「ええっ? なんだよ、レム。あれ、姫にばらしちゃったの?」
「うん、しっかりと」
「聞いたわ、ユゥミィ。あなたが廊下でセミストリップしたってこと」
「そ、そうじゃないよ、姫! あれはそういうんじゃなくて――」
「廊下で出くわした下級生の子なんて、真っ赤になって、でもしっかりユゥミィのほう見
たよね、あのときは。喜べユゥミィ、またファンが増えたよ、きっと」
「ふぁ、ファンってなんだよ、レムっ。あれはそもそもあんたがさ――」
「あはは、でもさあ、ユゥミィ」
「な、なによ、姫?」
「いくらなんでも、ブラウスの前、全開はないんじゃない、全開は?」
「い、いや、だから。ボタン掛け違って――」
「慌てモンだからね、ユゥミィは」
「そもそもあんたが急かせたんだろ、レム!」
「だからってったって、ねえ、姫」
「そうよね、レム」
「前、ばーんっはないと思うなぁ」
「なんだよ、二人してっ、もう!」
わたしたち――わたしとレム――にからかわれて結構マジに膨れ面になったユゥミィ。
この娘もこういうときは可愛いのよね。
夕陽も落ちて、薄暗くなり始めた下校路。わたし、レム、ユゥミィの三人は肩を並べて
歩いている。
「でも、今日は掛け間違えなかったのね」
くすくす笑いながらわたし。
「あ、当たり前っ。そうそうわたしもドジじゃないよ」
「残念」
とは、レム。
「なーにが、残念なの、レム!」
まだ半分は膨れてるユゥミィだ。
「いや、ユゥミィのナイス・バデイが見られなくてさ」
「なにいってるんだよ。ジムの時間の前にみんな一緒に着替えてるじゃんかっ」
「ああいうのとはまた、違った雰囲気が、ふひひひ」
「お黙り、この変態っ」
「あはははは、ユゥミィが怖いーっ。助けて、姫ぇーっ」
まったくもう、レムもよくやるわね。まあ、ユゥミィとは昔っからの付き合いだから、
納めどころというか、限度は心得ているけど。
傍から見たら、いまのわたしたち。やたら騒いでるだけに映るんだろうなぁ。じゃれあ
っているっていうか。
「じゃあね、姫、レム」
十字路で、まずユゥミィが別れる。
「ばいばい」
「また明日ね」
「うん、じゃね」
残ったわたしとレム。二人で歩く。レムとも、ほんの少し行ったら右と左にお別れだ。
「もう、レム。ユゥミィ本気で恥ずかしがってたよ。からかいすぎじゃない?」
そうでもないだろうとは思いながらも、わたしはいってみた。
「ふふ、たまにはユゥミィにもあたしは女だっ≠トこと思い出させてあげないとさ」
ニコニコ顔でいうレム。楽しそう。
「そんな。本人聞いたら、また怒るよ」
「だね。おとこ女≠ニかそれでも女の子?≠ニかいわれるの、嫌いだったからなぁユ
ゥミィ、昔から」
「でしょ? だったら――」
「あんないい娘いないのにね」
マジな顔のレム。わたしは言葉を呑み込んだ。
「外見、ピシッとしてる、ていうかピシッとしすぎてるとこもあるから、昔っから男の
子みたい≠セのなんだの、いわれてた――」
「レム……」
「ちっちゃい頃は、わたしもそんなふうにからかったこともよくあったんだ。うふふ、お
かしいよね。それであの娘が本気で怒って、取っ組み合いになったら、とっととわたしな
んか泣いて逃げちゃってたくせに。で、すぐ仲直りして。しばらくしたら、またからかっ
て、またユゥミィに泣かされちゃってた」
「……」
「でも」
「でも、なに、レム?」
レムが立ち止まる。わたしたちが別れる交差点。
「でも、いまなら分かる。ていうか、やっと分かるようになった」
「……」
「わたし、ユゥミィにはたかれ、小突かれて泣いてたけど――」
「……うん?」
「ホントは、ユゥミィの方が、泣きたかったんだなって。あの頃――」
――レム。
レムは、彼女にしては珍しいはにかんだ表情で、わたしを見た。わたし、ただ微笑みを
返すだけ。だけしか、できなくて。
「わたしべつに、そのケないからね」
あちゃ。レムったら。分かってるっての。
「でもさ、姫」
「なに、レム?」
「わたし、たぶん、いま。この世の中で一番、ユゥミィのことが好きだと思う」
「――レム……」
「親とか、友達とか、全部ひっくるめた中で、多分いまは――ユゥミィが一番」
「……」
「ふふ、ごめんね、姫。変な話になっちゃって。でも、ホントなんだ、これ」
「うん……」
「変なの。こんな、こっ恥ずかしい話、誰かにするなんて思ってもいなかった」
「レム」
別に、恥ずかしいことなんか、ないよ――。
「姫にだから、できた、こんな話」
はにかんでいたレムは、いつしかいつものレムに戻っていた。
「やっぱ、姫はそういうひとなんだね。わたしらの中心にいて、皆をつないでくれる。わ
たしらにとって、いてくれなくちゃいけないひと」
「違うよ、レム、わたしはべつに――」
そういうんじゃない、と思うわ――て、いいたかったけど。
「一番とかそういうんじゃなくて、もちろん姫のことも好きだよ」
――レム。
「またね、姫っ」
レムはそういうと、小走りに駆けていった。
「……ばいばい」
わたしは、あっという間に小さくなる彼女の背中にそれだけいうのが精一杯。
――そうだよね、レム。わたしも誰が一番とか二番とかじゃなくて。
みんなが好き。リィコもユゥミィも、レムも。みんなが――。
友達が――。
「あ?」
家へ向かう坂道。暗くなりかけてはいたけれど、完全に夜ってわけでもなかった。だか
ら、わたしにはそれが見えた。
坂道を右へ入る路地の奥。トラックが一台とまっていた。
あの家はしばらく空き家だったはず――。
そんなことを考えてふと足を止めた。
「誰か、引っ越してきたんだ……」
呟いたとき、その家からひとが出てきた。トラックの荷台から荷物を抱えると、また家
の中へ入っていく。引越しの最中ってこと。
また人が出てきたけど、今度はさっきのひととは別のひと。ふたりとも女のひと――て
いうか、わたしとそれほど変わらない年恰好の女の子だった。
ただ――。
わたしなんかとは、ちょっと雰囲気が違う。どう違うかっていうと……。
二人は交互に出てきては、手早く荷物を持ち込んでいく。凄くてきぱきした動き。無駄
のない。
でも、時々荷台のところでいっしょになっては何か話してる。他愛もない話なんだろう。
内容までは聞こえないけど、若い声が弾んでいる。笑い声も少し混じって。
仲良さそうな二人の女の子。親子――なわけないわよね、姉妹?
そう、そんな二人は、わたしなんかと雰囲気違って。どこがっていうと――。
まず、髪。二人とも男の子みたいに短い髪。荷物の上げ下ろしのためだろう、ラフな普
段着はパンツスタイルで、どちらもスカートじゃなかった。もっと遠目で、二人の胸の膨
らみが見えなかったら、どちらも男の子だと勘違いしたかもしれないくらいの恰好。
――ユゥミィより髪短い女の子なんて、初めて見た。
わたしはふと、思った。
運動神経抜群の、身体鍛え込んでるユゥミィ。この二人も、そんな感じなんだ。すらっ
としてるけど、ただ痩せてるだけじゃないっていうか――。
あれ?
なんとなく二人を見ていて、わたしは気づいた。
――明日、転入生がくるって……もしかしたら。
そのとき、何度目かの出入りをしていた二人のうちのひとり、少し背の低いほうの女の
子がわたしに気づいた。わたしの方を、見た。
少し、驚いたように目を見開いたその娘。多分、わたしと同い歳くらい。
いきなり初対面のひとと目を合わせた気まずさ。誰もが感じたことあると思う。このと
きのわたしは、まさにそう。
わたしの方から視線を逸らした。早々に立ち去ろうとしたその瞬間、もうひとりも家か
ら出てきた。
背の高い、そのもうひとりのひとがわたしを見ていた娘を呼んだ。その名前は漠然とわ
たしの耳に届き、なぜか立ち去りかけたわたしの足を止めさせた。止めさせ、二人を振り
向かせた。
二人、並んでこちらを見てる。わたしも二人を見た。
背の高い方の人の髪は、金色。低い方の娘は黒。全然違う色合いの髪の二人。顔立ちも
似てない。でも。なんだか、共通の雰囲気っていうか、空気をもってる。そう、空気。そ
うとしかいえないけど、似通った何かを持ってる二人。やっぱり、姉妹なのかな?
金髪のひとが、わたしから目を逸らさずに、小声で隣の娘になにか囁いた。黒髪の女の
子が微かに頷く。さっきまで笑っていた二人の顔に、いまはもう笑みはない。とても――。
とても、真剣な顔つき。二人とも、真剣な顔つきで、わたしを見た。薄暗がりの中なの
に、わたしにはそれが分かった。
――まるで、射るような眼差し――
な、なに?――
瞬間、わたしは回れ右して走り出す。家へ向かって、坂を上った。
家まではものの数分の距離。一息に走り、玄関を開け、駆け込む。キッチンの方からお
母さんの「お帰りなさい」の声が聞こえたようだったけれど、いつものように「ただい
ま」と返すこともなく。
わたしは部屋に飛び込み、後手にドアを閉める。閉め、扉に背をもたれたまま、肩で息
をした。
乱れた呼吸を、整え整え、少しずつ、少しずつ、息を整え――。
「や……だ、わたしったら」
――他人が引越ししてるところ、じっと見てたものだから、変なひとだと思われちゃっ
たかしら? しかも、わけもなく突然走りだしちゃったりして!
「まるで、逃げるみたいに――やだ、ホントわたしったら!」
顔がかぁっと熱くなるのが自分でもわかった。
「なに、やってるのかしら、恥ずかしいっ」
そう、そうよ。落ち着いて考えてみたら、なんでわたし――。
こんなふうに走って来なくちゃならなかったのよ? 馬鹿みたいっ。
両手で自分の頬っぺたを押さえる。熱い。
「いやだぁ、ホントに、どうしちゃったのかしら。子どもだわ、まるっきり」
わたしは、しばらくじっと立ち尽くしていた。明かりも点けなかったものだから、部屋
はもう、真っ暗。
ふと思い立ち。わたしは扉を開け、隣の物置部屋へ入った。
わたしの部屋は通りとは反対側に面している。通学路でもある表を見るためには、二階
からはこの部屋の窓からしかない。
こっちの部屋の明かりもやっぱり点けないで、わたしは窓に近寄る。カーテンをそっと
持ち上げて外を見た。
星が煌く、完全な夜の帳が落ちていた。
さきほどの、引越しをしていた二人の家の屋根が、向こうに見える。
でも。
ただ、それだけ。
ほうっと溜め息をつくわたし。ホント、なにやってるんだろ? みっともないわったら、
なかったわ。
そう思い、窓辺から離れようとしたとき、暗い通りの街灯の下をすうっと動く影を見た。
それが、見えた。
随分遠かったけれど、わたしの家は高台の位置にあり、この通学路の坂道のかなり下の
ほうまで見通せる。その影は、ちょうど――。
――ちょうど、さっきの引越ししてた家の路地が通学路と交わるあたり。
そこを、一瞬だけど、影が横切って、消えていったのが見えた。
ほんの一瞬だった。それに夜道。でも、街灯の下を横切ったその後姿、というかシルエ
ットは。
親しいものだから、分かる。赤の他人だったら、全然判別なんて出来なかったろう。で
も、いつもいつも一緒にいて。いつも見てる。その仕草、歩き方なんか。
だから、あの影、あれは、多分――。
「……リィコ?」
翌朝。
いつもの時間、いつもの通りに家を出たわたし。
学校までの坂道を歩いて、下って。
あの路地のところの交差点を通り過ぎるとき。
ちらっと路地の奥を見たけど。そこには別にかわったことはなくて、誰もいなくて。
なぜか、安堵の息を漏らして、わたしは歩き続けた。
「おっはよー、姫」
「あ、お早う、リィコ」
また、リィコと一緒になった。クラスメートの中でも、一番近所に住んでいるのだから、
登校時間が似たようなものになるのは自然なことといえば、自然なんだけど。
「ふあぁ、昨日もなんだかんだと観過ぎちゃってさ、宿題の時間が大幅にずれ込んじゃっ
て、今朝は完全に寝不足よ」
笑顔のリィコ。
「そうなの?」
わたしも笑顔で相槌をうった。それで、会話は途切れる。別に、何かを話していなくて
もリィコはさほど気にもしていないよう。
――昨日、この坂の途中にいた、リィコ?
――あそこで、なにしてたの?
――あの、新しく引っ越してきた家、見た?
リィコに会ったら一番に尋ねようと思ってたこと。
なのに、実際こうして会ったら、なぜだか、切り出せない。
わたしたち二人は黙って、校門までたどり着く。
校庭を半ばまで横切ったとき、突然リィコが立ち止まる。
少しばかりぎょっとしたわたしの前で、リィコは大きく伸びをした。そして。
「あーあ、ホントに寝不足っ。しかもさぁ、昨日なんて学校速攻帰ってさ、ずっと晩御飯
まで録画してあった連ドラ観ちゃってさ、そのあと本放送続けて観たでしょ? んでもっ
て、宿題、と」
振り返り、指折り数えながら笑顔でいうリィコ。
「ずっと、ウチん中でそんなじゃ、身体なまっちゃうね、実際。ちょっと不健康だったか
も、あはは。でも、明日ジムの時間あるから、そこで挽回するかっ」
「――ずっと、ウチに?」
わたしは思わず彼女に尋ねる。
――じゃあ、あの交差点から立ち去った影は――
「そう。連ドラってのは毒だね。ハマッたら最後、トイレ以外には、ビジョンの前から立
てなくなっちゃうもんね。うん、中毒ってやつだわ、これって」
――じゃあ、あの交差点から立ち去った影は、リィコじゃなかった?――
なぜか、リィコだと確信していたわたし。でも。
でも、そうね。あんな場所に、あのときに、リィコがあそこにいなくちゃならない理由
なんて、ない。そうよ、そうだったわ。
理由なんて、ないもの。やっぱり、人違い。わたしの見間違い、ていうか、勘違いだわ。
「…・・・やだわ、わたし。昨日はどうして、あんなにとっちらかっちゃったんだろ?」
自分自身の照れ隠しの意味で、呟くわたし。でも、リィコったら耳が敏いというかなん
というか。
「ん? なにかいった、姫? とっちらかし?」
「な、何でもないよ、リィコ」
思わず手を振って否定するわたし。これまた照れ隠し。
――ああ、リィコに尋ねなくてよかった。聞いていたら逆に、どういうこと? なに
なに? どーしたっての?≠ト、質問攻めに逢ったこと間違いなしだものね。
そうしたら、わたし。
あの、路地で見かけたひとたちのことも説明しなくちゃならなくなる。
――説明なんて、出来ないけど。あのときのわたしの行動……。
「なんか、やっぱり少し、自己嫌悪……」
「なにかいった、姫ぇ?」
「な、なんでもないっ」
教室に入ったら、もうユゥミィは席に座ってたし。レムもわたしたちのわずか五分ほど
後には登校してきた。
そして、また、いつもの一日の。始まり。
「起立ーっ」
朝、ホームルームの時間。
「礼っ」
わたし。右隣にユゥミィ。
「着席」
後にはリィコ。その左隣にレム。
いつものと同じように始まった、学校の一日。みんな揃ってる。わたしたち四人も、ク
ラスメートも全員、いつものように揃ってる。毎日の、始まり。ただ――。
ただ、違ったのは。
そう、今日はいつもの一日≠ニは少し違う日だった。
わたしは、ひとり勝手にどぎまぎしていた。
「今日はまず、皆さんに転入生を紹介します。さあ、自己紹介を」
担任の先生がいい、隣に立つ女の子に促す。今日から新しくわたしたちのクラスメート
になる娘を。
「パトレ・ポリーです、よろしくお願いします」
そういって、ぺこんと頭を下げた彼女。
彼女は――。
昨晩、あの家の前にいた娘。
ショートカットの黒髪の、あの娘。
白いけど、少し陽に焼けた肌。漆黒の大きな瞳。そして、なにより特徴的なのは。
鍛えてる、それがわかる身体つき。一本芯が通っているっていうか、女の子だけど筋肉
質っていうか。制服の上からでも想像がつく、締まった身体つき。
隣のユゥミィが僅かに身じろぎしたのが、目の端に映る。いえ、彼女・パトレが自己紹
介したとき、教室全体が少しばかりざわついた。
「はい、静かに」
先生の一言で、すっと無駄口が消える。そして引き続き先生が、簡単にパトレ・ポリー
のプロフィールを紹介している。紹介、している、のだろうけど。
わたしの耳には届かない。いいえ、声は届いているのだけれど、その内容はわたしを素
通りする。
わたしはただ、呆然としてパトレを見つめているだけ。
「――ということで、皆さん、仲良くやっていきましょうね。では、ミス・パトレの席で
すが――」
先生がこちらを見た時点でも、わたしはまだぼうっとしていた。けれど。
「ミス・ゲトワの隣へ。ミス・パトレ、ミス・ゲトワはこのクラスの委員長ですから、な
にか分からないことがあれば、彼女に訊きなさい。ミス・ゲトワもいいですね?」
――昨日の娘、やっぱりあの娘が転入生だったんだ――
「ミス・ゲトワ?」
――もうひとりの人と笑ってた、あの娘。けど、わたしに気づいた途端、二人とも――
「――ゲトワ?」
――なんで、あんな真剣な目つきで、わたしを――
「姫っ!」
ユゥミィの声に、わたしは我に帰った。
「な、なに?」
「なにじゃないよ、先生呼んでるじゃん、さっきから!」
「あ、はいっ」
思わず立ち上がるわたし。クラス中がどっと笑い声を上げた。
「……誰も起立せよとはいってません、ミス・ゲトワ」
やんわりとした、でも批難の先生の一言。
「は、はい、すいませんっ」
きっと真っ赤になってるわ、わたし。もう、最低っ。
「ミス・パトレの面倒を見てあげなさい、よろしい?」
「――はい」
答え、着席するわたし。パトレが歩き、近づいてくる。
――え?
まだ、事態を理解してないわたしは、心持ち席の上でのけぞっていた。
すると、その肩を後のリィコがペンで、つんつんと突付く。
「な、なにやってるのよ、姫?」
「え?」
リィコを振り向くことも出来ず、近づいてくるパトレを注視しながらわたしはいった。
そのわたしの声が裏返ってる……。
「姫が――」
「――とっちらかってる」
最初の台詞はリィコ、あとのはユゥミィ。
パトレはわたしの目の前に立った。漆黒の瞳でわたしをすっと見下ろす。
それは、本当に僅かの時間だったと思う。一瞬だと。
でも、わたしはその瞳に、昨晩の視線を。
感じた。
「初めまして。よろしくお願いします、ミス・ゲトワ」
次の瞬間、パトレの笑顔――がそこにあった。
「あ、うん、はい、よろしく」
かくかくと頷くわたしに微笑を返してパトレが左隣の席に座る。
そ、そっかーっ。この席空いてたもんね。そう、そうだったわ――。
パトレの横顔を凝視しつつ、ようやく、事態を理解。
「……姫が、まだ」
「とっちらかってる……」
どれが誰の台詞かなんて――どうでもいいわよね。
座り、鞄を足元に下ろしたパトレがわたしの視線に気づいて、また微笑んだ。
綺麗な、漆黒の瞳でわたしを見ながら、微笑んだ。
休憩時間にはクラスの大半の娘たちがパトレのもとへ来てあーでもない、こーでもな
い℃ソ問をぶつけて、納得するしないにかかわらず回答を持ち帰るなんてことを繰り返す
ものだから、午前中はあっという間に過ぎた。
お昼休み。
いつものようにわたし、ユゥミィ、リィコ、レムの四人は大食堂の奥のテーブルについ
ていた。
「姫、いいの? パトレの面倒みなくって」
大きなバンズを半ば咥えたままで、リィコがわたしに聞いてきた。
「え、なにが?」
「だから、もぐもぐ、お昼をさ、もごもご、ご一緒にとかなんとかいって、うにゃうにゃ、
連れてきてあげなくてよかったの、ごっくん」
「なんで、あんたはいつもそうはしたないんだよ、リィコ」
「なにが、はしたないのよ、ユゥミィ」
「食べるかしゃべるか、どっちかにしろていうの。あんたが二言三言しゃべる間くらいさ、
バンズも逃げないって」
「ふっふっふ、逃げない? 逃げないですとぉ? そんな保証は――」
目をきらりと光らせたリィコが、素早くユゥミィの前にあったサラダカップを取り上げ
た。
「あ、こらっ」
「そんな保証は、どこにもなーいっ」
いい、カップの中にまだ残ってたサラダを一気食い。リィコ、あなたねぇ――。
「あ、なんてことすんのよ、こいつぅっ」
「おほほ、ざまあ見なさいっ」
「よしっ、そっちがそうならこっちもよ! あんたが最後に取ってるそのスイーツ!」
ユゥミィ逆襲。
「あ、それは駄目ーっ」
一転、情けない悲鳴はもちろんリィコね。
「うるさいっ、目には目を、食い物には食い物よっ」
「きゃーっ、やめてーっ」
じたばた騒ぐ二人を横目に、僅かばかりのお昼をさっさと済ませちゃうダイエッター
≠フレム。彼女は喧騒をまるっきり無視してわたしに話しかけた。
「冗談はともかく、面倒みてあげなさいって昨日もわざわざ言われたんでしょ、先生に」
「うん……」
そうなのだ。昨日放課後、教員室でそういわれた。もちろん、それはクラス委員長とし
ては当然のことなのだけれど。
「まあ、お昼は多分クラスの誰かが誘って連れてったとは思うけどさ」
わたしもそう思う。この広い食堂のどこかで、クラスメートの誰かたちと一緒にお昼し
てると、思う。
「うん、とりあえず、放課後、彼女を連れて学校内案内しようと思ってる。さっきそうい
っておいたし」
「本人に?」
「うん」
「じゃ、いいか」
そう。三限目の休憩時間のとき、パトレにそういった。そしたら彼女、わたしを真っ直
ぐに見て、すごくはっきりと「有難う」って答えた。
すごく、はっきりとした口調で。いつもしゃきっとしてるユゥミィだって、あそこまで
の口調にはならないってくらい、なんていうか明快な発音というか発言というか。
――転入してきたばかりだから、緊張してるのかな、やっぱり?
と、わたしも思った。
でも、わたしたちのような年頃の女の子のなかであの口調は、ちょっと違和感。
「あーあ、あんたらはまるで、餌を奪い合ってる二匹の犬っころって感じだね、まった
く」
レムがまだわさわさやってる二人にいった。
「い、犬はないだろーっ――ないでしょーっ」
声を揃えるユゥミィとリィコ。そうよね、こういう風に話すのが、普通の友達。
普通の。
「その先は――知ってるわよね、教員室。こっちを曲がったら、ほら、そこにデータ閲覧
室があるわ」
「はい」
放課後、わたしはパトレを連れて校内を案内して歩いていた。
ユゥミィはもちろん部活でグラウンドへ飛び出していったし、リィコは朝あんなことい
ってくたせに「でへへ、ちょっと見逃せないものが」とかなんとか。
レムも「今日はステーションの方へ用事があってさ」っていって、先に帰っちゃった。
ステーションは学校をはさんでちょうどわたしたちの住宅地と反対側にあるから、しょう
がないわね。
「ここね」
わたしは閲覧室のドアを引く。
閲覧台には数人の生徒が座り、自主学習をしていた。
「ウリト学園の蔵書はもちろん全部ここに揃ってるから、いつでも読みに来れるわ。それ
とわたしたちの学園と提携している他の学校のものもネットワークを使って自由に閲覧出
来る。よその星の学校ともいくつか提携してるから、無論そこのだってね」
「そうですか」
自主学習中の生徒の邪魔にならないよう、入り口で小声で話し、わたしたちはとりあえ
ず廊下へ戻る。
――なんか、やっぱり違和感。
パトレを案内しながら、わたしはずっと感じている。
「この上の階に科学実験室と専門講師の研究室があるの。一応行ってみる?」
「はい、ミス・ゲトワ」
この、丁寧な受け答え――これが違和感の原因。休憩時間にこの娘の「有難う」に感じ
たのと、まったく同じ違和感。
二人並んで階段を上がり、わたしはそれぞれの部屋をパトレに説明して歩く。その間、
パトレはひとつひとつに頷き、「はい」「わかります」と答える。
「あの一番奥がミュージック・サロン。授業でも使うけど、それ以外の時間では部活の人
たちが占拠してるわ」
「そうですか」
「さ、これで一応校内の一通りは案内し終えたわ」
「有難う、ミス・ゲトワ」
鞄を取りに教室へ戻るわたしたち。教室にはもう誰もいない。
「じゃ、帰ろ」
「はい」
いわれ、とうとうわたしは決心した。
「あの、ね、パトレ――さん」
「はい、ミス・ゲトワ?」
パトレの真っ直ぐな視線を受け、少々たじろぐわたし。
「い、いえね、あなたのその、物言いなんだ、けど……」
「はい?」
怪訝な表情になるパトレ。大きな瞳がじっとわたしを見つめてる。
「あ、あのさ、あなたのその丁寧なしゃべり方……なんだけど、ね?」
「――はい」
「いえ、あの、ですから、じゃなくて、だからね」
わたしまで言葉が乱れてきたわ。というか、乱れが正されるというか。パトレは、ある
意味きょとんとしてるって感じ。
「わたし――わたしたちと話すとき、別にそんな、丁寧な口のききかたじゃなくていいか
ら。今日の休憩時間とかでも、クラスの娘らと話しているとき、そんなふうだったけど
さ」
「そうですか?」
「べ、別に盗み聞きとかしたわけじゃないわよ。隣にいたんだから、自然に聞こえてきた
――」
「わかりますよ、ミス・ゲトワ」
くすっと微笑んだパトレ。笑顔が、この娘――いい笑顔をする。
「わかりますよって……だからさ、そういう丁寧な口調じゃなくていいから。もっとこう、
その、フランクでいいのよ、いいと思うわ、いいわよ、うんうん」
誰を納得させているのかしら、わたしってば。自分で頷いてどうするのよ。
「そうですか……でも、別に無理をしているわけではないですよ、わたし。いままでいた
ところでもずっと、こんな感じでしたから」
「でしたからって――」
そういえばこの娘、ここに来る前はどこにいたっていったっけ? 先生がプロフィール
紹介してたわよね、朝……。わたしの頭には、全然はいってなかったけど。
「でも、そうですね――」
笑顔のパトレ。
「そうですね、皆がそうなのだから、馴染むべきでしょうね」
ま、真面目な物言いだわ。きっと、根が真面目なのね、まっ正直なんだわ。
「……無理に、とはいわないけどね、パトレさん」
「平気ですよ、ミス・ゲトワ」
呼ばれ、まだ残る違和感。わたしは彼女にいった。
「あのさ、わたしのこと、ミス・ゲトワなんて堅苦しく呼ばなくていいから」
「ですが――」
「いい、いいよ。フィデリアって呼んで。わたしもパトレさん、じゃなくてパトレって呼
ぶから」
「――そう、ですか?」
「ええ」
「はい――フィデリア」
はい、じゃなくて、うん、とか、ええ、でいいだけどなぁ。まあ、すこしずつ、ね。
「帰ろっか、パトレ」
「ええ、フィデリア」
うん、そうそう。
二人並んで教室を出て、校舎を出て、二人並んで校庭を歩いて、校門を出た。
なんとなく、話題が見つけられなくて、黙ってた。わたし、少し気まずいかなぁって思
いながら歩いてるんだけど、パトレも何もいわない。
黙って、歩き、やがて、家へ通じる坂道にさしかかった。パトレはまだ一緒に歩いてい
る。
――やっぱり。
わたし、思う。やっぱり、この娘、昨日のあの家の前で見た娘なのよね。
思うと同時に、身体中が熱くなった。恥ずかしくって。
――引っ越してるところ、ぼうっと眺めたり、見られて突然走って逃げ帰ったりしたこ
と、どう思ってるかな? へ、変な娘だって、思ってるかな? 思ってるわよね? 思っ
てるに違いないわ。わたし自身、変なことしちゃったって思ったもん!
ど、どうしょう。なにか言い訳しなくちゃいけないかな。そう、そうね、言い訳はとも
かく、これからクラスメートとして一緒に過ごしていくんだから、最初に謝っちゃった方
がいいわよね。最初っていっても、もう一日が終わるんだけど――。
でも、なんていって謝ろう――ていうか、謝るべきものかしら?
……そうよね、見ず知らずの人たちのこと、じろじろ見てた――少なくとも向こうは見
られてた、て思ったはずだから、失礼なことしちゃったってことだわ、わたし。
――謝ろうっ。
「あ、あのパトレ」
わたしが切り出したのは、坂の途中。まさにあの路地≠ヨの曲がり角。
パトレが口元に笑みをたたえてわたしの方を見た、なにもいわずに。
「あ、あのね、パトレ、昨日――」
真っ直ぐなパトレの視線を浴びて、おそらくわたし、赤面してるぅ。
「昨日?」
パトレが不審げに呟いた。
あ、謝ろう、謝るのよ、フィデリアっ――
「ごめんね、昨日っ。なんか、あなたたちのこと、見ちゃってて」
「え?」
「ううん、そんな、じろじろ見るつもりなかったのよっ。ただ、引越しのトラックみたい
なのが止まってて、あそこ、前から空き家だっていうのは知ってたものだから、それで、
だから、つい――」
「昨日?」
「うん、ごめん、パトレ! 悪気はなかったの」
ぺこっと頭を下げたわたし。に、対して、パトレはしばし無反応。
わたしはそおっと顔を上げた。パトレは少し首を傾げて考え事をしている風情。
「昨日、昨日ね……」
「そ、そう、ちょうどこの辺に立って、あっちを――」
わたしはあの家の方を指差した。パトレがわたしの指を追ってそちらを振り返る。今は
もちろん、もうトラックも止まっていない家の方を。
「あっちを見てたけど。でも、そんな長い時間でもなかったのよ、ほんの少しだけ」
「ああ――」
ようやく、パトレは思い出した、というふうに相槌をうった。彼女はわたしを見、笑顔
でいうのだった。
「そういえば、誰かいましたね、荷物を運んでいたとき。フィデリアだったの? 暗くて
よく見えなかった」
「へ?」
わたし、目が点。
「姉と――ああ、わたし、姉と二人で越して来たんだけれど、姉と二人で荷物運んでたと
き、そういえばこの辺を誰かが通りかかったのは見ました、いえ、見たけれど、あなただ
とは思わなかったわ。もう、暗くなってたでしょう、あの頃?」
「そ、それは、そうだったけど」
確かに夕暮れ時だった。確かに、何もかもがはっきり見える、ていう時間じゃなかった。
でも――。
「姉もわたしも、あ、誰かいたなぁ、ていうくらいにしか思わなかったわ」
そう? そうだった? でも――。
「だから、謝ることなんかなにもないですよ、いえ、ないよ、フィデリア」
「そ、そう?」
「はい――ええ」
そ、そうか。そうだったかしら。なら、いいんだけど。
――でも。
「じゃあ、今日は有難う、フィデリア」
パトレはそういって路地を入っていく。あの家へ向かって。
「あ、ま、また明日ね、パトレ」
少し遅れ、わたしも挨拶を返した。歩きながらパトレが振り返り、微笑んだ。微笑み、
片手を軽く挙げて振る。
わたしも振り返す。
パトレは足早に、家へ向かい、入っていった。残ったわたしは馬鹿みたく、ぼうっと突
っ立ったままで。
でも、あのとき、あなたもあなたのお姉さん――お姉さんっていったよね――も、わた
しの方はっきり見て、何か話してたじゃない?
そう思う。そう思った。それとも、あれはわたしの思い違い? リィコやユゥミィのい
い様じゃないけど、わたし勝手にとっちらかってた≠け?
そう。そうかもしれない。いえ、そうなんだわ。
自然と笑みがこぼれちゃった。
馬鹿みたい、わたしってば。
そう、そうよね、いまより暗い時間だった。向こうからわたしは、見えなかったんだわ。
きっとそうよ。
「自意識過剰だったかも、わたし」
えへへ、と自分を笑って、わたしもようやく歩き出す。昨日よりはまだ早い時間。そろ
そろ暮れはじめようかといういま。
唐突に。
わたしは立ち止まる。
息が止まりそうに、なる。
わたしの周りが、丸く明るく照らし出された、突然。
わたしは、そうっと上を見た。見上げた。
曲がり角に立つ街灯。
いま、明かりが点った。
「あ……」
まだ、二歩も歩いちゃいない。路地につながる曲がり角。
「う……そ」
わたしの顔から笑みは掻き消えた。音が聞こえるくらい、さっと、消えた。
昨日、わたしがここに立ったのは、今より暗い時間だった。それは間違いない。パトレ
が「暗くて分からなかった」というのも、その意味では信じられること。
でも、違う。
違うわ。
今より遅い時間≠ノは、もう街灯は点っていた=Bそしてわたしはこの角のところに
立っていた。つまり。
街灯の明かりの真下に立っていた――。だから。
向こうからこちらが、暗くて見えなかったなんて。
「あり得ないわ……」
パトレは。あの娘は。そしてそのお姉さんは。間違いなくわたし≠見た。見えたは
ず。間違いなく、二人とも、わたしを、見た。
それなのに、彼女。
「嘘、ついてる――」
to be continued
Written by 那入 晶
この作品はフィクションであり、登場する人物名・団体名等は実在する同名のものとは
一切無関係であることをここに明記いたします。
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