゃな
 い。 例え命令されたことだとしても、あなたたちの手はとっくに血で染まっているの
 よ。今更恐ろしいだの残酷 だの言わないでちょうだい。」
そして両腕を組んで、いまいましげにフランソワーズを睨みつけた。
憤怒に燃えるレイチェルを、フランソワーズは真正面から見つめ返した。
極薄のブルーと深蒼のブルーがからみ合い、今にも火花が散 りそうだった。
「ふん!」
レイチェルはいつもの冷静な様子をかなぐり捨てて、興奮していた。
「可愛げがないわね。泣いて許しを請うのだったら許してやろうかと思ってたけど、どこ
 まで意地を張り通 せるかどうしても見てみたくなったわ。」
そして後ろでハラハラしながら様子を伺っている博士達に振返ると、 「老婆を手配するわ。準備をしておいて。」 そう捨て置いてレイチェルは研究室から出て行った。



「ああ、どうしよう……。このままではあなたは老人の身体に変えられてしまう……」
キム博士が頭を抱え込んでうずくまった。
そのままの姿勢で青ざめた顔を上げると、唇を噛み締めているフランソワーズに言った。
「003。今からでも謝りに行きましょう。ボクからも口添えしますから!」
「嫌よ」
フランソワーズの即答にキム博士が固まった。
「意地っ張りだと言われてもいいわ。レイチェルに頭を下げるなんて出来ない。シドニー
 に……こんな酷い事 を……」
今の大人達の諍いを、大きな瞳でじっと見つめていたシドニーの姿が悲しくて。
それはまるで無理やり実験材料にされて身体を改造された自分の姿と重なった。


わたしたちは意志のある人間なのに、まるで実験動物のように扱われた。
自分の人生を生きる為に、自分らしく生きる為に生まれてきたのに。
誰かの私利私欲に利用される為に、この世に生をうけたわけではないはず。
シドニーはあの頃のわたし。
それまでの人生を断ち切られ、身体を変えられ、ただ耐えるしかなかったあの頃のわたし。
おぞましい悪夢の中で立ち向かう術も知らず、苦痛と恐怖を噛み締めるしかなかったあの頃の……。
だから許す訳にはいかなかった。この身がどうなろうとも、意地っ張りだと言われても、絶対に頭を下げるわけ にはいかなかった。




「……それより博士。私の為に連れて来られる人はどうなってしまうの?」
「それは……脳を取り出してあなたのを入れるとなると、老人の脳は当然生命活動は続け
 られなくなります が……。」
「そう……」
想いの中に沈んで行くフランソワーズを見つめて、キム博士が呆れたような顔をした。
「あなたの身体が老人に替えられそうなんですよ?命の保証も出来ないんですよ?
 それなのに見ず知らずの他人の心配をしている場合ではないでしょう?」
「でも、わたしの為に誰かが犠牲になるなんて絶対いやだもの。」
「なら一緒に謝りにいきましょう。レイチェル様はあなたの皮膚を喉から手が出る程に欲
 しがっています。
 研究に差し障りがあると説得すれば、考えを変えてくれると思います。ボク達も口添え
 しますから。」
「それはイヤです。絶対に謝りたくなんかありません。」
「頼みますよ。そんなこと言わないで取りあえず謝っちゃいましょう。お願いします。」
キム博士はもう拝まんばかりに両手を合わせて懇願しているが、フランソワーズの方はにべもない。
フランソワーズはハミルトン博士の方へ振り向いて聞いた。
「わたしが謝れば、レイチェルが考えを変えると思いますか?」
「……いや、無理だろう。レイチェル様は冷静沈着な方だった。氷の女王とあだ名される
 ほど感情 が無い方だった。
 彼女があのように興奮するのを見たのは長い付き合いになるが初めてだよ。」
ハミルトンが大きく息を吐いた。
「レイチェル様は若い姿であることに大変こだわっています。だからあなたの皮膚を欲し
 がった。あなたの 瑞々しい肌に憧れ、そしてその反面あなたを憎んだ。」
「憎んだ?」
「そうです。あなたに会ってから彼女は明らかに変わって来ています。
 いつも冷静で、自分の心を隠していた そんなレイチェル様が、よくも悪くも感情をあら
 わにするようになった。
 多分彼女は判っているんでしょう。あなたが 言ったように、時間をとめても幸せには成
 れない事も判っているんです。
 彼女がなぜあれほどまでに若さにこだわるのかは判りませんが、 あなたがこの一ヶ月の
 間に私達だけでなく、シドニーや兵士達にまで慕われているのも彼女は気 にいらないん
 でしょうね。
 だから目の前から若くてきれいな姿のあなたを消してしまいたくなった。
 あなたを老婆にして苦しむ姿をみることで、自分を肯定せずにはいられないんでしょ
 う。」
ハミルトン博士がフランソワーズをじっと見た。
「フランソワーズさん。あなたはこれからどうするつもりですか?」




フランソワーズ。
ハミルトン博士はそう呼んだ。003ではなく。
フランソワーズはいぶかし気に博士を見つめ返した。
急に自分を被験体ではなく、一人の人間として認めた 真意が判らなかったから。
フランソワーズのためらいを感じとって、ハミルトン博士は苦笑した。
鎮痛剤が効いてきたのか診察台の上でいつのまにか眠ってしまったシドニーを奥の治療室に運ぶ様にブラウン博士に頼むと、酷く疲れた顔で額を手で押さえた。
そしてフランソワーズに椅子に腰掛けるように勧めると、自分も深く腰掛けた。
「此処には監視カメラも付いていません。先程レイチェル様がお話したように、彼女が手
 術を繰り返して若 返っているのはトップシークレットですから、此処で何が行われてい
 るかは誰にも判らないようになっています。
 だから此処で話した事はどこにも漏れませんからあなたの本心を聞かせてください。」



フランソワーズは黙っていた。
何故急に名前で呼ぶのか、博士達が何を考えているのか。意図が判らなくてはうかつに口を開くわけにはいかない。
そんなフランソワーズの逡巡を感じて、ハミルトンは自ら口を開いた。




「私たちは望んで此処に連れて来られた訳ではありません。騙されて連れてこられたんで
 す。
 此処で自分が何をさせられるか初めて知ったとき、私は恐ろしさに恐怖しました。
 けれど彼女に従うしか道はなかった。あなたは軽蔑するでしょうが……」
「……家族が人質に取られているんです。故郷に残してきた家族に危害を加えられる事が
 怖くて、彼女に逆 らえなかった。」
治療室から戻って来たブラウン博士とキム博士の顔に苦渋の表情が浮かんだ。
「もちろんだからといって私達のした事を 正当かできるはずもない。
 私は自分の娘を守る為に幼子の身体を切り刻んできたのだから。
 ずっと、 もう後戻りはできない、このままレイチェル様の命令通りにこんな悪行を続け
 ていくしかないのだと諦 めていました。あなたが来るまでは。」
俯きながら話をしていたハミルトン博士が顔を上げた。
その瞳には見た事もない強い力がこもっていた。


「……あなたは本当に不思議な娘ですね、フランソワーズ。
 私は正直ずっと迷っていました。ブラウン 博士とキム君からあなたをなんとか助け
 られないかと気持ちを打ち明けられても、ずっと悩んでいました。
 家族を犠牲にしたくない、と。
 だけど あなたはこんなことになっても、連 れて来られる見ず知らずの老婆の心配をして
 いた。
 私は……自分がなさけない。 自分の事ばかりしか考えてなかったことが。」



ハミルトン博士はブラウン博士とキム博士と顔を合わせると、小さくうなずきあった。
「私たちはあなたを此処から脱出させたいと思っています。
 あなたに賭けてみたいんです。何とかして此処から脱出してください。
 そしてあなたが此処から脱出して00ナンバーの元へ帰れたら、わたしたちの 家族を守っ
 てください。その為なら私達にできうる全ての協力をします。」






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