懐かしのフォーク .

中学生になると授業でもフォークを唄いました。
「音楽を聴こう!ギターを弾こう!歌をうたおう、そしてみんなとの生の対話をしよう」




昭和50年頃のちらし。僕が当時見に行った時のものです。うるうる・・


「あーる晴れたひーる下がり・・いちばーへ続くみちーー」と唄った方もたくさんおられるでしょう。
ジョーン・バエズの「ドナ・ドナ」ですね。
この歌を唄うとなんか牛さんがかわいそうになってお肉を食べにくくなったものです。(苦笑)
あんな落ち込むような歌をなんで唄わせたのかなあ・・・
担任がちょっと左よりの方だったので、ホームルームの時間なんかも冊子を渡されてけっこう唄わされました。
ロック小僧だった僕にはちょっと苦痛でしたね。今となってはなんか懐かしいですが・・
傾向として、どちらかと云えば「左」、「プロレタリア」、「反体制」、「搾取される側」、「反戦」、「4畳半」の音楽という感じが僕にはしました。
さて、日本にフォークが紹介されたのは60年代初頭米国のキングストン・トリオやブラザース・フォーあたりからと思います。
その後ジョーン・バエズやボブ・ディラン、PP&Mあたりが入ってきました。
日本ではマイク真木、岡林信康、森山良子あたりになるかと思います。
基本的には生ギターの世界ですね。
70年代になって”ニューフォーク”というのが台頭してきた気がします。
ニューフォーク以降、ロックへの接近が見られ、生ギターで表現しきれないものへの挑戦が始まりました。
僕にとってはPP&Mなんかはすごく聞き易かったですね。
放送部でしたが、PP&Mの「虹とともに消えた恋」のお皿(レコード)は昼食時に良く回しました。
学校でもフォークに関してはなぜか甘くて特に規制は受けませんでしたね。
ロックはかけられませんでした。
先生の世代がこういった正統派フォークの洗礼を受けていたということもあったのでしょう。
正統派のフォークにはある種の「真面目さ」、「清潔感」みたいなものがあったのかもしれません。
米国のディランや日本の岡林など「神様・教祖」的に受け入れられるアーティストも出てきました。
彼らの曲の歌詞にはメッセージが込められている為こういった傾向が出てきたものと推定されます。
一方、フォーク・クルセイダースなんかはアングラ・フォークという感じでしたね。
かなり政治色の強い歌詞の曲も現れ、レコード会社の判断で発売中止になったりと
メッセージ・ソングとしての限界も感じられました。
メジャーからの発売が難しくなると自主制作されたりと、なかなか深刻かつ暗黒な世界へと展開していきました。
ミーハーな僕は傍観しておりましたが、当時渦中にいた方々の情熱はすざましいものがあったと思います。
それにしてもニュー・フォーク以前のフォークはけっして軽いノリの音楽ではなかったなあと・・
やがて、ニューフォークの後に、「左」、「プロレタリア」、「反体制」、「搾取される側」、「反戦」、「4畳半」といったものを全く
感じさせないブルジュアジー出身のお嬢様ユーミンが登場する訳です。
ちょっとうっとおしくじめじめしたフォークに比べて生活感を感じさせないユーミンの世界はとても新鮮でありました・・・
それは一億総中流時代の幕開けとともに手が届きそうなちょっと上の世界という事で憧れと供に広く受け入れられていったのでした。




・陽水のパネル
73年頃でしょうかね。
当時陽水聞いた人は知っている
けっこう有名なポーズ。
高さ67cm程
オークションに「たくろうのパネル」
として出品されていました。
誰も欲しがる人もいないのか、
そういう時代になりました。
1000円なり・・・






・たくろうのシングル
エレック時代。
「マークU」が好きです。
権利関係の問題なのか、
このEPの「マークU」の
バージョンは
なかなかCDでは
見かけません。




・「フォークゲリラとは何者か」
吉岡忍編著 表紙デザインは橋本治
70年7月発行 自由国民社
現在ノンフィクション作家として活躍中
この本を出した当時は早稲田在学中で後に中退。
ヤング・べ平連メンバーとしても活躍。
「♪波をチャプチャプ かきわけて・・
原潜佐世保にスイスイ やってきて・・
日本のお国は どこへ行く
ぼくらをおいて どこへ行く・・
わるい政府に 任せておけば
きっと戦争が待っている
苦しいことも あるだろさ
悲しいことも あるだろさ
だけど 僕らはくじけない
平和のために たたかうぞ
進め フォーク・ゲリラ
僕らのベ平連
フォーク・ゲリラ♪」
ひょっこりひょっうたん島で唄ってください。





・「受験生ブルース」
68年1月12日に大阪サンケイホールで
行われた第2回高石友也リサイタル実況より
1番から10番まである。
68年の本人サイン入り
ジャケはご存じ園山俊二





・「村声一揆」
福岡ヴィレッジ・ヴォイス
全日本フォーク地図シリーズその1
URCレコードより発売
海援隊が「大学ボタン」を唄っています。
説明文によりますと
「ちょっとした気まぐれで企画され、ほんの
出来心で出来上がってしまった」レコードの様です。





・「一寸法師と親ゆび姫」
ダイジェスト・テスト盤です。
75年頃に活動していたフォーク・グループです。




・井上陽水「音のそとがわで」75年発行、サンリオ出版
この本の意義は陽水の最初の本だという事ですね。
当時リアルタイムで読みました。
「断絶」、「センチメンタル」の
2枚のLPでじわじわファンを増やし、
シングル「夢の中へ」のスマッシュヒット、
LP「氷の世界」100万枚の大ブレイク・・
「断絶」は星勝のピントはずれなアレンジも
ありましたが、あれはあれでなかなか
エポックメーキングな1枚でした。
「センチメンタル」で陽水の世界が完成しました。
なかなかの名盤です。
ユーミンが「ミスリム」、「ひこうき雲」のLPを出し
「あの日に帰りたい」、そして「ルュージュの伝言」の
ヒット。LP「ユーミンブランド」でブレイクといった
流れにかぶりますね・・今、思えば・・
この二人が出てきた時はなんかわくわくしたものです。
その辺が70年代のすごい所です。






・76年陽水コンサートパンフ
もうすぐ30年になりますねえ・・
この頃はRCが前座を務めました。
この頃のものはけっこうレアです。




・「チューリップのすべて」
ビートルズのぱくりなんて言われてました。
アロー出版社





・「Myojo ガッツ誌」
創刊3号から5号の3冊
1969年9月−10月
岡林、ビートルズ、フォークル・・・
時代を彩った面々ですね。





・「われらフォーク世代」
荒地出版社刊、1975年初版
ユーミンがまだ「荒井由実」の時代です。
この本によると、拓郎の部屋には本などまるでないらしいが、
陽水の部屋は百科事典など本だらけだったとの事。
気にとまった言葉があるとチェックしておく・・





・トワ・エ・モワの「或る日突然」
この二人のデビュー曲です。
「ニュー・フォーク」という扱いになっています。
エミこと山室英美子さんの歌声が素晴らしい一曲ですね。
30年以上前の曲ですが、今聞き直してもとても新鮮な感じがして色あせていません。
ライナーノーツによるエミさんの語ったところによれば
「二人の共通点と云えばフォーク・ソングに対する情熱が気狂いじみていることでしょうね」
とあります。
フォークに対する情熱がこういう名曲を生み出したのですね。
ジャッケットの二人の服装・髪型・・清潔感があってとてもいい雰囲気ですね。
レコードって音で楽しみ、ジャケットでも楽しめます。CDだとちょっと小さいですね・・・





・コンサートのチケット半券 昭和50年3月28日
(こういうのを捨てないでとっておいた自分がなんともかんとも・・)
始めて地元に来た時です。若者で埋まりました。
恐らく「夢の中へ」がヒットしていた頃かなと。
前座はなんとあの「RC・サクセション」
RCも生ギター、生ベースの時代です。
キョーシローが「みんな陽水を早く見たいでしょうからさっさと引っ込みまーす!」
と言って引っ込んだのを覚えています。
ちなみに2回目は昭和51年9月11日となります。





・N・S・Pの特集号
74年12月ライトミュージック臨時増刊
当時コンサートも観に行きました。
一関高専の仲間が作ったグループ。
都会的ではないです(笑)・・でも、そこが彼らの魅力でした。
恐らく今の時代ではうけないと思いますが
詩が当時の若者には共感を与えました。
陽水の詩が都会的で「冷たい」と言われたのに対して
彼らは「暖かい」と言われました。
天野君の個人的な才能もあったとは思いますが・・
こういうグループが受け入れられた事自体がやっぱり70年代なんですね。
最近70年代がブームといいますが、デザインなど表面的なものだけではなく
当時の若者文化の背景などにも目を向けてみたいですね。

(N・S・P=ニュー・サディステック・ピンク)
基本はアコーステックギター2本にエレキベースの構成、
時にはエレキギターも使用。誰にも真似できない独特な詩の世界を持っていた。






・歳時記(明日によせて)
当時天野君が出した本
春に寄せて、夏に寄せて・・・