■勘仲記とは
藤原(広橋)兼仲(1244〜1308)の日記。日記名は勘解由小路中納言兼仲の称に由来する。別名『兼仲卿記』。国立歴史民俗博物館に自筆本84巻が所蔵されているほか、若干の断簡や逸文が伝わっている。日野流の広橋家は文筆の家として朝廷に仕え、兼仲の父経光の『民経記』など、代々日記を残した。
本記は将軍惟康親王の京都送還と久明親王の将軍宣下・関東下向など鎌倉幕府と朝廷との関係、持明院・大覚寺両統迭立、鎌倉後期の公家訴訟制度の実態と整備、摂関家の家政、畿内寺社や在地の動向、詩文・神楽、仏教説話的な言説等々、政治・経済・宗教・文化・芸能、さらに宮廷儀式と多方面にわたる13世紀後半の一級史料である。
とりわけ二度の蒙古襲来とその前後の京都の状況を知る重要な記事を多く含み、朝廷・寺社がこの事態にいかに対処したかを看取できる。
■藤原兼仲
父は経光、母は藤原親実の女。正嘉2年(1257)14歳で叙爵し、治部少輔や摂関家の政所別当などを勤めた。兄兼頼が弘安3年(1280)死去した後、家を継いで41歳で蔵人となり、弁官や亀山上皇の院司にもなった。正応5年(1292)に蔵人頭から参議となって公卿に列し、永仁元年(1293)には権中納言となったが、翌年、これを辞し、延慶元年(1308)65歳で死去した。
八木書店HP http://www.books-yagi.co.jp/pub/PDF版内容見本あり