「さ、次はジムかぁ。気合、いれるぞーっ」

 二限目と三限目の間の休憩時間。更衣室へ移動しながら叫んだのは、ユゥミィではなく、
リィコ。

「あれ、なんでリィコがそんなに入れ込むのよ?」

 尋ねるのはレム。隣をいくユゥミィも同じ心境らしい。

「へへへ、昨日、姫にはいったんだけどさぁ」

 リィコがわたしを振り返りながらウインクし、あとの二人に告げる。

「一昨日は、少しばかり身体をなまらせちゃいましてね。今日のジムでは、ちょっと真剣
に――」

「真剣に、なに?」

「やだ、リィコ。またビジョンの前に座りっぱなしだったの?」

 ユゥミィとレムが交互に尋ねた。

「よし、運動運動っと」

 二人を無視してリィコがとっとといく。

「今日のジムの授業、なにをするの?」

 わたしの後ろにいた彼女が尋ねてきた。パトレ・ポリーが。

「あ、うん――」

 答えようとしたわたし、少し躊躇。意味もなく、少し躊躇。

 ユゥミィが先を引き取った。

「リーグボール」

「え、リーグボール? ここの学校、女子でもリーグボールするの?」

 ユゥミィに向かって問う、パトレ。別に、わたしが答えなくても良かったみたい。

 今度はレムが返す。

「といっても、女子だから、タックル禁止だけどね。タッチ方式」

「ふん、つまらん」

 とは、無論、ユゥミィよ。

「また、そんなこといって、ユゥミィ。みんなあなたじゃないんだから、タッチがせいぜ
いなの」

 諭すようなレムの口調は、でも、多分にからかいの雰囲気もともなってて。二人の長
い付き合い≠トいうのを、そこはかとなく感じさせる。

「当たり前。みんながわたしじゃ、気持ち悪い」

「言葉を額面通りにとるんじゃないの、まったく」

「へいへい。レムのお説教には勝てまへん、て」

「まへん、てなによ、まへん、て」

「ふふふ。ああ、パトレ、あんたはウチのチームにいなよ。赤組いままでひとり少なかっ
たんだから。それでも白組なんて、メじゃなかったけどね」

 ユゥミィがパトレを振り返りながらそういった。確かにジムの授業で、我がクラスを二
分して対戦形式でなにかゲームを行う場合、わたしたち赤組の方が圧倒的に強い。

 そのわけは、もちろん、我が赤組にはユゥミィがいるから。

「そうなの?」

 少し笑みながらパトレがユゥミィに問うた。また、代わりに答えるレム。

「そうよ、パトレ。ユゥミィに勝てる娘は、上級生にだっていないわ、いろんな意味で」

「おっと、レム。いろんな意味ってどういうこと?」

「決まってるでしょ、ユゥミィ。ナイス・バデイとか、ストリッパーとしての素養とか」

「ば、馬鹿いうじゃないよっ!」

 ユゥミィが拳を振り上げる。レムは、きゃーとか、助けてーとか笑いながら、更衣室へ
駆け込んでいく。適当に間を開けながら追いかけるユゥミィもまた、更衣室へと入ってい
った。

 きょとんとした面持ちのパトレに、わたしは苦笑交じりでいった。

「気にしないでね、パトレ。あれ、いつもの余興だから」

「余興?」

 真面目なこの娘には通じないか……。

 二人に遅れ、わたしたちも更衣室へ入った。

 各自、適当にロッカーを開いて制服を脱ぎ始める。最初に部屋へ入ったリィコはもう殆
ど着替え終わっていた。わたしは、そのリィコの隣に空いているロッカーを見つけ、着替
え始めた。

「気合入れても、リーグボールじゃあ、わたしの出番なんてあんまりないなぁ。ね、姫」

 ブラウスをハンガーにかけて、ロッカーに仕舞いながらリィコが話しかけてきた。

「そうね。わたしも同じく」

 笑いながらブラウスを脱ぎ、ジム用のユニフォームに腕を通す。

「あ……」

 そのとき、リィコが小さな声を上げた。何かを、見つけたような声。

「うん? どうしたの、リィコ」

 わたしは何気にリィコを見る。彼女はわたしの肩越しに、隣の列の方を見やっていた。

「あれ……」

 小声でそっと指差すリィコ。わたしはそちらをちらっと見る。

 パトレが着替えている。こちらに背を向け、慌ててもいず、かといってのんびりしてい
るわけでもなく、ごくごく自然にブラウスを脱いでいた。リィコはそんな彼女を指して、
いった。

「あの――脇腹のあれ――痣じゃない?」

 いわれてわたしもパトレの右脇腹をみた。拳大くらいの青痣がある。

「だね」

 突然、割って入ったのは、リィコを挟んでわたしと反対側のロッカーを使っていたユゥ
ミィ。そのまた隣は、レム。ユゥミィが、さして興味もなさげに続けた。

「ほとんど治りかけの、いわゆるアオタン≠トやつだね。あんなとこぶつけるなんて、
器用だね、あの娘」

 わたしたちの声に気づかず、パトレはユニフォームを着終える。

「普通、あんなとこぶつけないわよ、ユゥミィ。うーん、そうか、ははーん」

 ひとり、納得声を出すリィコ。その確信ありげな物言いに、わたし、レム、それにユゥ
ミィまでが額を寄せ合ってリィコを見る。

「ははーん、て、なに、リィコ?」

 代表して尋ねるレムに、リィコが妙に得意げな顔つきになった。

「だからわたし、最初にいったでしょ。今度の転入生、わけありだって」

「ん?」

「どういうこと?」

「つまりさぁ――」

 さらに声を潜め、わたしたちの顔をしっかり順番に見比べたあと、リィコはいうのだっ
た。

「つまりさぁ、この中途半端な時期の転入はわけありもわけあり、大わけありだったって
ことよ。うん、あれはきっと家庭内暴力の痕だわ」

「はあ?」

 三人同時に奇声を発してしまった。それくらい、リィコの論法は跳んでる……。

「きっと、家庭内で苛められてたのね。継母とか義理のお姉さんたちとか、そういうひと
たちに囲まれて、こき使われ小突き回されてたんだわ。ああ、なんて不幸な生い立ちのパ
トレ。神様なんているのかしら?=@いつかわたしにも、白馬の王子さまが≠ニかな
んとか――で、イザコザどたばたがあって、逃げ出してきたのよね。うんうん、そうかそ
うか、なるほどなるほど」

「……その程度かい、情報屋はん」

 ぼそっと呟くユゥミィ。わたしとレムは――期せずして同時にこめかみを揉んでいた。

「な、なによ、そのいいかたは、ユゥミィ」

「ああ、阿呆らし。やっぱ、あんたの話、真面目には聞けんわ。連ドラ、観過ぎ。中毒。
ジャンキー」

 ぽんっとリィコの肩を叩いて、さっさと更衣室を出て行こうとするユゥミィ。着替え終
わっているレムも無言で彼女に続く。

 わたしも、脱いだブラウス、スカートを手早く仕舞って、二人の後を追った。

「あ、ちょ、ちょっと三人とも! 待ってよっ」

 わたしたちのうちで一番最初に着替え終わっていたリィコが、大声上げながら結局一番
最後に更衣室を後にしたってこと。





 今日のジムの授業はアリーナで行う。こんなに天気の良い日にはグラウンドでやりたい、
て気持ちもあるけど、でも双子太陽の陽射しをモロにあびて陽焼けするっていうのもお年
頃の乙女としては、避けたいことでもあるし。ううん、フクザツな心境ね。

 準備体操も終え、両サイドラインに散るわたしたち二年D組の赤組・白組。

「誰がスタンディング≠竄驍フ、わたしたちのチーム?」

 隣に並んだパトレがわたしに尋ねる。答えようとしたときには、もうリィコが大声出し
てた。得意気に。

「もちろんっ、ユゥミィに決まってるじゃない!」

 そのユゥミィは、レムや他の女の子たちといっしょに、早速フィールドに入っている。

「まあ、見てなさいよパトレ。ユゥミィ、それはそれは恰好いいからっ」

 我がことのように自慢するリィコだったけど、わたしも正直、同じ気分。

「そう?」

 軽い笑みをたたえたまま、パトレがいい、わたしと目を合わした。予期してなかったわ
たし、どきっとして思わず瞳を逸らしちゃう。自分の仕草が不自然なのは分かったけど、
どうしようもない。

 ――変な娘だって、思われちゃうかも。

 分かってたけど、どうしようもない。だって――。

「ゲーム開始っ」

 だって――昨日の夕方、気づいた――。

「よし、じゃあみんな、気合入れて行こうよっ」

 わたし、気づいたもの。パトレ、あなた――。

「セット!」

 ――あなた、嘘、ついてる――

「オンッ!」

 あなた、わたしに嘘ついてるわ――。

「赤組ファイトっ。ユゥミィ、頑張れー」

 嘘ついてる。でも――。

「凄いーっ。一気にハーフウェーまで進んじゃった。見た見た、パトレ? 凄いよね、ユ
ゥミィは!」

 でも――。

「セット!」

 でも、パトレ――。

「オンッ!」

 ――どうして? なぜ?――

「うわ、ユゥミィがそのまま走った、早い早いっ!」

 ――どうして、パトレが、わたしに、嘘を、つくの?――

「ポイントーっ やった、ユゥミィ!」

 こちらのサイドラインで歓声が沸き返る。赤組のオフェンスから始まったゲームは、わ
ずか二プレーで、スタンディング≠フユゥミィがエンドを突破してポイントゲット。あ
っという間だった。そう、わたしがちょっと考え事している間に。

「なるほど、ユゥミィさん、凄いですね」

 パトレがリィコに相槌をうっている。リィコが得意の人差し指立て≠ナパトレに答え
た。

「パトレ、さん、なんかつけなくていいって。ユゥミィにもわたしにも、さん、なんてつ
けなくていいんだから。そのまま呼んでちょうだい」

「そう?」

「そうっ。それにあなた、姫のことフィデリアって呼んでるけど、それも他人くさいよ。
姫は姫って呼んであげなよ」

「姫?」

 パトレがわたしを見る。わたしは今度は、苦笑いのまま彼女を見返し、答えた。

「なんか、そう呼ばれてるだけよ。別にいいの、フィデリアって呼んでくれて」

「――姫、ですか」

 存外真面目な顔つきになるパトレ。なにもそんな、悩まなくても。

「だーめよ。名付け親のわたしの目の黒いうちは、姫は姫よっ」

 えっへん、とでもいいたげなリィコだけど、名付け親ってのは、どういうんかなぁ――。

 今度は白組のオフェンスが始まった。いわゆるファーストシリーズ、双方のチームの一
回目のオフェンスシリーズとディフェンスシリーズはスターティングメンバーがそのまま
行う、ていうのがリーグボールのルールだから、わたしたちは引き続きサイドラインで応
援。

「頑張れーっ、ユゥミィ、レム」

 応援やらせれば誰にも引けをとらない(?)リィコがいるおかげで、赤組はサイドライ
ンでも元気だ。

 でも、オフェンスと違ってディフェンスはさすがにユゥミィひとりがずば抜けてても機
能しない。みんな、頑張ったんだけど、結局白組もこのファーストシリーズのオフェンス
でポイントを上げた。

「ようし、じゃあセカンドシリーズだ。メンバー交代」

 赤組キャプテンのユゥミィがサイドラインに戻ってきていう。彼女はスタンディング
≠セから、引き続きプレーするけれど、他の五人は全員入れ替わる。わたし、リィコ、そ
してパトレもフィールドに入った。

 プレー前の円陣を組み、ユゥミィが指示を出す。こういうときのユゥミィ、ホント、恰
好いい。

「さっきは第一プレーでショートパス使ったから、今度のシリーズ、第一プレーはラン
ナー≠ナいくよ」

 ユゥミィはそういって、パトレを見た。パトレは、あの真っ直ぐな視線でユゥミィを見
つめ返す。

「パトレ、あんたランナー≠竄チたことある?」

 尋ねるユゥミィに、答えるパトレ。

「ええ、ランナー≠熈レシーバー≠焉v

「オーケー。じゃ、今回はあんたがランナー≠ヒ。ハンドオフして、右。いいね?」

「了解」

 パトレのその間髪入れない反応。なんだか、男の子みたいな物言いだなって、ふと思う
わたし。

「よし、じゃあ残るみんなは相手のキャッチャー≠牽制してね」

「任せといてー」

 ユゥミィの指示に、お気楽な声で答えたのはリィコだった。

 フォーメーションを組む。スタンディング≠フユゥミィが、右手に楕円球リーグボ
ール≠握り締めてコールを出す。

「セットっ」

 オフェンス、ディフェンスとも息を止め、動きを止めて、待つ。ユゥミィの次のコール
を。

 一拍置いて、ユゥミィが短く叫んだ。

「オンっ」

 一斉に動き出すわたしたち。わたしやリィコは相対するディフェンスのキャッチャー
≠かく乱すべく右へ左へと走り出す。特にわたしは右ゾーンを担当したから、ランナ
ー≠フ走路を確保すべくキャッチャー≠引きつけなくちゃならない。左右のステップ
を二度ずつ踏んで、キャッチャー≠誘引した。

キャッチャー≠フ娘が完全にわたしの動きにつられて、センターライン寄りに横移動し
た。そのとき――。

「え?」

「う、そ……」

 誰もが目を疑ったと思う。

 わたしがデコイ≠ニしてきっちりとキャッチャー≠誘引したのは、褒められてい
いと思うわ。我ながらいい動き出来たと思うもの。そのおかげでランナー≠フための走
路が開いたんだから。だけど。

 その、ほんの一瞬開いた、走路を。

 あの娘・パトレは。

 いとも簡単に、というか、あっという間もなく、というか。

 駆け抜けた――。

「な、なに?」

「早っ」

 ディフェンスチームの面々が悲鳴を上げる間もあればこそ、スタンディング≠フユゥ
ミィから直接ボールを手渡されたパトレが、自陣スターティングラインから走り――走り
出して。

 わたしの開けた走路をさっと走り抜け、相手エンドまで一直線。キャッチャー≠スち
が慌てて追いかけたけど、全然追いつかない。どころか、その差が開く一方。

「ポイントっ」

 指導の先生が大声でジャッジした。パトレはワンプレーで、自陣スターティングライン
から敵陣エンドまで一息に駆け抜けた。

「……」

 敵も、味方も。

 茫然自失の態。

 リィコなんか、あんぐり口開けちゃって。いえ、他の娘たちも大差ない表情で。

 エンドゾーンで立ち止まったパトレを見つめちゃってた、無論、わたしもだけれど。

 パトレは、ゆっくりと駆け戻ってくる。

 ――さっきの、全力疾走よね、パトレ?

 思わずそう疑ってしまうのは。戻ってくる彼女、パトレの。

 息が全然乱れていない。そう、呼吸一つ、乱してない。軽く、駆け戻ってくる。

 アリーナ内には、そんなパトレの足音しかしない。妙に、静寂。

 だけど。その静けさは次の瞬間にはもう、吹っ飛んでいた。

「す、す、す――」

「すっごーい、パトレっ」

「なんなのよ、いったいっ?」

「あんなの、初めて見たーっ! 最高っ」

 口々に叫ぶ女の子たち。敵も味方も関係ない。あっという間にみんながパトレを取り囲
む。

 取り囲んで、きゃーきゃーいいながら、それはもう大騒ぎ。リィコなんてもう、なにい
ってるのって聞き直したいくらいの大声出しちゃって。

 そんな輪に入り損ねたわたしは、ぼっとしてみんなを眺めていた。

 ぽんっと、肩を叩くひと。

「ユゥミィ――」

 振り返ると、やっぱり輪には加わっていないユゥミィが立ってる。

 彼女はしばらく、左手でポリポリと短い髪を掻きながらみんなを見ていた。そして。

「なんか、鍛えてるって感じの身体だなぁ、て思ってたんだ」

 そうだった。昨日の朝、パトレがわたしたちのクラスにきたとき。ユゥミィは彼女の全
身を見て身じろぎしてた。ユゥミィ、もうあのときから――。

「――でも」

 ユゥミィは視線をわたしに移し、真顔でいう。

「でも、想像以上に凄いわ、あれ」

 自他共に認める運動神経抜群のユゥミィがいうと、ホント信憑性がある。いえ、実際、
パトレは凄い――。わたしもそう思った。

 指導の先生の一喝で、ようやく静まったわたしたち。ゲームは続く。

 次はわたしたちがディフェンスの番。ユゥミィも今回はサイドラインへ下がり、しばし
休憩だ。わたしやリィコ、パトレたちはキャッチャー≠ニしてフィールドに残る。

 パトレの凄い動きをみたものだから、白組のスタンディング≠熹゙女のいる方向へは
プレーを展開せず――というか、出来ず――おのずと手詰まり感に陥った。

 それでもじりじりと陣地を進められちゃったけど、自陣エンドの手前五ヤードで、なん
とかリィコ(!)が相手レシーバー≠フ背中にタッチ、つまりキャッチ≠オて、攻守
交替。

「うあー、汗かいたーっ」

 雄叫び上げながらサイドラインへ引き上げるリィコ。わたしたちは交互に、そんな彼女
の肩をぺしぺし叩いて労をねぎらう。

「よっしゃぁ、次のシリーズで一気に決着つけるかぁ」

 自チームのディフェンス中にたっぷり休養をとったユゥミィが気合を入れた。彼女は、
サイドラインに戻って並ぼうとしていたパトレに声をかける。

「パトレ、引き続きオフェンス。オーケー?」

 周囲の娘たちも、期待を込めた目でパトレを見た。パトレはユゥミィを真っ直ぐ見返し
て答える。

「了解」

 きゃあ、という歓声が上がる赤組サイドライン。

「頑張れーっ」

 応援団長リィコの黄色い声援。

 フィールドへ向かいながら、ユゥミィがパトレの肩に手をかける。二人並んで歩いてい
く。

「あ……」

 一瞬、わたしは息を詰めた。

 クラスで、いえ学年で一番背の高いユゥミィ。陸上種目で特待生資格を狙うくらい運動
神経抜群の娘。ボーイッシュな栗色のショートカットの彼女が走る姿に一目惚れした下級
生――レムいうところのファン――が何人もいる、ていうくらい恰好いい娘。

 そんな彼女に身長はすこしばかり劣るけれど。彼女の鍛えている身体に負けないくらい、
というか、ユゥミィ以上に引き締まった肢体の持ち主・パトレ。

 二人がユニフォーム姿で並んだ情景は。

 絵のように綺麗――。

 わたしは、そう思った。

「――前から、試してみたかったんだ。いっぺんでいいから――やってみたいと思――」

 ユゥミィがパトレに小声で囁くのが、微かに届いた――。

 フィールドに六人のオフェンスチームが集まり、円陣を組んでいる。内容までは聞こえ
ないけど、ユゥミィが五人に指示を出している。

 みんなが顔を見合わせている。パトレと、ユゥミィを除くみんなが。

 ――どうしたんだろ?

 わたしは円陣をじっと見つめた。そこへ。

「姫、またパトレ走るかなぁ」

 リィコがわたしの右隣で楽しそうに訊いてくる。

「どうだろ、今度はユゥミィが最初みたく自分で走るんじゃないの」

 そう答えたのは、わたしの左に立つレム。パトレが引き続いてオフェンスへ入った代わ
りに、レムがサイドラインに残っていた。

「ううん、それも見たいなあ。ユゥミィもいいしなぁ、でも、パトレのも捨て難いしなぁ。
うう、どうしよう?」

「リィコ、あんたが悩むこっちゃない、と思うよ」

 レムの相変わらぬ冷静な見解。

 サイドラインの無駄話に関係なく、オフェンスがフォーメーションに散った。始まる。

「――セットっ」

 フォーメーションを確認したスタンディング<ゥミィがコールを開始する。

 フィールド内だけでなく、両サイドラインも一瞬にして静まる。敵も味方も、ある意味
期待≠込めてプレーを見つめた。

「オンっ」

 ユゥミィのきりっと引き締まった声。プレーが動き出す。

デコイ≠フ娘たちが走った――て……え?

「え?」

「なに、あれ?」

 リィコもレムも思わず声を上げた。わたしも同じ気持ちだった。

 普通左右に展開するはずのデコイが、右の娘は左斜め前へ、左からは右斜め前へと走り
出す。

 リィコが叫ぶ。

「ダブル・レシーバー? うっそー?」

 パトレは――。

 パトレはユゥミィの真後ろのポジショニング、つまりランナー≠フ位置に立ったまま。

「じゃあ、ランナー≠フパトレの方がデコイ≠セったの?」

 わたしが誰にともなく尋ねた。

 ダブル・レシーバーとして走り出した二人の娘がセンター付近でクロスする。ディフェ
ンスのキャッチャー≠スちは後走りで走路を塞ごうとしたけれど間に合わず、追走に切
り替えた。

 クロスした二人のレシーバーがほぼ同時にそのままサイドライン側へ切れ込んで行って
――行って、止まった……って、止まった? デコイ?

 なにしてるの? と、誰もが思ったその瞬間だった。

 ユゥミィの後に立っていたパトレが、突然走り出す。凄い勢いでフィールドの真ん中付
近を駆け上る。

「え、ハンドオフしたの?」

 リィコがいうのに、レムが叫び返した。

「してないわっ。ユゥミィがまだキープ! だいいちレシーバーをダブルで出してスター
ティングライン越えたんだから、ランプレーは禁じ手よっ」

「でも、ふたりとも止まっちゃったよっ。レシーバーなの、本当に? デコイだったんじ
ゃないの?」

「じゃあ、誰がボール運ぶのよ? まさか、いまからユゥミィが自分で?」

 パスプレーが確定した瞬間、スタンディング≠焜Lャッチの対象になる。ディフェン
スのキャッチャー≠スちがユゥミィにタッチしようとしてラッシュをかけた。

 ユゥミィはでも、彼女たちを軽くかわしながら、自陣エンド近くまで後退ってくる。

「やだ、押し込まれてるっ」

「――余裕あるようにみえるけど、ユゥミィは」

「なにが余裕よ。自陣五ヤードからプレーし始めたのよっ。ここでキャッチ≠ウれたら
次の相手のオフェンスなんてウチのエンドの目の前からスターティングじゃん!」

「あっ」

 声を上げたのはレムも、リィコも、そしてわたしも。

 文字通り、自陣エンドを背負う位置まで下がったユゥミィ。ラッシュしてきたキャッ
チャー≠いまいちどかわすと――。

 さっと振りかぶって。

 ボールを。楕円のリーグボールを。

「やっ」

 短い気合の声もろとも。

 放り投げた――。

「へえ?」

「う――そ」

「――でも」

 ユゥミィの投げたボール。高々と投げたボール。

 それは綺麗な綺麗な放物線を描いて。

 放物線を描いて――。

 ひとり、敵陣エンド目指して疾走しているパトレの――。

「ええっ!」

「うそーっ!」

 誰もパトレには追いつけない。自陣エンド付近から走ったレシーバー≠フパトレは、
そのスピードをまったく緩めることなく突っ走り、敵陣エンドへ。

 そして、エンド手前でさっと顔だけを振り返らせる、走りながら。

 そこへ、ユゥミィが投げた超ロングパスが、ボールが。

 飛んでいった。

 両腕を伸ばしたパトレ。ユゥミィの投げたボールをキャッチ。

 そこは、相手エンドのど真ん中。

「うわあーっ」

「取ったぁっ」

「すご過ぎーっ」

 もう、誰がなにをいってるんだか、叫んでるんだか。

 ユゥミィが自陣エンドラインのところで、彼女にしては珍しく両手をアリーナーの天井
向けて突き上げてる。ガッツポーズっ。

 そのずっと反対側。敵陣エンドの中では、パトレがボールを右手で軽く掲げてユゥミィ
に応えていた。

「すごっ、すごいっ、すごいわすごいわっ、見た見た、姫っ? いまの、見たーっ?」

 リィコがわたしの首に飛びつかんばかりの勢いで抱きついてくる。わたしも思わずリィ
コを抱き返した。

「見た、見たわよっ! すごいね、すごいよ、二人ともっ!」

「すっごーいっ、嘘みたーいっ!」

 なんだか二人してぴょんぴょん飛び跳ねてしまった。それくらい、興奮するプレーだっ
たわ。

 まずレシーバーに似せたデコイを二人、クロスパターンで走らせてキャッチャーを引き
付ける。デコイの二人もうまかったわね。センターでいったんクロスして両サイドへ走っ
たものだから、キャッチャーも一度センターを締めたあとにサイドへ散っちゃった。つま
り、あとから走る本当のレシーバー≠フ走路を完璧に開かせたんだわ。

 そして、レシーバー<pトレが時間差で走る。

 この時間差攻撃、パスプレーが確定してしまうから、実際には成功確立は相当低い。な
んていったって、パスプレーではスタンディング≠焜Lャッチ対象になるから、そもそ
もパスを投げる前にタッチされる危険性が増えちゃう。

 でも、そこはさすがユゥミィ。キャッチャーをかわしながら時間稼いで――。

 そして、あの特大のロングパス!――

 レムもかなり上ずった声でいってる。

「そういやあ、前にユゥミィいってたなぁ。一度でいいからリーグボールで、エンド・ト
ゥ・エンドのロングパスっての決めてみたいって。プロフェッショナルゲームで見て以来、
そう思ってるんだって」

 さっきは、パトレのところに輪が出来た。今度は、パトレのところでも、そしてユゥミ
ィのところにも。輪が出来た。でもそれも。

 あっという間にひとつになって。

 みんなで輪になって、大騒ぎに騒いだ。

 口々にユゥミィを、パトレを褒め称え。

 敵味方、白組赤組関係なくみんなで、二人を褒め称え。

 みんなで輪になって、大騒ぎに騒いだ。

 わたしたち、みんなで――。

 ユゥミィは、ホントに彼女にしては珍しく興奮気味にガッツポーズを繰り返す。パトレ
は、みなに囲まれて微笑んでいる。綺麗な笑顔で、みんなの中にいる。

 わたしは――。

 そのとき信じることにした。信じようと思った。

 ――こんな素敵な笑顔の娘が、嘘なんてつくわけないじゃない――

 そう思った。





「姫、一緒に帰る?」

 その日の午後。終礼が終わりみんなそれぞれに帰り支度をする中、レムがわたしに尋ね
てきた。

「あ、ごめん、レム。わたし、きょうステーションの方行かなくちゃいけないの」

 鞄を手に、わたしは立ち上がりながら答えた。

「そうなんだ。昨日だったら一緒にいけたのにね」

 そうだった。レムは昨日、ステーション方面へ寄って帰ったんだった。

「ごめんね、お母さんのお使いで、セントラル・ホスピスへお薬もらいにいかなくちゃい
けないの」

「ああ、毎月のやつだよね。そっか。じゃあしょうがないね。おおい、リィコ――って、
あれ、もういないや?」

「ホント?」

 わたしとレムは周りをさっと見渡した。三々五々、クラスメートが教室から出て行く。
わたしの右にいるユゥミィは、部活の準備が入ったバッグを手に立ち上がるところ。左の
席のパトレはまだ座って、ゆっくりと教材を鞄に仕舞ってる。その後のレムは既に立ち上
がってて――リィコの机はもぬけの殻。

「あーあ、そんなにまでして連ドラ観たいかね、あの娘は、まったく」

 呆れ声は無論ユゥミィ。

「自分で中毒の自覚、あるんかねえ?」

「自覚ないから、中毒なんよ」

 レムの冷めた意見。ごもっともです、はい。

「じゃあ、わたしも帰るか。またね、姫、ユゥミィ――パトレ」

 レムがいい、教室を出て行った。

「まったねーっ」

 ユゥミィが答え、彼女も歩き出す。

「あ、ユゥミィ、じゃあね。パトレも」

 そういって、わたしも扉に向かった。

「ええ、また明日」

 パトレが軽く笑んで答える。

 ――この娘が嘘なんかつくわけない――

 それが事実なんだわ、そう思い、わたしは彼女に手を振って教室を出る。

 わたしは毎月一度、お母さんに頼まれてステーションの向こうにあるセントラル・ホス
ピスへ行く。お母さん常用のお薬をもらいに行くのだ。

 別にお母さん、どこか具合が悪いってわけじゃない。お母さんいわくの「女性にとって
かかせぬ健康補助薬」とやらだそうで。これをちゃんと処方してくれるのは、この界隈で
はセントラル・ホスピスしかないのだ。

 以前はお母さんが自分でもらいに行っていたのだけれど、高等部へ進学した頃からわた
しが代わりに行くようになった。

 学校を挟んでわたしの家の方は住宅地。そしてステーション側は商業地区。いろいろな
ショッピングモールなど商業施設が立ち並んでいるから、お年頃のわたしとしては、こう
いうところを歩くだけでも楽しくなる。そういう意味もあって、このお使いはわたしの方
から率先して「行く」といったのだった。

 ホスピスでの用事はすぐ終わる。受付窓口へ行って、申請カードを提出して処方箋を確
認してもらい、薬事パスワードを入力すれば、あとは薬が出来るのを待つだけ。混んでい
なければ、二十分もあれば済んじゃう。

 今日も大して待たずにお薬はもらえた。わたしはホスピスを出て、ステーション・アベ
ニューをぶらぶらと歩いた。お薬を待っている間に、このあとの予定を考えたのだ。モー
ルの中にあるアクセサリー屋さんをのぞいて行こう、それからファッションショップも少
しだけ。

 学校が終わった今頃から夕方の帰宅時刻にかけては、ステーション・アベニューは結構
な人の数。住宅地と違って賑やかだった。

「あ――」

 わたしはとあるショーウインドウの前で、思わず足を止めた。

 我が家は基本的にビジョンを観ない家庭。だから、一応リビングに置いてあるモニター
は小型のそれ。わたしの部屋にある個人用のネットワーク端末モニターより一回りも小さ
いくらい。

 だから。

「おっきいのねー」

 わたしはショーウインドウの中を眺めて呟いた。

 そこは、電子機器屋さん。アベニューに面したショーウインドウには七台ほどのビジョ
ン・モニターが展示されていた。それも、わたしの部屋の壁半分くらいの大きさもあろう
かという大画面のものばかり。

 そしてそのモニター全てが、いま、リーグボールのプロフェッショナルゲームを放映し
ている。

 生中継なのか、録画なのかは知らないけれど、アリーナーではなく屋外スタジアムで行
われているプロによるリーグボールゲーム。ウインドウの向こうに置いてあるからモニタ
ーから音は聞こえてこないけれど、観客席の興奮・喧騒が手に取るように伝わってくる。

「迫力あるのね、やっぱり、これだけ大きい画面だと」

 今日の今日、ユゥミィとパトレのあんな凄いプレーを見たばかりだったわたしは、しば
し足を止めてショーウインドウのモニターに見入っていた。

 立ち止まっているわたしの後ろを、次々と通り過ぎる、行き交う、ひとたち。

 わたしは鞄を両手でぶら下げて、リーグボールを観戦する。

「あ、すごい」

スタンディング≠ェランナー≠ノハンドオフ・フェイク――ユゥミィもこれが得意な
のだ――して、自ら走る。早い早い。

「すごいなー、さすがプロフェッショナルね」

 ついつい、呟いちゃう。

 どっちのチームがなんていう名で、どっちがどういうのかなんて、全然知らないんだけ
れど。自分たちでもジムの授業でやるくらいだから、ルールはわかる。わたしは知らず知
らずプレーに夢中になっていた。

 いよいよオフェンスが敵陣エンドゾーンの手前まで進んだ。

 さあ、どうする? パス、それともランかしら?――

 円陣が解かれて、オフェンスがフォーメーション。ディフェンスも相手フォーメーショ
ンに合わせてそれぞれのキャッチャー≠ェスタンバイ。

「うわっ」

 次の瞬間、わたしは小さな悲鳴を上げた。プレーコールとともに、レシーバー≠ェ走
路へ向かったのだけれど、殆ど同時に、キャッチャー≠フひとりがスタンディング
に敢然とタックルっ。

スタンディング≠ヘボールを持ったままフィールドに仰向けに倒される。ディフェンス
のファインプレー。オフェンスはスターティングラインを一気に後退させられてしまった。

 そうなのよね。わたしたちのやる女子のリーグボールなんて、タックルが禁止されてい
るからこんなに激しいコンタクトはないもんね。やっぱり、プロフェッショナルのは、迫
力が違うなあ――。

 当たり前のことに感心してしまっているわたしだった。

 一転して得点チャンスから遠ざかったオフェンス。スタンディング≠中心に円陣を
組み直している。

 わたしはそんなかれらに、つい、ユゥミィ、パトレの姿をダブらせる。

 スタイルは決まった。フォーメーション。コール。セット。コール。

「……オンっ」

スタンディング≠ェ右へ流れるように走る。デコイのひとりがその前でキャッチャーを
ブロックしている。ランナー≠ェスタンディング≠ニ逆方向へ走り抜け――。

ランナー≠カゃない、レシーバー≠セ。パス・パターンだわっ。

 わたしがそう思った瞬間、スタンディング≠ェ走りながらパスを放った。すごい、走
りながら投げるなんて。

 中継カメラが楕円球を追う。放たれた矢のようにそれは宙を飛んで、飛んで。

 エンドへ駆け込むレシーバー≠フ胸元へすっぽりと。ナイス・レシーブ! ポイント
だわっ。

「よっし!」

 思わず、右手で拳を作ったわたし。小さなガッツポーズ!

 って……。

 背後からくすくす笑いが聞こえた。わたし、はっとして振り返る。

 道行く見知らぬおばさん連れが、わたしの方を見ながら笑っていた。

 あちゃ――。

 苦笑交じりのおじさんも歩いている。

 ――し、しまったー。つい、熱が入っちゃったかしら。

 もっとはっきり、くっくと笑う口元を押さえて足早に通り過ぎていく、どこかよその学
校の女生徒たち。

 は、恥ずかし……わたしってば!

 天下の公道で、年頃の女の子が、ショーウインドウのリーグボール中継見ながら、ガッ
ツポーズなんて! それも、それも――

「……声、出しちゃった」

 ああん、最低っ。

 赤面して、ちょっとばかりもじもじしてしまうわたし。い、いま走り出したりしたら、
もっと恰好悪いわよね、絶対。うう、恥ずかしいなぁ――。

 肩を竦めて俯いたわたし。だったから。

 そうだったから。

 そのことに気づくのが遅かったのかもしれない。

 そう、少し、気づくのが遅かった。

 音が――。

 近づいてきているのに。

 気づくのが。

 ――少し、遅れた。





 わたしは、ふと顔を上げてそちらを見た。右手の方を見た。ステーション・アベニュー
の、ステーションに通じる方向。

 そちらを見た。

 そこを。スペース・バイクが走っていた。

 ――いわゆる車輪がついたタイプの二輪および四輪以上の自走能力を有する駆動車はア
ベニュー進入禁止。それは昔から。

 ただ、最近はやっている浮遊式のバイク。スペース・バイクは。「車輪がない」ことを
理由に、このアベニューの中を走っている。

「どう考えてもおかしいよね。法整備の方が追いついてないんだよ、こういうの」って、
レムもいってたな。前に、いっしょにこっちへきたとき。やっぱりあのときも、スペー
ス・バイクがぶんぶんいって歩行者の間を危なっかしく走り抜けてたなあ――。

 なんてことを、とりとめなく思った。ふと、そう思った。そのときは。

 そう、そのときは。

 でも。

 ――え、なんで?

 どうしたの?――

 あの、バイク。

 まっすぐ――。

 ――わたしの方へ。

「危ないーっ!」

「きゃーっ」

「逃げてーっ!」

 誰かが叫んでる。

 誰かが悲鳴を上げた。

 でも、なんで?

 なんで、あのバイク――。

 わたしに。

 わたしの方に。

 ――わたしを。

 実際にはあっという間の出来事。

 わたしがそのスペース・バイクに気づいたとき。それは一直線にわたしの方に向かって
走ってきて、突っ込んできて――。

 ――ぶつかるっ!――

 そう思うのが精一杯だった。わたしの足、根が生えでもしたのかしら? ぴくりとも動
かないじゃない。

 動かないじゃないっ!

 「あ――」

 危ないって、いおうとした。そんなことわかってる。わかってるのに。わたし。

 危ないって、いおうとした。

 でも。

 いえなかった。

 目の前に迫ったバイク。真っ黒のフルフェイスのヘルメットをかぶったひとが乗ってる
そのバイクは。わたしのホント、目の前にいた。

「きゃーーっ!」

 わたしの悲鳴。それとも。

 だれかの悲鳴。

 わたしは、宙を飛んだような。

 気がした。

 気がして、一瞬、目の前が、真っ暗に。

 なった――。





「おい、大丈夫かっ」

「まったく、なんて無茶苦茶な運転するんだよっ。止まりもしなけりゃ、謝りもしないで、
突っ走って行きやがった!」

「暴走だわ、いやねこんなところで、本当に」

 騒々しい、いろんなひとたちの声。声が聞こえる。

 わたしは――。

 わたしは、そろそろ暮れ行く空を眺めていた。

 ぼうっと、ただ、眺めていた。

 空しか――。

 見えていなかった。

「おい、本当に大丈夫かい、しっかり」

 誰か、大人の、男の人の声。

「ああいうの取り締まらなくて、どうするんだよ!」

 別の、少し興奮気味の、男の人の声も。

「この前だって、ステーションの目の前で、小さな子供がああいうバイクにひっかけられ
て怪我したっていうじゃないっ。物騒なんてものじゃないわっ」

 この人も興奮してるなぁ。女の人の声だわ。

「――大丈夫?」

 このひとは――この声は、落ち着いてる。誰?――

 空を見上げていた視線を、ゆっくりと動かす。わたしを心配そうに覗き込む、いくつか
の顔、顔、顔……。

 わたし、アベニューの路上で倒れてる。倒れて、空を見上げてた。

「――」

 なにか、いおうとしたけど。

 声が、出ない――。

「どうした、どっか打ったんか? ぶつかったんか、あれに?」

 いかにも仕事帰り、ていう感じの男の人が尋ねる。わたしは――。

 わたし、どうなったのかしら――?

 ゆっくりと周りを見る。何人かのひとたちがわたしの周りを取り囲んで、あるひとは中
腰で、あるひとはしゃがみこんで、あるひとは立ったままで。みんな、わたしを心配そう
に見つめてた。

「危なかったね、本当にびっくりしたわ」

 しゃがみこんでるおばさんがいう。わたしはその人の方を見た。

「凄い勢いでバイクが突っ込んできたものだから、わたしもう、てっきり――。良かった
わ、あなた、助けてもらって」

 ――たすけてもらって――

 え?

「うん、いや、本当にそうだ」

 中腰のおじさんも相槌をうっている。

「あっちゅう間だったもんなぁ。咄嗟のことで、誰も動けんかった。それなのに――あん
た、よくやったよ」

 おじさんは、わたしの肩越しに視線を送っている。わたしの背後に視線を。え?

「なんちゅうか、まるで、リーグボールのタックルを見るみたいだったな、うんうん。す
ごいスピードだったよ、あんた」

 あ……れ?

 わたしの――背中。

 なんだか、温かい?

 ――あれ?

「そうだよ、君もさ――」
 
 別の男の人もいう。

「君も、その友達に感謝するんだよ。彼女がいなかったら、間違いなくバイクに轢かれて
たぞ」

 え?

 ともだち?――

「……友達、だよな? 同じ制服着てるんだし――」

 わたしはようやく、気づく。

 路上に倒れているわたし。

 でも、そのわたしを抱きかかえてくれてるひとがいる。背中から、わたしを抱きかかえ
てくれているひと。急に、そのひとの温かみを背中に、そして全身に感じるわたし。

 そう。

 思い出した。

 わたし。

 あのとき。バイクが目前に迫ったとき。

 もう駄目、て目を閉じた。そのとき。

 宙を飛んだ。身体が宙を飛んだんだわ。

 あれは。

 誰かが。

 誰かが脇から凄い勢いでわたしを抱きかかえて――。

 わたしを抱きかかえて、横っ飛びに飛んで、バイクの衝突から救ってくれた。

 誰かが、わたしを、助けて、くれたの――。

 ふと、視線を落とす。胸元に。

 わたしのじゃない、誰かの腕が。しっかりと、わたしを抱きかかえている。後からしっ
かりと、わたしを抱きしめてくれている。

「大丈夫?」

 その人が、わたしの耳元で、もう一度囁いた。

 落ち着いた声で。静かに。わたしに。

 囁いてくれた。

 聞き覚えのある、声。

 わたしはゆっくりと振り返る。

 漆黒の瞳が、まっすぐ、わたしを見つめていた。

「――パトレ……」

 パトレが。彼女が。道路に倒れこんだ姿勢のままで、わたしを抱きとめてくれている。
パトレが。

「パ……ト、レ」

 彼女の名前を口にしたら、どうしてだろう? それまでただぼうっとしてただけのわた
しの両目から、涙が――。

 涙が、どんどん、溢れてきた。

 そして、全身、震え出した。

「大丈夫、フィデリア? どこか打った? 痛いの?」

 心配そうに見つめるパトレを、ただ見返すわたし。声を上げて泣きたいけど、泣き叫び
たかったけど、ただただ涙が溢れ出す。声もなく震え、わたしは涙をこぼし続けた。

「ああ、やっぱりどっか打ったんとちゃうか?」

「病院、行った方がいいかもよ」

「そうよそうよ」

 みんながてんでにしゃべってる。でも、わたしはただただパトレだけを見つめて。

 泣いた。

 いまになって急に恐怖がこみ上げてきて、恐ろしくて。でも。

 助かったって思って。

 助けてくれた、て思って。

 恐くて、そして――嬉しくて。

 泣いた。

 声も出せず。ただ、ぽろぽろと。涙が。次々と。ぽろぽろと。

「フィデリア、もう、大丈夫よ――姫」

 パトレが。

 微笑んだ。






to be continued









Written by 那入 晶




この作品はフィクションであり、登場する人物名・団体名等は実在する同名のものとは
一切無関係であることをここに明記いたします。



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