二十
「ユーノ。今までどこに。遅かったじゃないですか」
まずリニスが駆け寄ってきた。
手には赤く染まったぞうきんがあった。おまけに事情を説明しないまま、ただ手伝ってくださいと言ってユーノにもぞうきんを手渡した。
この血を拭けという意思は言わなくてもわかった。
ユーノはその意思に従いながら、事情を尋ねた。
「なにがあったんですか。手、怪我してる。治しましょうか」
リニスの左手に、痛々しいほどの包帯が巻かれている。
「あ、い、いえ。これは別に構いませんから」
ユーノが手を伸ばすと、リニスは不自然に笑って腕ごと引っ込めた。
ただの傷ぐらいならリニス自身でも治せるはずなのに、なぜいちいち包帯など巻くのだろう。
疑問に思うユーノだが、この散らばった血というもっと不思議な存在があったため、リニスの小さな不思議は、とりあえず傍らに置いた。
「他のみんなは」
「フェイトは仕事中です。アルフとなのはは友達の家にいるようですね。ここにいるのは私とプレシアだけです」
「じゃあなのはは無事なんだ。良かった。――でもここで一体なにが」
「プレシアが非殺傷設定とかしてなかったんです。信じられますか。いえ逆にプレシアが丁寧に非殺傷してたら変ですが。でもおかげでこの有様ですよ。まったくもう。ユーノはこれ、どこに捨てればいいと思います?」
「非殺傷って……、え?」
リニスがゴミ袋を突き出した。
入っていたのは、人間の腕だった。
お化け屋敷の小道具のような腕は、ユーノの目には正しい現実味を与えなかった。
「ど、どういう……、こと……?」
「踏み込んできたのよ、勝手にね。だから追い返したの」
プレシアが話に混じってきた。
風呂にでも入ったのか、だぼだぼの白シャツ一枚であった。
話によると、数時間前に突然魔法用の異空間が展開され、同時に黒い集団がここに押し入ってきたらしい。
誰かもわからない覆面の人間は完璧な武装をしていた。
高級な装備はただの組織ではないことを表す。
ただ、それもプレシアの前では無様であった。
プレシアは今までさんざん研究した技術の方切れを使って、この家に血を飛ばした。
なんの技術かいちいち自慢をしないのがプレシアらしいが、こんな酷いものを隠すのはあまり良くない。
しかし肝心なことは誰がなんの目的を持って襲ってきたかだ。
「ま、原因はあなたでしょうね」
その肝心な問題を、プレシアはざっくりと答えた。
「僕……?」
「自分の胸に聞いてみなさい、文字通りに」
軽くとぼけるユーノだったが、実際は全て気づいていた。
ただ自分の責任で他人に恐怖を与えるという事実を、すぐには認めたくなかった。
事態を重く見たユーノは、素早くバモスの家へ向かった。もちろん掃除は終えてから。
ひさびさに見るバモスは普段通りに平然としていたが、今日の話をぶつけると、ユーノと同じように眉を中央に寄せた。
なにを考えても結論が出ない時、ユーノは自分の高度な知識よりも、この老人が過ごした長い時間が持つ経験に頼る。
そうして尊い経験は、早足で結論を出した。
「いいでしょう。いちかばちかです。彼女に会いましょう」
「会う……? あのアヴァンシアに? できるんですか、そんなこと」
「会うぐらいなら恐らく。彼女の魔力が戻っているかどうかは別の話です」
会うことが最終目的のように考えていたユーノは、できるなら早くやれば良かったのにと心で毒づいたが、バモスはとても慎重であった。
常に狙われるべき存在の彼女を、弱ったまま復活させるのは恐怖そのもの。だから絶対にユーノ一人と再開させるのだけは頑なに拒んだ。
貫かれる頑固は、ユーノの高度な頭が生む理論さえ隙間に入らせない。
最後には準備があるなどと今まで言いもしなかったことを付け加えて、とにかくユーノを突き帰した。
ユーノはしぶしぶ退散し、後日またバモスの家に行くことにした。
今度は要求どおりにフェイトとアルフを連れてきた。
ついでにアヴァンシアに興味のあるプレシアと、プレシアに不安のあるリニスまでもついてきた。
当然ながら、なのははいない。
一人置いていかれるのが嫌だったのか、なのはも行くと手を上げたが、危険に巻き込むことが至極嫌なユーノに強く反対され、最後はうんと言って黙るしかなかった。
集まった六人は人里離れた山奥まで移動した。
澄んだ空気の静かな空間。
鳥の声さえろくにしない。
誰も足を入れないこの場所で、バモスはユーノを一人まっすぐ立たせた。
「意識を集中して、彼女を呼んでください」
バモスの声に従い、ユーノのまぶたが落ちる。
まさかこれだけじゃないだろうと思うユーノの胸に、トンと小さな手の平が乗った。
弱々しく震える手。
バモスの手だろう。
この手は今なにを思うのだろう。
アヴァンシアを手に入れ、金の海を手に入れる未来だろうか。
それとも、歳を取ってもなお過去を追い続けた終焉を感じ、喜んでいるのだろうか。
理屈の上では前者が正しいが、できれば後者であって欲しい。
ユーノはこの老人に、少なからず自分をかぶせていた。
このシワのだらけの手は、恐らく未来の自分の手である。
若いころに見た夢をこんなくしゃくしゃになってまでも忘れられず、叶わぬ願いを追いかける日々。
辛く、苦しく、そして嫌になったとして、死なぬ限りこの夢は身を苦しめるだろう。
そんな苦痛、絶対に付き合えない。
ユーノはぐっと歯を締めて、胸の内でアヴァンシアを呼んだ。
胸が痛む。
ジュエルに魔力を吸われている感じがする。
自分の体を食って力を戻すというならば、いくらでも食われる覚悟だ。
するとユーノの頬を、すぅっと冷たい風が撫でた。
目を開けてみると、目の前に青白い光の粒が漂っていた。
安らぎさえ覚えるような小さな粒。
それがユーノの胸から、ぽつぽつとあふれ出た。
自分勝手に漂う粒は、やがて一箇所に集まり、だんだんとなにかの形を作った。
もちろんなんであるかは深く考えずともわかる。
ジュエルの創造主に会えば、なのはの存在は確かなものになる。
皮肉にも、忌まわしきジュエルシードはなのはの存在を与え、今はそれの創造主が願いを叶えてくれる鍵になっている。
ジュエルはやはり悪しき力ではない。
人の想いというものを真剣に受け止めてくれる、正しき力なのだ。
目の前では、光の粒が古い映写機のように人の姿を映し出していた。
ジュエルのように蒼く濃い長髪。光に染まる肌は、どこまでも白い。
これが恐怖の力を生んだアヴァンシアなのだろうか。
ユーノには、ただの女性にしか見えなかった。
「おい。そこまでだユーノ」
だがそんな干渉も、突然の一言で止まってしまった。
全員が振り向くと、そこには戦闘服のヴィータがいた。
なぜここにヴィータが。と、ユーノが心を乱すと、せっかく集まりかけていた光の粒は、虫を払ったかのようにどこかへ散った。
「な、なんでヴィータが、ここに」
「おめーは数字見る頭いーけど、飲み込みはわりぃよな」
「ごめんなさいユーノ君。一応、係わりがあるって確かな証拠が欲しかったから」
今度はシャマルが現れ、それを皮切りに、ぞろぞろと周囲から知った顔が出てきた。
ユーノの行動は、完全に監視されていた。
真っ先に逃げようとしたバモスはすぐさま地面に押さえつけられ、ほかの面々も抵抗はしなかったものの、ただ呆然と立ち尽くすだけであった。
唇の上下がうっすらと離れたままでいると、ユーノはヴィータに携帯端末を渡された。
モニターに映し出されるはやてとリィンの姿。
大将はじっと自陣に腰を下ろしていた。
「はやて、これはどういう」
「どーいうもこーいうもない。むしろ私らに捕まえられて感謝して欲しいくらいや。もう自分なにしてん。――ええか? ほんまやったらな、本局の連中が来て即逮捕や」
「ユーノさん。とりあえずアタシ達に従ってください」
会話の横から、ティアナがはいってきた。
ティアナの瞳は、卑劣な犯罪者を見る色というよりも、どこか哀れみを持った色であった。
「こんな状況ですけど、アタシ、ユーノさんのこと悪い人だと思ってません。騙されただけなんですよね。はやて隊長もそう言ってましたし」
「騙され……、た?」
「せや。ユーノ君やフェイトちゃんはその男に利用されとっただけ。それでええんや。あとは再犯の可能性は極めてあらへんって上に報告したら、私らが監視義務を負う言うて、この話は一件落着や」
「そうそう。ね、話は穏便に終わらせましょ」
笑顔を見せるはやてに、ティアナも同調した。
ただ迷いを見せるユーノに、はやてはとどめに強烈な釘を刺した。
「踏ん切りつかへんみたいやけど、今回はほんまに私の言うこと聞いたほうがええよ。あんな、局としては嫌なんや、身内から犯罪者出すの。なら利用された被害者にしておくか、それともそもそも全て無かったことにするか。どっちかや。自分はどっちがええ?」
はやてが刺してきた釘は、とかくユーノの動きを封じた。
思い当たる節はある。
もしかしてこの前踏み入ってきたのは強盗ではなく、局の部隊なのだろうか。
そうだとすれば、一度目の失敗を二度目で返してくる。
二度目はどうなるかわかったもんじゃない。
ここで抵抗せずおとなしくしたほうが、全て丸く収まる。
はやての忠告はユーノとフェイトを六課に強く招き入れるものだが、これは二人にとっても得だ。断るだけ損になる。
局も身内の不祥事を極めて軽くし、六課は人員強化と、P.T事件の再発を事前に防いだ結果を得られる。おまけに不祥事隠しの功績を握りながら。
相変わらず最後は持っていくはやてに、ユーノはぐぅの根も出なかった。
こうなれば従うしかない。断っても損が出るだけだ。
そうやって納得しかけたユーノだったが、その確かな打算は、ある激しい一言でもろくも崩れてしまった。
「私は、私は嫌だ……っ!」
顔に土をつけたままのバモスが喉の奥から声をしぼった。
「なぜ、なぜいけないんですか。彼女の力は素晴らしい。悪は利用する者の心がいけないのであって、彼女自身ではない! 人を幸せにしたいという彼女の気持ちのなにがいけないっていうんですか!」
「静かにしろ。そういう話は後で聞く」
隊員の一人が、弱々しい老人の腕を引っ張った。
一瞬顔を曲げたバモスだが、それでもはやてに食いついた。
「私は、私は五十年、いいや、六十年は待った! だからもう一度なんてことはない。私が彼女を助けようと思わなければ、誰もが彼女を忘れてしまう!」
顔を赤くし、涙が老人の発音を邪魔する。
そうして最後の一言が、はやての放った杭よりも、深く鋭くユーノを打ちのめした。
「私は、私は彼女に……。他人なんかじゃなくて、まず彼女自身に幸せになって欲しかっただけなのに……! 幸せになって……、だけ、なのに……」
シワの寄った目尻に、熱い涙がこぼれ出た。
この老人は、自分の映し鏡である。
正しさの中に身を収め、このまま仕方が無いで済ませられるだろうか。
いいや、絶対に済ませられない。
ユーノの手が、ぐぅっと握られた。
この手が握らなければいけないのは、自分の安全や倫理、利得ではない。
愛すべき者の、あの小さな手だ。
「お、おいユーノ! おめー、どこ行くんだ!」
「まずい、逃がしたらあかん! 三班は全員で追うんや!」
ユーノは全力で飛び去った。
この世の正しさを全て捨て、ただなのはに幸せを与えたいために。
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