| トマトをたべるのをやめたとき
version2 ドイツ新聞評より
この作品は、確かに上演の度に違うのである。4人の女と1人の男がサイコロのように舞台を転がり廻る。
−−−1人の女が、空気を深く吸いながら叫ぶ。その震え、ふらつく様子は狂牛病の動物さながらだ。パンがバシッと叩きつけられる。そしてウサギの耳だとか、ペニス、あるいは軽業のバトン、その他ありとあらゆる物に変えられてしまう。疲れ果てた人間は、ついに沈むが如く床に倒れるのだが、薄暗い光の中で、その白い腕と足は、虐待されたあげく周囲に転がっているパンと、ほとんど見分けがつかない。
DA・Mは、観客が通常演劇に抱く期待には一切応えず、そのかわりに演劇上の習慣はしっかりと破るのだ。
ハンブルガー モルゲンポスト紙 2002.9.7.
鴻氏のラオコーン・フェスティバルのテーマは「グローバリゼーション時代の歴史と記憶」なのだが、日本のDA・Mの俳優たちは、記憶をすべて消し去り、ゼロから出直すことが肝心なのだ、と見える。歩くこと自体すんなりとは行かない。俳優たちは、見えない糸に操られるようによろめきながら歩く。
照明が、舞台空間を客席もろとも、精妙に変化する光の中に沈める。ーーーDA・Mは、即興に、つまり動きと音の瓦解に全幅の信頼を置き、音楽の竹田賢一はキーボードで創り出した音の断片を送ってよこす。ーーーーー抽象的な、あるいは具象的な身振りの脈略のなさは、どうやら意図されたもののようだが、この公演は、なんだか海のものとも山のものともつかないのだ。
タッツ紙 ハンブルグ版 2002.9.7.
ドイツはハンブルクにカンプナーゲルという「劇場」がある。かつて鉄工場だった広大な工場跡がいま自在に利用できる複合劇場施設劇場になっていて、そこでの夏の国際的演劇祭が90年代からそのユニークな世界的な注目を集めるようになり、「ラオコーン」と命名されたのが昨年。そして今夏はそのプログラム主宰者を日本の演劇批評家鴻英良がつとめることになった。ヨーロッパの国際的な演劇祭では最初の非ヨーロッパ系主宰者だとか。
その鴻英良によって打ち出されたテーマ「グローバル化時代の歴史と記憶」のもとに十作品が選びだされて八月末からの三週間にわたって上演されたのだが、その中で日本から唯一の招待公演だったのが、DA・Mの『彼らがトマトを食べるのを止めたとき』(ヴィトカヴィッチからの『幻覚の効果についての報告』からの引用)である。他にはたとえばピナ・バウシュ振付の『コンタクトホーフ』、スイスのノィマルクト劇団の『メモリー』、オーストラリアからアボリジニ部族による『マヌ(悪霊)のキャリア・ハイライト』等々。詳細な報告は「舞台芸術」第二号に掲載されるので、それを参照してほしい。
DA・Mの上演は三週目の冒頭。白い壁と蛍光灯からなる大きな裸舞台に五人のパフォーマーたちが登場して即興的な痙攣的な動きや叫びを発し始める。竹田賢一の大正琴や電子音楽などからなる即興の音楽や、これもそのつどの即興という照明の中で、演じるのでも踊るのでもない五人のパフォーマーの動きと声と言葉の断片が、現代社会に置かれた「錯乱の身体」をひたすら示していく。ときおり聞こえてくる日本語テクストは、デュラスの『ヒロシマ我が愛』からの引用や(その一節がドイツ語で「私はそれを見た、ヒロシマのニュース映画を見た」と語られたりする)、ベケットの『ゴドー』のポッソの台詞「右、もっと右」、NY9・11のときに警官が誘導してニュースで流れた「Come
on this
way」といった、演じ手たちの記憶に断片的にインプットされて稽古時に口に出た台詞らしい(明瞭には聞き取れなかったのが残念だった)。たが観客が安心して逃げ込めるような特定の物語や筋、テーマ系、素材といった参照項が殆どない中で、いわば身体的なだけの動きは、何かを表現しては壊すという繰り返しをそのまま観客に対峙させる。身体を錯乱させていくものは不明瞭・不可視で、ネグり/ハートのいう「帝国」なのだろう。見えないからこそ、インプットされる断片的な記憶も日常の中では確たる像を結ばず、想起は歴史を構成せず、対象や世界/システムをつかみかね特定できれない苛立ちが、個別に身体的に表現される。何をいったい見た/聞いたのか、見な/聞かなかったのか。
演出の大橋宏を中心としたDA・Mはいま、身体が即興的に表現する集中と強度だけでその日ごとの時空と観客に呼応し、そこから観客の想起の引き出しになろうとすることを表現の方法論にしているという。ただそういった基本的に即興という方法論のなかでもろに観客のまなざしに晒される身体は、ことにカンプナーゲルのような大きな空間で上演されるときには、もっと強靭で意識的に現存するための仕掛けと方法論も必要なのではないだろうか。あるいはヴァルツ振付の鍛錬されたダンサー身体による『ノーボディ』に比して、むしろDA・Mの曖昧さ、緩(ゆる)さこそが、いまの非歴史的な日本性を表象しているのだろうか。何を称して日本的というのか、言う必要があるのかは定かではないが、それはもしかしたら先取りとして世界性へと通底していくものなのだろうか。
実は三週目は、身体など登場せず白い箱の中からの断片的な男の映像が映し出されるだけのジェスラン作『スライト・リターン』と、二五人のダンサーが身体の消滅を踊るサーシャ・ヴァルツ振付のその名も『ノーボディ』とともに、トライアングル的にいずれも「グローバル化の〈帝国〉状況における身体」を問うものであった。その中でDA・Mの上演もたしかに、それらに拮抗しうるだけの、さまざまな問題提起にあふれたものではあった。
谷川 道子
独自の方法論を持つDA・Mのハンブルク公演(2002.9)は、現地の観客がどういう反応を
見せるか、大いに楽しみだった。会場は元工場の建物をそのまま利用しただだっ広い所。普通は適当に仕切りをして劇場風に舞台を設えるのだろうが、DA・Mの場合は工場の壁や柱を見せたままの開放的な空間として使っていた。そして照明は得意の蛍光灯と裸電球。いささか常識破りという感触が、
観る前から伝わってくる。パフォーマンスは客電を落とさずに静かに滑り出した。5人の役者が言葉を発することもなく抽象的な演技を続けていく。なにか筋立てがあるわけでもなく、直接的な意味が示唆されるわけでもない。ここに記号的な解釈は無用である。だが、ほとんどの観客がDA・
Mを初めて観るのだろうから、当然戸惑いが見られた。これをダンスか舞踏と捉える人もいたようだ
が、それは少々違う。振付けられた形を見せるものではないからだ。観る側も一方的に受容するのでなく、積極的な気持ちで、且つ先入観無く臨んだ方がよい。そうすれば、役者たちが瞬間瞬間の関係性においてひとつの身体表現を選び取り、それがまた次の動きを呼び込む、という面白さに惹きこまれずにはいられない。ハンブルクの観客も自ずとそれに気付いたようだった。演劇祭全体を見てもDA・Mの舞台のラディカルさは際立っており、その発するパワーは確実に観る者に伝わったと思う。
中村和夫
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