夜、静まり返った住宅地。本当に、この辺は夜になると静かだ。
わたしは、自分の部屋で机に向かい、問題集と睨めっこ。
昨日はあんなことがあったから、家へ帰ってきてからも勉強どころじゃなかった。すぐ
にベッドに入って、頭から毛布かぶって。なにもしないで寝ちゃった。
結果、一日分とはいえ、問題、たまっちゃった。
わたしは、きっちりとリカバリーすべく、今夜は少々遅くなっても二日分の問題を解き
終える覚悟だった。
でも、駄目ねぇ。集中力が持続しない。
わたしは、ふっと夕方のことを思い出す。
わたし、リィコ、ユゥミィ、レムそしてパトレの五人で。帰りにスイーツ・バーに寄り
道して騒いだことを。思い出す。
――もう、リィコッたら。特大のパフェなんて頼んじゃって。しかもああだこうだしゃ
べりながら食べるもんだから、頬っぺたはおろか小さなお鼻のうえにまで、ちょこんとク
リームくっつけちゃって。
うふふ、なんて思い出し笑いしてしまうわたしだった。
ユゥミィは、運動してるだけあって、食べるときは食べるときでしっかり食べる。基本
的に甘いもの嫌いじゃないし。リィコほどじゃないけど、ラージサイズのを頼んでた。
レムはあとで泣きたくなーい≠ネんていいながら、いつも一番小さなカップ。でも、
みんなといっしょに楽しそうに味わって食べるんだ、あの娘も。
わたしは中くらいのサイズのコーン付き。ホントは、ユゥミィやリィコみたく、おおっ
きいの食べてみたい、て思うのよ、いつもいつも。
でも、レムの一言にも理があるってこと、分かり過ぎるくらい分かるし。ううーん。
って、悩んで、いつもどっちつかずのサイズになっちゃう。
パトレは――。
今日、初めていっしょにお店に行ったパトレは。遠慮したのか何なのか、レムと同じ一
番小さなカップを選んでたわね。
一口食べて「あ、甘い」て顔しかめてた。
「スイーツは甘いのが、当ったり前ーっ」
なんて上機嫌に騒ぐリィコに苦笑を返してたパトレ。「わたし、あんまり、こういうの
は食べないの」とかなんとか言い訳してたわ。
もう、ああでもない、こうでもないっていろいろなことおしゃべりし合って。時間なん
て、全然足りないくらいで。
情報屋≠ウんのリィコは、この機会とばかりに、パトレにいろいろ質問を連射しまくっ
てたなあ。「これまでどっちの学校行ってたんだっけ?」「住んでたとこは?」「ねえ、
ビジョンよく観るほう?」「すっごい、運動神経いいよねーっ。ユゥミィといい勝負だ
わ!」「なにが好き?」「そうじゃなくて食べるものよ、食べるもの!」「あ、そう。甘
いものあんまり食べないんだぁ、もったいないっ」「それってあれ? やっぱり、継母が
自分の娘ばかり可愛がって、あなたには残り物以外は食べさせてくれなかったら?――っ
て、痛い痛いっ、ユゥミィ、耳たぶ引っ張らないでようっ」
このあと、こつんこつんと、ユゥミィとレムの拳がリィコの頭に、あははは。
そんなこんなで大盛り上がりに盛り上がったわたしたち。話題がひょいと、わたしのこ
とになったのはなぜだったかしら?
そうね、ちょっと、小休止ってときだったかしら?
子供のころ、ああだった、こうだった、て話で幼馴染≠燗ッ様のユゥミィとレムが盛
り上がったそのあとだったわ。話が、わたしのことになって――。
それで、ちょっと、しんみり、したっけ。
「大変だったね、姫」
「そうよね、記憶なくしちゃうなんて――」
ユゥミィとレムがいったあと。しばらくみんな無言になった。
そう。
わたし、ここの中等部へ転入してくる前のこと。
五年前から先のこと。
――覚えてないの。
わたしは、事故に遭った――そう、聞かされた。聞かされたっていうのは、もちろんわ
たし自身はそれすら覚えていないから。
なんか、医療事故の一種だったとかで、どこも怪我もなにもしていないのだけれど。わ
たしは生死の境をさ迷ったって。
お母さんが教えてくれた。
でも、懸命の治療が実って、わたしはこうして五体満足で生きてるって。ただ――。
ただ、それまでの記憶を全部失ったのと引き換え、に。
何も思い出せないで辛い思いするくらいなら、いっそのこと新天地に引っ越してやり直
せばいいじゃないか――て、お父さんがお母さんにいって。わたしにいって。
ここへ越してきた。
五年前――。
「でもね」
わたし、四人の誰にともなく答えていた。本心から、答えていた。
「でもね、わたし。別に平気よ。そりゃあ、五年前までの自分がすっぽり抜け落ちている、
ていうか、まるで思い出せないっていうのは正直気持ちいいものじゃないわ。うん、だっ
て、もしなんどき、どこかで、五年以上前のわたしを知っているひとと出くわして、向こ
うはわたしのこと知ってて『フィデリアー』なんて声かけてきたとしても。わたし、その
ひとのこと知らない、ていうか覚えてないから、きっとなにもいえないだろうし、気まず
い思いするだろうな、させるだろうな――そう思ったりすると、ちょっと心、痛むけど」
「姫……」
「でも。でも、平気なんだ、わたし。うん、全然、いま、平気よ。だって、だってさ」
わたしは、テーブルをぐるり取り囲む娘たちの顔をひとりずつ、ゆっくり見回す。
「だってさ、わたし、こっちへ引っ越してきてから、すごく幸せだったもん。幸せだもん、
いま。いまも。友達いっぱいいて、幸せだもん。みんなみたいな、友達いて――」
それ以上は、言葉に詰まっちゃった。
ユゥミィは、片手頬杖ついて、頬っぺた膨らませたり萎ませたり。
レムは、少し上向いたまま、じっと一点見つめてる。
リィコは――リィコったら、スプーン咥えたまま、彼女には似合わない(?)結構マジ
な顔つきして。
そして、隣に座ってるパトレ。
わたしの、こんな話は初めて聞いたパトレ。彼女はあの、独特の真っ直ぐな眼差しをわ
たしに向け、そして――。そしてテーブルの下、膝の上に置いているわたしの手をそっと、
握ってくれた。
――パトレ――
思わず見つめ返すわたしに、パトレが微かに微笑んでくれた。
途端っ!
「おうおう、ちょいとお姉さんたち。見つめあっちゃったりしちゃったりしちゃって、お
安くないねぇ。ええ? もしかして、アレかい? わけあり≠ト、やつかい?」
「リィコっ、茶々いれてんじゃないのっ! せっかくいい雰囲気に締まりかけてたのに
!」
こつん。
「連ドラ中毒ーっ」
こつん。
「痛いってっ。暴力反対ーっ」
ユゥミィとレムに向かってスプーンを振り回すリィコ。みんな、笑った。五人、みんな、
友達みんなで、笑った――。
おっと、いけないいけない。勉強中だったわ。集中集中、と。
ぺしぺしと、自分の手で軽く頬っぺたを張って気合を入れ直す。
「まだまだ、頑張んなきゃっ」
雑念を振り払い、わたしは問題集に取り組む。
「えっと、あれ?」
いつしか問題に集中していたわたしは、なにか≠感じて顔を上げた。
なんだろう? なにかしら?――
いま、階下で、なにか物音した?
じっと耳をそばだてるわたし。でも、何も聞こえない。静かなものだわ。お母さんもも
う、先に寝たはずよね。
そう思い、再度問題に視線を落とし――あれ?
やっぱり、いま、なにか、音、したよね?
下から――一階から。
下、から、だよね?
寝巻き代わりに着るスェットの上下だけじゃ肌寒いから、薄手のセーターも羽織ってい
るわたしは、クロックに手をかざす。壁に時間が浮かび上がる。日付がかわるまで、あと
一時間ほど。
どうせ寝る前にもう一度、歯、磨きに洗面所へ下りるんだから、いまのうちに済ませち
ゃおうかな?――
音も気になったので、わたしは椅子から立ち上がった。
そのとき、はっきりと聞こえた。微かな声だけど、はっきり、聞こえた。
「――逃げて」
え?
そう思ったのと、部屋の扉が勢いよく開くのが同時だった。
「――きゃ」
小さな悲鳴をあげたわたしの前に立っていたのは。
フルフェイスのヘルメットをかぶった――男のひと。
え?――まさか、まさかあのときの――
その男のひとが、ゆっくりと右手を上げた。そこに握られているもの。
なに? 見慣れないもの、それ、なによ?――
それは、黒光りする、銃。
「え?」
わたし、多分瞬間的に馬鹿になってたんだと思う。
銃を向けられて、わたし、きょとんとしてその男のひとを見つめた。フルフェイスのヘ
ルメットの中はもちろん、うかがい知れず、バイザーには少々左右にひしゃげたわたし自
身が映ってる――。
「な……に?」
呟いたとき、もう一度扉の外から届いた微かな声――お母さん?
「逃げ……て」
お母さん? どうしたの? その、その、か細い声?
瞬間に、理性が戻る、というか、理解した。
このひと!
このひと、わたしを!
わたしを、殺そうとしてるっ!
「――きゃあっ」
今度こそ正真正銘、金切り声を上げるわたし。でもそんなわたしの目には、スローモー
ションのように、見えていた。
目の前に立つ、その男のひとが腕をぴたりととめて、銃口をわたしの胸に向け。ゆっく
りと引き金を引くのを――。
がしゃんっ、という破裂音。なにか、飛び散った。
わたしの髪が風になびいた。男のひとが、ぎょっとした仕草で動きを止めた。
なにか、気合のこもったような叫び声が響いた。男のひとの、じゃない。次の瞬間には、
男のひとは、誰かと取っ組み合いを始めていた。
始めていた――というより、始まって、すぐ、終わった。
わたしは茫然と立ち尽くしてそれを見ていた。
わたしを撃とうとした男のひと。まさに、引き金を引こうかというとき、わたしの背後、
窓を割って誰かが外から飛び込んできたんだわ。そしてそのまま、男のひとに向かって飛
びついて――あっという間にそのお腹のあたりに肘や膝をぶつけたかと思うと、床に押さ
えつけちゃった。鳩尾を突いたってやつ? 男のひとはあっさりと伸びちゃったわ。
「――」
声も出ないで立ちすくむわたしに、わたしを救いに飛び込んできてくれたひとが振り返
り、いった。
「大丈夫、お姫さん?」
真っ黒な長袖のシャツ、黒い手袋、足先まで伸びてるぴったりとした、やっぱり真っ黒
のパンツ。一瞬夜闇の黒猫≠ゥと思ってしまったくらいに全身黒づくめの、しなやかな
身体つき。
「怪我、してない?」
きりっとした口調。この声、知ってるわ、わたし。
「どこも、なんともないわね? よしっ」
わたしに近づき、さっと全身を見て、そのひとはベッド脇にたたんで置いてあるわたし
の制服に目を走らせた。
「着替えて、早くっ」
真剣な眼差しでいうひと。紺碧の瞳をもつ、そのひと。わたしを助けてくれたのは――。
パトレの、お姉さん。
いわれるままに、制服に着替えるわたし。その間、パトレのお姉さんは自分で体当たり
して――したんだと、思う――割って入ってきた二階の窓(!)の脇から、外の様子を窺
っていた。
「終わった?」
外の夜闇に視線を向けたまま、お姉さんがわたしに尋ねる。
「あ――はい」
わたしは制服を着終えて答えた。
「よし、じゃあ――」
そこでお姉さん、わたしを振り返る。あの、吸い込まれるような紺碧の瞳で、わたしを
見る。
「じゃあ、行くわよ」
――行くって――どういうこと?
思う間もあればこそ、お姉さんはすっと窓脇から移動して、扉の前に立つ。そっとドア
を開けて、耳をそばだてた。
わたしも思わず息を止める。
「……オーケーね、ついて来て」
「はい――」
音も立てずにドアを開けると、お姉さんは先に立って歩き出す。わたしも離れないよう
に、後に続いた。
階段を下りて、廊下を進み、リビングの前を通って――。
リビングに――誰かいる。
お姉さんが入り口に立って中を見た。わたしもその背後からリビングをのぞく。
なに、どうしたの?
リビングで向かい合ってるソファ、その間に。倒れているひとが。あれは――。
「お母さんっ」
思わず叫び、リビングに駆け込もうとするわたしを、その肩を、お姉さんがぐっと掴ん
で止めた。
「は、離してっ。お母さん!」
ソファの間に、お母さんが倒れてるっ。その、夜着姿のお母さんの胸のあたりから――
胸のあたりから――血がっ。
「お母さんっ」
叫ぶわたしを、でもお姉さんは掴んだまま離さない。離してっ。
「どう?」
お姉さんがそう問うた。問うたのはもちろん、わたしにではなく。
わたしにではなく、お母さんの脇にしゃがみこんでいるひと。片膝ついて、お母さんの
様子を覗き込んでいるひと。彼女に。お姉さんは問うたのだ。
問われたひとは、こちらに顔を上げて、微かに首を左右に振った。
――パトレっ。
「手遅れです、お姉さん」
パトレがお姉さんに答えた。
手遅れ? なに? パトレ? 手遅れってなに? なにが? なによ、どうして? ど
うしてあなた、ここにいるの? どうして、そんな、恰好で、ここにいるの? あなたの
お姉さんとおんなじ、真っ黒の衣装――なに、それ? どうして、そんな恰好で、あなた
は、ここにいるの? 手遅れってなにが? 誰が? お母さんっ――
「ちっ、なんてことよ。わたしらともあろうものが――」
わたしの肩を掴んだ手に僅かに力を込めて、お姉さんが小さな声で呟いた。その直後。
「お姉さんっ」
パトレの緊張した声だった。
「なに?」
「爆弾――時限爆弾ですっ」
ぐっとわたしの身体を引っ張って自分と入れ替わらせながら、お姉さんが厳しい声で尋
ねた。
「爆弾っ?」
「はい、そこに――」
パトレが目で指し示した方。リビングの隅を。わたしもお姉さんも見た。見たこともな
い小さな黒い箱が、そこに。
「くそっ、証拠隠滅ってか!」
いうなり、お姉さんはわたしの手を引いて、玄関向けて走り出す。パトレも続いてきた。
わたし、わたしは。
お姉さんにぐいぐい引っ張られながら、もう一度リビングを振り返った。
床に横たわる、お母さん。その周りが血で赤く染まって――。
「お母さんっ」
叫んだけれど。呼んだけれど。
その呼び声。
――お母さんには、届いたの?
「急いでっ」
切迫したお姉さんの声。わたしはわけも分からず靴を履き、またお姉さんに腕を引っ張
られ――。表へ出た。
「走るよっ。全力疾走!」
お姉さんの掛け声一下。三人一斉に走り出す。夜の坂道を、走り出す。わたしが毎日毎
日通った通学路、その坂道を。走り出す。
駆けて、パトレたちの家に通じる路地の前も走りすぎて、次の十字路も駆け抜けて、そ
のまた次の交差点も駆けて――。
どおおんっという轟音が鳴り響いた。
辺りが一瞬、昼のように明るくなる。背中に熱風を感じた。思わず耳を塞いだ。
「伏せっ」
いいながら、お姉さんがわたしを道端へ押し倒すようにして転がらせた。そして、わた
しに覆いかぶさるようにして――さらにその上にパトレも――。
ごおっという地鳴りのような音がして、でもそれはあっという間のこと。耳を塞いで目
をつぶったわたしには、なにがなんだかわからず、ただお姉さんとパトレに、覆われてい
た。なによ、なにが起きてるの?――
「畜生、無茶苦茶なことしやがってっ」
本気で怒ってるお姉さんの声。
「大丈夫、姫?」
わたしを気遣う、気遣ってくれる、パトレの声。
わたしは、恐る恐る目を開けた。
あたりに煙が立ち込めてる。焦げ臭い匂いが漂っていた。もう、昼のような明るさは消
えてなくなっていたけれど。消えてなくなっていたけれど。
わたし、わたしの家の方、家のあった方角が、方角から――炎が立ち上っている。
「こんなとこで、いつまでも寝っ転がってるわけにはいかないわっ。この辺で、この時間
に、ひとけがない場所ってのは? かつ、あんたがまったく知らないってわけじゃない場
所、土地勘働かせられるところ!」
お姉さんがパトレに問うていた。パトレが間髪入れずに答える。
「学校――ですっ」
「正解っ」
二人は立ち上がる。パトレがわたしに手を差し伸べてくれた。
「行きますよ、姫、学校へ」
がっこう? こんな時間に、どうして?
疑問だらけのわたしの頭の中。でも、いわれるままに、わたしはパトレに手を引かれ立
ち上がる。
「こっちよっ」
お姉さんが先に立って、小走りに進んだ。
いつもの通学路ではなく、住宅地の路地裏をぐるぐる回りながら、わたしたち三人は学
校へたどり着いた。
校門は、当然ながら閉まっている。先にパトレがそれを軽々と乗り越え、次にお姉さん
がよいしょっ≠ト感じでわたしを押し上げて、パトレが受け取ってくれて――。
なんとか門を乗り越えたわたしは、パトレといっしょに校舎へ向かって校庭を走る。さ
らに身軽に校門をひらりと乗り越えたお姉さんが、後方に注意を払いながらわたしたちに
続いた。
校舎へ入る扉は、これもまた当たり前だけど鍵がかかっている。パトレが小さなウエス
トポーチ――これまた真っ黒で、彼女がそれに手を伸ばすまで気づかなかったくらい。そ
ういえばお姉さんも同じものを腰につけてる――から、なにかしらを取り出した。先の細
い、金属の棒のようなもの、その反対側に手の平より小さいサイズのカードみたいなもの
がついていて。
パトレが先端を鍵穴に差し込むと、カードの表面に赤、青、黄色、それに緑色のランプ
がめまぐるしく点滅したかと思うと――。
かちゃ、という音がして、扉が開いた。
「入って」
背中を押されるようにして、わたしは校舎に入った。真っ暗な、校舎の中に。
窓の前を過ぎるときは、腰を屈めて外から見られないようにして、廊下を進む。俯きな
がら、先を行くパトレに従っていたものだから、どこをどう進んでいるのかよく分からな
い。階段も上ったようだけど。ともかくわたしの頭の中は、さっきからずっと混乱しっぱ
なし。
「こっちへ」
パトレの声にふと顔を上げた。
どこかの教室のドアを少し開けて、彼女が誘っている。わたしはいわれるままに室内に
入った。
わたしたちの教室、じゃなかった。二年D組の部屋じゃない。どこか、よそのクラスの
部屋。わたしは暗いその教室の教卓付近に立ち尽くす。ここまで走り詰めで来て、ようや
く一息つけるようになった。わたしは、大きく肩で息をしながら、ただ立ち尽くした。
最後に入ってきたお姉さんは、まず窓の近くへ寄って柱の陰から外の様子を窺っている。
授業に差し障りがあってはいけないから、ということで、校舎の窓は当たり前のことだけ
どすべてが防音タイプ。外部の物音は、窓を開けない限り一切聞こえない。
わたしと違って全然息など乱れていないお姉さんは窓ガラス越しに、夜闇の街をじっと
見つめていた。
「――消火チームが出たようね。ここの、だけれど」
呟くお姉さんに、パトレもすっと窓際へ寄る。彼女も、呼吸ひとつ乱していない――。
「そうですね」
「限定戒厳令下じゃ、あれ以上のものは無理でしょうね」
「はい」
「まったく、荒っぽいやり口だわ。相当追いつめられてるってことね」
「すみません、お姉さん。わたしが動くのが遅すぎました。あの女性武官も――」
二人のやり取りをぼうっと聞いているわたし。そんなわたしをチラッと見て、お姉さん
が軽く右手の平を上げてパトレの言葉を遮った。
――あの、女性、ぶかん?
まだまだ荒い息の中、わたしはパトレの言葉をふっと反芻する。
「あ、あの……ぱ、パトレ?」
――それってなに? どういうこと?
わたしは息を継ぎ継ぎ、パトレに尋ねようとした。周りが静かだからかもしれないけれ
ど、自分でもびっくりするくらい大きな声になってしまった。
「しっ」
パトレがわたしにいい、素早く近寄ってくる。目の前に立ち、声を潜めてパトレが囁い
た。
「静かに。いいですね、姫?」
口調が、パトレの口調がいつの間にかあの丁寧なものに戻っている。そしてわたしを見
つめる黒い瞳。この夜闇以上に漆黒の、瞳。有無をいわさぬ、強い意志の力を秘めた、瞳。
わたしは、はあはあと息をしながらただ、うんうんと頷くしかなかった。
「こっちへ」
パトレがわたしを教室の窓際、その一番前の角へ連れて行く。わたしはそこに、しゃが
みこんだ。
「しばらく、ここでじっとしていることになります。あと、恐らく――」
パトレはいいながら左手の手袋を少しめくった。細いリストウォッチが見える。
「あと、四時間、というところでしょうか」
四時間もしたら、夜が明けるわ――。
わたしは、ちらっとそう思った。
「それまでしばらく、我慢してくださいね、姫」
床の上に膝を抱えて座り込んだわたしの横、パトレが片膝ついて優しくいってくれる。
優しい物言い。優しい声。それはわたしに思い出させた。
「――お母さんっ」
脳裏に蘇る光景。リビングの床に仰向けに倒れていた、お母さん。胸から血がどくどく
と――。
「お母さんっ、いやあっ!」
殺された、殺された、ころされた、コロサレタ、オカアサンがコロサレタ――!
「お母さん、どうしてっ」
「静かにっ、姫!」
パトレの厳しい声。わたしの両肩をぐっと握り締める彼女の手。でもわたしは、血の海
に横たわるお母さんの、あの姿が思い返されて――。
「なんで、どうして、どうしてお母さんっ?」
今頃になって、ぶり返すようにわたしを襲う衝撃。お母さんが、わたしのお母さんが。
――殺された――
逃げて
確かにあのとき、あの男のひとがわたしの部屋へ――わたしを殺そうと――やってきた
とき、わたしは聞いた。お母さんの声を、聞いたんだ。もう、あのときにはあの男のひと
に撃たれてたお母さんの――か細い声を。でも、きっと、きっとお母さんにしてみれば、
お母さんにとっては、全力を振り絞ってあげた、最後の声。
わたしに、逃げろっていった――最後の声を。
わたし、あのとき、聞いたんだ。
わたしは、両膝に顔を埋めて泣いた。
宥めるのをあきらめたのかどうか、パトレはなにもいわなかった、いわなくなった。
わたしはそれをいいことに、わあわあと泣いた。泣いて、泣いて――泣いた。
どれくらいの時間だったかは、分からない。長かったのか、ほんのわずかの間のことだ
ったのか。しばらくすると、またパトレの力強い手の平をわたしは肩に感じて、つっと顔
を上げる。泣き腫らした目で、パトレを見た。
パトレのわたしを見る表情。憐れむような、困ったような顔つき。
「泣きやんでください、いえ、泣いてもいいです。でも、声を上げないで。まだ、安全を
確保出来たわけではないのですから」
「……パトレ」
そのときだった。窓際、ちょうど真ん中あたりの柱の陰に立っていたお姉さんがわたし
に話しかけたのだった。
「お姫さん、あんた、やっぱりこの状況まったく理解できてない?」
え?――
いわれたことの意味が分からず、わたしはお姉さんを見た。
薄暗い教室。夜闇とはいえ、窓からわずかに明るさが差し込んではいる。その明暗微妙
に入り混じった暗闇のなか、真っ黒な装束で立つお姉さんの、紺碧の瞳がまるで宝石のよ
うに光ってる。
わたしは、パトレを振り返る。でもパトレはわたしを見ず、お姉さんに向かって首を小
さく左右に振っていた。それを受けたお姉さんが、パトレを見た。発言を促すように。
「やはり姫は記憶操作されています」
――な、なに? パトレ、なに?
「まあ、当然だろうとは思うけど。で? どの程度のものだと?」
――どうしたの? いま、なんていったの? え?
「はい。ごく初期レベルの軽易なものかと――」
パトレ、あなた、なに、話してるの?――
「それもまあ当然といえば、当然か。仮にも王族に中度以上の記憶操作を施すなんてこと
は出来ないもんね。そんなことしたら、それこそ自治政府内のみでの政治問題じゃなくな
ってしまうわ」
お姉さんも、いったい、なにを?――
「はい。まして姫が施術されたのは十二、三歳の頃だったと思われます。精神的・肉体的
負担を鑑みても初期レベルが限度だったか、と」
――パトレ?
「そんな初期レベルの施術だったにもかかわらず、お姫さんは何も覚えていないと? 何
も思い出せないって?」」
――お、お姉さん?
「はい――」
「そっか――それはよっぽど……ここで暮らしてた間――」
「……」
「――幸せ、だったんだろうね」
どうしたの? どういうの? なんのこと? ねえ、二人とも?
「そうか。でもまあ、なんにせよ、お姫さんは、現状認識しておらず、ね」
――お姉さん……?
「はい――」
「うーん」
お姉さんが、片手でぽりぽりとショートカットの金髪をかく仕草をした。ほんの少し、
何かを考えている様子で。でも、すぐに。
「じゃあ、やっぱり説明が必要、ね?」
その問いは、わたしに対してであるようにも見えたし、同時にパトレの同意を得るため
のもののようにも思えた。多分、両方なんだ。
お姉さんは、腕組みをした。そうして軽く柱にもたれかかる。すらりとしたこのひとが、
こんなポーズをとると、まるでモデルみたい――。脈絡もなく、そんなことを思ったりす
るわたし。やっぱり、かなり混乱してるんだわ、わたし。
「お姫さん」
なんだか、お姉さんは会ったときからわたしのことお姫さん≠チて呼んでるわよね。
友達が姫≠チて呼ぶのと同じように――て思ってたけど、いま気づくと、少し違う。な
んていうか、違う。
「お姫さん、お名前は?」
「え?」
もともと混乱の極みにあったわたしは、さらにきょとんとした。名前って、そんな、お
姉さん、知ってるでしょう?
「お名前は?」
繰り返し問う、お姉さん。冗談をいっている、という雰囲気じゃなかった。
「わたし――わたしは、フィデリア――ル――ゲトワ」
呟くわたし。お姉さんが静かに言葉を継いだ。
「そうね、フィデリア・ル・ゲトワ。でもさ、お姫さん。あんたの名前は、それでまだ半
分なのよ」
――やっぱり、いったいなにをいっているの、このひとは?
「あんたの名前はね」
なにいっているの、お姉さん? どうしてわたし≠ェわたしの名前≠、他人に教
わんなくちゃなんないのよ?――
「あんたの本来の名前は、フィデリア・ル・ゲトワ・ボウ・オルドハレ・ディ・スルエド
=レプン・ゴイバ」
「……」
あはは、お姉さん、なにいってるんですか! あはは、そんな長ったらしい、もったい
ぶった名前! あはは、それじゃまるで、それじゃあ、まるで――。
「分かるよね、意味? この、名前の意味?」
それじゃあ、まるで、本物の――。
「オルドハレ$ッ系、スルエド=レプン%連惑星、ゴイバ♂、国国家、ゲトワ
♂、家――の、フィデリア♂、女」
それじゃあまるで、本物の、お姫様みたい――。
「そういわれても、思い出せない、お姫さん? 無理も無いけどね。記憶操作されてるん
だから。思い出せなくても、あんたが悪いわけじゃないよ、お姫さん――王女殿下」
わたしは、ぼうっとしてお姉さんを見つめていた。お姉さんを見つめて、それからゆっ
くりと、隣にいるパトレを見た。
憐れむような、困ったような視線をわたしに送っている、パトレを、見た。
パトレは無言だった。説明は一手にお姉さんが引き受けていた。わたしは、ただ膝を抱
えてうずくまったまま、茫然とした眼差しでお姉さんを見ているだけ。
「――知っての通り、現在この世界、というか宇宙は大人類統一政府≠ェ統治している
わよね。いわゆる、限りなくゆるやかな統一統治≠チてヤツ。大人類統一政府≠フ完
全制覇が達成したのはいまから――って、そんな歴史はどうでもいいよね。まあともかく、
この限りなくゆるやかな統一統治≠ヘ人類が試行錯誤の末にようやくたどり着いた様々
な星々、様々な国家、様々な人種、様々な政治形態を出来うる限り損なわずに運営してい
ける、ほぼ理想に近い統治様式だったわ。
各星系、各惑星、各国家は当然ながらに自治権を持ち、それぞれ独自の国家形態・政治
形態で生計を営んでいる。そりゃあ、個々にはいろいろと問題点や紛争やらは抱えている
けれど、みな人間である以上それは当たり前ってことで。大人類統一政府≠ヘ、真実そ
の星、その国が崩壊してしまうような最終段階≠迎えない限り、極力政治介入はしな
い。そして、介入するときはもう、政治介入というよりも軍事介入になるんだけどさ。あ
あ、こんなことは、この星の教育レベルでいえば、高等部の法令≠ニか民度形成≠フ
授業で習ってるわよね?
星、ていうか、国家あるいは共生体っていうのは面白いよね。大人類統一政府≠ェ発
祥した星みたく、どんどん生命体としてのレベルを上げてって、進めるところまでどんど
ん進んで。進歩イコール正義、の考えで、一歩たりともその歩みを止めない。そういう星
もたくさんある。その一方で。うん、ホント、面白いというか不思議というか。やっぱり
最初はそんなふうにどんどん進化していく星のうち、ある時点で突然その歩みを止めてし
まう星たち、ひとたちっていうのも結構あるのよね。この星なんてのは、その典型よ。あ
と一歩を突き抜ければ、一気に惑星間時代を迎えられる、てとこでぴたりと止まってる。
意図的に止まったとしか思えないくらい見事に、ぴたりと、ね。この星のひとたちは、こ
れを、ここまでを、ていう選択をしたんでしょうね。
さらにいうと。進歩を止めるだけでなく、そこから後戻りし始める星も結構あるのよね。
大人類統一政府≠ヘこれをそのものずばり後退現象≠チて命名しているけれど。この
後退現象≠ェ大人類統一政府≠ノとってやっかいな問題のひとつなわけ。
ただ後退するだけなら、さして問題でもないのよ。でも、どういうんだろ? この後
退現象≠ノ陥って、そこから抜け出せなくった星・国家ていうのは、明らかに荒んでいく
んだよね。科学技術がとか、生活レベルが、ていうことじゃなく、人心が、ね。明らかに
荒んでいく。もちろん、長い時間をかけて進行するわけだから――あ、この場合は後退す
るわけだけど――長い時間かかって後退するもんだから、そこにいるひとたちには自分た
ちが荒んでいっているという自覚が乏しい。なんだか知らない間に、気づけばこの星・こ
の国も住みにくくなってきたなぁ、なんて思いながら、でも普通に暮らしているの。
それがね。ある一定の線を越えると。
切れちゃう。
突然、切れるのよ。
あなたの星、スルエド=レプン二連惑星のゴイバ王国なんて、まさにそうだった。
大人類統一政府≠ヘ、その限りなくゆるやかな統一統治%烽ノおいて、自らに完全に
刃向かうものだと判断しない限り、自治国家のいかなる統治形態も容認している。王国だ
ろうと帝国だろうと、もちろん民主国家、共和国家もオーケーだし、独裁国家だって排斥
したりしない。それが必要になったときは、まず国民が行動を起こすだろう、ということ
で。あなたのゴイバは、王侯族が統治する王国国家。
まあ、わたしが今回の任務を受けてざっとレクチャー受けた限りでいえば、あなたの親
戚たちはさほどレベルの低い統治者だったとは思えないけど、ね。でも、いかんせん、星
自体の成長が、星のひとびとの成長レベルが――もう、かなりなところまで後退してた。
これはやっぱり、ある意味では統治者にも責任があったと思うわ、わたしは。
そんなこと、いまここでいってもしょうがないわね。要するに、あなたの星の生活レベ
ルはじわじわ下がっていき、誰も、そう誰も気づかないくらいゆっくりと、でも確実にひ
とびとの心は侵食され――なにに? だからつまり後退現象≠ノよ。それに侵食され続
けた。そして。一線を越えた。あの日。五年前に。
国民の蜂起、革命――当事者たちはいろいろなこといったようだけど、早い話、反乱が
起こったってこと。国民は自治権を国民に取り上げようとして王侯族を攻撃したの。各地
で一斉にね。最初から話し合いの雰囲気じゃなく、王家の一族、それに連なるものは次々
と捕らえられ、人民裁判にかけられて、刑を即日執行された。みんな、死刑。それはもう、
あっという間の出来事。
当事者はこれは自然発生の革命だっていって、実際みんなそう思って行動を起こしたん
だけど。その方法・規模・行動において大人類統一政府≠ヘ異常を検知した。これが本
当にゴイバ王国の民意による革命だと認定出来れば、介入はしなかった。けれど、判定は
限りなく黒に近いグレー。そこで徹底的な調査が行われ、その結果第三利害関係者≠フ
存在確認がとれた。革命は革命ではなく、反乱と断じられた。でも、この時点ではまだ
大人類統一政府≠ノ対するそれではなく、ゴイバ王国統治者に対する反乱、てこと。
大人類統一政府≠ニ第三利害関係者≠フ間で協議が持たれた。その長い長い経緯は、
多分に政治的要素が絡んでるのでわたしも全部を説明する気になれない、ていうか、わた
しにも全部は説明できないわ。結論だけ、いうわね。
最終的に第三利害関係者≠ヘ勝負に出たのよ。大人類統一政府≠フ調停を受ける、
でもそのためには、新たにゴイバを統治するにふさわしい真正の王家血統者が存在すると
いうことが証明される限りにおいて、と。
ふん、汚いっちゃあ、汚い言い草だわ。自分らで、王侯一族をとっとと皆殺しにしとい
た上で、平気でそんなこと嘯くんだもんね。でも、いくら事実関係がそれを証明していた
としても、大人類統一政府≠ヘ第三利害関係者≠フ最低限の権利を守らなければなら
ない――表向きはね。で、かれらのいい分を認め、期限を設けた。かくかくしかじかの
期限までにゴイバ王家血統者の不存在≠ェ証明された暁には、第三利害関係者≠フ今般
の所業について大人類統一政府≠ヘ法規違反を唱えない。つまり、反乱認定を取り下げ
る、と。ここまで決まるのに、反乱のときからもう五年経ってんのよ、五年」
どこの国の、どこの星のお伽噺だろう? わたしは、そんな感じでお姉さんのお話を聞
いていた。淡々と語り続けるお姉さん。パトレもひとことも口を挟まない。わたしはただ、
自分とはまるで関係のないお話、そんな感じで聞いていたの。
いま、お姉さんのお話も一息ついた。わたしたちの間に静寂がたゆたう。お姉さん、ひ
とり話し続けて肩でも凝ったのかしら。軽く首をまわしている。
もう、お話は終わった――わたしがそう思ったとき。お姉さんが再び口を開いた。
「ここからは、オフレコの話。そう思って聞いて、お姫さん」
お姉さんはいって、そっと窓から外の様子を見る。しばらく間をおいたのち、またわた
しの方を振り返った。
「大人類統一政府≠ヘ手を出さない。判定を下すだけ。それが表向き。でも実際には」
お姉さんがわたしの隣、ずっと片膝ついてわたしの隣にいてくれているパトレをチラッ
と見た。わたしはパトレの横顔を見る。パトレがお姉さんを見返していた。
「――実際には、わたしたちク・アラル星域方面軍≠ヨ行動を命じた、アンダーカヴァ
ーでね」
く・あらる・せいいき・ほうめん――ぐん?
軍っていった? いま、お姉さん? 「わたしたちク・アラル星域方面軍=vていっ
たように聞こえたけど? 軍?
わたしはもう一度パトレを見た。いまはパトレもわたしを見つめている。
真っ直ぐな瞳。意思の力を感じさせる、力強い漆黒の瞳。会ったときから丁寧な物言い。
でもそれが不自然じゃない、口調。鍛え上げられた身体。すば抜けた身体能力。全力疾走
してもたいして息が乱れないくらいの、能力。わたしをバイクの衝突から救ってくれたと
きの瞬発力、力強さ――それらはみんな――。
「軍人――さん?」
パトレ、あなたって――。
あなたは。
「黙っていてごめんなさい、姫」
なんだか、パトレの声を久しぶりに聞いたような気持ち。いつもの落ち着いた声。
「でも、任務の性質上、いうわけにはいかなったんです。アンダーカヴァーですから」
「任務――アンダーカヴァー?」
馬鹿みたく、パトレの言葉を繰り返すだけのわたし。
「まあ、いったって、いまの説明してからでなきゃ、なんのこっちゃ分からないだったろ
うからね」
と、お姉さんが付け足した。
「なんてったって、記憶操作されてたんだから――護衛の武官の判断だろうね、恐らく」
お姉さんの言葉に、怪訝な視線を送るわたし。護衛の、武官?
「あなたがお母さん、そしてお父さんだと思っていたひとたち――」
パトレが少しばかり心苦しそうな声色で告げる。
「――ひとたちは、反乱勃発時あなたをゴイバから脱出させた王侯軍の一味です。いまこ
のときも各惑星に散ってゲトワ王家復興のため活動を展開している――。直属親衛隊とで
もいうんでしょうか。そんな中から、二人があなたに付き従ってこの星へ逃れてきたので
す、親子ということにして」
――そんな。
「あなたの存在を第三利害関係者≠ゥらひた隠すため――あなたの身分を隠し通す方策
として、あなたの記憶操作施術をおこなったものと思われます。そして、かれらの誰もあ
なたとは接触を図らないようにしていた。ただ男性武官が定期的にかれらのもとへ出向き、
今後の方針を検討し続けていた」
男性武官――もしかして、それは、お父さん……?
「女性武官は常にあなたの身辺にあり、警護してきた――きたのですが、残念ながら」
お母さん――っ、殺された……女性武官? 警護?
「あ……」
ふと、思い出す。
わたしが朝出かけるとき、たまに家を振り返ったりしたとき。
いつも、二階の窓に人影が、みえた。そう、いつも≠そこに――。
お母さんは、いた。いて、わたしをじっと見ていた。
高台から、ずっと続く坂道、通学路。わたしがそこを行くのを。
毎日? お母さん――。
「問題は、十日前に男性武官の死体が発見されたことです」
淡々と語るパトレ。え? いま、なんて――。
「第三利害関係者≠ヘあなたの存在に気づきました。いえ、もしかしたらずっと気づい
ていたのかも知れない。存外、いざとなればいつでも手を下せる段取りを、前から取って
いたのかも知れない」
抑揚のない声で続けるパトレだけど……ちょっと、待ってよ、パトレ。いま、なんてい
った?――
「男性武官は、完全にトレースされてました。かれと、親衛隊の上官もいっしょに死体で
見つかっています。敵≠ヘ勝負に出ました――先日のアベニューでのバイクによる殺害
未遂。あれはもちろん、脅しなどではなかった。明らかにあなたを殺害することを狙って
いました。敵≠ヘ決着をつけに出たのです」
死体? 男性武官……それって、お父さんのことでしょ? わたしの、お父さん――と
っつきにくいけど、でも、優しい、あの、お父さん――死体?
「ふん、で、当初わたしらに言い渡されるはずだった指令期限中、王女の身辺を見守る
こと≠チてのが、直前で変わったってわけ――」
お姉さんがパトレの話を引き取る。
「いわく、王女を死守せよ=v
「……お父さんも」
ポツリと呟くわたしだった。
「姫?」
パトレがわたしの顔を覗き込む。わたしの瞳からはまた、涙がひと筋、ふた筋こぼれ出
して――。
「お父さんも、死んじゃったの? わたしの、わたしのために――わたしのために死んじ
ゃったの?」
声をあげちゃ駄目だと、さっきいわれた、いわれてた。だからってわけじゃなけど。
またわたし。泣き出した。ただ、声を殺して。
「――あと二時間も、もたせれば――」
「――限定戒厳令施行中ですから、この星の司法当局は――」
「あてにしてない、ていうか、出来ないよ。しちゃいけないルールだし――」
「――わたしたち二人だけで――」
「そういうこと。それにしても、ディビィソンのおっさん、最初なんつった? あんたと
わたし、二人して転入生を装えって――」
「――はあ」
「馬っ鹿じゃないのっつーの。こんなさあ、髪短く刈り込んだ女の子が二人同時にさあ、
転入したら、目立ってしょうがないっての」
「……でしょうか?」
「そうっ。そういってやったらさ、ディビィソンのおっさん、なんてったと思う? か
つらを用意すればいい≠チて。阿呆か」
「――お姉さん、直属の上官をまた、そんな――」
「阿呆よっ。そんなねえ、女の子だけの園へかつらなんてかぶって繰り込んでったら、す
ぐばれるっつうのっ」
「――まあ、確かに、多分――」
「なんで、あんなんが上官なのかしら? 入隊三年経つけど、もしかしてわたし、よく生
きて来られた方?」
「――あはは――」
「この前は、雪っ原に置き去りにされかけちゃうし。今回のこれだって、方面軍の武器は
使用不可? 関わりあったという証拠を一切残すな? 素手で闘えってか?――まあ、こ
の先もう何事も起きないことを祈るけどね、わたしとしては」
「――王侯軍の親衛隊たちが、工作を続けているのでしたね? この期限終了と同時に姫
の生体認証をわたしたちが転送すれば――」
「そう、敵さん、つまり第三利害関係者≠フ連中は、手も足も出せなくなるって台本」
「――台本、ですか。台本通りに行けばよいのですが――」
「そのために、わたしらがここにいるんじゃないの、ブリジット――」
「――はい、お姉さん」
ずっと、膝に顔を埋めていたわたし。向こうの方でお姉さんとパトレがぼそぼそと話し
合う声が時折聞こえてはいたけれど、気にも留めなかった。ていうか、気にしてられなか
った。
お母さん、お父さん。二人とも、あの優しかった二人とも。
――わたしの本当の両親じゃ、なかった――
わたし、わたしは、このわたしは。
フィデリア・ル・ゲトワ・ボウ・オルドハレ・ディ・スルエド=レプン・ゴイバ……。
これが、わたしの名前? 本当の、名前?
お姫様? 王女殿下?
――なによ、どうして? どういうこと?
……そんなことをずっと、ぐるぐると考えていたわたし。二人の話声は聞こえていたけ
れど、中身は殆ど理解などしていなかった。
そんなわたしだったけれど。いま、ふっと、何かがひっかかった。
なに?
あれ?
あ――違和感、だ。
前に感じた、違和感、だ。
いままた、それを。
感じたんだわ。
わたしは顔を上げた。かなり勢いよくあげたみたい。お姉さんとパトレのふたりが、少
しびっくりしたような表情でわたしを振り返っているもの。
わたしはそんな二人の顔を交互に見比べて。
――最初に感じたのは、違和感を持ったのは。パトレの口調があまりに丁寧だったから。
お年頃の女の子らしくない、丁寧な感じだったから。
ううん、そうじゃない、そうじゃなかったんだわ――。
違和感は――あのときにも感じたもの。パトレの家へ行って、玄関で初めて、お姉さん
に会ったとき。
あのとき、お姉さんが家の中のパトレを呼んだ――とき。
わたし、違和感をもった――。
その理由、そのわけが、いまやっと――。
「……パトレ?」
わたしはパトレに呼びかける。彼女は少しだけ、首を傾げた。
「パトレ――あなたいま、お姉さんが違う呼び方を――」
ああそうか、納得、て感じでお姉さんが肩を竦める。パトレはそんなお姉さんに微かに
苦笑を見せ、わたしにいうのだった。
「ええ、ごめんなさい。パトレ・ポリーはもちろん偽名です。アンダーカヴァー任務に就
く以上、本名は名乗るわけにはいきませんでした」
そう――そうだったのね。
「わたしの本名は――ブリジット・フォスター。ク・アラル星域方面軍所属の中級兵士で
す」
ブリジット――フォスター……兵士――。
ああ、やっと、やっと思い出したわ。違和感の原因。あなたのその名前。
わたし、あなたの名前、聞いたのよ。聞こえたのよ。あの日。あなたたたちが引っ越し
てきた日。わたし、路地の角で、あなたたち二人が荷物を運び込むのを何気なく見ていた。
あの日。聞こえたのだったわ。
ええっと――箱はあといくつ?
三つ、いえ、四つですね。いいですよ、お姉さん。あとはわたしが運びますから
あはは、自分の下着くらい自分で運ぶっての
お姉さん? この箱まるまる、下着なんですか?
当然っ。いつなんどき、なにがあるかわかんないでしょ?
――なにが、て、なにがです? なんだか、ちょっと、違うような――
ほらほら、ぶつくさいってないで、あっちの運びなさい。あれはあんたのでしょう、ブ
リジット?――
わたし、聞いていたのよ。あなたの名前、ブリジットって。
でも、教室へきたあなた。
お姉さんが玄関口で呼んだあなた。
パトレ・ポリーというその名前は。
違っていた。違っていたから。
わたし、違和感をもって――。
「で、ついでに自己紹介しておくと――」
わたしの思いをぱんっと割るように、お姉さんが続けていう。
「わたしは同じくク・アラル星域方面軍所属、ブリジットの一年先輩にあたる上級兵士、
サラ・エアーズ。よろしくね、お姫さん」
サラ・エアーズ……口の中でお姉さんの名前を呟くわたし。
「そう、お姫さんお気づきの通り。わたしら別に、姉妹ってわけじゃないわ」
教室の薄闇の中に並び立つ二人。パトレ、いえブリジットとお姉さん――サラ。
姉妹じゃないと、いうけれど。
なにか、二人は。この二人は。
分かち難いなにかを。他人には入り込ませない、なにかを。
感じさせた。
「――しっ」
突然お姉さんが真剣な眼差しになり、唇に人差し指を当てた。
「……」
素早く、パトレ――ブリジットがわたしの脇へ寄ってきた。半身で、わたしをかばうよ
うな位置に立って。
わたし、ブリジット、お姉さんの三人は息を詰めてじっとする。足音が、聞こえる――。
誰かが、ここへ、教室へ向かって廊下を歩いてくるその音が、聞こえた。
逆に、足音も立てずに今度はお姉さんがすうっとわたしの元へやってくる。
右にお姉さん、左にブリジット。双方がそれぞれの半身でわたしを後へ隠すように立つ。
「――祈ったんだけどさぁ――」
お姉さんの、すっごく落ち着いた声。言葉は軽いのだけれど、声は全然軽くない。むし
ろ、重々しい。
「通じなかった、みたい」
ブリジットが緊張するのが、わたしにも分かった。お姉さんは――平然としているよう
にみえたけれど。
「――来たか」
紺碧の瞳が、一瞬輝いたかと思った。お姉さんの瞳が、輝いたかと。
「来たか、やっぱり。わたしらの動き、読み切ったヤツがいる――結局、身近にいたって
ことか。お姫さん、あんた、これから見たくないものを見ることになるかもよ。見たくな
い――ものを」
教室後ろ側の、廊下への出入り口。ちょうどいまわたしたちがいる教室前方奥の位置と
は対角線上にあるそこの出入り口の扉。それが。
そっと、開いていく。ゆっくりゆっくりと。開いていく。
だ、誰――?
「見たくないもの――スパイ、裏切り者、その類のもの――を見ることになるかも、よ」
薄暗がりの中、開いた扉、その出入り口の場所に。
「もしかしたらあんたの、ごく近しいもののなかに、ね」
ひとり、立つ影。
お姉さんの肩が、微かだけれど、ぴくりと動いたのが見える。やっぱり、このひとも緊
張しているのだわ。
「――そこへ来たのは、誰?」
お姉さんの、押し殺したような誰何の声。けれど、そこに立つひとは、お姉さんに直接
答えようとはしなかった。代わり。代わり、こういったのだ。
「姫――いるの? そこに、いるの、姫?」
震えるようなその声。そして暗がりに慣れたわたしの目に映ったその人影。それは。
「――レム……?」
to be continued
Written by 那入 晶
この作品はフィクションであり、登場する人物名・団体名等は実在する同名のものとは
一切無関係であることをここに明記いたします。
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