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Review  

1997 [aruku] アビニョン演劇祭'97
    [aruku] では、4人の俳優達は歩き、歩き、歩きつづけながら、ゆっくりとした足取り(極端にゆっくりとした速度まで)から、駆り立てられるような急速度まで、あらゆるリズムで人生の歩み、雑踏の中の歩みといった「歩く」という避けることのできない動きを、連続的にひたすら直線を描きつつ表現する・・・休止は束の間にしかない。言語テキストはほとんどなく、むしろ、“アバン・パロール/言葉以前”とでもいうべき、断片的、部分的な言葉や動作が、豊かな暗示や筋道を表現する。世界中の音楽をモチーフにとりこんだ、断片的な音楽も一弾き、二弾きで、あるリズムが完結される。歩く者たちの身体が、模索・欲望・疲労・抑圧を表現している・・・DA・Mは前衛劇団であり、その演劇的模索は、暗示の世界を超えて、観客それぞれの深い欲望をかきたてることを目指す。このようにして演出家の大橋宏は、相互作用的演劇のなかに、われわれを誘い込む。それには、動きそれ自体に注目するのではなく、少なくとも、精神と感性とによる全面的な参加が必要なのである。なぜなら、この演劇の場面場面において示され、伝えられるものに対する意味付けは、観客自身にゆだねられていると思われるからである・・・。

Andre BONAFOS. 【ラ・ガゼット/プロヴァンス】 抜粋 

 

1998 真っ昼間の地平線〜Daydream Horizon Impro.』
〜Asia meets Asia'98参加作品〜
 
    ここには物語もテーマもメッセージもない。すべては断片化され、一切の求心性を排除して、しかしそれが重なり、途切れながら、重層化され、舞台としての事実を作っていく。パフォーマーは歩行のリズムをくり返し(しかし遠心的なバラけ方で)、つまづき、止まり、また歩き・・・。そして床に散らばった意味のつながりのない断片としてのテキストを読み、それがいくつにも重なったりする。音楽は電気的に処理され、ときに美しくときにノイズと化し、これも断片化する。さらに舞台の上でドローイングを描くものまでいるが、むろんそれも完結はしない。それらのすべてが白々とした蛍光灯の点滅する光の下で進行し(まさに白昼夢のように)、断ち切られたカケラ同士が融発しあい、また観客という他者に突き刺さることでハネ返り、それがさらに次の動きのきっかけでもあり、増幅装置でもあるようにしてパフォーマーに伝導し、動きが加速し舞台がさらに重層化していく。そうした、観客との真剣勝負のような緊張関係の中から、直接的なメッセージ性や安直な物語や神話の引用などによる了解をはるかに越えた、劇場自体が今ここで発生しているという誕生の瞬間のように、カオスとしてのエネルギーの原型のようなものが(抑制された原理的要素の繰り返しだけでありながら)鮮やかに開かれて見えたのです。 それはみごとなものでした。表現する側にも観客にも、どちらにも閉ざすことのない、開かれた劇場の出現を見た思いがしました。遠心的な力、というよりはYさん、ここではむしろ求心性と様式性の欠落こそが、ひとつの行為が別の行為を呼び込み、ひとつの身体が別の身体を開いていく大いなる契機となり、その欠落こそが際立つ力となっていたのです。

堀浩哉(美術家) 
『LR』11号掲載文―「Yさんへの手紙」より
 

1999 IL VULCANO
記憶の底に潜む20世紀のマグマを見に行こう 登山電車がなくたって
 
    「俳優はどこまで自由であり得るか」への、豊かな答え
.......「朗唱」も行為も俳優も現在の「生」をいきいきと伝えるものだった(全てをここに還元するつもりはないが)。それは、少し脅迫神経症的で、自己の中の空虚に脅え、しかし悪戯っ気と好奇心と少し芸能的な色彩に彩られた彼らの等身大の「生」に見えた。
何のフィクションもないからこそリアルで説得力がある。そして、そこには都市の関係妄想的環境を生き抜こうとする“エネルギー”のようなものがふつふつとたぎっていた。言わば、人間の「生」の火を吹くブルカーノ(火山)。俳優たちのなかにそのブルカーノを実感するのは感動的な体験である。
台本をはじめとする演劇の制度から俳優はどこまで自由になれるのか。この本質的な永遠の問いに集団<DA・M>は正面から向き合ってきた。そして彼らはこの豊かさに到達した。小劇場の舞台としても記憶したい舞台である。

井上二郎 STAGE BOMB 「演劇ブック」6月号より

 

2000 Hong Kong-Tokyo Image Theatre Project
撞Clash+DA・M共同公演 Unbearable Dreams  タ・エ・ラ・レ・ナ・イ・ユ・メ
 
    DA.Mの舞台で起こる事態とは、まず歩行だ。歩くこと。とはいえ、能やダンスのように歩行自体が求心的に様式化されることはない。たとえば、平仮名の一つを無意識にではなく意識しながら書き続けていくと、いつしかその単純なものの形が怪しくなりついにはそれが崩れてしまうことがあるように歩行もまたずっと「.....」で続く文章のように遠心的に、しかし意識のうねりを効かせ続ければやがて単純な歩行さえもがままならない破綻が訪れる。それは身体と意識の分離などということではなく、歩行する自我そのものの分裂の瞬間なのかもしれず、その分裂した自我が思わず起こしてしまう次の動きとやはりどこかで分裂した他者の動きとが時に結び振動し、また離れていく。そんな部分の繰り返しに、断片化された言葉や音、そしてこれだけは少し心地いい湿りを帯びた、しかし決して過剰にはならないサウンドが絡み付き、それぞれの部分の境界線を縫い合わせ、また解きほぐしていって、テキストや演出という近代のヒエラルキーを放棄した舞台でありながら、ある瞬間、劇場全体を(つまりは客席までも含めて)大きなうねりが共振する、それこそ鳥肌立つような時間が訪れてくる、ことがある。とはいえ、たぶん彼らはその瞬間を目指してはいない。それを目指す構造そのものもまた、モダンの内なのだから。その僥倖のような共振の時間は、あくまで分裂の過程の部分が網目のようにつながり、重なりそしてズレる、その一瞬に生じるモアレのようにして訪れるだけなのだ。香港の鐘Cーashとのコラボレーションでは、鐘の持つアジア的メッセージと絡み合うことでDA.Mの歩行のリズムが意味の側に引きずり込まれそうな危なさを感じさせながら、しかし一方では無意味のナルシズムを切開するという、スリリングなふくらみを感じさせてくれたのだった。

堀浩哉(美術家) 

 

2002 トマトをたべるのをやめたとき version2

ドイツ新聞評より

この作品は、確かに上演の度に違うのである。4人の女と1人の男がサイコロのように舞台を転がり廻る。
−−−1人の女が、空気を深く吸いながら叫ぶ。その震え、ふらつく様子は狂牛病の動物さながらだ。パンがバシッと叩きつけられる。そしてウサギの耳だとか、ペニス、あるいは軽業のバトン、その他ありとあらゆる物に変えられてしまう。疲れ果てた人間は、ついに沈むが如く床に倒れるのだが、薄暗い光の中で、その白い腕と足は、虐待されたあげく周囲に転がっているパンと、ほとんど見分けがつかない。
DA・Mは、観客が通常演劇に抱く期待には一切応えず、そのかわりに演劇上の習慣はしっかりと破るのだ。
                                
ハンブルガー モルゲンポスト紙 2002.9.7.
 


鴻氏のラオコーン・フェスティバルのテーマは「グローバリゼーション時代の歴史と記憶」なのだが、日本のDA・Mの俳優たちは、記憶をすべて消し去り、ゼロから出直すことが肝心なのだ、と見える。歩くこと自体すんなりとは行かない。俳優たちは、見えない糸に操られるようによろめきながら歩く。
照明が、舞台空間を客席もろとも、精妙に変化する光の中に沈める。ーーーDA・Mは、即興に、つまり動きと音の瓦解に全幅の信頼を置き、音楽の竹田賢一はキーボードで創り出した音の断片を送ってよこす。ーーーーー抽象的な、あるいは具象的な身振りの脈略のなさは、どうやら意図されたもののようだが、この公演は、なんだか海のものとも山のものともつかないのだ。                      

タッツ紙 ハンブルグ版 2002.9.7.

 


ドイツはハンブルクにカンプナーゲルという「劇場」がある。かつて鉄工場だった広大な工場跡がいま自在に利用できる複合劇場施設劇場になっていて、そこでの夏の国際的演劇祭が90年代からそのユニークな世界的な注目を集めるようになり、「ラオコーン」と命名されたのが昨年。そして今夏はそのプログラム主宰者を日本の演劇批評家鴻英良がつとめることになった。ヨーロッパの国際的な演劇祭では最初の非ヨーロッパ系主宰者だとか。

その鴻英良によって打ち出されたテーマ「グローバル化時代の歴史と記憶」のもとに十作品が選びだされて八月末からの三週間にわたって上演されたのだが、その中で日本から唯一の招待公演だったのが、DA・Mの『彼らがトマトを食べるのを止めたとき』(ヴィトカヴィッチからの『幻覚の効果についての報告』からの引用)である。他にはたとえばピナ・バウシュ振付の『コンタクトホーフ』、スイスのノィマルクト劇団の『メモリー』、オーストラリアからアボリジニ部族による『マヌ(悪霊)のキャリア・ハイライト』等々。詳細な報告は「舞台芸術」第二号に掲載されるので、それを参照してほしい。

DA・Mの上演は三週目の冒頭。白い壁と蛍光灯からなる大きな裸舞台に五人のパフォーマーたちが登場して即興的な痙攣的な動きや叫びを発し始める。竹田賢一の大正琴や電子音楽などからなる即興の音楽や、これもそのつどの即興という照明の中で、演じるのでも踊るのでもない五人のパフォーマーの動きと声と言葉の断片が、現代社会に置かれた「錯乱の身体」をひたすら示していく。ときおり聞こえてくる日本語テクストは、デュラスの『ヒロシマ我が愛』からの引用や(その一節がドイツ語で「私はそれを見た、ヒロシマのニュース映画を見た」と語られたりする)、ベケットの『ゴドー』のポッソの台詞「右、もっと右」、NY9・11のときに警官が誘導してニュースで流れた「Come on this way」といった、演じ手たちの記憶に断片的にインプットされて稽古時に口に出た台詞らしい(明瞭には聞き取れなかったのが残念だった)。たが観客が安心して逃げ込めるような特定の物語や筋、テーマ系、素材といった参照項が殆どない中で、いわば身体的なだけの動きは、何かを表現しては壊すという繰り返しをそのまま観客に対峙させる。身体を錯乱させていくものは不明瞭・不可視で、ネグり/ハートのいう「帝国」なのだろう。見えないからこそ、インプットされる断片的な記憶も日常の中では確たる像を結ばず、想起は歴史を構成せず、対象や世界/システムをつかみかね特定できれない苛立ちが、個別に身体的に表現される。何をいったい見た/聞いたのか、見な/聞かなかったのか。

演出の大橋宏を中心としたDA・Mはいま、身体が即興的に表現する集中と強度だけでその日ごとの時空と観客に呼応し、そこから観客の想起の引き出しになろうとすることを表現の方法論にしているという。ただそういった基本的に即興という方法論のなかでもろに観客のまなざしに晒される身体は、ことにカンプナーゲルのような大きな空間で上演されるときには、もっと強靭で意識的に現存するための仕掛けと方法論も必要なのではないだろうか。あるいはヴァルツ振付の鍛錬されたダンサー身体による『ノーボディ』に比して、むしろDA・Mの曖昧さ、緩(ゆる)さこそが、いまの非歴史的な日本性を表象しているのだろうか。何を称して日本的というのか、言う必要があるのかは定かではないが、それはもしかしたら先取りとして世界性へと通底していくものなのだろうか。

実は三週目は、身体など登場せず白い箱の中からの断片的な男の映像が映し出されるだけのジェスラン作『スライト・リターン』と、二五人のダンサーが身体の消滅を踊るサーシャ・ヴァルツ振付のその名も『ノーボディ』とともに、トライアングル的にいずれも「グローバル化の〈帝国〉状況における身体」を問うものであった。その中でDA・Mの上演もたしかに、それらに拮抗しうるだけの、さまざまな問題提起にあふれたものではあった。

谷川 道子


独自の方法論を持つDA・Mのハンブルク公演(2002.9)は、現地の観客がどういう反応を
見せるか、大いに楽しみだった。会場は元工場の建物をそのまま利用しただだっ広い所。普通は適当に仕切りをして劇場風に舞台を設えるのだろうが、DA・Mの場合は工場の壁や柱を見せたままの開放的な空間として使っていた。そして照明は得意の蛍光灯と裸電球。いささか常識破りという感触が、
観る前から伝わってくる。パフォーマンスは客電を落とさずに静かに滑り出した。5人の役者が言葉を発することもなく抽象的な演技を続けていく。なにか筋立てがあるわけでもなく、直接的な意味が示唆されるわけでもない。ここに記号的な解釈は無用である。だが、ほとんどの観客がDA・
Mを初めて観るのだろうから、当然戸惑いが見られた。これをダンスか舞踏と捉える人もいたようだ
が、それは少々違う。振付けられた形を見せるものではないからだ。観る側も一方的に受容するのでなく、積極的な気持ちで、且つ先入観無く臨んだ方がよい。そうすれば、役者たちが瞬間瞬間の関係性においてひとつの身体表現を選び取り、それがまた次の動きを呼び込む、という面白さに惹きこまれずにはいられない。ハンブルクの観客も自ずとそれに気付いたようだった。演劇祭全体を見てもDA・Mの舞台のラディカルさは際立っており、その発するパワーは確実に観る者に伝わったと思う。

中村和夫
 

2003 トマトをたべるのをやめたとき version3

芸術も批評も相変わらず「9・11」とか「帝国」とか言っておけば何か深刻な事態に向き合っている気分になれるらしく、平和である。大抵の場合、彼ら彼女らは表現することの過酷さと大文字のスペクタクルを混同し、取り組むべき問題をすり替えてしまっているに過ぎないのだが。
DA・Mは違った。'86年から活動しているグループだそうだが、昨年初めて見て、驚いてしまった。こんな人たちがいたとは。あれから約一年、はたして期待は裏切られなかった。ズラッと並んだ蛍光灯がランダムに明滅する冷たくフラットな空間、下手寄りに大きな白いボードが立てられ、床には白い粉で三つの角が描かれている。竹田賢一のエレクトリック大正琴、黒い服を着た男女四人のパフォーマー。一貫したセリフがない、ストーリーがない、そんなのは大したことではない。凄いのはパフォーマーたちの動きである。集団即興なのである。 背筋を伸ばして大股で歩く。腕を上に伸ばしながら右にクルリと振り返る。手前に出てビタッと止まり、何かするのかと思いきや何もせず立ち去る。ボードを大きくさすりながら舞台を横切る。壁際でじっと佇む。あるいはバンバン叩く。対角線上をしどけなく歩いていたかと思うと突然膝が折れ、その場にガクッと崩れる。うつ伏せに倒れて、両足を宙に投げ出したまま静止する……。個々のフレーズ(?)は、形態としての整合性より専ら「倒れる」「回る」「反復を断ち切る」などの淡い意味性に導かれていて、不自然な可動範囲や動線は用いられないし、複雑なことは何もしていない。ただそうしたストロークを繰り出しては打ち切るタイミングや間合いだけが、苛烈な自己統御によって執拗に問われるのである。身体的なノリや反復、さらには静止状態の耽美などといったものすら徹底的に退けられているため、ダンス的快楽からも程遠い。
自分の運動が滑らかに流れ出すのをことごとく遮り、忙しなくスイッチを切り替え続けるパフォーマーたちの、醒め切ってすわった眼が独特だ。一つ一つのストロークが自他の身体・空間・時間に対してもたらす結果を観測しては次へと移って行く。いわば一挙手一投足が何らかの“実験”の様相を帯びているのである。立ったまま右足を左前にツッと出す。当然のごとくバランスが崩れて体は傾き、全身が捻れる。次の一歩は、重心を右足に移してターンするか、出した足を引っ込めるか、あるいは……それが別にどうだというわけではない。ただ確かめるだけである。ゆっくり後ずさりしたら、たまたま誰かが立っていてその横に並んでしまった。どうなるのか。同調するのか、行ってしまうのか。問題はそれだけ、ただしこの上なく事態は逼迫しており、その意味で最高度に具体的だ。位置、距離、関係、力学、の演劇。観客が見るのは運動というより運動の断面、いいかえれば判断そのものである。知らない間に目が奪われて、異常なほど意識が集中してしまい、しかも絶えず緊張と弛緩の波間にさらわれる。終わると同時にドッと神経の疲労が押し寄せてくる。
前回と比べて不満がなかったわけではない。互いに相手の出方を窺う視線がギラギラ交錯するスリリングな場面が減り、総じて個人プレーの集積という趣きが強かったこと。あるいは過剰な音と光に煽られてほとんどダンス化してしまう中盤。しかしフランスパンが大量に撒き散らされるシーンが、それらを帳消しにした。初めはボン、ボンと投げ出されたパンが、舞台上至る所から新たに現われ、引き裂かれ、叩きつけられ、振り回され、食いちぎられる。舞台奥の階段からも音を立てて大量に転がり出してくる。猛烈な勢いで溢れ返ったパンとその破片と粉塵が一面に広がり、騒ぎが収まってみれば“完璧”な画になっている。即興にもかかわらず、飛散したパンの大小、量、配置が、である。どうして、こんなことがありえるのだろうか?
もちろん意味を求めれば如何様にも“解釈”できる舞台である。何とでも読める。しかし何とでも読めるがゆえにかえって、しかつめらしいお喋りは滑稽である。パフォーマンスの圧倒的な強度が饒舌を虚しくさせ、言葉をゼロに返す。何を言ってみても、それとは違う未知の、はるかに相応しい言語があるのではないかと不安にさせられる。無論ファッショナブルなキーワードが入り込むべき余地などありはしないのである。

武藤大輔
(本稿は「CUT IN」(タイニィアリス/die pratze)Vol.14 2003年4月号に掲載された文章に加筆・訂正したものです)

 

2005 『Hap py Birth day』 2005.3.19-21/プロト・シアター
   

DA・Mが、4年ぶりに本拠のプロト・シアターで公演を行った。・・・サキ、八重樫聖、脇川海里の3俳優が、壁の方に向いて椅子に腰掛け、化粧のようなことをしている。突然、パパ、髪の毛切ってよ!というサキの”大声”が響く・・・と、彼女の中の叫びの衝動が”大声”とともに解き放たれて空間を揺るがす・・・この夜の作品は、ほぼすべて(戯曲などの)再現や反復ではなく、今、その場に発生する衝動についての表現であった。久々で、純粋な即興表現のインパクトを体験してやや興奮気味。DA・Mが築いた方法の確かさに納得。この先、もっと明確な社会性を作品に取り込むとき等に、どう変化していくかーーそこに注目したい。

井上二郎(「CUT IN」Vol.38 2005年5月号)