「レトロ秋田」天国


ローカルな秋田に関係するちょっと懐かしい思い出と品々・・
(秋田に関わる懐かしい物、買い取りします。VYT01240@nifty.comまで)





・崔承喜(さい・しょうき)プログラム
戦前の物かと思います。
創作舞踊家として有名でした。
1911年生まれ
川反にあったらしい
「秋田エーワン」という社交場での
公演の様です。
戦後北朝鮮に戻られた様です。
昭和31年頃には北朝鮮から
東欧の公演にも出掛けています。
詳しい事は不明ですが数奇な運命な
方だったのかと・・。既に故人です。
(1967年には公民権を剥奪され投獄、
1969年8月8日に逝去したとされます)


・崔承喜(チェ・スンヒ)ポスター
戦前の物だと思います。
渡欧告別とあります。
あの川端康成も絶賛したと言う・・
大きさはB2とA1の間位。
これが私の手元にあるのも
数奇な運命かな。
念力で引き寄せました。

 ●補足
 崔承喜は16才の時に、石井漠舞踊団に入団する為に来日しています。
 当時、朝鮮が日本の統治下にあった為、日本語は話せました。
 故郷では石井漠舞踊団に金で買われて芸人になったと非難中傷もされたそうです。
 そういった事も背景にあり、一流の舞踏家を目指してがんばったのでしょう。(出典 石井歡著 「舞踊詩人 石井漠」より)
 ちなみに石井漠は秋田出身であり、このコーナーと関連があるのです。




・羽後銀行のコロちゃん
カウンター用、高さ35cm程。
珍しい陶器製。
年代的にソフビ製より
古い物かと。
下のソフビ製と比較されたし。
この子は右足に怪我(欠け)を
しておりオークションに
1000円で投げ売りされて
いました。(ハチ公同様に東京から)
マニアの方は怪我をしたものは
嫌いますからね。
不憫でもあり、当方が引き取るしか
ないだろうとの事で里帰りとなりました。
余生はゆっくり古里で過ごして
もらう予定です。(なかなかいとおしい・・・)





・羽後銀行のコロちゃん
カウンター用。
高さ40cm程。
微妙に2体には差違有り。
よーく見てね。

現在の北都銀行の貯金箱は、
「ほっくん」です。



普通サイズの貯金箱とタオル。
貯金箱は作りが良く逸品です。




・秋田相互銀行のターちゃん
これはカウンター用。
高さ40cm程。
羽後銀行のコロちゃんと
比較するとなかなか
出てこないです。


こちらは普通サイズ。
秋田相互銀行は、
あけぼの銀行になって、
そして羽後銀行と合併して
今の北都銀行になったよ。

このターちゃん、当時1年生かな。
今は40才過ぎたおっさんだ・・
往時を知る人には涙もんだね。



・秋田銀行のアコちゃん
カウンター用
高さ30cm程。
手に持っているのは稲穂
今はアトムがカンキャラです。


・秋田銀行のアコちゃん
高さ19cm程。
又五郎こけし。当然秋田杉。




・秋田銀行のアコちゃん(あこちゃん)
「秋田おばこ」のイメージかな・・
今はアトムが採用されています。






・キューピーの竿灯祭
ご当地品かと思います。
年代的には新しいかと。
キューピーコレクターさん
にはごっくん物かも・・
身長は約30cm程です。
骨董市で2000円を1000円にて。


・木内雑貨店の営業品案内
木内デパートの前身です。
消防用ラッパ、銀行用算盤、
詩箋なども扱っていました。
横幅で56cm程です。
昭和初期かと思いますが
要調査・宿題です。




・沿線案内図
秋田鉄道管理局発行
初三郎作
戦前だと思います。
初三郎の鳥瞰図がなかなかです。
確か300円程で購入しました。
ん、350円だったかなあ?
他に買う人もいないでしょうし・・




・池田修三作「どうぞ」 1970年 64/100
池田修三は秋田県の象潟出身。
秋田相互銀行のカレンダーや
通帳にも使われていました。
香り立つような摘みたての花を、
両手いっぱいに抱えて
少女に差し出す男の子。
ほの暗い画面から浮かび上がる
『どうぞ』の場面は、幼い頃の
遠い記憶そのもののよう。
池田修三は夢のような景色の中で、
伏目がちにうっとりと微笑む少女を
描いた作品で知られています。
額のサイズは、約53.5p×71.0p
版画のサイズ(窓のサイズ)は、
約36.0p×52.0pです。
今は我が家に飾り楽しんでいます。

・池田修三(いけだ・しゅうぞう)
1922年 大正11年、秋田県象潟町で生まれる。 
1945年 旧東京高等師範学校芸能科を卒業。
1946年 秋田・由利高校にて高校美術科教諭になる。
1952年  秋田市の聖霊学園に勤務。
1955年 上京。版画に専念する。
1957年   日本版画協会展で受賞し会員となる。
1959年  現代日本版画コンクール展、東京部門で入賞。
1977年   日本版画協会を退会する。 
1983年  池田修三木版展を酒田で開く。
2004年12月  逝去。
・主な海外の版画展
アメリカ(オレゴン大学展、
ニューヨーク・セントジェームス教会展、
シカゴ・メンストリートギャラリー展、
アメリカ・西北版画展、
フィラデルフィア展、シアトル展、
百点の日本現代版画アメリカ巡回展)
イタリア(花のビエンナーレ展)
その他、ポーランド、ユーゴ、フィリピン、
イスラエル、フランス、中国等にて。


・「トランペットと花」



・「なつ・ひまわり」
160x185mm位
78/100
額装してあげたい所ですが、
額装代がけっこう高くて
下流の自分には悲しい所です。
(額装代>作品入手代)


・「ことり」
1974年作
地元の骨董市で1500円でした。
買う人も余りいないから
手頃な値段で入手出来ました。
市で売っていた地元のプロの
骨董屋さんも作者を
知りませんでしたね・・
県内のお宅にけっこう
眠っているかと推測しています。




・佐々木寅吉商店ポスター
土崎湊の古川町にあったみたいです。
明治31年に歩兵第十七連隊が
仙台から秋田へ来ましたから、
時代的には大正あたりかなあと。
港町という事を良く表しています。

北海道から出てきましたので、
なにか人の行き来や
交易があったんでしょうね。
今は、私の手元に里帰りと
いった所です。
とてもきれいな状態です。





・ラジオ東北の「放送料率表」
ABS秋田放送の前身RTBラジオ東北の
「放送料率表」です。
これはコマーシャルを流す時の料金体系を
表した物です。
例えば、ニュースや時報の前は
ランクが上がって料金が高くなります。
出力500Wの時代ですから、
開局して最初の「放送料率表」
かなあと想像しています。

ところで、マイクに書かれている
「AKI」とはなんざんしょ。
ラジオ東北なので「RTB」なら
分かるんですが・・
秋田の「AKI」でしょうかね。




・ラジオ東北のベリカード
昭和31年の受信証カードです。
昭和31年2月27日に出力1KWになり、
この年の10月1日に940KCに
周波数変更なっている事から
昭和31年の物である事が証明されます。
当時は大町の旧魁新報と同じ建物内に局が
ありました。
左端が切れていたり状態は
悪いですが貴重な資料と思います。


・たばこのチラシ
ラジオ東北で
CMを流した
様です。
推定昭和20年代
後期から
30年代初頭
かなと。





・「秋田の娘」
鍵本豊作




・秋田市役所
落成記念スタンプ
1964年10月26日
総経費は当時で7億との事。
秋田市・秋田郵趣会




・秋田博記念乗車券
昭和44年8月
バスの屋根のランプがレトロです。
バスガイドもEXPOのコンパニオンみたい?
撮影場所は天徳時ですね。


・「男はつらいよ寅次郎恋愛塾」
秋田県鹿角市ロケスチール写真
昭和60年8月公開。
35作目。
タクシーには特別に
「鹿角」の行灯が付けられた。
ボディは「鹿角観光」のまま



















・経木マッチ1
金座街や川反の
飲食店など。


・経木マッチ2
下二つは大曲
月岡劇場の絵が。


・経木マッチ3
昭和20年代末期から30年代前半かと。
まだ市外はむろん市内局番も無し。
(局番が付いたのは昭和36年)
「金座街」、「議事堂」など懐かしい名も。
今もあるお店もあるし、なくなったお店も・・
「江戸中」と言えば「おでん」ですなあ。
「酒」の字が逆印刷なのは
どういう趣向なんざんしょ?
「柳に三丁目橋」もいいねえ・・

マッチ一箱からも往時がいろいろと
伺い知れて楽しいね。





・経木マッチ4
協働社をはじめ、
懐かしい洋品店など・・



・経木マッチ5
川反の飲食店など・・




・北日本航空のタグ
恐らく北海道から秋田のルートで、
昭和40年代前半かと。


・秋田市営電車パネル
ありし日の勇姿という所かな・・




・縄文時代の石器?30点が入っていた「箱」
「箱」が立派です。「箱」が・・
いい仕事しています。
「箱」は湯沢市の旧家で石を
保管していたものとの事。

となりの石器らしきものは道路工事現場の
採石と似たり寄ったりです。
混ぜたら見分けはつきません。
秋田県出土の石みたいです。
まあロマンです、ロマン、東京ロマンチカ・・。
この「箱」と石で1800円にて購入。




・石川達三先生他色紙
(部分)
男鹿半島を周遊した
みたいですね。
海の幸をつまみに
秋田の美酒に酔った
事でしょう・・
左端は写真家の
三木淳さんでしょうかね。
今は資料として、
私の手元にある訳です。


・秋田国体のバッチ




・勝平得之版画

「冬のうた」
@ゆきだまのうた
Aそりのうた
B風のうた
資料として私が入手した時は1枚千円でした。
相場などは分かりませんし興味もありません。




・勝平得之の直筆葉書
左は昭和16年2月22日、
「秋田エーワン」

右は昭和11年10月15日
この年の10月、
文展鑑査展に「橇」が入選して
いますのでそれのお礼かも。

いずれも句集『落穂』などを出した
高橋友鳳子宛のものです。



・「五城目軌道線」営業廃止記念切符

大正11年からがんばっていましたが
昭和44年に力尽きて無くなりました・・
なかなかのどかでいい雰囲気なんですがねえ。
銭がもうからないとダメなんです。
左に見えるのが森山ですね。






・「大東亜建設博覧会」パンフ

大きさはB5位
昭和16年5月11日から6月末まで。
場所はあの千秋公園
大秋田市合併記念
主催は大秋田産業振興会
後援が陸海軍省と秋田市
展示内容はなかなか興味深く、
「飛行塔」、「独伊館」、「逓信ラジオ館」、
「防空諜報館」、「海女実演館」、「不思議館」・・
戦時色があるといえ、色々考えて企画したんだねえ。
この博覧会が意図した所はともかく、
表紙の鳩の絵がなんとも皮肉なもんです。




・秋田市スポーツセンター
当時の絵葉書です。
3000人収容。
東海林太郎が来た。
江利チエミが来た。
雪村いずみが来た・・・
建坪652,延坪878,
正面44.5m,奥行45m
949平方米の競技場で
東北一と言われた。


・広小路
絵葉書。
戦前かと。
駅方向から。
お堀や記念館が・・
電車の軌条も。
人通りが少ないのが
21世紀の広小路と
同じですねえ・・
皮肉な事です。



レトロ秋田事情 (何分古い話しなので間違いがあったらすんまへん) 第1回 秋田市すずらん通り「音の店 フジタ」 すずらん通りという所は、往時はなかなかにぎやかな所でした。 川反方向から見た突き当たりには映画館のピカデリーも ありました。小学生の時には良く映画を見にいったものです。 その通りにあったのが「音の店 フジタ」です。 昭和26年頃の資料によれば、正式にはただ「音の店」という屋号みたいです。 藤田貞一郎という方の経営で昔の住所で言えば茶町梅之町となります。 レコードがけっこういろいろ揃っていて品定めが楽しいお店でした。 小学校の時の同級生の、めがねをかけたお父さんが店番をしている時がありました。 確かM君だったと思うのですが・・。 レコード店の店番をしている位だから趣味の良いお父さんだったんだろうなあと。 駅前にあった全音や広小路のカワイ等とはまた異なった 通好みのお店という感じがしましたね。 私が最後にこのお店から買ったのが、ヘンリーマンシーニの 「ムーン・リバー」のサントラEPだったと思います。 これを聞くと無くなってしまったお店の蛍光灯が煌々と輝いていた 往時を思い出す訳です。昭和は遠くなりにけりか。 第2回 秋田市川反「ラスト・ツーダラー」 踊れる生バンドの演奏のお店として人気が あったのが「ラスト・ツーダラー」です。 ソワレドビルの2階でした。3階はあの「雅」で4階が「フリーメイスン」。 演奏されていた定番の曲と言えば、当時比較的人気があった サンタナの「ブラック・マジックウーマン」とか「僕のリズムを聞いとくれ」など。 サンタナが使っていたのと同じキブソンのレスポールは (本物だったのか偽物だったのかは分かりませんが)、 確かにサンタナ風に「鳴き」の演奏を聞かせておりました。 酔っぱらい相手の演奏だから上手に聞こえたのかも。 夜光虫(本来は虫三つ)などのディスコは、まだ無かったか あってもちょっと柄の悪い若者のたまり場になっていた気がします。 インデペンデント・ハウスなどが出来たのは「サタデーナイトフィーバー」の頃で もう少し後年になります。 最近の新聞記事によれば、あの宇崎竜童もダウン・タウン・・結成前に1カ月程 「雅」や「フリーメイスン」でステージをこなしていたとか。 現在では川反よりも山王の方が元気があるかな・・ 昭和は遠くなりにけりか。 第3回 秋田市「千秋公園の防空壕」 千秋公園には防空壕があるんです。今はどうなっているか?ですが・・ 小学生の頃、友達と3人かな防空壕に探検に行きました。 確か一人は直前に逃亡したというか、入らずじまいだったような。 私ともう一人は果敢にも、薄暗い壕へと入っていきました。小学生の私にも、天井はかなり低く感じました。 中は粘土質のような壁に、水がたまってじめじめした床・・ もちろん真っ暗。懐中電灯くらいは持っていたんだと思います。 中はなぜか繋がっていました。入り口が3カ所で中でみんな繋がっているんです。 なにも生き物も、物もほとんどなくて味気ない所もありました。 なんかおやつを持っていて、中でそれを食べました。探検に食料は必要です。 最後は、怖さがこみあげてきて明るい入り口にむかって「ワー・・」と駆け足で出てきたと思います。 怖かったけど、征服したという充実感も。もう一人入らなかったヤツよりは勇気があったかな。 男の子で勇気が無いのは最低ですからね。そういう価値感がまだあった時代でした。今はそんな事はないですが。 戦争があったんだという事は我々の世代は良く知ってました。 この防空壕の他、広小路にゲートルを巻いた傷病兵方々が数人組で松葉杖姿で募金とか募っていましたからね。 もちろん戦争はとうの昔に終わっていたのに、傷は癒されないという事ですね。 白い傷病兵の服、きらりと光る金属の義手、義足、見る度に悲しく暗くなりましたね・・ その人達をみる度に、「自分たちだけが幸せなのは罪なのかも」と子供心に思いました。 あの人達はお国の為に戦い、そして傷ついて帰ってきて、一方、我々はノー天気に平和を謳歌し楽しく遊んでいるんですから。 やがて、それらの人たちも見かけなくなり、防空壕があった事を 知らない人が大半になり、戦争の足跡は確実に秋田からも消えていったのです。 私の世代は、こういった事を知っている最後の世代だと思います。だからこういったホームページも開いているんですが・・。 他の子供同様にプラモデルは大好きでしたが、亡くなった父は絶対に戦車の プラモデルだけは作らせてくれませんでした・・ 「あれは人を押し潰して行くから」と言っていましたね。昭和は遠くなりにけりか。 第4回 秋田市「市営電車」


子供の頃、今は無き市営電車に乗った記憶が少しあります。面白かったのが、電車と電車がすれ違う時に 「タブレット」という鉄製と思われる輪を運転手が手渡しする事でした。単線でしたから。 子供の頃は、この「タブレット」の手渡しが何を意味するのかも分かりませんでした。なんか挨拶とか儀式なのか(苦笑) なぜかそれに惹かれましたねえ・・なんかどきどきしたんです。手渡しの時落としたりしないかなあって・・ 多分、目を皿にしてこの手渡しの「儀式」を好奇の目で見ていたんだと思います。 後、600Vの直流を給電するための電車の屋根に付いているポール。パチパチ火花も飛んだような・・ だいたい男の子はこういうの見ると興奮するもんですよね。運転手がなにやら操作するレバーをジーと見つめたり。 近所の悪い先輩(先輩といっても小学生)と共に、土崎方面までてくてく歩き、帰りに駅方向の登り電車に 乗った事があります。もちろん無賃乗車。男の車掌が一人一人切符をチェックしにきて、我々の前で止まり 無賃乗車がバレました。もちろん怒られて、どうなる事かとべそかいていたと思うんですが、 向かいの席に座っていた親切なおばさんが「私が払ってあげますから赦してあげて・・」と助け船を出してくれました。 人のいいおばさんがまだいた時代でしたね。もちろん今でもいますけど。 しかし、あの先輩はいったい何を考えていたのかなあ・・こっちはその作戦に従っただけなんですがねえ。 まあ、上官の命令といった所です。今でも彼の本意が良く分かりません。いつの間にか親の転勤かなんかで居なくなったし・・ もしかすると、土崎方向に歩いている内に、自分が疲れたから帰りは電車にしようと言ったのかもしれない。 記憶というのは自分に都合がいい様に歪曲される可能性もありますからね。 この電車は駅から土崎まで7.3キロ程でしたね。東北では仙台にもありましたよね、電車が。 札幌や広島で近年電車に乗りましたが、やっぱりおもしろいですねぇ。 赤字経営だったから廃止もしょうがないですがね。 そうそう、レールに釘を置いて電車が通った後ぺったんこになったのを拾いそれで手裏剣作ったり、 今の中央郵便局の所にあった市営交通の電車基地に遊びに行って電車操縦ごっこをしたり・・ まあ、のどかな時代だったのかもしれませんねぇ。昭和は遠くなりにけりか。 第5回 本荘市「喫茶 レモン」 若い頃というのは、だまってじっとはしていられません。 暇となれば、「どっか行く?」という訳でドライブとかに 繰り出す訳です。秋田市から40分位でしょうか、本荘市まで 良くドライブに行ったものです。海岸沿いが楽しいコースです。 本荘に着いたら寄るのが「喫茶 レモン」です。 レモンは「檸檬」だったのかもしれません。 秋田市の連中まで名前が売れていたのですから、それなりの人気スポットだったのかも。 ここのマッチの趣味がいいんです。レモンをイメージした色合いで長方形の立方体なんです。 飲むのはもちろん「レスカ」。「レモンスカッシュ」なんですけどね。 飲んだら最後にサクランボで遊ぶのが当時の若者のお決まりでした。 このお店は今あるのかな?昔のままでマッチもそのままだったらうれしいですね。 昭和は遠くなりにけりか。 第6回 秋田市「県庁7階の喫茶店」 過日の秋田魁新報にも記事がありましたが、県庁の7階には 確かに喫茶店がありました。 子供の頃、友達の親戚のお姉さんが県庁に勤めているとかで 僕と二人で県庁に遊びに行ったんです。 多分勤務時間中だったんだろうけど、エレベーターかなんかで7階まで 行き、ショーケースの見本から選んだおしるこをおごってもらいました。 なんかとってもきれいなお姉さんだった気もするし、おしるこも おいしかった。今は地下とかに引っ越しして、一般の人が7階へ行くことも ないみたいですね。 県庁の中にはいろいろおもしろい所があって、中学生の時には「東北電波監理局」の 出先みたいな所にも行きました。ドア越しに監視していると思われる無線通信の音が 聞こえてきたりしてなる程と思いました。当時アマチュア無線とかしてましたから。 あの界隈はいろいろ面白い所がありました。今はどうか分かりませんが、NHKの 地下にも食堂があってうどんとかそばが職員価格なのかすごく安くて学校の帰りとか 道草したもんです。そのNHKも駅の東側に引っ越しだとか。 昭和は遠くなりにけりか。 第7回 秋田市「協動社 サテライト・スタジオ(ABS秋田放送)」













「くつとかさなら協働社」。ここには、ABSラジオのサテライト・スタジオがありました。 キャッチフレーズは「秋田県にただ一つの音のショーウインドー」 それ程大きくはないけどガラス張りのスタジオがちょっとカッコ良かった。 放送時にはけっこう人が集まって身動きも取れないほど大変だったような。 毎週、日、火、木、土の午後の2時から30分の生番組。 サテライトでリクエストすると本社側でお皿回してくれたのかな。 お皿回すって「回転寿司」でなくて、レコードをターンテーブルに乗っけて回す事。 にぎわいのピークは昭和40年代頃でしょうかね。 ここにはそこそこ大きい食堂もありましたね。メニューもいろいろと豊富。 ピンボールマシンとかちょっとしたゲームセンターみたいな所も。 2階にはVANコーナー。秋田県でただ一つの特約店でした。 IVY SISTERSのエフエル。ウサギヤとかもありました。 そうそう、ここの前には街頭テレビもありました。 街頭テレビの記憶があるとは自分も相当に古い人間だなあ・・ 昭和は遠くなりにけりか。 第8回 秋田市「金座街」 秋田市の商店街がつまらなくなった原因の一つが「金座街」が無くなった事でしょう。 あの細くごちゃごちゃした通りが楽しいんです。 今のアメ横とか御徒町みたいなもんですね。 歩いていると「酒まん」の臭いが漂ってきたり、喫茶店(やちよ)があったり、洋服屋さん(森長)があったり 時計屋さん(渡辺時計店)があったり、ペットショップ(金鳥園)もあったね。 おもちゃ屋さんもありました。 家が文具店をやってる友達の仕入れにつきあった事もあるから、卸みたいな事してるお店もあったんだなあ。 いろいろあるから楽しいんですね。なんかあるかなあとか、誰かに会えるかもというか 期待を持たせてくれました。 道が狭いから元彼女とすれ違っても目で挨拶ぐらいは出来たな。隠れようがないからね。 きれいなショッピングセンターもいいけど、「街」とは違うんだなあ・・・ 新しいものを得る為にいろいろ捨ててきたけど、やっぱり失ったものもあるんだね。 昭和は遠くなりにけりか。 第9回 秋田市通町「橋本古道具屋」 正確な名前は忘れましたが「橋本」という古道具屋が通り町にありました。 今はありません。 ここの娘さんとは小学校が同じだから余計に覚えています。 やっぱり若い頃からこういう所に出入りしたという事はそれなりに コレクターとしての素質はあったのでしょう。 品物は色々なんでもありました。あまりきれいな店内ではなく雑多で埃まみれと いった感じで、そこがまたいいんです。なんかありそうで・・実際は何もないんですが。 戦時中の兵隊さんが使ったような物も置いてましたね。 この店で一番恐ろしかったのが、髑髏に蛇が巻き付いて目の所から出ている 置物。まして、薄暗い埃まみれの店内だから尚更・・・ あれを買って楽しむ趣味の人もいるんだなあと。 ちょっと可憐な感じの娘さんとはイメージがあんまり違うんで以外な感じがしましたね。 まあ、お父さんの商売だから娘さんには関係ないんですが。 それでも確かモンキーズのLPとか中古のエレキとか買ったりちょこちょこは訪れて いました。このお店もちょっとご無沙汰していたらいつの間にかなくなりました。 私の記憶では、秋田市内ではもっとも埃ぽっく、もっとも古道具屋さんらしい古道具屋さん だったなあと。 今はきれいなお店が多くなりましたが、整然としたお店では1分で出てきて しまいます。ごちゃごちゃした店内から発掘する楽しさがありませんから・・ 昭和は遠くなりにけりか。 第10回 秋田市 「八橋プール」 屋外プールですから、室内プールよりは健康的な気がしました。 やっぱり真っ青な青空の下で泳ぐのがいいです。 幼児用、子供用、大人用の3つのプールがありました。 幼児用と子供用は仕切で別れて一体でしたが。 泳いだ後、熱いアスファルトに寝て体を温めるという・・ ここで一度溺れかかって助けられた事が有り、人生の汚点になっています。 大人用のプールの縁みたいな所に経っていたら、すーと深い方に引き込まれて・・ 誰も助けてくれなかったら溺れていましたね。「溺れかかった」んです。 溺れるという事がどういう事なのか良く分かりました。 現実にここの排水溝の蓋をいたずらして開けた子供がいて、そのまま吸い込まれて・・ その日も居合わせて、救急車が来たりで大騒ぎでしたね。 亡くなったと思いました。いたずらはいけません。 夏休みはここで遊ぶのが日課みたいなもんでした。 近くでよく車でフランクフルトとか売りに来てました。 プールで遊ぶとすごくお腹がすくんです。 帰りにそれを買って食べるのが楽しみでした。 そんな八橋プールも老朽化が進みもう無くなりました・・。 跡形もありませんねえ。 昭和は遠くなりにけりか。 第11回 「私はカモメ」 これは昭和30年代に初の宇宙女性飛行士となったテレシコワさんが 宇宙からの交信で言った言葉とされます。 このテレシコワさん、何回か来日しているようですが、 実は私が小学生の時、私のいた学校に来る予定だったのです。 その日は雨で、体育館に全校児童が集まっていたと思います。 お昼過ぎの午後だったと思うんですが、なかなか来ないんです。 到着が遅れているという先生の説明が、何回かありました。 当時の地元の空港は海沿いに有り、東京から飛んでいたのは 「フォッカー・フレンドシップ」機でした。 双発のターボ・プロップのプロペラ機ですが、海沿いの飛行場という事で 横風が強く結局着陸できずに引き返したのでした。 着陸出来ずに引き返すという事は、当時はけっこうあったんです。 その事が、体育館に居た我々に告げられると流石にがっかりしました。 多分1−2時間は待っていましたから・・待ちくたびれていたんです。 なぜ、地元の小学校に来ることになったのかははっきり思い出せません。 全国の何校か回ったのかもしれませんね。 当時、テレシコワさんは有名人でしたから先生達もとても興奮していたように思います。 とっても、がっかりした忘れられない思い出です。 ( 最近、調査の結果、昭和40年11月5日にテレシコワ夫妻が来秋の予定でしたが、 当日の強風で飛行機が降りられずに秋田市訪問がとりやめになったとの事でした。 私の記憶が正しくてほっとしました。)  今後の予定ネタ 「本金デパート」,「名画館 読売ホール」,「みゆき座」,「ロンド&もなみ」,「ローラースケート場」, 「野村模型」,「旧秋田空港」,「秋田港」,「デンキヤ」,「ステーションデパート」,「名店街」,etc.etc.


・30年代秋田市内
千秋公園より広小路側望む。
左下が明徳小学校
中央に記念館
その向こうに木内の広告塔




・木内発行の絵葉書セット
木内のオリジナル作成品
昭和36年秋田国体の
記念シール有り
秋田駅から東は田んぼ・・
電車が走り、協働社は無い。
お堀もきれいな水を
湛えている。

このセットは三重の方から入手。
当時木内でお土産に
買ったものかと。
縁有って里帰りですね。


サンダーバードの
秘密基地??
違います。
「白竜号」の勇姿です。
日本唯一の海底掘索船。
ヘリポートも見える。
当時の秋田沖は全国一の
石油産出地と言われた。




・木内で売られていた絵葉書セット
値札からすると・・ 30銭でしょうか。
日付印は逆に捺されて
いますが昭和18年でしょうか・・
この絵葉書セットそのものを
郵送するには第四種郵便で
四銭の切手を貼る時代ですから
戦前の物と思います。
葉書8枚のセットです。
値札に注目して入手。



・木内デパートのマッチ
昭和30年代から40年代かと。
箱は紙でなく経木製です。
デザインがおもしろいですね。

往事の木内といったら、
それはもう・・
「今は昔」



・木内社長の藍綬褒章 受賞を讃えた冊子
昭和39年7月
木内の屋上遊園地は
「天国」でしたねえ・・
千秋公園の動物園もね・・




・映画「秋田おばこ」ポスター
大きさはB2版、昭和30年代
「旅ゆけば唄が流れる夢が咲く!
とても素敵なひばり・こまどりの
恋のセールスマン」と来たね。
美空ひばりとこまどり姉妹が出てるよ。
こまどり姉妹がかわいいのだ。
いつもは着物だけどね・・
だいたい秋田県人も
こんな映画があったなんて
だーれも知らないのだ・・


・三波春夫ショー半券
昭和37年11月25日、
湯沢北高体育館にて。
湯沢の日専連主催。
今だと、歌謡ショーに
高校の体育館は貸さないな・・
場所もなかったし、
大らかでもあったのでしょう。



・近代映画
東京オリンピック特集
表紙は体操の遠藤選手
もちろん秋田出身


・秋田の聖母マリア
昭和61年発行
涙を流したという・・
もちろん私も訪問しました。



・川反の絵葉書
手彩色。戦前かと。
闇夜に浮かぶ三日月、車のヘッドライト、
そして秋田美人。
一歩間違えると「ゲゲゲの鬼太郎」の世界です。
「ゲッ、ゲッ、ゲゲゲのゲ〜♪」
微妙かも・・

「陽も沈み月も出る頃、秋田音頭や小唄の流れる
川反通りの秋田情緒は・・・」
秋田は清酒の消費量が全国一とか言うけど、
なんかなあ・・分かるような気もするなあ。




・秋田美人
読売新聞社秋田支局発行
昭和42年10月発行
さまざまな切り口から
秋田美人を徹底分析
106ページ
当時の秋田美人が多数掲載
37年近く前ですから、
掲載されている方の今は・・・
もちろん秋田美人でしょう。




・川端四丁目の絵葉書
旭川沿いの柳ですね・・
今とはだいぶ風情が異なりますね。


・秋銀本店の模型
46年5月完成時の物
スケールは1/500
貯金箱になっています。



・秋田劇場の前売券
国防費献金とありますから
戦前か戦中でしょうか・・
1円50銭です。
美酒爛漫1本進呈とも
秋田劇場というのは柳町
(現在の大町4丁目付近)
に大正後期からあった
映画館です。

・芸術ショーのご招待券
簡単に言えば
「カルメン故郷に帰る」
の世界です。
分からない方は
分からなくて全然大丈夫です。
専売公社前のひかり座にて。
自主規制によりまして
桃色の洋服を着せてみましたが、
オリジナルでは・・
あくまでも芸術なんです。
公的機関では扱いにくいでしょうから
私が私財にて集めている訳です。


・秋田市郊外将軍野遊園地案内 昭和四年 絵師金子常光による鳥瞰図
当時の将軍野はとても荒れたひどい所で 死馬が遺棄され鳥獣の餌食にするに任すといった 悽愴たる光景だったそうです。
そもそも、面影橋から北には処刑場もあったし、 そこから土崎までは顧みる人もいない荒涼地であったのです。
まあ、そのままにしておくのは県人の恥という事で、 そこを開墾して開園したそうです。
プール、角力場、野球場、庭球場、子供遊技場等の他、 動物園までありました。
画像ではわかりにくいですが、路面電車の駅もあったし、東北に誇り得るパラダイス だったのです。



・通り町の絵葉書
「通町」でなく「通り町」です。
クラブ化粧品の看板は
「スダ薬局」さんですね。
その向こうは「高砂堂」さんかな。
橋は「通町橋」ですね。
子供の頃、ここを渡るのが
怖かったです。
手すりの下の木の桟から
旭川が丸見えなので
子供の目線からみると、
桟から落ちて川に
吸い込まれそうに感じました。
足がすくみましたねえ・・
橋の端を歩くのが怖くて怖くて。
もちろん母さんの手をぎゅっと・・


・愛国号の絵葉書
昭和7年に秋田県民から
陸軍に献納された九一戦
機体番号は「55」です。
献納式は東雲飛行場にて。



・秋田県人倶楽部報告書
大正元年発行
在京の他、地元秋田の人
も掲載されていますが
大町の辻兵吉さん
とかの名も・・



・昭和30年代のパンフ
右は大館の秋北バス
中は秋田市役所発行
表紙は往時の
八橋油田ですね。
左も秋田市役所発行
秋田名物といえば
竿灯、秋田蕗、
そして秋田美人です。
このパンフによれば・・




・マルサンの袋
木内デパートの対極に
位置した庶民の味方か・・
恥ずかしくて行けないと
いうレベルでしたね。
でも賑わっていたのも事実。
ただの袋ですけど、捨てられず
資料として保管しています。
(こんなもん持ってるから
がらくた天国と言われるんですが・・)



・秋田市営電車の切符
昭和41年に廃止
子供は半額の15円だったような。
友達と乗って5円玉を
ポケットに入れていた
記憶があるんです・・
穴の無い5円玉だったかも。
うるうる・・・



・第16回秋田国体パンフ
昭和36年
表紙は勝平得之
秋田市実行委員会編



・秋田国体ポストカード
昭和36年
緑の部分は秋田蕗を
イメージしています。




・秋田国体のレリーフ
昭和36年
直径70cm程あり、
けっこう大きいです。
円周は「秋田蕗」をイメージした
デザインです。
当時物ですが、今は縁有って
私の手元にあります。
会場に飾られていた物
かもしれません。

・東海林太郎公演ポスター
主催は秋田市東海林太郎後援会
32年10月11日(金)の 公演告知。
東海林さんは秋田市の出身。
早稲田大卒で
元満鉄職員の超エリート。
私的には「ブルーリボン・
マーキュリースターズ」という
楽団の名前がうけました・・

このポスターは2枚手元にありますので
トレード等検討可。




・湯澤銀行営業案内
簡単に言えば、
現秋田銀行の代理店という事ですね。
そもそも、秋田銀行自体が
秋田と土崎にしか本支店が
無かったという・・
秋田銀行は1941年に
秋田銀行、第四十八銀行、
そしてこの湯澤銀行の3行が
合併して現在の秋田銀行に。



・秋田相互銀行営業案内
昭和28年頃
秋田無尽を母胎としています。
昭和26年発足




・秋田銘酒ラベル全集
昭和56年の創刊です。
ラベルはお酒の「顔」です。
図柄や文字などは
微に入り細にわたって
検討されています。

本荘市の「秋田誉」
醸造地秋田を代表するに
ふさわしいブランドに育って
ほしいと念願して名付けられた






・「どりーむあきた」誌
秋田にもドリームがあったんだねえ・・
一応「ライフ情報誌」と謳われています。
昭和54年10月
当時のFM秋田DJの
佐藤裕子さんの記事なども。
現在のタウン誌と比べると
地味な紙面に感じますね、やっぱり。



・「すとりーと秋田」誌
昭和49-51年
「二人で秋田を再発見
秋の知的なデイト・コース」
基本的には今日と変わって
いませんね・・

雰囲気としては
「エメロンシャンプーの時代」かな・・
分かんない方はわかんなくて
全然かまいません。




・「あきた」創刊号
秋田県広報協会発行
昭和37年5月
特集が「地域格差」
当時から悩み事は
変わっていないみたいです。



・「月刊秋田」
昭和35年2月
月刊秋田社発行
創刊2号になります。




・秋田トヨタの広告マッチ
「トヨペットクラウン」という
表現に時代を感じます。
いわゆる観音開きかと。
6人乗りというのもおもしろい。
ベンチシートだからでしょう。
48馬力というのもねえ。
思わず唸ってしまいます・・





・スヅヤの年賀状
昭和29年
年配の方だったら知ってますね・・
いつの間にかなくなりました。
もちろん私も食べた事がありますよ。
「たけや」か「すづや」でしたよね・・
そうそう、臨海に第一パンもあったね。



・ブルボンの栞
「名曲&珈琲」で有名でした。
名店街にありました。
定時コンサートがあり、
クラッシックのレコードを
「演奏」しました。
(当時はお皿を回すことも
「演奏」と言いましたよ。)

中は一カ月間の演奏曲目リストに
なっています。



・秋田博小型蒸気機関車
 乗車券

昭和44年、未使用
臨海で行われた
秋田博の会場で
走っていた様です。
自分も行きましたが
乗った記憶は・・



・秋田博記念入場券
当時の国鉄の記念入場券
5枚組中の3枚です。
8月2日−9月25日まで開催。