世界平和の礎 曽我量深
(昭和二十三年十一月『遇光』第十六号 『曽我量深講義集第一巻』
「蓮如教学の根本問題」
世界平和の礎 より)
蓮如上人四百五十回忌にあたっての曽我先生の講義です。
また、編集部注として
本篇は単行本『感応の道理』(昭和27・10 丁子屋刊
「曽我量深選集 第11巻所収」)の原本ともいうべきものである。
としています。蓮如上人五百回御遠忌が勤まります今、当時の曽我先生の
お話を伺いたくてアップします。
世界平和の礎
真宗の第二の再興。蓮如上人は真宗再興の上人である。代々弥陀をたのむと教へられたが、何とたのむといふことは知らなかった。然るに蓮如上人は雑行をすてて弥陀をたのめと明らかに教へられた。これ本願念持の道を明らかにして下さった、これ真宗御再興たる所以と聞書にある。その御再興から今日まで四百五十年、今日は第二の再興を要求されてゐる。茲に新しく御再興の精神を再認識して蓮如上人のお心に報いなければならない。
顧みると、先の蓮如上人の四百回の御遠忌の時は、私は二十四歳の青年であつた。今の大谷大学、当時、真宗大学と申して京都の高倉六条の角にあつた。その御遠忌の時は、恰度私共の『無尽燈』といふ雑誌があつた。これは御遠忌の三、四年前から発刊されてゐたが、御遠忌記念に特別号を発刊した。その雑誌の内容は、巻頭には私共の友人の佐々木月樵がかねて蓮如上人の伝記を研究してゐたのでそれを載せた。それに附随して上人の教学を明らかにする必要あらうと私は蓮如上人の真諦門、次に多田鼎が俗諦門、最後に暁烏が上人時代の僧侶について一文を草して特別号を発刊したことを想ひ出すのである。
(編集部注 『無尽燈』第三巻第四号(明31・4)のこと。
担当は、蓮如上人の伝記(佐々木月樵)、
上人の真諦(富岡量深(旧姓)−選集第1巻所収)、
上人の俗諦(楠龍造、岫徳龍)、
上人の『御文』(多田鼎)、
『御文』に顕たる蓮如時代の僧侶(暁烏敏)となっている。)
その頃は私達も年若く、蓮如上人の真宗再興の御事業といふこと、それを想ひ出すについても真宗第二の再興が迫ってゐるといふことを各自が痛感してゐた。続いてそれから十三年経つと、親鸞聖人の六百五十回忌。蓮如上人の四百回忌は明治三十一年に勤まり、それから十三年経つて宗祖の六百五十回忌が勤まる。その間に我々の仲間は、清沢満之師の指導を仰いで、『精神界』といふ雑誌を出した。そして『歎異抄』を天下に弘めた。『歎異抄』は尊いお聖教であることは真宗の人は知ってゐたが、蓮如上人も言はれる如く、「無宿善の人には許すべからず」といふことになつてゐた。この蓮如上人の正しく筆を染めておいでになる『御文』、或は親鸞の『教行信証』は、宿善無宿善の機に通じてそれらの人は読んでも良いが、『歎異抄』になると宿善開発の人には読ませてもよいが、無宿善の機には見せてはならぬと蓮如上人は注意してゐられる。『歎異抄』は、親鸞聖人の信心の生一本のところを誌してゐる。そこで無宿善の者に容易に許してはならぬ。それは特に、「悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきが故に」、或は「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」と悪人正機の精神を力説してゐる。これはよくよく宿業に悩んで、真実に罪の深きことに悩んで宿善開発して、本願に照らされて始めて『歎異抄』は読まれてよいといふのが蓮如上人の思召であった。それ故『歎異抄』が我々の師匠や友人がこの様な時代には、親鸞聖人の絶対他力の生一本のところを明らかにせねばならぬ。そしてそこに浄土真宗を年若い青年、今まで浄土真宗の家に生れた単なる同行にのみ浄土真宗が行はれてゐたのを一般の青年にも浄土真宗を開放せねばならぬといふさういふところから、清沢先生が東京に浩々洞を開いて、年若き求道者に他力本願の道を開かれた。又一般には『精神界』といふ雑誌を出して、東京の中心で日本全国の志ある人に道を行じて行かうといふことになつた。その時に、親鸞聖人の精神を最も明白に簡潔に説いてあるのは『歎異抄』であるのでそれを弘めた。それより以来、日本の求道者は浄土真宗徒であると否とに拘らず『歎異抄』を知らぬ人はない位、普及した。
斯くて蓮如上人の真宗再興の精神を求め、又同時に将に来らんとする宗祖の六百五十回忌の準備とした。その結果蓮如上人の御遠忌から宗祖上人の御遠忌まで十三年間(今年昭和二十三年から十三年後の昭和三十六年には宗祖の七百回の御遠忌であるが、あの宗祖の六百五十回忌は蓮師の四百回忌から、明治三十一年から十三年後即ち明治四十四年に宗祖の御遠忌が勤まったが)その間に我々の仲間は、宗祖の精神を兎も角一般の人々に了解してもらふといふ仕事をさせてもらつたことを想ふのである。
この蓮如上人の真宗再興といふものは一体その基くところは何処にあるかといふとそれは『歎異抄』の中にある。所謂『歎異抄』とは御承知の如く、親鸞聖人の御弟子で一番最後まで生きた人唯円房といふ方が、聖人の滅後にだんだん聖人の教が乱れて様々の異義が起って来た。それによつて『歎異抄』には初めの半分には聖人の物語、直々聖人より聞いて耳の底に残る物語十ヶ条を述べ、それについて異義の八ヶ条を述べ、その異義について聖人の精神に異ってゐることを明らかにし、最後の十九条に於て「右条々はみなもて信心の異るより、ことおこりさふらふか」と言ひ、聖人の仰せでない種々の異義の起って来た所以は信心の異るより起るといふことを述べて、信心の異ることによつて折角浄土真宗に縁を結びながら報土に往生せずして辺地に留ることは悲しいことである、何とか幸ひに如来の御計ひによつて「信心異ることなからんために、なくなく筆をそめてこれをしるす」とて『歎異抄』一部を書き誌すものである。
唯円房がかくて『歎異抄』を書いたその心が純粋の意味で再興の精神であると深く感じてゐるものである。私は今から六年前昭和十七年の夏は本山の安居の本講をつとめる命をうけて『歎異抄』を講義することになつた。『歎異抄』の講義をさして戴いたが今尚其の時の自分の心持は忘れることが出来ない。
蓮如上人以来久しい間年代は経って、特に徳川幕府二百五十年その間に真宗は盛んになつた様であるが、或る一部の同行の間にだけ真宗のお法が限られてしまつた。それは徳川時代はそれでとにかく形だけは整うて来たのであるけれども、明治維新以後になると仏法といふものはたヾ私生活だけ止まってしまった。公の生活には仏法はなくなってしまつた。御門徒の家の中には仏法はあるが、一度家を出て、所謂公の社会に出るとそこには仏法はない。町を歩いても汽車に乗っても仏法はない。仏法は寺にある。各自の寺にある。唯私の家庭生活に仏法は命脈を繋いでゐるが、一般の学問思想界、公の政治に仏法はない。公の世界では全く無宗教の生活、唯物主義の生活をしてゐる。強ひて云へば、神道があるがきはめて外面的なものでなんら深い人間の精神には関係のない力のないものである。唯明治以来学校教育は宗教と関係のないところの教育勅語が発布されてから一種の国体信仰が教育の方針となつて来てゐるが、高い宗教といふものから見ればほとんど無宗教と云つてよい状態である。
かくて我々日本人は無宗教の世界、無宗教の政治社会の中に住んで明治四十五年大正十五年、すでに昭和に入って恐ろしい戦争にぶつかつた、あゝいふ戦争をしてもそれを良い戦争であるか悪い戦争であるか批判力がない。唯お国のため漠然として東洋平和のためといふ名義の下に幾百万の人が命を捧げた。そして戦争はみじめな敗戦を以て幕を閉ぢた。此の戦争は誰か或る特種な指導者があつて指導されたのだとさういへばさういふことになると思ふけれど、結局各自々々の責任である。戦争を正しく批判する眼を失ってゐた、さういふ風に教育されてゐたと云へばそれまでであるが、結局こんな状態になつたのは各自々々の自覚の不足に帰着する。
(編集部注 令息信雄氏に戦争中の先生のことをお訊ねしてみた。(昭52・6・20)以下は氏の談話である。
父は「この戦争は勝目はない、しかし、負けないと言うんだから――、死ねと言うんだろう、一億玉砕せよと言うのだから、已むを得ない、真向切って反対は出来ない、しかし、この戦争は絶対に勝つことはない」
と言っていました。父は早くから、特にガダルカナル戦の頃から、この戦争は勝目はないと母にも洩らしていました。悲憤慷慨するようなことは絶対になかったですね。終戦の時は、ホッっとした様子でした。戦いが終ったという安堵感でしょうか。当然来るべきものが来た、平和が来た、と平和を噛みしめていました。
なお、選集第四巻月報の「編輯室より」を参照せられたい。)
我々は立派な宗教を祖先から残されてゐる。ことに浄土真宗南無阿弥陀仏の本願の宗教、他力本願の宗教は世界のあらゆる宗教の精華と云ふべきもので本願の宗教こそ重誓名声聞十方と誓はれて居るお法である。阿弥陀如来の本願に於て南無阿弥陀仏といふ象徴がある。南無阿弥陀仏は仏の本願成就の象徴である。他の仏様には色々な沢山の御本願が説いてあるが、それらの仏様には本願があつても本願の象徴がない、だから本願成就しない。それらの仏が仏になつたと書いてあるがどうして仏になつたか分らぬ。仏になつたから仏にしておくだけで、それらの方々が仏になつたといふことは、阿弥陀如来の本願に依ってなつたと云はねばならぬ。何故ならば他の仏には南無阿弥陀仏といふ象徴がない、証拠がない、それらの仏達はただ銘々に仏だと勝手に独善的に仏になつたと思っておいでになる。仏におなりになつたといふことになるには南無阿弥陀仏といふ象徴、南無阿弥陀仏といふ大行がなければならぬ。それに依って諸仏が仏にならせられた。諸仏は第十七願といふ「我名を称せずんば正覚を取らじ」に依って諸仏たるを得る。十七願なくば諸仏はないものである。衆生は十八願で仏になるが、十七願では諸仏が仏になるのである。「設ひ我仏を得んに十方世界の無量の諸仏、悉くシ(次+口)嗟して我名を称せずんば正覚を取らじ」とは阿弥陀如来の本願のまことなることを証明すると云ふのであるが、観点を変へると諸仏は阿弥陀如来の名を称へることによつて、十七願によつて諸仏は成仏すると見るべきであらう。衆生往生は十八願、諸仏の往生は十七願によって往生するかういふ風に解釈することが出来なからうか。「十方三世ノ無量慧 オナジク一如ニ乗ジテゾ 二智円満道平等 摂化随縁不思議ナリ」、無量慧とは仏、十方三世の仏達はおなじく一如に乗ず。一如とは弥陀の御本願、いま四十八願の上について深く深く求めて行けば第十八願であらうが、いまこれを行といふ方面から見ると第十七願である。阿弥陀仏の一如の本願に乗じて二智円満し、二智とは方便と真実、空と有、自利の智慧と利他の智慧、自覚と覚他の二つの智慧。
(以下 作成中)