凍った月

プロローグ



ヒールの音が高らかに響く。
カツカツ、と足早に刻む歩調から、その主がかなり苛立っているのが推測される。
見事な金髪を結い上げ、その耳には血の様な色をしたルビーのピアス。
膝上のタイトスカートから覗く足はすらっと長く、スーツの上からでもその引き締まった身体が推測できる。
しかしその女性の後ろからついて来る人々にとって、そんな彼女のスタイルを愛でる余裕はない。
その表情は強張り、なかには卑屈な表情さえ浮かべている者さえいた。


「全く嫌になっちゃうわ。こんなことに巻き込まれて!見てよ、体中埃だらけだわ。一体
 どうなってるのよ。 グランツ、あなた私を殺すつもり?」
「め、めっそうもない。こんな事になるなんて考えもしませんでした。申し訳ありませ
 ん、レイチェル様」
グランツと呼ばれた男は必死な表情でひたすら謝罪の言葉を口にしていた。
足を止め、そんな男を見返ると、彼女は軽蔑のこもった口調で言い捨てた。
「ふん、あなたにそんな度胸はないでしょうね。例えどんなに私を殺してやりたいくらい
 憎んでいても。」
再び歩き出すと、目に付いた胸元の埃を払った。
「……まぁ、いいわ。おもしろい物も手に入ったし。今回はそれに免じて許してあげる
 わ、グランツ。」
明らかにホッとしたようなその男はしかし次の言葉に凍りついた。
「次に私の身体にちょっとでも傷つけるような事をしたら……わかっているでしょう
 ね?」
立ち止まってぶんぶんと頷く男を置き去りにし、その女は先へとどんどん進んでいく。
慌てて追い付いたグランツを振り返る事もなく、女は口元に笑みを浮かべながら言った。
「あの娘を直しておいてちょうだい。できるだけ傷は残さないでね。
 直ったら連絡して。いろいろと調べたいから。」


体中についた埃になおも文句を言いながらレイチェルがプライベート用のコンパートメントに消えると、一緒 に突き進んでいた男達から誰とは無くため息がこぼれる。
「良かったな、グランツ。女王様のご機嫌もなんとかとれて。」
「こっちまで凍り付くかと思ったぜ」
自分の持ち場に散って行く前に、何人かの同僚がグランツの肩を叩きながら話し掛ける。
「氷の女王とは良く言ったものだぜ。あの人には暖かい血が流れてるのかね?」
やや、青ざめた顔つきのグランツは、そんな同僚達の慰めにぎこちなく笑いかけた。
「全くだ。とにかくご機嫌を損ねない様にしないとな。……例のもの、Drハミルトンの研
 究室に運 んでおいてくれ。」
グランツは待機していた兵士に指示を出すと、ハミルトン博士の研究室に向かった。
彼らのボス、レイチェルの指示を伝える為に。



レイチェル.ブロンテ。
人は彼女を『氷の女王』と呼ぶ。
科学者上がりで、実力主義のBGの中でも異例の昇進で幹部に昇りつめただけあり、その仕事ぶりは冷徹で 完璧だった。

自分の研究はもちろんのこと、優秀な科学者や技術者を言葉巧みにスカウトしてくる能力にも長け、BG内 での地位を確実なものにしていた。
レイチェルの手で集められた科学者達は、自分達が何処に連れて来られ、何をさせられるのかを知り、 そうなって初めて自分達が騙されていたことに気付く。
中には抗議する者もいないではないが、たいていの者は冷ややかな視線で微笑むレイチェルに逆 らうことなど出来ずに、不本意にもBGの悪事の片棒を担ぐ事になる。
逆らう者に待っているのは死だけなのだから。
そしてそれは何も科学者だけではなかった。
例えそれが部下であっても、彼女は容赦はしないのであった。
美しい金髪、薄いブルーの瞳、すっとした高い鼻梁。
その美貌は冴え冴えとし、 とてつもなく綺麗だが、その身体には暖かい血は通っていない、というのがもっぱらの噂だった。
そしてついたあだ名が『氷の女王』。




「うん、もう!!!」
コンパートメントに入るや否や、レイチェルは乱暴にスーツを脱ぎ捨てた。
インドとネパールの国境近くにある研究所を訪問していた際に戦闘に巻き込まれ、その為に服にも顔にも 埃や硝煙の匂いが色濃く残っていた。
襲撃してきた相手はあの有名な00サイボーグ達。
ギルモア博士率いる裏切り者どもが時折BGの施設を壊滅させている話は聞いていたが、まさか自分が巻 き込まれるとは思っていなかった。
それでもレイチェルはまがりなりにもBGの幹部である。
こんな仕事をしているのだから、それなりの覚悟は出来ている。
戦闘に巻き込まれる事等何でもないが、頭に来るのは無能な部下のおかげで脱出に手間どり、危うく崩 れ落ちる基地と運命を共にするはめになるところだったことだ。
今回は思わぬものが手に入ったから許してやったが、今度ミスしたら島の周りにいるサメの餌 にでもしてやる、と悪態をつきながらシャワールームに向かう。


鏡に全身を写して、どこかに傷がないかを調べていると、右の肩甲骨の下に小さな薄いしみを見つけて眉 を曇らせた。
「そろそろ次の手術が必要なのかもしれないわ……」
シャワーを捻り、熱めの湯を浴びながらレイチェルは薄く微笑んだ。
「さっそくあの娘の研究に取り組まなくては……。
 あの肌を何としても手に入れるのよ。あの美しくて柔らかい 人工皮膚を。」




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