懐かしの深夜放送![]() |
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深夜放送が最も熱気を帯びたのは70年代初頭だったと思います。 今の様に携帯電話もなければインターネットも無かった。 深夜、孤独に一人机に向かいテスト勉強なんぞしているとやはり寂しくもなります。 そんな時、ラジオから素敵な音楽と共に楽しいDJの話が流れてきたらこれは夢中になります。 その内に勉強しているんだかラジオを聞くために起きているんだか分からなくなります。 「ながら勉強」というやつですね。 当時、特に人気があったのは ・文化放送 「セイ・ヤング」 ・ニッポン放送 「オール・ナイト・ニッポン」 ・TBSラジオ「パック・イン・ミュージック」 の3番組だったと思います。僕は「セイ・ヤング」にはまりました。 番組のテーマ曲も好きでしたね。「夜明けが来る前に・・・」 クラスでもなんとなくどれを聞いているかで派閥が出来ました。 そうそう、「コース」を購読しているか「時代」を購読しているかでも派閥がありましたねえ。 僕は「コース」派でした。どうも「時代」はダサい雰囲気をかもし出している気がしましたねえ。 「時代」が好きだった人ゴメンナサイ。今はこれらの学習誌も無くなりました・・・。 話を戻して、僕が「セイ・ヤング」にはまった時には「レモンちゃん」こと落合恵子、 ”みのみのもんた、みのもんたっぱ”の、みのもんた、 そして”やあやあやあ”の今は亡き土井まさる達がDJをしていました。 レモンちゃんは後に作家に転向。 もんたさんの活躍はご存知のとおりです。 そうそうもんたさんは歌も唄いましたよ。 確か「一輪のすみれ」だったと思います。 「一輪のすみれが・・僕のこころ・・」なんて超外して唄っていたんです。 これは確かレコードにはならなくてカセットレベルでなかったかなあと。 (ここだけの話ですが僕はあるステージでもんたさんと直接会話したことあります。 もんたさんって背はあまり高くないです・・・) 土井まさる氏は「こんな甘ったれた連中とは付き合いきれん」と 当時のリスナーだった我々と袂を分けたように記憶しています。 番組に寄せられるハガキの内容がだんだんと人生相談的な内容になってきて 土井さんのポリシーと合わなくなったのが原因だったのかなあと思っています。 土井さんもレコードを何枚か出しました。もんたさんよりは上手だったなあ。 あっ、レモンちゃんもレコード出しています。
この頃はDJがだんだんタレント化するとともに僕達のあこがれの職業の一つになりましたね。 同窓生の女の子の何人かが後に地元のNHKでちょっとしたDJ的な番組に出たりもしました。 「セイ・ヤング」が午前3時に終わると続いて「走れ歌謡曲」という番組が始まったような 気がします。この番組のテーマ曲が「口笛天国」でした。これがまた素敵な曲なんです。 早朝になると「ドクトル・ジバゴ」の「タラのテーマ」も良く流れた気がしてなりません。 こんな時間まで起きていたんですね。中学生でした・・。 多感な時ですからラジオからレターメンの「ミスター・ロンリー」なんぞが流れてくると もうウルウルでしたね。
こういう曲の歌詞は概ね中学校レベルでの英語力でも 大意は分かりました。小学校から中学校に上がって英語を習いだすとなんか 世界の見え方が変わった気がしましたね。目覚めたんだと思います。 もうすっかり漫画からは卒業していました・・・。読んでもおもしろくなくなりましたから。 多分僕の感受性のスイッチが不可逆的に切り替わったんだと思います。 「セイ・ヤング」以外には故糸居五郎氏の「オール・ナイト・ニッポン」も時々聞きました。 番組テーマはご存知「ビタースゥイート・サンバ」ですね。
この曲を聴くと今でも「うっ・・・」という感じですね。 条件反射みたいなもんです。なんとかの犬って感じ・・。 糸居五郎氏は「職人」のDJという感じがしましたね。 けっしてリスナーにはへらへら媚びたりはしないが音楽解説に関しては説得力がありました。 レッド・ツェッペリンの「胸いっぱいの愛を」なんかを、オリジナルをかけずに 確か「C・C・S」の演奏だったかインスツルメンタル版でかけたりしてました。 「おっお、すっすごいっす」なんて感動して聞いてましたねえ。 「ゴー・ゴー・ゴー エンド ゴーズ・オン」だったかな?名調子が懐かしいです。 筋が一本通っている方という気がしました。こういう生き方の方が懐かしいこの頃です。 他にもカメ&アンコーとか楽しいDJもいましたね。カメさんは後にすごく出世したと思いました。 番組にリクエストハガキも書いたりもしました。まれに読まれたこともあったように思います。 当時は「深夜放送ファン」という専門雑誌まで発刊されていましたからけっこう熱かったですね。 確か若き日のアン・ルイスが表紙になった号もあったんですがとてもかわいかったです。 彼女も一時期はDJもしていたんですね。 「深夜放送ファン」を一度学校に持っていったんですがすぐに先生に取り上げられました。 どうも先生も興味があって読みたかったみたい・・。で、結局戻ってこなかった。 理不尽な話ですねえ・・・。この事件は僕にとってちょっとしたトラウマになりました。(苦笑) そんな深夜放送でしたがレモンちゃん達が居なくなると僕も自然と離れていきました。 けっこう祭りの終りを感じ取るのが早くてあっさりと卒業しましたね。 それにしてもあんなに夢中になれたのはいい思い出だなあ・・ いずれ僕もNHKの「ラジオ深夜便」のお世話になる日が来るかと思います。 レモンちゃんがその頃再び登場してくれたら僕の老後も楽しくなるなあ(笑) 全国にいるご同輩・・その日までお元気で! (記憶に基づいて構成しましたので、若干の勘違いもあるかもしれません・・ご指摘ください) メモ:「セイ!ヤング」は44年6月スタート。レモンちゃんは45年10月に登場。 残念ながら落合恵子さん自身はこのニックネームは好きでなかったらしい。単なる商品化だったと言うのである・・
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・72年頃の「VIVA young」です。今、読み返すとなかなか興味深い記事もありました。
「井上陽水の初リサイタル! 10/4青山タワーホール 〜哀愁・井上陽水〜 ¥300」
・70年の6月号 創刊から数えて2号目です。 新譜ジャーナルの 別冊NO.3という扱いでした。 当時は500−600万の視聴者が いると言われていました。 ですからこういった雑誌の発刊も 当然の成り行きだったのでしょう・・ |
・70年の12月号 季刊雑誌VOL.1の 季刊NO.3となっています。 |
・独特なタッチの表紙ですね。 |
・北山修の特集号 ちょっと世代が違った為か 彼にはあまり興味無かったです。 フォークルで歌っていましたね。 |
・安部静江と麻丘めぐみ 両人共当時はすごい人気 ジェームス・テーラーの記事有り 時代を感じさせる1冊です。 |
・別冊号 |
・こうせつとジューン・アリス こつせつのファッションが泣けます。 |
おやまあ、お久しぶり。 メリー・ホプキンと旦那様・・ |
・野口五郎はギターがうまい。 この頃からかな、番組でH系の 企画が多くなりました・・ |
・5月号からは書名が変わりました。 「RUN RADIO」です。 |
・「7年目のもうひとつの別な広場」 74年発行。 パックを聞いていた人の必携本 シリーズで数冊出ていました。 インターネットも無い時代、 一つの仮想の広場が出来ていたんですね。 当時は深夜を「解放する」という言い方も よく使われました。 「深夜」が若者のものになりました。 |
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