大川カイロプラクティックセンター 五反田整体院の院長 成木海次郎のひとりごとをつづっています。
| ■ # 66 『 株式会社 人体 』 |
| Date: 2007-04-10 (Tue) |
今日、危うく落雷で死んじゃうところだった院長の成木海次郎でございます。どうも、皆様お久しぶりです。
先日、ある方にビジネスにおいて大切なことはなにかと尋ねてみたところ、
即答で『マメさです』と言われてしまいました。
“マメさ”ねぇ・・・
さあ、心を入れ替えますかね。
さてさて、必ず春になるこの時期になると五反田の駅前には某スポーツジムのスタッフによる驚異的なティッシュ配りが始まる。
ちょっとした春の風物詩と言っても過言ではないのではないか、あのオレンジは。
まあ、ティッシュを配る女性スタッフの素敵な笑顔の表には『ぜひ運動して身体を動かして、健康でスリムなスタイルになりませんか?』的な想いが溢れているのであろうが、ちょっと心の歪んだ私の心には、
『そのビールの呑みすぎでタレ始めたその横っ腹を絞りやがれこのメタボリ君予備軍がっ!!』と罵られているような気がしてならない。
まあ、残念ながらというか、実はもう3年も前からそのジムには週に2,3回、朝出勤前に通っているのだが、毎回行ってもそのジムに来ているメンバーがあまり変わらないのを考えると、新しく入会してもなかなか続かないのかなと思ってしまう。
しかしまあ、よく“基礎代謝を上げてダイエットをしよう!!”的フレーズはスポーツジムの十八番と言ってもいいかもしれないが、しかしこの“基礎代謝”という言葉、なんとなくわかるような気がしているが正確にその意味を捉えている人は少ないのではないか・・・
そこで今回は院長自ら解説しよう、その“基礎代謝”ってやつを。とくに新社会人の諸君、必見です。
いきなり話が飛ぶようで申し訳ないが、まずはあなたの身体を今から株式会社に例えてみる。社長は、そりゃあまあ脳ですよね。脳。
さて、問題は社員はなんに当たるかというと、これがまあ全身くまなく存在している“筋肉”でございます。
腕やら首やら足やらなんやらと大まかに分けてもいくつかの部署に分かれているようなもの。まあ、当然一番大きく、人員の多い部署は太もも部署でしょうね。まさに花形部署、営業部みたいなものですよ。
ちなみにじゃあ骨はなんにあたるかというと、机とかイスとか・・・まあ会社の備品でしょうね。ただの備品です。
さて、社員を雇うには給料を支払わなければなりません。仕事をするしないにかかわらず発生する人件費。そう、人間の身体の“基礎代謝”とは何かと言うと、つまりは筋肉の人件費にあたるのだ。
しかし、そこは会社組織、仕事もしないのに無駄に多くの社員を雇うバカはいません。当然、どの仕事に対しても人件費を一番かけないよう最低限のマンパワーで対応するようにするのです。
ようするに動作に対してなるべく筋肉を使わないようにするということ。
『株式会社 人体』は徹底的な合理主義会社ですよホント。なもんですからあんまり身体を動かさない使わないなどという運動不足状態が続くと、会社で言えば仕事量がへってくるとどうなるか・・・そりゃあもうリストラですよ、お馴染みの。
ただまあ、身体のリストラはホントのリストラのように筋肉の数を減らしていくのはできないからひとつひとつの筋肉のサイズを小さくしていくのです。
身体のリストラ政策により縮んで小さく固く変化していく筋肉達。 サイズが小さくなる分、人件費が安くなる・・・つまり消費カロリーが減っていき、その差額分が貯蓄となっていく。脂肪という名の貯蓄にね。
この辺が基本的な“基礎代謝”の図式になります。これをベースにあれこれ考えると実は身体のいろいろな状態や現象がみえてくるわけで。
たとえば筋トレをして筋肉のサイズを大きくすると、筋肉という社員を抱えておく人件費が余分にかかるので支出分が増えるのだ。
収入という名の食事、つまりエネルギー補給が足りてればいいが、足らなければプールしている貯蓄分を使用せざるおえない。
これがつまり“基礎代謝を上げてダイエット”というものの正体となるのだ。
筋肉は、実はものすんごい人間臭い組織です。鍛えりゃ強くなるし、ぐうたらしてたらすぐだれる。
ちょっとばかり思い出したように運動したからって人間すぐには変われないよ、などとぼやく人がいるのと同じ・・・
付け焼き刃の経営ではダメなのですよ。
おそらく、腰が痛いやら肩が辛いやらを感じている方の多くは会社勤めの方がが多いと思いますが・・・
ちなみにその身体の経営、うまくいっていますか?
もし社員に不満があれば、痛みという名の不満を述べてきますよ、筋肉は。
その時、問題なのはやる気のない社員ですか?それともやる気にさせれない経営をしているあなたに問題があるのですか?
会社や上司や職場環境に不満を言っているそのあなたのその気持ちは、以外にも自分の筋肉と同じ気持ちかもしれませんよ・・・
| ■ # 65 『 ヨガ・デトックス・クッキング 』 |
| Date: 2007-03-19 (Mon) |
さて、今回は恒例の長々駄文はほっといて、お知らせでございます。
先日、土曜日の夜、患者さん皆さん帰られて、さてこれから片付けようかとしていた時にふいに治療院のドアが開いた。
するとそこには以前来院されていたご夫婦が懐かしい姿をみせてくれた。
一目で元気いっぱいなのはすぐ見てとれた。そうすると、今回はなんと五反田当院の近くで本格的なヨガ教室を始めたとのことだった。
まあ正確に言いますと、以前からもそのヨガ教室は行っていたのだが、今までは週末の土曜日が中心であったのが、この度平日もヨガ教室を開催することになったのだ。 とにかく詳しいことは実際にサイトをご覧下さい。
『YOGA WITH SYTZE』
ここは、ご夫婦お二人で、しかも自宅(ちなみに広いですよー)で行うものですのですごくアットホームな雰囲気で行えますので、特に初心者の方もすんなりその空気に入り込めるはずですよ。
また、ここではヨガに限らず、奥様の料理教室もあるということ。運動と美味しいもの、これは最強のタッグです。
私自身も太鼓判を押して紹介できます、このヨガ・セラピー。興味のある方はぜひサイトから直接お問い合わせ下さい。
運動は、健康への近道です。ぜひぜひ、はじめの一歩を踏み出してみてください。
| ■ # 64 『 腐ったミカンの方程式の方程式 』 |
| Date: 2007-03-16 (Fri) |
先日、大学時代に所属していた合氣道部の稽古に参加した翌日、信じられないほどの筋肉痛に襲われ最新型のHONDAのアシモばりの動作をしておりました。
どうもこんにちは、五反田整体院の院長、成木海次郎です。
このコラムもついに4年目に突入しようとしております・・・が執筆ペースは相変わらず。常にマイペースでいきたいと思います。
さて、今回はおなかの中の話。無論、腹の探り合いの話ではない。しかしながら、自分で振っておいてなんなんだが、“腹の探り合い”という言葉が昔からあるように、腹の中というものは本来目に見えぬもののはずであった。
ところがどっこい、今のこの有り難迷惑な便利な時代になるとレントゲンやらMRIやら超音波やらとまあ、ありとあらゆる方法で視ることが可能になってしまった。
だが、視えるようになったからといって解るようになったかといえば、それはそうとは思えない。実際のところ、今現在この五反田整体院に来院される方に非常に増えているのが 内臓疾患を併発している方だ。とくに目立つのは女性の下腹部部分の内臓器の疾患だ。
もちろんそういった方々は当院にその内臓疾患の改善を目的に来院しているわけではないし、
無論、我々の方もその疾患に対して医療行為などはたらけるわけがない。
ただ気になるのが、やはり冒頭にも述べたが、視えるのと理解するのは全くの別問題。
つまり、病名や今現在の内臓の状態といった“結果的”な部分しか把握できてないのだ。
そこで今回は小学生でも理解できる“内臓とは?”について書いていきたい。
まず、“人間のおなかの中にはいったいいくつ臓器があるかな?”的なマニュアル先生の様な質問はしません。そんなことはこの際どうでもいいのです。
それよりもまず皆さんミカンを想像してください。ミカンですミカン。柑橘系のあの冬にコタツで食べるミカンですよ。
それが袋の中に入っているのを想像してください。もちろん基本的にはその袋は開く事はできません。
そしてその袋の中にはびっしりとミカンが入っています。
あ・・・、そうそうミカンと言いましたけど、よく考えたらミカンだけじゃなくいろんなサイズの柑桔系果物が入っています。ポンカンだの土佐文旦だのオレンジなど大小様々入っています。 入っているといっても最初からぶつかり合って入っているわけではありません。上から木の枝に吊されているような状態で、かつ絶妙にミカン同士ギリギリぶつかり合わない状態で吊されています、それが袋に覆われているのです。
もうお解りですよね、これが基本的な内臓の状態です。
もちろん果物ですから栄養がないと腐ってしまいます。ですからきちんと木の枝についたままなのです。そこから栄養を補給します。
しかし、ある時、誰かがそのたくさんのミカンが入っているその袋の上に重たいものを置いたらどうなるか・・・?
ミカン同士はどうしてもぶつかり合います。袋の中に入っているので逃げられません。そりゃあどうしたって傷むでしょ、ミカン。
最近じゃあ、東急ハンズとかでも『バナナスタンド』なるものが売っていますがあれも正に同じ理屈。
果物、つまり生ものは圧迫にとても弱いものです。
ぶつかっている箇所が徐々に傷んでくるミカン。だがそこは枝についているミカンだけあって、ミカンもなんとか必死に栄養をとりよせ痛んだ部分を修復しようとします。
しかし、袋の重みが徐々に重くなり、その状態が変わらなければいずれミカンも限界を迎えます。
はいこれで腐ったミカンのできあがり。そうなるとあとは、袋を外から切り開いて傷んだ部分になにかしらするか、 あとはもう腐った部分を切り取ってしまうしかないですよね・・・
これはもう桜中学校よろしく『内臓版 腐ったミカンの方程式』の出来上がりです。
内臓もミカンも基本的にはあんまり変わらないのです。圧力をかけられると傷み・腐ります。
ただ問題は内臓の場合、圧力をかけている正体は自分の上半身の重さです。自分で自分の内臓を傷めているのです。 もう一つ付け加えると、上半身の重さですから必ず一番負荷がかかるのは、袋の一番下にあるミカン・・・
とくに女性の方、よく考えてみてください。男性より女性の方がミカンの数は多いですよね?
ですが袋の大きさはそれほど変わらないのですよ。つまり、下腹部部分の女性ならではの臓器に自然に重さが掛かるものなのです。
こう書くと『じゃあやっぱり姿勢が悪いのや猫背が原因なんですね』的な安易な解釈で終わってしまいがちになりますが、 そうではなくて、動いてないからダメなんですよ。止まった状態で考えては変わらないのです。 動かして、栄養を送り込んであげればミカンは傷みません。仮に傷んでも回復します。
自分のおなかの中のミカンを傷めないようにする意識、これが他人任せではない自分の身体と向き合う第一歩なんじゃないですか。
たぶん、聞こえてないでしょうけど内蔵は言ってますよ、
「オレたちは腐ったミカンじゃねぇー!!」
このネタは通じるのか・・・
追記、数年前に段ボール丸々でミカンをいただいたのですが、3ヶ月ぐらいその存在を忘れていたら、カーペットまでカビてました・・・
| ■ # 63 『 ストレスが原因とよく言うけれど・・・ 』 |
| Date: 2007-03-02 (Fri) |
今年の冬は、結局一度も東京では雪が降らずに終わってしまいましたが、ここまでなると暖冬というよりもむしろ“冬なし”と言った方がしっくりくるのではないかと思う今日この頃の院長の成木海次郎です。
さて、気候にも代表されるようにどうも世の中が変である。そのせいもあってか現代の世はもうストレスの宝庫らしい。
まあ冷静に考えればストレスなんてものは今も昔も変わりないハズなのだが・・・
とにかく身体にしてもメンタルにしてもとにかく人間に関わる問題にほとんどと言っていいほどなにかと絡んでいますと言われているこの“ストレス”。
病院などに行ってお医者さんに『ストレスが原因ですね・・・』と言われた経験のある人は多いであろう。むしろ、ストレスと一言も言われないことの方が逆にないのではないかと思われるぐらいだ。
しかし実際問題、『ストレスが原因ですね・・・』と言われたところでわかったようなわからないような・・・なんとなく何かを言われたが何も解決していないのがほとんどだと思う。
気のある異性に『あなたのことは嫌いじゃないけどスキにはなれない・・・』と言われるようなもの。だからどっちやねん!!みたいな気分で終わってしまうもの。
なので、今回のテーマは『 ストレスが原因とよく言うけれど、そもそもなにがどうなるのよ・・・』とおよそ小学生の社会科見学時の質問みたいな感じで進めていきたい。
とはいえ、まずは“そもそもストレスとはなんぞや”という点をしっかりとしておかなければならない。なぜならばもうすでに“ストレス”というコトバに対して皆さん一人一人違う印象イメージを持ってしまっているからだ。
“ストレス”と聞いてマイナスのイメージを抱く人もいればプラスにとる人もいる。それはもう、どういう生活をどんな環境でしてきたかで変わってしまうのでしかたがないが。
なのでまずはこの“ストレス”というコトバの意味の位置づけをあまり人間的に考えるのではなく、共通見解を持つためにも動物的に、
“ストレス”=『身の危険』ということにします。
小難しく言えば、自己の生命の危険を及ぼす要因がある状態。ひらたく言えば“殺られる”時ってことだ。
動物はその『身の危険』を感じるとどう反応するかというと・・・“外部からの攻撃から身を守る”モードが作動する。
具体的にどうするか?もうこれ単純明快『筋肉を縮めて固めて身を守る』のだ。これは何もどこか一箇所の部分ではない。きちんと全身の筋肉を縮めて固くするのだ。 もちろん、その危険が去ってしまえば守る必要性がなくなるので固くする必要がなくなる。ここまでの図式はなんてことない話だが、そこには問題がいくつかある。
まず、その筋肉を固めている行動がエネルギーを使う状態だとということ。疲労する状態だということ。
次に、何をもってして危険と感じるかはなんの一貫性もない、むしろ本体側によってまったく違う。
そして最後が、筋肉に力が入るといっても一律ではないということ。ここは少し補足するがスイッチがオン・オフのような2パターンではなく 危険度合により絶妙に固さ度合も変化するのだ。ちょっと解説してみると、
例えば歩いていて急に車が飛び出してきたり、いきなりナイフを持った輩に刺されそうになるといった、はっきりとしたわかりやすい危険状態であれば筋肉の反応もはっきりする。 だからこそ力が入るのもはっきりと入るからこそ、気付けるのだ、その状態の変化に。しかもその危険な状態から回避したことも気づきやすいので筋肉が縮まなくていいのにも気づきやすい。 よく言う、“ホッと胸をなで下ろす”という表現など正にそれなのだ。
では今度はこれがそれほどたいしたことのない危険だとどうなるのか・・・一応、危険だからこそ縮む力は入る。それこそたいしたことのない力が・・・
この辺は正比例の関係。大きく叫べば大きく響く、正に“やまびこ”がごとし。
この図式を踏まえた上で、さてここからが本題だが(前置き長いね〜・・・)この危険に反応し縮んだ筋肉がどう身体に影響するか?
これズバリ、“血液循環”を邪魔してしまうのだ。もちろんそれは本来、出血を最小限に防ぐという機能なのだが。
人間の身体は、なんだかんだ科学が発達しようが時代が変わろうが、血液循環しかないのだ。これはキッパリと言い切ってもいい。
どういう状況・状態であれ、血液循環がうまく機能せず、邪魔されている状態であれば問題が起こる。つまりは快復が遅くなるということだ。
『ストレスが原因ですね・・・』とあるが、ストレスが影響しているのは筋肉にだけ。それだけのこと。
その後で、その筋肉が血液循環を邪魔している。これまたそれだけのこと。
またそのあとで、血液循環がよくないからトラブルがおきる。ただそれだけのこと、です。
本当にただそれだけのことなのですよ、人間の身体というものはね・・・
| ■ # 62 『 花 』 |
| Date: 2007-02-15 (Thu) |
気がつけばもう2月。コラム更新も節分の豆まきもすっかり忘れてしまいましたが、今はいつ何が起きるかわからない世の中・・・
案外鬼を外に出さずに院内にいてもらい鬼と利害関係の一致を図るほうがよい気がしています大川カイロプラクティックセンター五反田整体院 院長の成木海次郎です。
さて、カイロプラクティックの院内と言っても大半の方があまりイメージが沸きにくいでしょうが、思っているほど特殊なものでもなく、カーテンがあってベットがポンと置いてある感じである。
でもそれだけじゃあそれこそ“華”がないわけで。
だからこそ院内にはいくつか本物の花をおいているのだが。その中のひとつに2年ほど前に患者さんから差し入れでいただいた鉢植えがある。
正確に言うとサボテンだったのでもらった当初は葉っぱだけしかなく、さながらその一画だけは伊豆のバナナワニ園状態だったのだ。
ところが今年になってそのサボテン風の鉢植えに大量の花が咲き始めたのだ。一昨年も昨年もな〜んにも咲きもしなかったものに今年はなぜか花が咲いたのだ。
どちらかと言えば花が咲く植物だったことがわかったのが一番の驚きであったのだが・・・
しかし、いったい昨年と今年とでは何が違っていたのであろうか?冷静にその理由を考えてみた。
考えてみると以外に簡単に思いつくもので、確実な理由としては昨年4月からこの治療院に配属になった女性スタッフの立澤が、
日々何かと水をあげたり、時には外に出して陽に当てたり、冬の寒い日には暖房の風の当たる場所に移したりとまあ細々と世話を焼いていてくれたのだ。
その前まではスタッフ全員、頂いた方に言われた『サボテンの一種ですから』という台詞を完全に都合のいいように解釈し、
“この院内は砂漠よりは環境がいいだろうからね。甘やかしちゃあイカン”などとおよそ平和な平成の世に似つかわしくない昭和初期を彷彿させるような育て方をしていたのだ。
そんなもんだから定期的に水はほとんどやらず、陽にも当てず、たまに自分が水を飲むついでに悪戯に水を与えたりする始末。冷静に考えれば花なんぞ咲くわけがない。
むしろ枯れなかったことが奇跡と言っても過言ではない。
しかし、サボテンにしてみればまさに神に近い存在であろうゴット立澤の登場によりサボテンは変わった。
まさに環境の変化の影響力恐るべし。しかし不思議なもので、そうやって一人でも水をあげ、陽に当てる作業をしているのを見ているとなんとなく皆サボテンに意識がいく。
何かと目がいくし、時には土が乾ききってないか確認したりするようにまでなるのだ。
そうしているうちに当たり前なのだが毎日みている分、サボテンの状態の微妙な変化がわかるようになってくるのだ。もちろん、いちいち凝視しているわけではないのでハッキリとした感覚ではないのだが“なんとなく”わかってくるのだ。
そして花をつけたのはそんな時だったのだ。そして改めて思い出すのだ、“そうだ、そういえば最近サボテン調子良かったよな・・・”
そしてもうひとつ大事なことを自覚する。乾いていたのはサボテンの土なんかじゃなく、水をあげる気持ちの薄れていた人間のココロの乾きの方だったのだ。
2月半ばを迎えた今も、サボテンの花は咲き続けている。今となってはスタッフみんなで仕事の合間、そのサボテンの花を見つつ世話をしている毎日だ。
そんな時、ふと思うのは、このサボテンこそがこの場所にいる人間の精神状態バロメーターなんじゃないかなぁということ。
そもそも本来、植物は基本ほっておいても花は咲くのだ。野に咲く花を見ればよくわかる。
咲かないのはその場の環境次第なのかもしれない・・・
となると、来年も咲かせるようにしていかねばなるまい。自分の気持ちを乾かさないようにしてね。
| ■ # 61 『 借金と労働 』 |
| Date: 2007-01-12 (Fri) |
新しい年を迎え、お正月気分もすっかり抜けた今日、
生まれて初めて大晦日のNHKの紅白で世間を騒がせた“DJ OZMA”と“綾小路翔”が同一人物であることが周知の事実であることを知り 本当にショックを隠しきれない院長の成木海次郎でございます。
皆様、改めましてあけましておめでとうございます。
さて、昔から“一年の計は元旦にあり”などと申しまして何かと年が変わり気持ちも新たに、新しいことにチャレンジし始めようとしている方は多いのではないかと思う。
特にテレビや雑誌などでも“身体を鍛える”や“ダイエット特集”など身体絡みの話題がてんこ盛り状態だ。
身体を動かすことは大いにけっこうなこと。皆さんにもぜひぜひ積極的に行っていただきたいのだが
そこでひとつその前に、大切なことを知っておいてからジム通いでもヨガでも始めていただきたいと思い今回のコラムはスタート。
そもそも、大抵年始に一念発起して運動を始めようと決意する方は、
大抵今回が初めてではなく過去にも何度か失敗挫折した経験がある方が多いと思う。
なぜダメだったのか? ほとんどの人が運動のスタイルや種類などに原因があると感じているのではないだろうか?
だからこそまた新たなスタイルを求めてしまい 次こそは次こそは、と模索し迷い深みにはまってしまう。
では繰り返さないために必要なものはなんなのか?
その為にちょっとだけ運動というものの捉え方を変えてみていただきたい。
相変わらず私は“例え話”が好きなので、何かに例えて話をすると・・・まずは“運動”を“労働”だと捉えてみていただきたい。
“労働”とは基本的に金銭、まあゼニを稼ぎ手に入れるために行うものである。
では“運動”を“労働”とした場合に“お金”にあたるものは何か?
それは“体力”である。この“体力”はもちろんお金なので“貯金”ができるのだ。体力の貯金とでも言うべきか。
なのである程度“貯金”がある人は多少働かなくても、つまりは“特別運動などしない”状況でもすぐには困らない。
よくある例としては、学生時代はがむしゃらに運動部などでガンガン運動、つまり“体力の貯金”をしていた人が入社3〜4年は特に何もせずとも身体にトラブルがない、みたいな状況だ。
だが、ものの例えとはけして良い事ばかりではない。それは悪い事にも例えられる。
過去の貯金に甘んじ、働くことをしないでいると必ず貯金は底をつく。
体力という貯金が無くなり、今度は逆に“借金”ができてしまう・・・
つまり逆に今度は“疲れ”や“疲労”にあたるものこそが、この“借金”にあたるのだ。
これも本当にうまいこと身体のコンディションに例えることができるのだが、借金も一度に巨額に抱えてしまえば誰しも焦り対策を講じるものだが、 それこそ千円・二千円程度の小額の借金ならば痛くも痒くもないし、“その気になればすぐに返せるさ〜・・・”などと危機感を感じることなく過ぎてしまう。 だが人間は良いも悪いもすぐに慣れる生き物。気がつくと借金は嵩み、しかも長らく働くことをしていなかったせいで労働意欲すら失せてしまう。
あれあれ、これはどっかによくある図式だが、もうこれは“運動不足が続いてしまい運動する気持ちそのものが失せてしまっている”のと同じではないか。
つまりは、ずっと運動していなかった人が急に運動をし始めても、当然のようにすぐには身体に変化はみられないのだ。なぜならそれは残念だが借金を抱えている状態だからなのだ。 あまりいい表現ではないが、借金かかえたニートが、一日だけ日雇いのバイトをしたからといってもすぐには全額返済などできないのだ。
大切なのは、地道にコツコツ返済していくこと。“楽して”“手軽”などではたどり着けるものではないのだ。
なので今年から運動しようと決意したあなた。いきなり出鼻を挫くようなことを言いますが、まずは自分の疲労という名の借金がどれくらいあるか、 その確認作業から始めてください。
そして何度も言いますが“楽して返済”は無理です。ありえません。
そうじゃないと、わけのわからん絵画を買わされちゃったりしちゃいますよ、『あなたを助けます』とか言われてね。
自分の身体のご利用は計画的に・・・
| ■ # 60 『 2006年終わりの言葉 』 |
| Date: 2006-12-30 (Sat) |
ある患者さんとの何気ない会話のやりとり。
院長 『1+1はいくつになると思いますか?』
患者さん「そりゃあ当然こたえは2でしょ」
院長 『いやいや実は答えは3でも4でも100でもあるんですよ』
患者さん「なにそれ、ナゾナゾかなんかですか」
院長 『いやいや、普通の人間の返答ですよ。なぜだと思いますか?』
患者さん「意味わかんないな〜、だって1+1の答えはどうしたって“2”でしょ」
院長 『それは間違いないですね。絶対ですよ。』
患者さん「じゃあなぜ答えが“3でも4でも100でもなるのですか?」
『それはね、人間は“ウソ”をつく生き物だからですよ・・・』
さて、記念すべき連載60回目。そして2006年最後のコラムもまた意味不明な文章で始まりました。
どうも、新年お正月に引越し予定の院長の成木海次郎です。
いやいや今年も1年、世の中いろいろなことが起きました。もちろんこの治療院でもいろんな出来事がありました。
でも、なんとなく“明るい話題”の印象よりもどちらかというと“暗い話題”といいますか、不安を煽られるような印象が残る年末の今日このごろですが。
実際、あまり年が明ける感じがピンとこない方も多いのではないだろうか。気候天候の影響も無いとは言えまい。
その中で我々カイロプラクティックも含まれる補完代替医療というジャンル(いわゆる病院で行われる現代医学・主流医学に含まれない医療)の存在がより世の中的に身近になった1年だったと思う。
“補完代替医療”と言われてもいまいちピンとこないかもしれないので例にあげると、カイロプラクティックや整体、鍼灸の有名どころを筆頭に、アロマセラピーやタラソセラピー、ハーブ療法やサプリメント療法、 そして最近増えつつある某テレビ番組よろしくスピリチュアルヒーリングやイメージ療法、各種カウンセリング療法などなど、どちらかと言うと“心のケア”を主に対応するものまで実に幅広く含まれるのだ。
この年末年始に医療系のバラエティー番組(あえてバラエティーと表記しておきますよ)がテレビで多数放送される予定なのだがそれを考えてみてもニーズへのマッチなのか、漠然と皆さん身体に対して不安を感じているような気がしてならない。
病院での医療に限らず、身体をより良くしていく為にさまざまな療法が生み出され、
そしてその療法ごとに独自の理屈・理論が出来上がっていく。
いわゆる“ルール”が出来上がっていく。
しかし、その“ルール”というものはもちろん各療法ごとにあっていいと思うし、むしろなければならないのかもしれない。
そうでなければ患者さんに対して説明も出来なければ対応も出来なくなる。
ただ、最近私がその流れに不安というか危機感を感じていることがある。なにか大事なことを忘れているような気がしてならない。
単純な話だが“ルール”は何も療法側、施術する側にばかりあるわけではない。
患者さん側にも、その人ひとりひとり本人にも“ルール”というものが存在している。
だからいくら“ルール”通りに対応・施術しても、その人の“ルール”を破ってしまってはなんの効果も表れないのだ。
そのためには我々、施術を行う側は、きちんと患者さんに対してそのひと本人の“ルール”の確認をしなければならないし、
逆に施術を受ける患者さん側は自分の“ルール”をしっかりと確認しておく必要性があると思う。
この自分の“ルール”を確かめるのは、本もテレビも、ましてやインターネット検索したって確かめようがない。
自分自身の感覚の確認作業だ。
ここで“ルール”と大きく述べたが、今回年末最後で大袈裟なことを言うが、
だいぶ忘れがちだがこの地球にだってその“ルール”というものはある。寝ても起きてても、金持ちでもニートでも、みんなみんなに適応される共通の地球の“ルール”。
それは“重力”の存在だ。
なにもしていなくても誰でも人は下に下に引っ張られるのだ。それが嫌ならがそれに逆らう為の力が必要になる。
それが誰もが持ち合わせている能力、筋力なのだ。
だからこそ“なにもしない”“なにも意識しない”と人は地球に引っ張られる。地球に逆らう意識、要は“上へ上へと伸びてく”意識は絶対不可欠なのだ。 私自身、今年の途中から“患者さんを伸ばす”意識イメージを持って施術を行ってきた。
シンプルに言えば、人の身体の歪みやズレだって上に伸ばせばまっすぐなるものだ。
なんだか頭の悪い子みたいなことを年末最後に言いますが、みなさん来年はぜひ地球に逆らっていきましょう!!
地球の重力に魂を引っ張られてはダメだ。
素直にならなくていいのです、従わず逆らう意識。
それこそが“良いお年を”実現させるための大事な一歩になるはずです。
今年も一年、皆様ありがとうございました。 新年は5日金曜から通常通り再開いたします。
それでは今年の最後はこのコトバで今年の院長コラムを締めくくりたいと思います。
この道をいけばどうなるものか
危ぶむなかれ
危ぶめば道はなし
踏み出せばその一歩が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ
行けばわかるさ
――― 一休宗純(禅僧)
来年もいくぞー!!!
皆さま、良いお年を・・・
院長 成木海次郎
■ # 59 『ひとそれぞれ』
Date: 2006-12-26 (Tue)
どうも、先日ついにノロウイルスにかかったのかと思っていたら、ただの呑みすぎだったことに気付いてある意味落ち込んだ
大川カイロプラクティックセンター院長の成木海次郎です。はい。
さて、そのせいというわけでもないが、師走のこの時期は何かと“忘年会”なるものの存在のせいでいろんなお酒の席にお呼ばれする機会が多くなる。仕事柄、いろんな人に出会っていくのに比例するかのようにその席の数も増えていく。
まあうれしい悲鳴というべきか・・・
するとまあ必ず初対面の方というものにお会いし、必然的にいい大人にもなると
“どんなお仕事をされているのですか?”ってな展開になる。
ようやく“カイロプラクティック”や“整体”という言葉自体が世間に浸透してきたおかげで、ある程度は『五反田でカイロプラクティックの治療院をやっております』のフレーズで事足りるのだが、問題はその先の展開だ。
『カイロプラクティックってどんなことするんですか?』
当たり前と言えば当たり前だが、利用する側にとって一番知りたいのはその部分になる。
実は昨年あたりまで私はお酒の席などでのこの手の展開がなんとも言えず苦手だったのだ。
もちろん自分のしている仕事に誇りは持っているし、後ろ指さされるようなマネなどしちゃいない。
まあ、他人の尻の筋肉に指をさすようなマネはしているわけだが・・・
(こういうこと言うから話がややこしくなるんですよね)
それはおそらく自分の頭の中で勝手に“ひとそれぞれ身体が違うからうまく説明できないなぁ”と思い込んでいたからなんだと思う。
しかしこの一年の経験を経て感じるのは
“ひとそれぞれの身体の違いはあまりないんじゃないか”ということだ。
“ひとそれぞれ身長やら筋肉の質やら全然違うだろう”と皆さん思うであろうがそれはもちろんそうなのだが、もう少しわかりやすく言うと
“ひとそれぞれの骨格や体質などの身体のパーツの違いが、症状やコンディションの差に影響しない”ということなのだ。
でも実際問題、まったくもってひとそれぞれ症状というものは違う。それは事実だ。
ではその差を生み出しているのは何なのか・・・
それがつまり“どういう刺激を受けてきたか”という経験の差というか違いなんだと思う。これは別に運動して筋肉に刺激を受けるというだけの話ではない。
じっとしていて刺激がなかったという刺激もあるし、“以前にこういうことを言われた”や“なんかのテレビでやっていた”などの聴覚や視覚刺激も同じである。
つまりは肩こりで悩む人に対してと、肩こり知らずの人に対してではおのずと肩こりの説明のしかたが変わってくるのだ。そこに一般論はないのだ。
呑み会の途中、携帯電話が鳴り、
『今日の忘年会の場所の○○ってお店どこか教えて?』
と遅れて来る者に聞かれた時になんと答えるか・・・
そう、
『つうか今おまえどこにいるんだよ?』となる。
当たり前だがそうなのだ。今呑んでいるお店の説明をしても仕方がない。問題は今迷っている人が今どこにいるかをきちんと確認して、それから目的地までの案内を説明してあげればいいのだ。 今いる現在地と目的地が両方はっきりすれば人は迷わない。
これはある意味身体の悩みでも同じこと。皆どこかしら迷っているからこそ誰かに何かを聞くわけだが、目的地であるところはだれでもわかっているはずだ。
“今ある痛みがなくなること”や“身体に対する不安がなくなる”などなど、つまりは“健康”になりたいという部分。
だが皆さん何に迷っているかといえば、現在地である今の自分の身体のコンディションなのだ。
ひとそれぞれ本当に違うのは現在地であるスタート地点。それを確認し、目的地に向かうための手助けをする。
カイロプラクティックの治療院はそのための場所であっていいのではないかと思う年末ぎりぎりの今日この頃である・・・
■ # 58 『ムダ話健康法』
Date: 2006-11-21 (TUE)
気がつけば冬間近、息が白くもなってきましたがこれまた ずいぶんと久々の更新となりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
どうもこんにちは、大川カイロプラクティックセンター院長の成木海次郎です。
最近、ストレスを感じる事が多いなぁ・・・などと感じていたら、よくよく考えてみたらこのコラムを書いていなかったからなのだ。
ま、それはウソだが。
さて、今回はその辺の割とタブー扱いされやすいストレスをネタに画期的な最新健康法を皆様に伝授したいと思う。
そもそも先日、とあるテレビを観ていたら、アルピニストの野口健さんがこんな話をしていた。
『単身で雪山などに登り、一人で数日間もすごしているととにかく“独り言”が増えてくるんですよ・・・』
なるほど、それはうなずける。たしかに雪山に限らず、一人で黙々と単純作業なんかをしていると無意識に、と言うか気がつくと何やら言葉・単語が口からでてくるものだ。
学生時代、友人と夜中まで起きている時の2時半ぐらいの状態といえばわかりやすいだろうか。もう完全に言語が脳から口に直輸入状態だ。
続けて野口さんの言うことにゃ、
『人間というものは“インプット”と“アウトプット”が同じでないと成立しないと思う・・・』との事。
この“インプット”と“アウトプット”これだけ言われてもあまりピンとこないかもしれないので解説するが、
要は人間の“脳みそ”とかいう部分はとにかく
“視覚” “嗅覚” “聴覚” “味覚” “触覚”のとりあえず5つのセンサーから常に情報を入手しているのだ。 朝起きて、意識がある状態でいるかぎりその5つのセンサーからは常に情報が入ってくる。これは“人間の機能のルール”です。もう絶対的なもの。
そしてその情報を“名前をつけて保存”して脳の中のホルダーにきちんと保存してくれているのがintelではなく“脳”の機能。
で、野口さんが言っていることというのが、とにかく脳は“入ってきた情報と同じだけの量を放出しないと成立しないのではないのか”ということなのだ。 さて、ではそう考えると、視覚や聴覚などの五感にあたる部分が“インプット”の部分だとして、その逆の“アウトプット”の部分にあたる人間の機能とは何なのだろうか・・・
私はこれが“しゃべる”“話す”など、言い方はともかく
“声を出す”という機能がそれに当たるのではないかと思うのだ。
言ってみればまあ当たり前のことなのだが、誰しも人に悩みを話したり、愚痴を言ったりするとスッキリする、気が晴れるなどの経験はあるはずだ。 その当たり前の行為・行動を単純に分析してみると“アウトプット”による“声を出す”という行為で溜まってしまっていた脳の情報を放出して、脳の機能を安定させているのだ。 これがなされずに、“インプット”を通じて脳に入り込んできた情報やデータが大量に溜まってしまうと、脳が正常な働きができなくなる・・・
すると脳からの指示や判断がスムーズになされなくなる・・・
などなどなんとなく、昨今よくある話の図式が成立してくるような気がしてならない・・・
実際、“日々仕事が忙しい”やら“環境が急激に変わった”などの状況に陥った際、いの一番に削られる時間とは何か・・・
寝る時間?
いやいや・・・
食事する時間? いやいやいや・・・
もっともっと気付かぬうちに無くなっていたものですよ。
それは、ど〜でもいい話を人にする時間。
つまり『ムダ話をする時間』なのですよ。
この『ムダ話』。あるでしょう皆さん、それこそ学生時代や子供の頃、友人や仲間達とそれこそなんの取り留めのない話をし続けた事を。
そして何より、今となってはその時間こそが失われつつある時間となっているはずです。 事実、その『ムダ話をする時間』の豊富にあった時期と、なくなってしまった今現在との自分のコンディションを比べてみてください。どちらがコンディションが良いですか?
今の時代、ほっといても情報が大量に“インプット”を通じて入ってきてしまう時代です。そして当然のようにその入ってきた情報に対して考えたり、喜んだり、悩んだり、傷ついたり、あるわけじゃないですか。
ですからきちんとその分、“アウトプット”を使用して出さなければいけないのです。
それこそ美味しいものを食べたら『うまい』と。
嫌と感じたならば『いやだ』と。
おもしろいと思ったら笑い
そして、かわいい子がいたら声かけちゃう・・・などなど。
基本的にはそうしなければならないのです・・・が、世の中人間社会そうもいかない事の方が多いでしょう。
だからこそです。あえて言いますが、調子が悪い・身体が重い・疲れがとれないとまあ不健康な状態の方が多いでしょう。
運動しろって言われてもその元気が無い・・・いろんな健康法を試したけどお金かかるし続かない・・・
そんなあなたにオススメ!!それがこの『ムダ話健康法』なのです。
やり方はいたって簡単。要は仲の良い友人ととにかくどーでもいい話をしてきてください。 仕事でお悩みなら職場以外の人。家庭の事でお悩みなら家族以外。そして恋人がらみの悩みならそれこそ友達でしょう。 尚、お酒やおいしいスイーツ、又はこの時期鍋などツツきながらこの『ムダ話健康法』を実施すると効果倍増です。
ちなみにルールはいたって簡単、“インプット”以上に“アウトプット”を使用するただそれだけ。難しいことは無しです。
しかし、そう考えるとなるほど私が日頃ストレスをあまり感じない理由がわかった気がする。 それはこれだけ日々『ムダ話』をしてるお陰で、常に“インプット”に対して“アウトプット”の量が多いので脳に余裕があるからなのであろう。
ま、そのせいで逆に周りが“インプット”を通じて溜め込んでしまっているかもしれんがね・・・
■ # 57 『 もやし 』
Date: 2006-09-07 (Wed)
けっきょく、自分の為の夏休みのないまま今年の夏が終わってしまった院長の成木海次郎です。
さて、まともや意味不明なタイトル。だからと言ってけして、うちのスタッフの“もやしっ子ちゃん”達の話ではなく、人間の先入観のお話。
先日、私自身も卒業した母校『大川カイロプラクティック専門学院』にてセミナーを行う機会があった。私も随分偉くなったものだと思いつつも、
向上心のある未来のカイロプラクターの方々に色々とアドバイスができればと思い引き受けたのだった。
セミナーの内容自体はともかく、人に何かしらの情報伝達をする上で一番ネックになるのがこれ“先入観”。むしろ一般的に“常識”と言われるものが大きな壁として立ちはだかるのだ。
私自身、昔っから思っていたことだし、特に今回セミナーというものを初体験してより感じたことなのだが、得てして“医療・医学の世界”や“人間の身体”の世界というものは独特の雰囲気がすでに存在している。
実際のところがどうなのかという問題はさておき、『お医者さんは偉い』的イメージや『人間の身体は不思議』風なイメージはどうしても存在している。
ここででてくるのが先ほども出たフレーズであるところの“常識”というものの存在なのだが、そもそもこの“常識”と世間一般で言われているもの自体、はなっからいい加減な可能性が高い。
この“常識”を説明するのに、医学的なものを題材にするとそれこそわけのわからない事になりかねないので、今回はその“常識”にまつわる私のくだらない体験談を披露しよう。
そもそも“常識”なんてぇものは、情報量・経験量の数の多い“大人”が創り出す場合がほとんど。そんな情報量・経験量の無い子供にとってみれば、“親から提供される情報がすべて常識”という図式が成立するのだ。
それが正しいのか正しくないかは関係なくだ。
これが“常識”の恐ろしいところなのだ。
振り返ると我が家では、毎朝出される朝食のレギュラーメンバーのラインナップの中に、『ホットドック』という存在がいた。だいたい月に1度ぐらいのペースで登場していたので割りと馴染みのメニューのひとつであった。
これはさして珍しい事でもないこと、なにも問題はないのだが、本当に問題なのはその中身だ。
読者にも質問だが、『ホットドック』の中身と言えば?と聞かれたら何を思い浮かべるであろうか・・・
コッペパン(これは公用語なのでしょうか?)に、縦の切れ目を入れたところにソーセージを入れる。うんうん、そうそれはそう間違いない。
では、そのソーセージの下に何を敷くのかが問題。
レタス? いやいやいや・・・
キャベツの千切り? 違う違う・・・
“もやしを炒めたやつでしょう”
そうなのですよ。我が家ではなぜか『ホットドック』というものは“パンにソーセージともやしがはさんであるもの”なのだ。
もちろん今ではそれが我が家だけのものであることもよくわかるし、よその家ではそんなものは出てきやしないのも当然だ・・・
が、当時の私にとっての常識・当たり前というのは
“『ホットドック』という食べ物はパンにソーセージともやしがはさんであるもの”ということのみなのだ。他にはなにもない。
ここで問題なのは、提供者である母親からきちんとした『ホットドック』という食べ物の説明がなかった事。
また、あくまで“もやし”が入っているのは我が家だけの特別なことであり、けしてその他の家庭では同様の提供のされかたはしていないという情報がない事。
そして一番の問題というか誤算が以外に『ホットドック』に“もやし”が入っていると美味い、という点だ。
なもんだから我が家では、兄も父親もそろって『ホットドック』にかぶりつくと、ちょろっと“もやし”がはみ出てるなんて光景が日曜の定番みたいなもんだったのだ。
そんなこんなで偏った、誤った常識を抱きつつ、少年もやがて大人になっていくのだが・・・
そんなある日、歴史が動く日が訪れた。
小学校6年生の時の遠足で、クラスみんなで夢の国、東京ディズニーランドに行った時に悲劇は起きた。
遠足とは言えさすがは東京ディズニーランド、小学生が踊らされるのなど赤子の手を捻るが如し。もう夢見心地ですよ。
しかし夢気分もさすがに空腹には耐えられないもの。お昼頃になるとさすがにみなおなかが空いてきた。
しかし、そこは天下の東京ディズニーランド、大抵のものが夢の国価格。横浜の田舎町から来た小学生の財力ではとてもとても手がでない。
すると一緒の行動班の女の子が、「売店みたいなところで“ホットドック”でも買ってきてみんなで食べようよ!!」と提案してきた。
ふむふむ、女子というものは随分と頭が切れる存在だなぁと感心しつつその案に賛成した。さっそく数人の女子が我々男子分もまとめて購入しに行ってくれた。
待つこと数分、女子達が戻ってきて私に『ホットドック』を手渡してくれた、そう“もやし”抜きの『ホットドック』を・・・
一目見るなり私は憤慨した。いくらなんでも、夢の国だからってやっていいことと悪いことがある。まがりなりにも小学生とは言えお金を払っている以上、きちんとしたお客さんなはずだ。
にもかかわらず、よりによって
“もやし”を入れ忘れた『ホットドック』を売りつけるなんて!!!
頭にきた私はみんなに向かって「今から“もやし”をきちんと入れなおしてもらいに文句言いに行くから買った場所まで案内してくれ!!」と言い放ってるときにはもう何人か口にしてしまっていた。
「なにしてんだ!!“もやし”入ってないのに食べるなよ!!」
もう、このあたりからだいぶみんなとの温度差は感じていたのだが・・・
だって寿司頼んでシャリだけきたら怒るでしょ?
ハンバーガーに肉挟まってなければ怒るでしょ?
その時の僕の中の常識は『ホットドック』というものは“パンにソーセージともやしがはさんであるもの”だったのだ。
常識というものは本当に怖いものです。一度それがインプットされてしまうと人間は考えることを放棄してしまうのです。
思考回路が止まっているからこそ安易に信じてしまうのです。
そして知らないということもまたしかり。
あらゆる物事、比較するものがないと駄目なのだ。そして、きちんとまわりの情報も入手する姿勢も大事。
その後、クラス中を大爆笑の渦に巻き込み、我が家の『ホットドック』は伝説となった・・・
そしてその瞬間、常識や思い込みというものの恐ろしさを知った少年はやがて、『物事をまっすぐ見ない大人』へと成長したのであった・・・
■ # 56 『 伝言ゲーム 』
Date: 2006-08-22 (Tue)
さすがに野球にあまり関心のない私でも、今年の甲子園は観ていて盛り上がりましたね。
『熱く、闘う』とはまさしくああいうものを言うのだと改めて思いました院長の成木海次郎です。
先日、いつものように治療院の電話が鳴った。あまり特別な事がない限り私に取り次がれることはないのだが、その電話はあっさりと子機が私の手元にやってきた。
用件を聞いてみると、
『そちらに英語が話せる方はいらっしゃいますか?』
ときたもんだ。これは非常に難しい問題である。
そりゃあ人間、島国で生まれて育ったとはいえ28年ぐらい生きてりゃ異国のコトバのひとつやふたつは話せると言えば話せる。ただ、どうにもこうにもそんな次元の話ではないこともこれまた明確だ。
とは言え、実際なところ、現在も数人の外国の方の患者さんはいらっしゃっているが、こんなところで見栄をはってもしかたがない。
正直に『えーっとですね、できれば通訳的な方が一緒にいらしていただけるのが確実なのですが・・・』
すると向こうも『では、私が同行します』と快諾してくれた。それは何より、大助かりだ。
よく“海外に行くと身振り手振りでけっこういけるよ!!”的な発言を耳にするが、
私は生まれてこのかたこの島国から出たこともなければ、施術が始まれば患者さんはベットにうつ伏せになるわけだから、まさにお手上げ状態。
通訳さんがいて困る事はなにひとつないのだ。
そうこうしている間に予約の時間がきた。来た、と思ったらもうそりゃあもう見た瞬間からすぐにわかる腰痛状態。国は違えど腰が痛いときの様子は全世界共通。そこに国境はない。
しかし、これはなかなかやっかいな状況だ。いわゆる急性腰痛、みなさんが思い浮かべるところの“ぎっくり腰”だ。
“ぎっくり腰”に限らず腰痛の場合、必ずいくつか問診にてきちんと確認しなければいけないことがある。そういくつもあるわけではないので皆さんも腰痛の際には参考にしてほしいですが、
@まずは、事故や怪我の有無。
これはもう当然といえば当然。外傷です。
ちなみに補足しておきますが過去に一度でもありますか?という意味ではない。ほんと今さっき高所から転落したとか車で追突されたとかいうレベル。外傷によるパーツの損傷、これは我々カイロプラクティックには手の出しようがないですし、普通そういう人は病院いきますよね・・・
A腰痛発症年齢が55歳以上で、それまでに腰痛経験が一度もない悪性腫瘍の病歴のある方かどうかの確認、です。長いですね。
これもきちんと補足しておきますが、悪性腫瘍とかわけわかんない言葉が出てきたぞ、と思うでしょうが実はこれ“背骨の癌”、『脊髄腫瘍』かどうかの判断なのです。
もちろんそもそもその確率は非常に少ないです。そして脊髄腫瘍はほとんどが転移によるものなので、過去に悪性腫瘍の病歴の無いかたならなにひとつ問題ないです。
B腰の痛みに強弱があるかないか、ということ。腰の痛みが楽になる姿勢などなく、動作や時間帯に関係なく
(朝寝起きが痛いとか、靴下を履くときが痛い)痛みが一定である場合はきちんとした医療機関にて内臓疾患の検査の必要があります。
大まかに言えば上記のものに該当しない腰痛であるならば危険なものではないという判断ができるのです。
なのでさっそく通訳の方を通して問診を始める。患者さんは男性の方だったが、通訳の方のお陰で、いわゆる危険な可能性のある腰痛ではないことがきちんと確認できた。
これでこちらも安心である。もしこれで通訳の方がいらっしゃらなければ、辞書を引きつつ問診するか、未来デパートに行って“翻訳こんにゃく”を購入するまで待つかのふたつにひとつであった。
戯言はさておき、そうなるともうひとつ施術に入る前にきちんと伝えなければならないことがある。
おそらくこれが腰痛治療の上で一番重要になってくるのだが、それは
『基本的に“安静にしてはいけない”』
ということなのだ。
言い方を補足するならば、痛みがひどすぎて身動きひとつとれない状況以外では、安静にせず、通常の日常生活を継続することが大切です、と説明することなのだ。
だからってなにも無理矢理動かせと言っているわけではない。あくまで目標は、がんばって日常生活を継続することなのだ。ここで一番大切なのは腰痛に対する恐怖感を下げることだ。
腰が痛い真っ最中の人は、“なぜ腰が痛いのかよくわからないから怖いので、よけい痛い”のだ。
そんなもの、じっとしてたって変わるもんじゃあないし、日常生活して壊れるほど人間の身体は弱くなどない。
なので、施術に入る前に通訳さんに『基本的に危険な腰痛ではなく、筋肉疲労的なタイプの腰痛ですので2〜3日で少なくとも今の痛みのレベルは下がっていきます。
ですので、その間は基本的に“安静にはしない”ようにしてください、と伝えてもらえますか?』
すると、今までは普通に通訳してくれていたのに、『えぇっ?こんなに痛がっているのに“安静にしなくて平気なんですか?”』と訳すどころか逆に私に意見をしてきた。
ちょっと、ちょっとちょっと。
あなたの役目は通訳でしょ?なんで持論を展開しちゃってるの?と思ったがそう思うのも無理もない。
通訳さん自身、腰痛の経験がないらしいし、どうしても人間は痛い部分をかばい、守ろうとしてしまうもの。自己防衛本能とはすごいものだ。
これはまず、通訳さんの方からきちんとした説明をしなければならない。ここが言葉の伝達の怖く難しいところだ。
もしこれで、通訳さんに対して改めて説明することなく無理やり訳して伝えさせたところで、言葉の意味的な部分は訳され相手の耳に入るかもしれないが、それと同時に“不安”という感情も相手には伝ってしまう。
これ単純な図式。そこでまず通訳の方に、この場合の腰痛に対して安静にすることの必要の無さを話し、動かしていくほうが血液循環を自ら促し、回復を早めることができるのを説明した。
ようやく通訳の方も納得してくれ、きちんと伝えてもらいたいことが患者さんに伝わり事なきを得たのだった・・・
今回の話、これ異国・異言語通しのやりとりだからこそわかりやすい図式になって現れたが、これ別段日本人通しでも同じことが言えるし、ひょっとしたら日本人通しの方がやっかいかもしれない。
伝わらない、と思うからこそ必死に言葉を選び話すものだが、
“日本語なんだからわかるでしょ”ぐらいの気持ちで話してしまったら、別のまったく関係の無いものが伝わっているかもしれないのだ。
そして、わかっちゃいるのだが、またもやこんなにも長々と書いてしまったが、これはこれで中々うまくは伝わらないものなんだよなぁ・・・
■ # 55 『 何をもってして“休み”とするのか・・・? 』
Date: 2006-08-17 (Thu)
ようやくこの街にも人々が帰ってきた・・・
中途半端なオフィス街、五反田。
どうもこんにちは、ここ3日間昼食を食べるところが軒並み休みで困っていた院長の成木海次郎です。
なんだかんだ言ってもまだまだこの国では、8月のお盆の時期に夏休みをとる人は多い。
別に好きでこの時期にとるわけではないのであろうが、お客さんやら関連会社が休むので仕方なしに、という人も少なくないのでは・・・
学生の坊ちゃん嬢ちゃん連中は長々とした夏休み期間なのだろうが、そもそもこの“休み”というもの、
簡単に言えば『学校に通っている人ならば学校に行かない』という状態であり、会社に行って働いている人にしたら『会社にいかない』という状態である。
これは別に普通のこと。なんら議論の余地はないであろう。では今度はもう少し短いサイクルで考えてみよう。一日のサイクルでみても夜寝て休むのも、
『起きている間見たり聞いたりと使っている脳の働きを一度停止して情報の整理に勤めている時間』とかそういう状態であるのだろう“脳を休ませる”ということは。
まあ、さながらパソコンで言えば“ディスクデフラグ”とか“ディスククリーンアップ”みたいなものなのであろう。
ここでちょっと“休み”というものの見方を変えてみると『いつもとは違う状態であるのが“休み”』という捉え方もできる。
なので、このお盆休みに、会社に行かない働かないのはまったくもって“休み”である。間違いない。
だが、ここでその焦点を“身体”においてみてみよう。 仮に、いつもの状況というのが『一日中、イスに座って筋肉を“身体を動かす”という使い方ではなく“身体を固定して支える”という使い方が多い』という状況の人がいるとする。そうすると、その人にとっての“いつもとは違う状況”というものはのんびりと部屋でくつろぐということにはならないはず。きちんと身体に対して“休み”を与えたいのならガンガン動かしてあげなければならないはずだ。
これはもうある意味ルールみたいなもの。
だからと言って、なにも私が言いたいのは
『“休み”の日に運動しなさい!!』なんていう小学生の先生みたいなことが言いたいわけではない。
お盆休み明けの人に伝えておきたいのは、『いつも身体をあまり動かさない人が“休み”中もまたあまり身体を動かさないでいたら、それはいつもと同じように“疲れる”ということですよ・・・』ということ。
これはもうルール。身体のルールです。
佐川急便に勤めていて普段走り回っている人が、“休み”の日も意味無く台車押しながら走っていたらそれはだだのオーバーワーク、疲れます。それと同じ図式。
『なにもしていないのに疲れた・・・』というのを本気で悩み、心配する人が多いですが、それは勘違いです。
もし仮に『身体の取り扱い説明書』があればだいたい1ページ目か2ページ目あたりに書いてあるはずです。
“人間の身体は、動かさないと正常に機能しません”とね。
『なにもしていないのに疲れた』のではなく『何もしていないから疲れた』のですよ・・・
■ # 54 『 ケド戦記 』
Date: 2006-08-08 (Tue)
どうも、梅雨明けして日々異常な暑さに悩まされておりますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?
こんにちは、久しぶり通常執筆の院長の成木海次郎です。
今回のタイトル、もちろん誤字ではありません。意図的です。
そしてこれまたもちろんですが、某映画の批評なんて関係ありません。
私は映画の世界は捨てましたから・・・いや、捨てられたのは私の方ですね・・・
今回は口癖のお話。
先日、スタッフの夏休みの為、休日出勤した時の事。
その日は、当たり前だが普段は私は休みなので私が担当している患者さんも普段は来院しない日。なもんだからいつものような忙しさはない。別のスタッフが患者さんに対応している間、院内で黙っている自分・・・慣れない・・・
それこそ普段は本当に朝から晩まで、患者さんの話を聞き、そしてこちらからも話をしているのだなぁと我ながら関心していた。
そう、そして最近やたらと気にかかる患者さんの口癖を思い出した。
本当に何気ないフレーズなのだがそれは、
『・・・・・しようと思ったんです “けど” 』
とか、
『・・・・・いいなぁとは思うんです “けど” 』
などなど、とにかく皆さん本当に意識してるわけではないのでしょうがこの“けど”がやたらと多い気がするのだ。
そう思い、その日もスタッフと患者さんの会話のやりとりに耳を傾けてみると・・・出るわ出るわのじゃんじゃん横丁ですよ。よく聞けばうちのスタッフも言っている始末・・・
まあもちろん、私自身が意識して聞いてしまっているからこそ“けど”に対するセンサーの感度が上がっているからなのであろう、もう日常だろうがなんだろうがこの“けど”に反応してしまうのだ。
さて、その問題の“けど”だが、一応日本語的には接続助詞『けれども』の簡略版として使用されているのだろうが、日本語的なものはさておき、皆さんが生きていく上でこの“けど”に対する意識を上げるだけで大きく自分を変えられるような気がしてならない。
例えば、よく患者さんでも多いのですが、運動不足や不規則な生活によりお腹のお肉が気になりだしたのでダイエットをしたいと思い立つ。
だが、その割には「夜ご飯を少なくしようと思ってたんです“けど”つい食べちゃいました・・・」とか「休みの日に早起きして運動しようと思ってたんです“けど”起きたらもう昼過ぎだったんですよ・・・」
等のセリフで終わってしまう場合が非常に多い。少なからず私自身も身に覚えのある話だが・・・
じゃあ、この場合効果的なダイエットをする為に必要なのものはなんなのか・・・?
ダイエット本?
はたまた山手線に乗るとやたらと見せ付けられる例のアレとか?
否。
もっと大事なことは
『“けど”の前のフレーズの部分を実行する』ということだ。
それが一番難しいんだよ。と、つっこまれそうですが、それはもちろんわかりますが。要は何が言いたいかといえば、人間、自分を変えるのは以外に簡単だということ。
先ほどの例で言えば、夜ご飯を調整し、休日に今までにはなかった運動をして活動量を増やせば理論上は必ず減るものは減るはずだ。
ただ、そこは人間の身体。始めてすぐに効果などでるはずがない。時間はかかる。そこでまたお得意の“けど”が出てきて「やってみた“けど”効果なかったよ」とか言ってしまいそうだが、厳しいことを言えば効果が出てないのだからやってないのだ。やったつもりになっているだけ。
だが、これとは反対に、成功した人やうまくいっている人も実はこの“けど”をよく使っているのだ。
『平日は毎晩終電まで仕事びっちりだった“けど”日曜にフットサル行ったらすっきりしたよ』
『なんとなく身体だるかったから家にいようかと思った“けど”買い物に出かけたらいい服見つけちゃった・・・』
まったくもって日本語としては同じ使い方。ただその使う意識に差がでている。
とくに腰痛や肩こりなどの我々が日々携わる症状に関してもそうなのだが、症状の改善の目安として私は患者さんの使うこの“けど”に注目する。
改善した人は驚くほどこの“けど”をプラスに使う。逆はまたしかり、長年症状に悩まされている方は“けど”をマイナスな使い方をしてしまっている。
卵が先かヒヨコが先かはわからんが、別段この“けど”を自分で意識して行動するのにお金はかからないし時間もとられるわけではないから皆さんもぜひやってみてもらいたい、この『“けど”意識向上&改革』
いろいろな事がうまくいっていないと感じている人ほど無意識にこの“けど”をマイナスな使い方をしているはず。変え方は簡単、“けど”をプラスに使うのだ。実際に行動を変えるよりも前に“けど”の使い方を変えるだけでいい。
『やろうと思った“けど”忙しくてできなかった』を『忙しかった“けど”がんばってやってみたら・・・』に変えればいいだけ。PC上なら2秒でできたよ。
なんだか今回は説教くさい文になったがそのついでに、最近私が衝撃を受けたダニエル・ホワイトサイドとかいうおっさんの一言引用。
『人生を変えるのに必要な時間は、短くて1秒、長くて3秒。
平均2秒もあれば十分だ』
このおっさん、なかなかするどい事言うなぁ・・・
だそうです皆さん、3秒あればいけるそうです。
ほらここでまた、
『・・・“けど” そんなに人間うまくはいかないよ』とか思わないように。
■ 番外編 『富士山頂で仁王立ち 〜思いつき出発編〜 』
Date: 2006-07-20 (Thu)
基本的には、あまり個人的な内容はこの場では書かないようにしてきたのだが、(といっても別段まともな文章でもないが・・・)
今回はちょっと個人的な体験談を書かせてもらいたい。
どうも、こんにちは。大川カイロプラクティックセンター院長の成木海次郎です。
季節は夏真っ盛り。7月も後半ともなると暑い。(書いている今は涼しいが・・・)
私は毎年夏になると、いつもやろうやろうと思いつつ、結局今の今までやらずにきてしまった事がある。
別段、大それた事ではないのだが。
そう、それは『富士山に登る』ということだ。
富士山自体、患者さんの中でも登山経験のある方はたくさんいるのでいろいろと話には聞いていた。
“きつかったが頂上まで登りきった達成感がたまらない”
とか、
“頂上から見るご来光は正に感動そのもの”
など、まあ経験者の話はつきない。正直、私もこのぐらいの歳になると“人生初体験”的出来事から縁遠くなるし、思いついても実行しない傾向が強まる。
日頃、仕事柄患者さんに対して「変わりましょう」みたいなことを口にする割には自分自身が変わらないのはいかがなものか・・・
ということで、先ごろの7月16・17の貴重な連休を利用して
行って来ましたよその国、富士山。
もちろん独りで。
しかも夜中に・・・
とりあえず、インターネットを駆使して集められるだけの情報を入手。持ち物やら登山ルートやら調べれば出るわ出るは。
とはいえ、実は富士山に近づくのはこれが初めてではない。2年前に思いつきで立ち寄った際、7合目まで駆け上がった経験がある。
ハーフパンツにタンクトップという格好で・・・
その時は突然の雹に降られ、見知らぬ登山家おやじに散々怒られ富士山を後にした苦い経験がある。
今回はさすがにその時とは違い本気で頂上を、てっぺんを狙いにいくわけだから、事前準備は慎重にもなる。
とはいえ所詮は初心者の単独登山。人間、知らないということは恐ろしい。
慎重にといったところで比較する経験的ものが無ければ慎重もへったくれもない。
そもそも未体験の世界に“普通”という概念は存在しない。だが“知らぬが仏”とはよくいったもの。無謀な行動ですら慎重と勘違いしてしまうのだ。
そして当日、とりあえず自分なりには準備万端。まあなんとかなるでしょう、ぐらいの気持ちで自宅を車で出発。
それが7月16日 16時30分
出発後すぐ、アウトドア用品も取り揃える中型のスーパーを発見。なんとなく立ち寄ってみることにした。
さすがに夏シーズン真っ盛り。アウトドア用品が豊富に取り揃えてある。
しかもご丁寧に“登山グッツコーナー”まで。そこで目にした“ヘッドライト”と“ザックカバー(リュックが雨に濡れないようにするカバー)”が目に入り、なんとなく購入した。
そしてこれが、のちほど命運をわける結果になるとは思いもしない・・・
そして東名高速にのり御殿場インターへ。この時期は富士山もシーズン真っ盛りなのでマイカー規制がかかっているらしく、登山道少し手前の無料駐車場に車を停め、そこから指定のシャトルバスに乗り換えなければならない。
つまりそれだけこの時期、富士山の頂上を目指す人が多いということ。単身乗り込んだところで必ず誰かがいるはず。
安心なはずだ。
そして、水ヶ塚駐車場というところに到着。18時00分
そこには雲に覆われた日本一の姿があった・・・
めちゃ寒っ!!
つづく。
■ 番外編 『富士山頂で仁王立ち 〜頂上アタック編〜 』
Date: 2006-07-21 (Fri)
冷たい空気の中、静まり返る駐車場・・・
とはいえ車の数はさすがに少なくない。皆、いわいる“それらしい格好”をしている。
上下カッパにテレビなどでよく見かける杖を持った人がゴロゴロいる。
この時点でも半袖では肌寒い。さすが富士山。さて、今回私が無計画に計画したのは『富士吉田口』というルート。数ある登山道の中でもっとも最短距離で上がれるというもの。
富士登山最大の醍醐味である“ご来光”が始まるのが翌早朝4:30予定。
なので夜に登り始め、休み休み登りながら頂上に4:30に着く計画を立てていた。
まだ少し時間が早かったので、持参した食事をしつつ装備の再確認。さすがにこのあたりは抜かりは無い。つうかこの時点で抜かりがあれば即、死が待っている。
そして今回プチ企画として、各種スポーツドリンク飲み比べ選手権も行うことにしていた。さすがに持ちすぎは重くなりすぎるので、エントリー選手はこの3名。
エントリーNO.1 これぞ定番、ポカリスエット。
エントリーNO.2 そして永遠のライバル、アクエリアス。
エントリーNO.3 最後は佐藤琢磨がんばれ。ルーキー、スーパーH2O
以上の3種。
これを極限状態で飲み比べて、その効果度合いを確かめれば患者さんにナンバーワン・スポーツドリンクが薦められることができるなぁ、などと変な仕事意識をもちだしていた。
さて、この駐車場から実際の登山口まではバスに乗り換えて40分。いくらなんでも時間が早いのだがとにかく独りな分、早々に飽きてしまい、少し早いがバスに乗ることにした。
この時点で19時30分
さっそくバスに乗り込むと、しーんとした空気・・・というよりもむしろ誰もいない。
あれれ、出発までまだ時間があるからなのかな?と思いつつ、一番後部座席に陣取り待機。そこからよーく窓の外をみると、
気がつけばその駐車場にいる登山客はもうすでに富士登山を終了して帰り支度をする人がほとんどだったのだ。
大量の不安感を抱きつつも、独りの登山客を乗せたバスは定刻通り出発した。
20時00分 富士宮登山口着。
さすがにそこには他の登山客もいた。そして天候はといえば・・・少々風が強い程度で快晴。星まで見れる。
『これはご来光が期待できそうだ・・・』
とはいえいきなり登るわけにはいかない。あらゆる情報サイトにも載っていたのだが、
“5合目付近で必ず1時間ほど高地に身体を慣らす必要がある”
という注意事項。
高山病対策らしいのだが、さすがにこれはきちんと守る必要性があるだろう。なんたって人間の身体は“環境の変化”に一番弱い。それは仕事柄重々承知している。
がんばって耐えに耐え、21時30分、いよいよ『富士山頂で仁王立ちツアー』のスタートである。
6合目、7合目までは驚くほど順調な滑り出しだった。時間も余裕がありすぎるぐらいなのでゆっくりと上がる。
日頃、バタバタ忙しく生活しているせいか、こんなにもゆっくり自分自身と向き合える時間はないのではないかと感じるほどだ。
仕事の事、将来のこと、自分のこと・・・
この時間があっただけでもこの富士登山は来て良かったのではないかと思えた・・・
8合目までは・・・。
富士山8合目、あたりの様子は一変した。
とにかく何がすごいかって風がすごいのですよ。
どうりでこりゃあ毎年人が死ぬ訳だ、と納得してしまう。
正直、立ってなどいられない。気合を入れて足を前に出さないと出やしない。目もまともに開けてられないからなおさらたちが悪い。
休憩の時も山小屋の壁に張り付いて風を避けていないと急激に体力が奪われるのが手に取るようにわかる。
もうスポーツドリンクなんてどうでもいい。なに飲んだって同じ。この状況は変わりゃしないのだ。
しかし、ここが素人単独登山の怖いところ。こんな状況でも
『あぁ、富士山ってこういうものなんだなぁ・・・』
とその時は思ってしまっていた。
おそらく、すでに軽い高山病にかかっていたのであろう。ほとんどの登山客が引き返す中、
『たぶん、頂上は晴れてるんじゃないかなぁ・・・』と、まったくもって根拠のない自信で頂上アタックを決意。もう判断力壊れすぎ、あたま悪すぎです。
そしてついに、わけのわからん屈強な外国人メンバー4人組みについて行くような形で頂上を目指した。
超強風と霧と雨の中・・・
つづく。
■ 番外編 『富士山頂で仁王立ち 〜完結編〜 』
Date: 2006-07-25 (Tue)
はっきり言って、この8合目から頂上までの間の記憶はほとんどない。極限の疲労と空気の薄さで脳が正常には機能していなかったのがひとつ。
もうひとつは、景色がまったく変わらないからなのだ。
とにかく、山頂から吹き降りる超強風と霧で何も見えない状態。そんな状態がどのくらい続いたのだろうか、おそらく実時間的には2時間程度なのだが、体感時間では2日間ぐらい歩いた気がする。
すると、それまでゆっくりとはいえ進み続けていた先頭の外国人軍団の足が止まった。
はっ、として辺りを見回すと序々に辺りは明るくなっていた。日の出が近いのか、あたりの景色がはっきりしてくると同時に、自分の置かれている状況がリアルに現実感を帯びてきた・・・
ふと上を見上げると、上にもう道はない。
『頂上だっ!!・・・』
しかし、肝心の先頭外国人集団野郎は一向に進みゃあしない。
『ふざけんな!!ここまできて頂上直前で感慨にふけってるんじゃねえよ!!』
と、思ってみたらちょっと様子が違っていた・・・
上がれないのだ、風が強すぎて・・・
信じられなかったが、よくよく考えればこの風は山のてっぺんから下に吹き降りるもの。つまり、この頂上の最後の一歩というのは言わば風の吹き出し口なのだ。
屈強そうな外国人ですら、その最後の一歩を踏み上がるのに一人3分ぐらいかかったのだからその風の強さが想像していただけるであろう。
そして数分後、私も着いた。ついに頂上に、日本一の場所に着いたのだ。
そう、日本一危険な所にね・・・
もちろん、ご来光どころか3m先すら見えず、はたしてここが富士山頂なのかすら疑わしいほどだった。
とにかく霧の中から人が現れ、また霧の中に消えていく・・・その繰り返し。
そして今回、一連の道中で一番印象に残っているシーンは、その頂上で記念撮影をしようとデジカメを構えていた人のカメラが、
“強風で霧の中に吹き飛ばされていたシーンですかね・・・”
もう、ほんとびっくり。
とにかく、気を抜いたら死ぬ。それだけはまず間違いない。なのでもうろうとする意識の中、なんとか冷静に状況判断を試みてみる。
すると、よくみると霧の中に建物がひとつ。その場にいるほとんどの人間がその建物の壁に張り付き風から身を守っている。
どうやらこの建物、頂上にある売店らしい。今にも風で吹っ飛びそうなこのほったて小屋がそこにいる登山者全員のライフラインなのだ。
数分後、そのほったて小屋に明かりが灯る。ガタガタとドアが開けられると同時に全員がなだれ込む、もう登山者ではなくて“難民”です。
中に入ると、長机に丸イスが無造作に並んでいる、吊るされた裸電球がリアルすぎだ。
室内の奥には、店員らしき一団がいた。しかしどう見ても店員などという甘い存在ではないのは一目でわかった。
読者にもわかりやすい表現で言うとね・・・
“山賊”です。
どこをどうみても山賊にしか見えない一団。そしてなだれ込む難民達に開口一番こう言い放った、
「持参した携帯コンロ等の使用は厳禁ね!!一人でもいたら“全員外に追い出すからねっ!!!」
『ありえねぇっ・・・あいつら鬼や!!』
まあ、語弊の無い様に一応補足しておきますが、山小屋の人の対応ってのはこれ常識らしいですね。彼らも命がけでこの場にいるわけで、接客精神など無くて当然なのでしょう。
が、そんなもんその時は判断できませんけどね・・・
突然話が変わって申し訳ないが今、巷では『日本沈没』なる映画が上映されているらしいですが、
あんなもん観にいくぐらいなら悪天候の富士山頂に来たほうがいいですよ。
“リアル・日本沈没状態”ですから・・・
気を落ち着かせ、もう一度その建物内を見て回る。とにかく雨風を防げる室内は外に比べれば天国だ。
そして売店だけに、当たり前だが品物が売られている。なんとか一番奥の食堂の配膳場みたいなところまでヨロヨロ歩いてみる。
その道すがらに座り込む人々は本当に洒落にならなそうな人も中にはいた。あらためて登山の怖さを思い知る。そして奥までたどり着いた私の目に飛び込んだ驚きの価格表。
「カップラーメン 800円」
まあね、日本一ですから・・・
ええ、もちろん食べましたよ、カップラーメン。800円だしてね。
悔しいぐらい、美味かった。
不覚にも涙が出てしまいましたよ・・・
果たして、長年夢みていたことの現実がこれなのか・・・と思いつつも、公言通り、富士山頂で仁王立ちしながら改めて決意したのだ。
“もう二度とこねぇ!!”
終わり。
※長々とくだらない文章すみませんでした。
次回以降はもうすこし役に立つ話を書いていきますんで・・・
■ # 53 出口 入口 出入口
Date: 2006-07-10 (Mon)
良い子 悪い子 普通の子 みたいなタイトルですが。ちなみに私は“間の悪い子”でしたけどね・・・
どうも、こんにちは院長の成木海次郎です。
今回は私が高校のときの話。今でもお付き合いさせていただいている、当時は顔をみるのも嫌なぐらいきらいだった恩師に言われたエピソードについて。
そもそも、今の私の“物事をまっすぐに見ない聞かない”というスタイルはこの先生の影響といっても過言ではない。まあ、それが今この仕事をする上で非常に役に立っているのだが。
ある日、授業中(数学の時間だったが)ボーっと物想いにふけっていたら突然その先生に、
『おいっ!これはなんだ、答えてみろ!!』と教室のドアを指差しながら言われた。
「は?なんだといわれても・・・ドアですよね・・・」
内心は、またなんだかわけのわからんお説教がはじまったよと思いつつ返答した。するとさらに口調が荒くなり『そういう意味じゃねぇ!もっと別の捕らえ方があるだろっ!!』
なんだいなんだいこのおっさんは、まったく。今は数学の授業中じゃないのかい。とはいえ、このまま返答せずにすむような相手じゃないし、以前にも“この手”のわけのわからん質問を浴びせられた経験から推測して返答した。
「教室のドアじゃなければ“出口”ですか!」
すると先生すかさずニヤッと笑って授業中にもかかわらず、私をその“出口”から廊下に引っ張り出して再び質問した。
『おいっ!じゃあ今度はこれはなんだ、答えてみろ!!』と廊下側から再度教室のドアを指差しながら言われた。
「えぇっ・・・い、“入口”ですか?」
『なんだよ!さっきは“出口”っていったじゃねえか』
何を屁理屈をこねてんだい、まったく。とあきれた所にとどめの一言、
『そういう時はな、“出入口”って言うんだ、覚えとけっ!!ものの名前なんて見る側の立ち位置によって変わるんだからな。中にいる人は“出口”なものでも外にいる人間にとってはそれは“入口”なんだ。同じものでも名前が同じとは限らないんだからな!!』
正直、このやりとり。当時の自分はただお説教をくらって腹をたてていただけだったが・・・。
だが今になると、とくに今私が日々取り組んでいる“人間を相手にする仕事”をするにあたり、この考え方・モノの見方は非常に役立っている。患者さんによって価値観や考え方は違う。その患者さんが“入口”側にいるのか“出口”側にいるのかで対応の仕方は変わっていかなければならないはず。
腰痛や肩こりもそう。その名前ばかりに気をとられたら変わるものもかわらないのだ。
身体の調子が“良い”のも“悪い”のも元をたどせば同じ身体なのです。人間、年々身体だけでなく、頭も固くなってしまいますからね。
■ # 52 転んでもタダでは起きぬ 創傷治療の理想と現実を考える
Date: 2006-07-05 (Wed)
腰痛や肩こりなどの整体業界に限らず、医療の世界では常に新しい情報が生まれてくる・・・
今回まずは、こちらのサイトを観て頂きたい。当院、大川カイロプラクティックセンターのリンクページからもいけますが。
『新しい創傷治療』http://www.wound-treatment.jp/
まあ観てもらうとわかるのですが、簡単に言うと、今まで擦り傷や切り傷といった一般的な怪我の治療には“消毒して絆創膏”というのが常識で、私を含め数多くの人たちがこの方法で肘や膝の怪我を克服してきたはずだ。
ところがどっこい、実はこの“消毒して絆創膏”という一連の治療方法は傷を治すどころか逆に傷の治りを遅くするという事実があるのだ。 そのあたりの詳しいメカニズムは先ほどのサイトのほうを観て頂くとして、とにかく寝耳に水どころか、いい歳になってから自分の母親が本当の母親ではないのを告げられたような衝撃・・・
「じゃあ今までのはなんだったんだよぉ〜!!」とか叫んで家を飛び出しちゃうような衝動にかられますが。
まあ、実際この話自体はもっぱらマスコミやらインターネットを含めてよく出てくる話題なのでご存知な方も多いでしょうから、
なにも私が今さらこの場でさも知識を自慢気に書きたいわけではないのですよ。
私が前から気になっていた点、
ひとつは“消毒に絆創膏がよくないわりにはなぜ相変わらず使われ続けているのか?”という事。
そしてもうひとつは
“そもそも本当に新しい創傷治療方法の方が従来の消毒&絆創膏方法よりも治りが早いのか?”
この2点である。
そして偶然にもこの2つの謎を解き明かすチャンスがやってきた、しかもラブストーリーよろしくそれは突然やってきた。
どうも、相変わらず前置きの長い大川カイロプラクティックセンター院長の成木海次郎です。
いやいや、実は先日、通勤中の自転車でおもいっきり転びましてね。走行中カバンに絡まったiPodのコードをほどいていたら急に地球が近づいてきたんですよ。
結局、右肘と右膝の王道2ヶ所をおもいっきり擦り剥きまして・・・
でもこれで実験するための準備が整ったわけですよ。何事も自分で確かめてみないと納得できない性質。
ここに新旧創傷治療法対決の始まりである。
まずは、両者の紹介。現チャンピオン、長年にわたり活躍し続けているおなじみ絆創膏(大判)。
そしてチャレンジャーはジョンソン・エンド・ジョンソンから発売している「キズパワーパッド」の登場です。
この「キズパワーパッド」の特徴は、従来の絆創膏がガーゼで吸い取ってしまっていた傷口からにじみ出ている体液(滲出液)を保持し、その傷を治す成分である滲出液の効果が発揮できる環境を維持してくれるすぐれものらしい。
なので、傷自体は同時にできたものなので時間的なハンデはないので、傷のひどい右肘にはこの新しい「キズパワーパッド」を。
そして右膝のほうには絆創膏を貼りどちらが傷が早く治るのか、自らの身体を張った人体実験が始まったのだった。
初日、膝の絆創膏の方はいつもと同じような感じというか、相も変わらずな様子。まあ、いままでもずっとこうやって適当にほっといたわけだしなぁ・・・とのんびり眺めていた。
一方、新米「キズパワーパッド」の方はと言うと、“例の”滲出液とやらが順調に染み出ているらしく、ぽこっと白く膨らんでいた。
ふむふむ、これでバイ菌共がぶち殺されているわけなのだな。なんとなく見た目にも治っている感が強い気がした。
そして大事な大事な入浴タイム。擦り傷の際、一番やっかいだったのがこの入浴。しかし驚くことにこの「キズパワーパッド」、水にも強く入浴しシャワーをこれでもかと浴びせてもびくともしないすぐれもの。
これはなかなかやるなぁ、などど、ここまできたら「キズパワーパッド」の圧勝でしょうと思い一日目終了。就寝・・・
が、二日目。事態は思わぬ展開を見せた。目が覚めると、私の身体から出すぎた滲出液とやらがパットの吸収保有量をあっさり超えたらしく、そのネバネバとした液が漏れた状態で寝返りをしまくっていたのだ・・・
まあ、ある意味起きたら地獄絵図ですよ。シーツの汚れ度合いといったらもう最悪。元々シーツはこんな柄だったかと錯覚するぐらい。この辺りから序々に様子が変わってきた。
誤解のないように最初に述べておきますが、傷の治り度合いに関して言えば、間違いなく新しい「キズパワーパッド」の方が上なのだが、
私のように滲出液の出る量が多い人間にとっては半日すると膨れすぎてあの悪魔のような液体が飛び出してきてしまうのだ。
そもそも、すり傷・きり傷の際になぜなんらかしら張ろうとするのかと言えば、
“血が何かに付かないようにするため”という意味合いが一番強い。
たしかに比べてみた結果、回復スピードの違いは実感できた。新しい創傷治療法、「キズパワーパッド」の方が上だ。しかし、当たり前の極論だが“別に絆創膏でもいずれは治るのだ”。
始めに述べたもうひとつの疑問、
“消毒に絆創膏がよくないわりにはなぜ相変わらず使われ続けているのか?”
これはやはりこまめに張り替えられることができるという利便性とコストの差があると思う。コストの差・・・ちなみに普通の絆創膏比べ、「キズパワーパッド」は倍の値段する。液漏れしたら張り替えりゃいいのだが貧乏性なのか渋ってしまう。
逆に絆創膏はだいたいどこの家にも買い置きが存在する。なぜなら安いから沢山入っているやつを購入している場合が多いからだ。
そんな中、わざわざ倍の値段を払って新しいものを購入しようという気には中々なれない気がする。再度、誤解の無いように書きますが治りが早いのは「キズパワーパッド」です。だが、ここが人間の悲しい性。どのみち治るなら、
“今までのやり方から変えるのはめんどくさい”
と、素直に思ってしまう生き物なのだ。
正しいことが世に出回っているとは限らない。事実、薬局に行っても棚にあるのは大量の消毒薬と絆創膏の山。その片隅に1種類だけある倍の値段の「キズパワーパッド」・・・なんだかねぇとしみじみ思う。
そしてこれは何も創傷治療の世界だけの話ではない。整体やカイロプラクティック業界にあいかわらず出回っている「腰痛には安静」の文字。
腰痛に安静などまったくもって必要ないものなのに・・・だが悲しいかな、腰痛も同じく安静にしていてもいずれは治るのだ。時間が長くかかってしまうけれど・・・ 大量に世に出回っている“絆創膏と安静”・・・いったいいつになったら消えるのだろうか・・・そんな日がくるのであろうか。そして書いているうちにまた話が長くなってしまったよ。
反省。
■ #51 背骨が壊れた
Date: 2006-06-27 (Tue)
どうも、久しぶりに文章を書く気になりました院長の成木海次郎です。
いきなりですが、TOPページのブログは削除しました。 別段、ライブドアさんがどうのこうのとかはありませんが、まあ気まぐれです。
さてさて、先日スタッフの一人が突然、
「院長、あの・・・こわれちゃったんですけど・・・」 と言ってきた。
何が?と思いよくよく話を聞くと、治療院にある“背骨の模型”がもっきり折れてしまっているのだ。
「おいおい、つうか“壊れちゃった”じゃなくて“壊したんだろ”?何もなくて壊れるわけないだろう」
ところがスタッフの言うことにゃ、
「いや、片付けようとして持ったら折れてました」
でたよ、気付いたら壊れてました発言。と思い、とりあえずどこが壊れたのかを調べてみると 背骨の(あくまで背骨の模型の話だが)中心にある鉄の棒が金属疲労により折れていたのだ。
よくよく場所を確認してると、いわゆる背骨と骨盤のちょうどつなぎ目の部分、
ちょっと専門的に言うとL4とL5の部分がちょうど折れているのだ。 こうなってしまってはもう直しようがないなと思い、まあいい機会なのでまじまじと模型を改めて見てみた。
そもそもなぜ壊れたのだろうか?
まあ、単純な話その部分、いわゆるL4−L5と言われる付け根の部分というのは、実際の生身の人間でもなにかと話題になりやすい、
まあ言ってしまえば「背骨のトレンディースポットや!!」みたいなところ。
おのずと、背骨の模型を使って来院されている患者さんに説明等をする時も話題になる部分、そしてむやみやたらと動かす部分なのだ。 当然、一番動かす部分なのだから一番負担がかかり壊れるのも一番最初になるはず。 そして案の定、壊れた。うん、当然の結果だ。
“金属”ならばね・・・
そうなのだ、これはあくまで模型の話。本物の生身のものとは似ても似つかぬものなのだ。 実際、当院でもこの壊れてしまった背骨の模型はほとんどメインでは使われてはいない。 時々用いる使い方としては、
「背骨がずれてるとか歪むとかって、この背骨の模型を見せながら話すとそう思えちゃうでしょ?」
というように、生身と模型の違い、つまり
患者さんが想像していたものと、現実との差を修正するために使う。
よく人によっては、
「腰痛などの症状の説明をする際に、分かりやすくするために背骨の模型を使って説明します」
という人がいるが果たして本当にそうなのだろうか?
たしかに、そうそう気軽に見れちゃう部分ではないのでなにかしら言葉以上に、視覚的なアプローチがあるに こしたことはないのだろうが、視覚的イメージの怖いところは誤った、誤解を生むような可能性も高いということだ。 どうやっても、生身と模型は違うのだ。
異性を写真などで勝手に判断して、あとで泣きをみるのと図式は同じだ。
極論、膝や肘の説明をする時に、ガンダムのプラモデルとか使って説明したら怒るでしょ。 昨今のプラモデル技術は格段に向上してますはいますが、違うものは違うのです。
おそらく、模型の呪縛に完全にはまっている人は考えちゃうと思うんですよね、
『人間が四足歩行から二足歩行になったときから腰痛になるのは宿命です』的なことを・・・
“4足歩行の動物は、4本の足で重力の負荷をきちんと分散しているが、人間は2つの足で重力に立ち向かっています。 この事が腰に大きな負担をかけます”
そんな足し算引き算じゃないんだからさ、これこそ人間を模型的に考えなきゃでない発想です。 よくこの手のものはインターネットとかにもよくでていて、面白いからぜひ皆さんにもみてもらいたい。 身体のどこにも違和感や痛みがない状態の人ならば、こんなこと信じることもないであろうが、 痛みがあり、冷静な判断ができない状態の患者さんには残念だがこんなくだらない次元の話が通じてしまうのだ。
模型は模型、人間は人間。
その違いは、正確に表現しなけばならない課題のひとつだ。 そう考えると、今このタイミングで背骨の模型が壊れたのもいい機会なのかもしれない。 新しい表現方法を生み出せばいいのだから。
ただ問題なのは、この壊れた背骨の模型を燃えないゴミにして出したら、大問題になるかなぁ・・・とちょっと心配になります。
あ、もしくは山にでも埋めてくるか、
だって模型だからね・・・
■ #50 なぜ、野球の始球式でアイドル達はまともに球を投げられないのか!?
Date: 2006-02-21 (Tue)
今は冬季オリンピックの真っ最中。患者さんの中にも寝不足の方がちらほら現れている。
とは言え、冬のスポーツには全くもって関心がない私、院長の成木海次郎でございますが。
私にしてみたら、先日友人が近所のコインランドリーで年配の方相手に
「今、オリンピックが行われているのは“青森県の鳥野市”ですよ」と堂々と嘘をついていたことのほうが印象深い。
それよりも、我々カイロプラクティックに携わる人間が今、この時期に声を大にして皆さんに訴えなければならない事はトリノなんかじゃない。
“WBC” ワールドベースボールクラシックですよ。
野球ですよ野球。
野球が始まると言えば・・・・・
そう、それ!!“始球式”ですよ。
始球式と言えば、皆さんも長年気になってイライラしていたことがあるでしょう。
そうそれは、
『なぜ、野球の始球式でアイドル達はまともに球を投げられないのか!?』
これに尽きる事でしょう。
今回はアイドル達のあのへなちょこ投球の謎について解説していきたい。
まあ、その前にそもそも始球式ってのはなんなんだろうと調べてみてみよう。
マウンドから山なりの球が投げられて,打者が儀礼的に空振りする。 おなじみの始球式。
そもそもこの始球式、いったいいつから始まったのか?
文献的な資料によれば明治41年(1908年)ではないかと言われている。 この年,アメリカから遠征してきたリーチ・オール・アメリカンと早稲田大学が対戦したときに,総長の大隈重信がマウンドから1球を投じたらしい。
早稲田大学の創設者で政治家でもあった大隈総長は羽織、袴(はかま)にソフト帽という、たまに江戸川の河川敷あたりにいる
“おれは元南海ホークスの選手だったんだぞ”と豪語する酔っ払いのおっさんの様な出で立ちで投げていたようだ。
時は流れて、今では時代をときめくアイドル達がそろい踏み状態。
大隈さんがどうだったかはともかく、今のアイドル達はどいつもこいつもまったくもってまともに投げられやしない。
正直、“ふざけてやってんじゃねーのかこの女は・・・”と思ってしまうぐらいだ。
あの投げ方、まあむしろ投げれていないのだが、ではそもそもボールを投げるという動作そのものが
女性には不可能な動作なのであろうか?
いやいやいや、ソフトボール女子オリンピック代表選手などみると間違いなく私より早いし上手い。
むしろ欽ちゃん球団に所属している片岡 安祐美選手などはすごい。そしてかわいい。
つまり、不可能な動作ではないわけだが、ではなぜ片岡 安祐美選手にできてチャラチャラアイドルちゃん達にはできないのか。
できない、というよりも“やったことがない”というのが正しい表現の仕方だと思うが。
じゃあ、なにをやったことがないのか・・・
始球式でしょ・・・
と言われたらそれまでになってしまうのですが、そうではなく、実はその謎を解くカギは肩こりに悩む女性がよく口にする
あのフレーズに隠されているのだ。
『一日パソコンに向かってると〜チョー肩凝るから〜、たまに肩回すんだけど〜ぜんぜん治んないのよね〜』
そう、この“肩を回す”という動作。
アイドルも、肩こりOLさん達も、“肩を回す”ことしかできないのだ。
・・・・・・・?????????
そうね、“肩を回す”しかできないと言われても意味わかんないですよね。
さて、解説。人間の肩には、実は動かし方が3パターンあるのですよ。
ひとつは、“肩関節”を動かすうごき。
ふたつめは、実はこれが問題なのだが“肩甲骨”を動かすうごき。
みっつめは、単純に“肩関節”と“肩甲骨”を両方同時に動かすうごき。
この3パターン存在しているのです。
話しを先ほどに戻すと、“肩を回す”しかできないというのは、ひとつめの
“肩関節”を動かすうごきしかできないということ。そしてふたつめの“肩甲骨”を動かすうごき、
このやり方が、まったくもってわからなくなってしまっているということなのだ。
むしろ動くものとも思ってはいないのかもしれない、肩甲骨というものが。
そもそも、この“肩甲骨”、どういうときに動かす必要性が出てくるかといえば、
自分の肘が、自分の肩よりも上にあげる動作をするときに初めて動かす必要性がでてくるのだ。
つまり逆のことを言えば、
自分の肘が肩よりも上にもっていかなければ、肩甲骨なんて使う必要性などなくなるのだ。
なので、始球式でミットに白球をぶち込むためにはこの“肩甲骨”の使い方をマスターする必要性があるのだ。
あぁ、もちろん肩こりの改善にも“肩甲骨”の使い方が必須なのだ。
ものは試しで、近くに座っている上司を呼びつけ、肘うちを食らわせてみよう。
あきらかに、肘が肩よりも下のポジションで肘うちするほうが楽なはずだ、今のところは。
肩の高さで肘うちを試みてみると、どうもしっくりこないはず。
でも、その肩関節回りの筋肉だけしか使えていない肘うちでは、腹立つ上司を倒せやしないのですよ。
“肩関節”まわりの筋肉と“肩甲骨”まわりの筋肉の力を同時に発揮できた時、
上司は床に大の字さ・・・っておい!!
アイドルちゃん達も、足をまっすぐに見せる方法は事務所に習っていても、“肩甲骨”の使い方は
教えてもらえなかったんだろうね。
だが、時代は常に進化していくもの。ちかい未来
プロ野球選手が本気で打てない球を投げるアイドルがでてくるのであろう。
そいつは間違いなく、“肩甲骨”の使い方をマスターしているアイドルに違いあるまい。
そして今年のWBCの始球式(あるのか?)では、肩回りに注目してみるのもおもしろいはずだ。
■ #49 『ヘルニア国物語』 序章
Date: 2006-02-13 (Mon) どうもこんにちは、大川カイロプラクティックセンター院長の成木海次郎です。
今回のタイトル、けして誤字脱字じゃあございません。
わかってて書いています。
しかしながら、私自身が日芸の映画学科出身だからって映画の話をするわけでもありませんよ。
タイトルのまんま、今回のテーマはずばり『ヘルニア』です。
まあ、最近テレビをみているとやたらと本物の『ナルニア国物語』のCMを見るが、そのたびに私にとっては『ヘルニア国物語』にしか見えず悶々とする毎日であった。
『ヘルニア国物語』・・・我ながらオヤジギャグというか職業病というか、変なフレーズを思いついたものだが、
“ヘルニア”と聞くと皆さん何を思い浮かぶであろうか・・・?
まあ、ほとんどの方が“腰痛”を連想されるであろうし、むしろ今現在ヘルニアで悩まされている・・・と思っている(あえてこういう書き方をさせていただきます)方も多いと思う。
ヘルニア=腰痛 この図式はほとんどの方がイメージしていることと言って間違いないと思われる。
この、ある単語を聞いてすぐにあるイメージが湧く。ちょっとトゲのある言い方をすると、ここで厄介なのが先入観である。
たとえば、“ヒューザーの物件”と聞けば“偽装建築”と思うであろうし。
東スポ一面、と聞けば“ガセネタ”・・・
とまあ大人になり、知識や経験が豊富になればなるほど、この先入観というものの影響は大きくなる。それ自体は何にも悪くもないのだが、これが時には厄介なものになる。
『ヘルニア国物語』まさにこれは今の日本そのものなのかもしれないが、さすがに国というだけあって、いきなりその国がひっくり返るような事が急に起こるかといえばこれ、現実的ではないですよね。ですから、今回は『ヘルニア国物語』序章ということで、
ヘルニア=腰痛
この先入観を変えていきたい。
そもそも、なぜヘルニア=腰痛の図式が出来上がったのか、その歴史から解説したいが、
もともと、ヘルニアを発見できるようになったのは皆さんお馴染みのレントゲンの発明のお陰である。専門的に書きすぎると皆さん、読みたくなくなっちゃうから簡単に書きますが、
“腰が痛い”という人がいて、病院に行き、そこでレントゲンを撮ると“ヘルニア”が見つかる。これがヘルニア=腰痛の図式を生んだ最大の要因である。
もう一度言いますが、今回伝えたいことは、ヘルニア=腰痛、これは誤ったイメージ、事実ではないということです。
なんでやねん!!と思う人が大半だとは思いますが、では解説していきます。
そのきっかけになったのがMRIという機械の登場である。
簡単にいうとこの機械、レントゲンと大きく違う点は、被ばくしない事。つまり放射線を使わないで撮影できる点だ。レントゲンは放射線を浴びる分、むやみやたらと撮影するわけにはいかないものなのですよ。だから、健康診断とかで胸部レントゲン撮影する時も、撮影する瞬間にはお医者さん的な人はドアの向こうに消えてしまうでしょ?あれは放射線浴びないようにしているからですからね。
一方、新参者のMRI、こいつは磁力の力を使い体内を撮影するので、理論上、人体には無害(ペースメーカーなどの機械を使用されている方などは例外)と言われている。
そのため可能になったことがある。それは腰痛の症状のない人の背骨を撮影することができるようになったのだ。さすがに放射線をむやみやたらと人に向けるわけにはいかない。
この結果、ある事実が浮上したのだ。
ある日、腰痛の“よ”の字も知らない人の背骨をMRIで撮影してみたところ、おもいっきりヘルニアがみつかったのだ。もちろん本人は痛みもなければ痺れもない。
そしてこれは一人だけの話ではなかった。
腰痛の人も、そうでない人も両方同じようにMRIで背骨を撮影してみたところ、ほぼ同じ割合でヘルニアがみつかったのだ。
統計的に見ると、全人類の、つまり腰痛があろうがなかろうが、
約7割の人間に椎間板変性(現在の整形外科的に椎間板に異常があると診断されるもの)が見つかるのだ。
再度、言いますが腰痛のない人にもヘルニアはあるのです。
今までは、
『腰痛になり病院でレントゲンを撮ったらヘルニアが見つかった』
という図式が実は、
『“もともとヘルニアの人”が腰痛になり病院でレントゲンを撮ったらヘルニアが見つかった』
という図式だったということだ。
ですから、この『ヘルニア国物語』序章で伝えたいのは、
ヘルニア=腰痛。これは作られたイメージであるということだ。
とはいえ、いきなり無関係と言われてもピンとこないでしょうからまずは、
ヘルニアってのは、割りとありふれたものなんだなぁ、ぐらい感じていただければ
序章としては上々です。
■ #48 右手にピストル、左手に花束、唇に火の酒、背中に人生を
Date: 2006-01-27 (Fri) タイトルはジュリーです。
でも今回のテーマは妊婦です。妊婦の場合の右手と左手のお話。
どうも、最近は真面目につらつら書いている大川カイロプラクティックセンター院長の成木海次郎です。
最近、友人というか、もう家族のひとりみたいな奴にも子供ができたり、偶然なのであろうが当院に来院されている患者さんにも妊婦さんが多い。
おのずと妊婦さんと話をする機会も増えるので自然と詳しくもなってくる。
おそらく出産未経験の女性よりは産前産後の事は詳しい自信がある。
“五反田の妊婦キラー”とでも呼んでみようか、自分で。
とは言え、所詮はブルペンエース。実際のところは何ができるわけでもなし、またその予定もない。
だが仕事柄、医療関係の情報収集には余念がないが私だが、今日はこんな話を紹介したいと思う。
ちなみに今回のは妊婦様向けの真面目なやつです。
『乳児の慢性嘔吐〜母親が右腕で抱くことで消失』
〔オーストリア・ウェーニックツェル〕 乳児が授乳後にあくびをして,嘔吐してしまうことがあるが,
その量によっては発育障害や電解質異常を生じる可能性がある。しかし,ウェーニックツェルのプライマリケア医である
Heimo Waldmann 博士によると,左利きの母親がよくやるように,乳児を右腕に抱けば,これをある程度予防できるという。
胃の内容物を胃噴門よりも下に右利きの母親は授乳後,右手で他の簡単な用事をすますことができるように,
乳児を左腕で抱くことが多い。この場合,乳児は右側に傾斜するため,胃の内容物が胃の右側に,胃内の空気、
いわゆる胃泡が左側に移動する。これにより,胃の内容物が胃の噴門よりも上まで来てしまう。
この状態で乳児があくびをしようとすると,嘔吐する。
これに対して,左利きの母親は乳児を右腕に抱くことが多いため,乳児は左側に傾斜し,胃泡は胃の噴門のほうへ移動する。
このため,胃の内容物は胃の噴門よりも下に来るため,あくびの際に胃泡だけを出すことができる。
このことから,Waldmann博士は,全乳児の約10%で見られる慢性の嘔吐では,母親が乳児を右腕に抱くよう推奨している。
実際に,このようにすることで,嘔吐が直ちに消失したという。
本当に真面目な内容だね。
まあ、右で抱っこか左で抱っこで完全に赤ちゃんの状態が人それぞれ一致することもないであろうが、
赤ちゃんとは言え、身体の構造は基本的には同じなわけだから理論的には納得できる。
とくに発育障害の可能性が0ではないので、独身の男の私には実際にやってみることはできないが、当事者の方々はぜひ試してみてもらいたい。
とはいえ、現実母親の皆様方はそれこそ戦場のような感じで育児をされてらっしゃるでしょうから右だの左だの言ってられないかもしれませんが、たまには自分的にも、赤ちゃん的にも
モノの見かたを変えてみてはいかがであろうか・・・
そのぐらいの心の余裕というものは無くしたくはないですからね。
■ #47 ふと感じた事(駄文です)
Date: 2006-01-20 (Fri) どうも、大川カイロプラクティックセンター院長の
成木海次郎です。
先日、年配の患者さんに“寺尾聰”に似てると言われました。
まあ、私の記憶は80分しか持たないのでもう忘れましたが・・・
なぜかショックでした。
さて、今回はくだらない話。まあ“今回も”でしょうが。
『スナック女性客に「デブ」、侮辱罪で大月市議に拘留刑』
スナックで女性客を「デブ」とけなしたとして、侮辱罪に問われた山梨県大月市大月町、同市議小俣武被告(55)の判決が19日都留簡裁であった。丸尾真実裁判官は「人格を無視した卑劣極まりない言動」として、求刑通り拘留29日を言い渡した。
甲府地裁によると、侮辱罪で拘留刑が言い渡されるのは珍しいという。小俣被告は公判で、一貫して「見ず知らずの女性にそんなことを言うはずがない」と主張しており、
判決後、「冤罪(えんざい)の典型だ」として控訴した。判決によると、小俣被告は2004年9月30日夜、知人男性と大月市内のスナックを訪れ、居合わせた客ら10人のうち初対面の20歳代の女性客に対し、知人男性とともに数回「デブ」などと言って侮辱した。女性客が被害届を出し、大月署が2人を都留区検に書類送検していた。
丸尾裁判官は「初対面の女性に、身体的特徴を挙げて侮辱した責任は軽視し難い。歓談を楽しんでいたところ、唐突に『デブ』などと言われた被害女性の感情は察するに余りある」
と述べた。小俣被告は市議一期目。知人男性も侮辱罪で在宅起訴されたが、公判で発言を認め、科料7千円の有罪判決が確定している。
(読売新聞) - 1月19日21時47分更新
・・・・とまあ、こんなん記事が“天下の某検索サイトさん”のニュースのところに掲載されていたわけなのですが。
はっきり言いますけど、この記事ってその“天下の某検索サイトさん”のTOPページに載せるほどの意味のある記事なのでしょうか?
そんな事言うと、織田裕二的な人に「事件に大きいも小さいもない!!」とか怒られそうだが。
別にこの記事そのものがどうでもいい事だと言うつもりもないし、被害者の方は精神的な苦痛を味わっているはず。それは辛いことだとは思う。
ただ、“天下の某検索サイトさん”のあの場所に載ることにどのような意味があるのかがわからない。
とにかく今の時代、黙っていても大量の情報が我々の頭の中に勝手に入り込んでくる。
テレビ、携帯、そして何よりインターネットだ。
そしてその情報量たるや半端な量じゃないし、それがウソかホントかの判断すらわかりづらくなる。
身体に関しての情報だって同じ事が言えるはずだ。
なぜか良く目にするのは、“楽して○○○○”とか“手軽に簡単○○○○○”とかそんなんばっかり。
冷静に考えれば週間マンガの最後のページに載ってた“身長が高くなる機械”とか“つけるだけでモテモテになるネックレス”
等のたぐいと同じようなものに、なぜか未だにはまる人がいる。
たまに山手線にのると“ヤセ組”なんてフレーズに正直うんざりする。
“ヤセ組”の人は地道に一生懸命がんばった人なんだろうになぁ・・・などと物思いにふける。
一日の大半を職場で、なおかつパソコンの前ですごす人たちにとっては“天下の某検索サイトさん”は重要な情報源だ。
そこでスナックの一悶着の出来事を載せるぐらいなら、もう少し何かないものかと感じてしまう。
そのあたりは“天下の某検索サイトさん”側はどう考えているのだろうか?
そして、ひとつの記事に対してよくまあここまでツッコんでいる自分もなんだかなぁと感じてしまう今日このごろだ・・・
■ #46 僕の将来の夢はカイロプラクティック!!
Date: 2006-01-16 (Mon) 先日、治療院に一本の電話がかかってきた。相手先は『学習研究社』さん、
あの“科学と学習”でおなじみの天下の『学研』さんだ。
とくにうちのスタッフに小学1年生はいないのだが・・・と思ったら、どうもある本を出版するにあたり、ホームページで使われている写真を借用させていただきたいとのご要望。
とりあえず資料をFAXで送ってもらうことにした。
『科学と学習』とカイロプラクティックとどういう因果関係があるのかと思ってFAXをまっていた。
数分後、さっそく送信されてきたFAXに目を通してみた。
企画書より抜粋すると・・・
『・・・・・さて、学習研究社におきましては、小学5年生社会科で学習する「日本の産業」を図解や写真によりわかりやすく解説する“図解 ビジュアル日本の産業”全10巻の編集を進めております。この中の第7巻「商業・サービス業」で、介護福祉士や介助犬訓練士などさまざまな「福祉の仕事」について紹介するページを予定しており、この中でカイロプラクターに関する記述があり、併せて仕事の内容がわかるような写真を掲載したいと考えております・・・・・・』
なんだか珍種の犬が図鑑に載せられるような気分だが・・・
しかし小学5年生ねぇ・・・しかも「福祉の仕事」て・・・
あきらかに自分が小学生のころにあった同じような図鑑的なものの中にはカイロプラクティックなんてなかった気がする。これも時代の流れというやつなのであろうか。今や“整体”だの“クイックマッサージ”だの“気孔”だのなんでもござれ状態だ。
まあ、私の勝手な予想だがおそらく最新版には“ヒルズ族”や“セレブ”“ひきこもり”なんてのも写真付きで紹介されてるだろう。
戯言はさておき、間違いなくカイロプラクティックという職業が世間的にも浸透している証拠なのであろう。だが、今後小学生のあこがれの職業にあげられる可能性がでてきたこのカイロプラクティックという職業。肝心のネームバリューだけは広まったとはいえ、本質的な部分はほとんどベールに包まれているというか、偏ったイメージだけが先行している状況な気がする。
韓国人が毎日キムチばっか食べていたり、インド人がカレーばっかだったり、日本人はハラキリしているような・・・
背骨をボキッとやってずれてた骨を戻すとか、そんなようなイメージに近いものがあると思う。
実際、その図鑑の中でどのように紹介されるかは今の段階ではわからないし、私自身が口出しできるわけではないのが。
とはいえ、カイロプラクティックという職業の紹介のされ方は天下の『学研』さんにお任せするとして、現在、カイロプラクティックの仕事についている一人として思うことは、
“カイロプラクティックがちびっこがあこがれちゃうような仕事にしてやろう”
という想いだ。
別に小学生に対して施術をすることはほとんどないであう。そうすると小学生にたいして憧れをもたせるにはどうしたらよいか・・・
それにはまず、来院される患者さん、つまりお父さんやお母さん方に対してきちんと我々カイロプラクターが施術をる。
一生懸命、誠心誠意患者さんに向かうのだ。
そして、調子が良くなったお父さんやお母さんの元気な姿をみて小学生のお子さんが質問するのだ、
「パパやママはどうして前に比べて元気になったの?」
「それはね“カイロプラクティック”に行ったからなんだよ」
そこで小学生の坊やは学校でみた図鑑を思い出すのだ、
「ああ!!図鑑にのってたあの“カイロプラクティック”だ。すごいなぁ、じゃあ僕も大きくなったらパパやママが元気になったその“カイロプラスチック”の仕事をするよ・・・」
って、おいおい!!子供、名前間違えて暗記しちゃってるよ・・・
なーんてんね、でもこの図式を成立させるには“家族の会話”も重要なポイントですよ。
そして、身体の違和感の改善にも役立つはずです、その“家族の会話”とやらは。
そしていつかその図鑑の中でカイロプラクティックを初めて観た小学生がプロのカイロプラクターになる、
それもまた仕事をする上でのロマンだなぁと感じる今日このごろです。
■ #45 背骨診断書偽造疑惑
Date: 2006-01-06 (Fri) さすがに年が明けても連休前、人通りはまだまだ少ない五反田より更新中です。
どうも、3日坊主院長の成木海次郎です。
とはいえ、さすがに当院大川カイロプラクティックセンター周辺の建設途中のビルも
工事が再開されている、が、西五反田の『京王プレッソイン五反田』は別の意味で工事が進んでいるであろう。
関係者方々には気の毒としか言いようがないが、現在世間を騒がせている一連の
“構造計算書偽装問題”
本当はこのネタ、昨年書かなきゃいけないものだったんだろうが、まあいい。
この話、事実建物を支える鉄骨の数が足らないのだから、あちこちに“ひび割れ”やら“雨漏り”などの現象が起き、震度5程度の地震で倒壊すると言われてもある意味納得がいく。
しかし、鉄骨の数をごまかすにしても“3割ぐらい減らす”ならともかく“3割ぐらいの数だけで建てる”あたり
ずうずうしさもそこまでくると男らしいものだ。
とはいえ、それはよその業界の話。カイロプラクティックに関わる私がとやかく述べることではないが、
昨年から一連のその手のニュースや新聞をみてずっと頭に浮かんでいたのが、
我々、カイロプラクティックや整体関係者による
『人体構造診断書偽装問題』である。
ちなみに、くだらない話とはいえ事実ではない事を書くのはまずいのであらかじめ訂正しておくが、
我々カイロプラクターや整体師には“診断権”というものは持っていないので実際は診断などできないですし
診断書などはないですよ、あくまで言葉の面白さの響き。フィクションですよ。
さて、この『人体構造診断書偽装問題』
一番代表的なものは“背骨の歪み”これにつきるでしょう。
言い換えれば『背骨構造診断書偽装問題』だ、ちょっとくどいか・・・
とにかくいまだにカイロプラクティックや整体というと、
背骨をボキッとやって歪んだ背骨を元にもどすイメージをもたれている方が多いと思う。
なもんだから、当院で初めて施術を受ける方なんかは私が筋肉の説明をするとポカーンとした顔をする人もいる。
ここはカイロプラクティックじゃないのですか・・・?みたいな。
まるで東京人が関西に行って“きつねうどん”くださいっていったら“たぬきうどん”がでてきた時のようなリアクションだ。
背骨が歪むか歪まないか、これ実はカイロプラクティックや整体の業界内でも意見は真っ二つに分かれている。
尊皇派か攘夷派みたいに。もしくはコロコロ派かボンボン派みたいなもの。
でもこの問題、実は盛り上がっているのは我々の業界内だけで医学界全体からすると
最新の研究でも、
背骨のズレや歪みが腰痛や肩こりの原因になっているというデータなどは何一つないのだ。
でも、なにかと言うと“ずれてますね〜”とか“歪みが原因です”とか決めつけたがる。
ちょっと話を姉歯的な方面に戻すが、
例えば今、あなたが築12、3年のマンションに住んでいたとする。
ある日突然スーツの男性が現れて一言、
「この建物、歪んでいますよ。きちんと調べたほうがよいですよ」と言われたとしよう。
時期が時期だけに焦るであろうし、よくよく部屋の中を見てみると、なんとなく部屋の隅などが
歪んでるようにも見えてくるし、あるいはすきま風なども感じるかもしれない。
そういえばこの部屋、隣や上階の物音もよく聞こえるような気もしてきたし、以前に比べて水の出なんかも悪くなった気もする・・・などなど思い始めたらきりが無い。
じゃあ、というのできちんと調べてみたら事実、“鉄骨の数が少ない”等の問題が発覚すれば
それはマンションはズレもするだろうし歪みもするであろう。
なぜなら、もともとなけれならない数のものが足らないのだから問題が起きてきて当然だ。
が、しかしこれ人間の身体ならどうなるか・・・
同じように考えれば、背骨から両脇にくっついているまさに鉄骨的な役割をしている人間の骨“肋骨”。
これちなみに、正規の数だと左右に12本ずつの合計24本ある、はずであるが。
これがもともとの製造段階でその数が減らされていたのならば、その後の“歪み”や“ズレ”などの構造的問題がでてもおかしくない
かもしれない。
が、その場合責任の所在というものは製造元やら設計元にあるということになる。
そうすると、私はいちいち患者さんがいらっしゃるたびにその患者さんのご両親の所まで出向いて製造途中に何か問題がなかったかどうかなど確認しに行かねばならない。
年配の方でしたらもう製造元がある意味倒産していたりしたら問題は迷宮入りですよ・・・
またくだらんことダラダラ書きましたが、まあ肋骨が8本ぐらいしかない事などどう考えてもないですし、
そうではなく、ここで言う『背骨構造診断書偽装問題』の正体はそのまったく逆で、
“問題の無いものを問題のあるように言う”という偽装なのだ。
背骨は1本の柱ではない、24個のパーツでできているものだ。
だから動きがあるわけで、理論上歪めるし、ズラすことのできる機能がもともとあるのだ。
タマゴが先か?ヒヨコが先か?みたいな話になるが、
背骨が歪んでから違和感を感じ始めたのか、違和感を感じていたら背骨が歪み始めたのか・・・
こんなもの本人ですらよくわからないであろうし、正直どちらであろうと関係ないのですよ。
人間の身体は、これだけ科学が発達した現在においてもまだ謎が多いと言われる。
でもそれは、人間の身体が謎につつまれているのか?、それとも人間が自分で難しくしているのか・・・?
そんなのは、すぐに答えが出るものではないのでしょうが、
それでも何もわからない患者さんに対し、正解がわからないただ不安にさせるような情報だけを与えるような
『人体構造診断書偽装問題』的仕事をしてたら、建設業界の次に叩かれるのは
我々、“カイロプラクティック・整体”業界になるのかもしれないですからね。
まあ、せめて私が今からできる事としては、万が一、自分自身の頭髪に問題がででくるような場合、
いち早く丸刈りにして、“坊主の先生”としてのキャラクターを患者さんに根付かせて置くことが
疑惑の真相を深める防止策になるのであろうか・・・
■ #44 大川カイロプラクティックセンター 2006年版スタート
Date: 2006-01-04 (Wed) 新年、あけましておめでとうございます。
『けっ・・・新年っとか言ったところでどうせなんにも変わらねぇだろう・・・』
とか思ってしまってる方、要注意ですよ、腰痛の。
しかしこの、
“新年、あけましておめでとうございます”というフレーズ、
よくよく考えるとよくできたルールだと思う。
地球の自転だの、体内時計だのなんだのと言うつもりはないが、
冷静に考えればとくに何が変わるわけではないのだ確かに。
別に12月の次が13月と思っても実務的にはそれほど支障はあるまい。
だが、よく言われる事だが、
コップに水が半分入っているのを見て
“もう半分しかない・・・”と感じるか“まだ半分もある”と感じるかで
人間ってのは変わっていく生き物なのだ。
もうちょっとドライに言えばそういう機能なのだ。もうルールといってもよい。
人間の取り扱い説明書なんかあればきっと書いてあるはずだ。
おそらく最新機種の携帯のトリセツと比べてもあるかにぶ厚いものになるであろうが。
渋谷版のホットペッパーぐらいか・・・
戯れ言はさておき、人間前向きに見ればなんでも前向きに感じるし
逆もまたしかり。
だから、新年をあまり感じられない人ほど、先程のフレーズを頻繁に口にすればよいのだ。
“新年、あけましておめでとうございます”
なにも変わらないように見えるものに変化を感じさせつつ、
新しく気持ちをリセットしてくれる機能付き。
昔から頻繁に使われているこの時候の挨拶には、そんな効果も実はあるのだ。
人間の脳はある意味おバカだ。
思春期の中学生並に純粋で単純だ。
気になる女の子とちょっと目が合って、笑顔なんかされた日にゃもう絶対自分のことを好きだと思い込んでしまう。
脳も同じ、前向きな発言を、他人と自分の脳に何度も言い聞かせてれば騙されていくもの。
お金がかからず、メンタル的な部分の治療効果もある上に、まあ仕事をする上でなにひとつマイナスな要素はないのだから、みんなとりあえずだれかれ構わず言いましょうよ。
“新年、あけましておめでとうございます”ってさ。
つまり、“あけおめ”では効果がないのですよ・・・
今年も今日からスタートです。
スタッフ一同、全力疾走でがんばっていきたいと思います。
今年も大川カイロプラクティックセンターをよろしくお願いします。
■ #43 2005年終わりの言葉
Date: 2005-12-30 (Fri) 今年もいろいろな患者さんに出会い、いろいろな症状に出会ってきた。
年末になり、いつも思うことは「年々増加する情報の多さ」だ。
腰痛に対する研究も益々進んでいる、年間で腰痛に関する論文だけで200万もの数が発表されている。正直、専門家であろう私でさえ追いつけないスピードだ。
だからといって古い、誤った情報が世の中から消えているわけではない。
パソコンのデータならば、新しい情報がでてきたらそれこそ“上書き保存”でOKだ。
過去の古い情報など一瞬のうちに消されてなくなってしまう。
だが、我々人間ってのは少々厄介な生き物だ。
忘れようにも忘れられない経験や記憶がある。
そして大人になればなるほど、経験や情報量が多くなればなるほど“先入観”が強くなるもの。
今後、ものすごいスピードで科学技術が進歩すれば、究極の腰痛・肩こりの治療法としてでてくるものは、
『人間の脳に直接アクセスして、痛みの神経を調整し、筋肉のコンディションも調整する』方法だろう。
アホな子供が考えるような戯言かもしれないが、おおよそ理屈で言えば確実に治るであろうし、
それほど難しい技術でもないと思う。その気になれば今の技術でも可能な気がする。
しかし、そうなってくると哲学的にも倫理的にもどうなんでしょう・・・??みたいな状態になってくる。
一昔、70歳の方を“稀”と呼んでいたが、今ではその“稀”な方々で五反田の駅前からでるNTT病院行き無料送迎バスが
満員になっているし、某、ロボットはジグザグ走行までし始めやがった、あれには正直驚愕した。
我々がおこなっている“カイロプラクティック”が生まれた100年以上前の人にしてみたら
間違いなく想像を超えた未来なのであろうが・・・
世の中に情報が増えれば増えるほど、人々は混乱し誤解し、それにより痛みが強くなったり弱くなったりもする。
ただ、これだけは言いたいのが人間の身体ってやつは今の我々が考えているほど、そんな甘っちょろい弱いもんじゃあないのですよ。
現に、最先端医療の研究で改めて思い知らされていることが
『病は“気”から』なのだから。
“痛み”も感覚のひとつ。言ってしまえば“味覚”だの他人に対する“愛情”とかと同じもの。
“ず〜っと一緒にいようね・・・”
とか言ってた二人がその数年後に法廷で泥沼になったり現にしてるわけなんですから・・・
来年もこの今の世の中を、楽しく生きていきましょうや。
“カイロプラクティック”というものを使って、良くなるはずのあなたの身体を止めているものを解除していきます。
この手と、コトバを使ってね・・・
では最後にこのコトバで今年の院長コラムを締めさせていただきます。
『おもしろき こともなき世を おもしろく』
みなさま、よいお年を・・・
院長 成木海次郎
■ #42 仙豆でギックリ腰はなおるのか? <後編>
Date: 2005-12-29 (Thu) 前回の駄文、前編から早や2ヶ月以上が経った。月日の流れは早いものだ。
どうもお久しぶりです、大川カイロプラクティック院長の成木海次郎です。
正直、前編で止まったまんまで一番困っていたのは、やりだまに上げられていたクリリンなのではないか・・・
さて、話をようやく本題後編に突入しようと思うが、
その後のクリリン、“その後”とはとりあえずジャンプ連載終了後としてみよう、たしかクリリン
生意気にも結婚して娘までいた。まあ、前編でも述べたが彼はあくまでごくごく普通の人間。
なので生きていく為に、社会生活をしていくためには労働をしなければならない。
ここから先はもちろん作り話になるのだが、あまりにも読者目線とかけ離れても荒唐無稽なので
クリリンの天下一武道会後の就職先は営業職にでもしてみようか。
今までのやくざな異性人連中との交流を絶ち、どこそこの惑星にふらふらと行くような地に足着けぬ生活から足を洗い
地道な社会人として第一歩を踏み出したクリリン。
スーツ、と言ってもサイヤ人が着ていた戦闘用のやつではなく背広に身を包み、出社するクリリン。
しかし彼にとってその生活はあまりにも今までの生活とかけ離れていた・・・
パソコンの前に一日中座り続け、たまの外出といえば営業回りで出掛けるぐらい。
しかも、クリリンがその気になれば一瞬でチリにでもできそうな得意先の社員に対し頭を下げる日々。
かつては人類最強のポジションに君臨していたクリリンの肉体も見る見る衰えていく一途。
それでも昔の武天老師の元で修行していた辛さに比べれば・・・また家族を養わなければならないという責任感が
彼をがんばらせた、まあもともと根性はあるキャラであるわけだからね。
そんな社会人生活にも落ち着きを見せ始めたある日、それはあまりにも突然やってきた。
朝目覚めると、突然腰に激痛が走った。
なんとなく、ここのところ腰あたりが痛いなぁ、ぐらいの感覚はあったが今腰に起きている痛みはレベルが違う、違いすぎる。
とくに前日の夜になにをしたという憶えもないにもかかわらず痛みは増すばかり。
そしてクリリンは思い出す、「そうだ、“仙豆”だ!!」
痛みで立つこともままならないクリリンが這い蹲りながらやっとのおもいで手にした懐かしの“仙豆”。
いままで、どんなにボロボロに傷つき、死にかけても一瞬で回復できた“仙豆”を口にしてみた。
結果は・・・
ま、変わりませんね、何も。痛みはそのままでしょうな。
さ、ここから真面目にギックリ腰の正体を解説していこうか。
まず、なぜ“仙豆”がギックリ腰に対して何の効果もでないかと言い切れるかというと、
おさらいで“仙豆”の定義を確認しておくが前編でも書いたが
『打撲・出血・骨折などありとあらゆる外傷を治療するもの』としてあったが、
だからこそ仙豆はギックリ腰には無力なのだ、つまりギックリ腰というものは人間の身体のパーツの損傷が原因ではないのだ。
何か壊れていなるわけではないし、何かがおかしくなっているわけでもない。
クリリンの腰に起きている現象は『腰周辺の筋肉の“過”緊張状態』なのだ。
“過”緊張状態といわれてもピンとこないと思うが、この現象が身体の別の部分に起きると名前が変わる・・・
このあたりが日本語のおもしろさといいますか、日本人に腰痛や肩こりが多い原因のひとつなのであろうが
ふくらはぎ部分に起きるとなんと呼んでいますか皆さん、
『足、つった』って言いますよね、おんなじですよ起きてる現象としては。
足がつった後にふくらはぎ近辺の骨や筋肉がおかしくなって歩行不能になった人っています?
それなのに腰付近におきると急に事がややこしくなる。
ギックリ腰の正体、それは足がつるのと同じ現象が腰近辺の筋肉におきるもの。
痛みの質としては筋肉痛に近いものなのだ。
その状態を生み出してしまう要因の一番はクリリンの置かれている生活環境の変化。
ひらたく言えば、あまり好きな言い方ではないが例の“ストレス”ってやつだ。
だからと言って、変化したらなんでもかんでも悪いというわけではない。
その環境を本人が、この場合で言えばクリリンがどう思うかで身体の反応は変わってくる。
クリリンに起きているギックリ腰の治療には、その点も含めて診ていかなければならないのだ。
“ギックリ腰に対して仙豆は効果がない”
これだけ言うのに何ヶ月ひっぱっちゃったんだろうねぇ・・・
年明け、『クリリンのギックリ腰、治療編』いきましょうか。
それと、この長々とした駄文の“仙豆”の部分を“現在の整形外科的治療”と置き換えて読み直していただきたい。
もう少し、世の中の見え方が変わってくるはずだ。
さてさて、来年からは治療院のホームページ自体も新しくするのも含めて積極的に物申してくつもりです。
あいかわらず長々と、そして不定期にね・・・
■ #41 仙豆でギックリ腰はなおるのか? <前編>
Date: 2005-10-04 (Tue) タイトルをみて、まったく意味がわからないという方、
今回の駄文は輪をかけて駄文です。すみません。
一方、単語としてはわかるが、文章的に何を言ってるの?
と感じたあなた方。
そう、青春時代が週間少年ジャンプ全盛期時代とかぶっている
『ドラゴンボール世代』のあなた方。
今現在、日々仕事に追われ昼夜問わず働き続けているあなた方ですよ。
今回は、そんな忙しい中、自分の身体に不安を抱えているあなた方のために“ギックリ腰”の真実をお教えします。
ドラゴンボールをネタにしてね・・・
こんにちは、院長の成木海次郎です。
今回のコレ、言い回しはくだらなく書きますが内容はきちんとしたものを記載していきます。
その点だけは初めに明確にしておきます・・・が、
まず今回の主人公は、ずばり『クリリン』です。
そもそも元ネタがマンガの分、リアリティーのかけらもないもの。それにもかかわらず、サイヤ人やらナメック星人などの
異惑星の連中や、人造人間なんかを例にだしたところで
それこそふざけた話で終わってしまいます。
それならば、最初はわりと適当なキャラだったにもかかわらず、
最終的には人間としては最強の地位まで登りつめた『クリリン』が適任であろう。
都合のいいことに連載の晩年では結婚し娘もいるごく普通のパパの設定になっている。
目が3つあるやつとか、真っ白で超能力使うやつらに比べたら
ごくごく普通の人間だ。
さて、すでに前置きでそうとう長いが本題に入ろう。
そもそも今回のテーマ『仙豆でギックリ腰はなおるのか?』
であるが、ここでまず“仙豆”の定義を決めなければならない。
おさらいだが本編の設定では、「1粒食べれば10日はもつ」という事になっているが仙豆の栄養成分については今回は置いておきます。
それよりも、今回注目すべきは仙豆の外傷に対する治療効果の高さである。
相当な、打撲・出血・骨折などありとあらゆる外傷を瞬時に回復させてしまう脅威的な治療効果が仙豆にはある。
ナメック星で悟飯がギニュー特戦隊だかの誰かに首の骨を折られる重傷を負っても、仙豆で回復したあたりをみると、ほぼすべての筋骨格系の外傷疾患に対して100%の治療効果があるはずだ。
さてここで改めて『クリリン』の登場だが、仮にクリリンが
腰をいきなりピッコロ大魔王に蹴られたり、ベジータにふっ飛ばされて腰を強打したり、はたまたフリーザに腰を力の限り踏みつけられたりされて、
「腰が痛い」または「痛くて動けない」というような状況の場合
そんな痛みに苦しむクリリンに駆け寄り、仙豆をひとつ口に入れてあげれば一瞬にして回復し、また敵に向かっていけるであろう。
ま、どうせまたやられるんですけどね・・・
しかし、今回大切なのは外傷による腰痛に対して仙豆が効くかどうかが問題ではなく、
あくまで『仙豆でギックリ腰はなおるのか?』
が問題な部分。
それではようやく本質にせまるが・・・
さすがに長いので続きは次回にします。
このペースでこの話は果たして終わるのか?そして続きはきちんと書くのか?いつになるのか?
それは次回のお楽しみです。
後編へつづく・・・
■ #40 手洗所
Date: 2005-09-28 (Wed) 先日、例のごとくスタッフと仕事明けに呑みにいった帰りに五反田で、こないだボブサップを倒した「チェホンマン」選手がランニングしているのを見た。
あんなでっかい体の人が患者さんで来たら料金倍ぐらいとってもいいはずだよなぁ・・・としみじみ思う院長の成木です。
最近は日経アソシエぐらいのペースで更新しております。
さて、先日新聞かなんかで
『殺菌用手洗い石鹸は好ましくない』的な記事があったのがスタッフ内で話題になった。
要は、通常の石鹸だろうが殺菌石鹸だろうが、皮膚常在菌まで殺してしまい、その結果、皮膚常在菌がいなくなれば皮膚の弱酸性は保たれなくなりさまざまな好ましくない細菌(病原菌)が入り込んでその人の健康にも害が出ると・・・
そのような内容である。
それに伴い、私は長年疑問に思っていることをスタッフに聞いてみた。それは、
『トイレの後に手を洗う必要性はあるのか』
ということ。
その流れではっきり言ってしまったが、
私はトイレの後に手を洗ってはいない。
いやいやいや、誤解の無いように言いますが、これはあくまでプライベートな日の話ですよ。仕事の日は洗っています。
それは本当です。
ただ、仕事の日にトイレ後、手を洗うのははっきり言ってこれも
自分の為ではなく、『触れられる患者さんが不快な思いをしないため』である。
そもそも、私だって、手に汗をかいたり実際に物理的に何かが手のひらに付着したら(ケチャップとかね)洗いますよ。
だけれども、ただ単純にトイレで用を済ませたら必ず手を洗うというルールはどうも納得がいかない。
それでも根は小心者な分、初期の頃のデート時などは指先だけちょびっと濡らしたり、ひどい時などは蛇口をひねって水だけ出してなんとなく、私は手を洗いましたよ的な雰囲気だけ演出したりもする。
これ、けっこう同様の経験がある者も少なくないのではないかとにらんでいる。
『汚れ』と書いて“ヨゴレ”と読むか“ケガレ”と読むか・・・
気持ちひとつだとは思いますが、事実洗いすぎるのもよくないわけだし。
とはいえ、いい歳なんだから手ぐらい洗いなさいと、スタッフが怒る気持ちもわからなくはないがね・・・
子供の頃あった「3秒ルール」(食べ物を地面に落としても3秒以内なら汚くないと言われていた伝説的ローカル・ルール)
、当時5秒後に食べてクラス中から非難の嵐をくらった経験が、いまだに手を洗わない反骨精神を生み出したのであろうか・・・
真相は定かではない。
■ #39 気のせい?
Date: 2005-09-15 (Thu) 先日、『カラダ年齢測定』なるものを行ってみたところ、
はっきりと“33歳”という結果がでました。
思わず中日ドラゴンズ時代の星野監督ばりにスポーツクラブのスタッフのお姉さんに抗議してしまいましたよ・・・
こういう大人げないところは実年齢より若いんだろうなぁ、としみじみ思う今日この頃の院長の成木です。
最近ようやくこのコラムを更新しない事へのつっこみが落ち着いてきましたが、時代はどうやら真逆をいってるらしく(むしろ私が時代の逆をいってるでしょうが)、
最近、「ブログ依存症」なるものが流行っているらしい。
とにかく毎日更新しなければならないという事にとらわれてしまい、ひどい人だと仕事も手につかず私生活にまで影響を及ぼし、パソコンの前から離れなくなる・・・
といった類のものらしい。
おっと、自分が更新しない言い訳か?
と思った方、いい勘してますねぇ。でも別段そんなことではなくて今回言いたいのは「病名のマジック」
どうも、ある症状やら現象に名前がついたとたんにやたらと蔓延する傾向が最近やたらとある気がする。そしてそれに悩まされ苦しむと訴えるひとがあっちからこっちから沸いてくる。
これ別にネットがらみに限った話ではない、たとえば昨年あたりからやたら多い「熱中症」これなんかもそうなのではないか。
変な話、我々?が子供のころに「熱中症」になった人は1人もいなかったはずだ。だってそんな言葉がなかったのだからなるわけがない。逆になってたのは「日射病」だろう。
もうひとつぐらい例にだせば「花粉症」なんかもそうじゃないかなと思う。もちろん杉の数が増えたとか、「熱中症」もそうだが気候の変化など原因になりうるような事柄は増えてはいるのであろうが、それにしてもこの爆発的は増加はおかしな気がしてならない。
そんな中、ある本にこんなことが書いてあった。
イギリスの医学雑誌に載った論文なのだが、私自身読んでびっくりした。
ちょっとトリビア風に書くと
『リトアニアでは、むち打ち症の人はいない』
60へぇぐらいは獲得できそうだが、ようはこれ
そもそもリトアニアではむち打ち症という言葉自体がないらしい。そりゃあリトアニアにだって車はあるだろうし追突事故だってあるであろう。
だが、むち打ち症の概念がないとその症状の人がいないというのだ。
もちろん誤解のないように書いておくが、だからってむち打ち症の人がうそを言ってるわけではけしてないだろうし、熱中症で倒れた人だってそれは同じはず。
しかし、どうも一筋縄ではいかない何かがあるような気がしてならない。
余談だが、学生の時にみんなで心霊スポットと呼ばれていたトンネルだかに行ったことがあったが、その時、
始めは、やれ寒気がするだの気持ちが悪いだのぎゃあぎゃあ言いながらおびえていたら、地元の学生服を着た一団が平然とどころか馬鹿話で盛り上がりながら歩いているのとすれ違った時、
全員怖さのかけらもなくなり素になったのを思い出す。
同じトンネルを歩いていても、幽霊出没スポットだと思って歩くのと、単なる部活帰りの近道で歩くのだとこうも違うのだ。
その時の友人のひとこと
「なんか腹減ってきたな・・・」
みんな憮然と
「うん、そうだな・・・」
と言いつつ、なにやってるんだろうなぁ・・・俺ら
と思っていたのを思い出す。
■ #38 老人っぽい
Date: 2005-08-02 (Tue) あやうく、コラムを更新するためのパスワードを忘れてしまうところでした院長の成木です。
なんだか一時期、ちまたのブログブームに少しげんなりしていましたが、まあまたこちらも懲りずに書いていきたいと思います。
最近、といってももう通い始めて随分たつのですが『スポーツ事務』じゃなく『スポーツジム』に通ってるんですよ。
この治療院の近所、さすが五反田は働く人達の街だけあって朝の7時ぐらいから開いているのですが。
なので、朝起きて自宅から自転車を飛ばし治療院に水着をとりに寄りそのままジムへ向かい、そしてしっかりとプールで泳いでからシャワーを浴び毛繕いをして10時の患者さんを迎えるという、まさにちびっこが想像するアメリカのビジネスマンのような生活を送っているのだ。
とは言え一時期は、二日酔いの身体を引きずってジャグジーとサウナにだけいってた時期もあったのだがね・・・
とにかく、我々の仕事はオフシーズンのないプロスポーツ選手みたいなもの。身体が基本ですから鍛えにゃなりませんし、患者さんに運動しなさいとも言えませんからね。
しかし、私も通い始めて気づいたのだがこの『スポーツジム』という場所、私が子供の頃のイメージだと若い人が通うものだと思っていたが、最近はこれまた様子が違うのだ。
とくに私の通っている平日の朝などは特になのであろうが、ほぼ7割ぐらいはいわいる御年配の方々なのだ。
そしてとにかく元気。ペースこそゆっくりではあるがよく動く。そしてよく喋る、笑う・・・たまにうるさい。
しかもいつ行ってもいるのだ。たしかにレギュラー会員なのかもしれないがそこまでレギュラーじゃなくてもと思ってしまう。
しかも時折耳に入ってくる会話など
「あの青の水着履いてて、よく奥のコース泳いでたあのイケメン君、最近こなくなっちゃったね・・・」
っておい、あんたらぬしか!ここの。と思ってしまうぐらいだ。
その時、ふと思ったのが、今後の世の中、やれ高齢化社会だなんだと騒がれているが、御年配の方々の方がどんどん元気になっていくのではないか?
実際、当院に通っている患者さんでも、状況によってだが御年配の方のほうが回復が早い場合もある。
一度やる気になれば、自分の身体を変えていく為の時間はたっぷりとあるわけだし。
逆に多忙な仕事に追われる20代・30代の男性患者さんなどは、治ればすぐに戦場という名の職場に戻らねばならない・・・
時々ここはビジネスマンの野戦病院かと思う時すらある・・・
昔から、立ち上がる際に「どっこいしょ」などと口にすると
言い方は失礼だが、
「じいさんみたいだなぁ」
とか
「老人っぽいなぁ」
とか言われたりしたものだが、あと10年もしたら
元気よく、活き活きと毎日楽しく生きている若者を見かけると
「あの人、若いのに老人っぽいよね〜」とか言われる世の中になってしまうのではないか・・・
■ #37 風が吹いたら・・・
Date: 2005-06-29 (Wed) 暑い。言いたくもないがとにかく暑い。皆さん先に言っておきますがこの夏は、特に7、8、9月の3ヶ月を乗り切るには相当な体力が必要とされますよ。
もうすでに、
『暑くて寝れずに体調を崩す』
か
『クーラーを付けて寝て体調を崩す』
かの2択を迫られてませんか?
と、言いつつ寝不足ぎみの院長の成木です。
最近、某テレビ番組の影響だかなんだか知らないが
「○○を食べるとホントに痩せれるんですか?」
とか
「O脚を治すと痩せれるんですか?」
等の質問を受ける。
そんなに痩せたきゃその膨大な間食をやめりゃあいいのに・・・
と思いつつも、その手の質問をされるとあることわざを思い出す。
『風が吹いたら桶屋が儲かる』
もうなんだか20代のカイロプラクティックの院長の書く文章じゃねーなーと思いつつ書きますが、
このことわざ、言葉すら知らない人も多いかもしれませんが、
この意味は(いろいろ諸説ありますが)まず風が吹いたら、砂埃がたちます。砂埃がたつと、砂が目に入って目の不自由な方が増えます。(もちろん古い時代の話です)
目の不自由な方が増え、みんなに三味線が必要になるので三味線が沢山作られます。
三味線が沢山作られると、三味線の材料に猫の皮が必要になるので猫が減ります。
猫が減ると、天敵が居なくなるので鼠が増えます。
そんでもって増えた鼠が各家々の桶をかじるので、結果的には桶屋が儲かるという仕組みです。
もうこの時点で文章長いですよね。
で、まあ何が言いたいかというと最初に書いた
『何かを食べると痩せる』とか『O脚治すと痩せる』等のフレーズで大切な事はそのプロセスをきちんと理解することなのですよ。
どういうモノにせよなんでも理屈、理由があるわけなのですから。
「風が吹いたら桶屋が儲かる」のだってそれだけ聞いたら意味わからないでしょ?
ちょっと想像してみるといいんですよ。身体の調子が悪いのに気づいたときも同じ。
必ず理由があるはずなのです。肝心なのは想像力ですよ。
しかも、おもしろおかしく考えたりする方が人生おもしろいじゃないですか。
「カイロで痩せれますか?」
と聞かれたら私も笑顔で言いますよ、
「そんだけ食ってりゃ痩せないよ」
(この1文で相当女性患者が減りそうだなぁ・・・)
■ #36 未更新記録更新!!
Date: 2005-06-16 (Thu) こんな事なら、前回ので第1部完。とか書いておけばよかったと、今さらながら思っている院長の成木です。
まずは、更新が滞っておりましてこんな駄文でも楽しく読んでいる皆さんにはご迷惑をかけております。本当に申し訳ありません。
が、ようやくまたコラムを書く意欲が湧いてきたのでまたつらつら書いていきたいと思います。
相変わらずの長文でね・・・
そんなところで、ひとつ最近私が感動した本の紹介です。
知っている人は知っているでしょうが、その名も『肉単』
“ニクタン”と読むのですが、これその名の通り人間の筋肉の単語集なのですが。
もちろん単語集ですので英単語なのですよ。まあ、医学用語だったりするのでギリシャ語とかラテン語なんでしょうが、これが最初はふざけた本なのかなと思い購入したらおもしろいうえにめちゃくちゃマニアックで解りやすい。
よっぽどどこぞの出版社からでてる高額な医学書に比べたら興味をもてる1冊である。
しかもこれ、シリーズ第2弾で、そのほかに
『骨単』『脳単』『臓単』とまあ、ますますマニアックさに磨きがかかっている。熱いぜ、解剖学英単語集シリーズ!!
とにかく、この業界関係者以外の人。とにかく読め!まずは『肉単』!!
■ #35 あの必殺技の威力とは・・・
Date: 2005-04-27 (Wed)
とある耳鼻科の婆さん先生と、ある若者のやりとり・・・
「あんた声帯が腫れ上がってるよ、こんなになるまでよくほっといたね」
「いや、ちょっと喉が痛いかなぁとは思ってたんですが」
「とにかく“喋りすぎ”だよ、あんた仕事なにしてんだい?」
「あ、すぐ近くで“カイロプラクティック”の治療院をやってます」
「は?」
「あ、いや整体です、整体」
「整体師が声帯腫らしてるなんて馬鹿なこと言ってンじゃないよ!」
いやいや、婆さんシャレじゃあないんだからさ!!
どうも、声帯腫らした整体師こと成木海次郎です。
さて、最近当院にも年輩の患者さんが増えてきた。ひと昔だと我々のような仕事というものは、得てして年輩の方が多いというイメージもあったであろうが、ここのところは30代〜40代といった、いわゆる働き盛りと言われる年代の方が多い傾向にある。
とくに当院のように五反田という土地柄、各地から働きに来る方の多い街。おのずと夜は仕事帰りの人でごったがえす。
だがそんな中、お昼過ぎぐらいの