二
フェイトは高校を卒業後、翠屋の店員になった。
管理局はなのはが死んだあと、すぐに辞めた。それ以後はマンションに残り、アルフと二人で暮らしている。
翠屋で働くフェイトは充実した日々を送っていた。
適度な給料に、適度な達成感。そして高町家の家族に、時折やってくる友人のすずかとアリサ。不自由といえるものはなかった。
特にフェイトはユーノと違い、なのはが死に関して、あまり尾を引きずらなかった。
自分にとって最初の親友だったリニス。最愛の母だったプレシア。そんな二人がいなくなったフェイトにとって、三人目のなのはの死は、他の誰よりも慣れたものだった。おかげで思いのほか、順調に親友の死を乗り越えられた。
そうして今日も、普段通りに翠屋で勤めていた。
フェイトはカウンター越しに、すずかとアリサと大したことのない話をしていた。お昼過ぎ、店内に人は少ない。このちょっと空いた時間を狙って、すずかとアリサがやって来る。フェイトもこの時間を空けるため、お昼の仕事を後に残さないよう努力している。
「ぐぇ、なにこれ」
アリサが出されたチョコレートケーキを口にして、遠慮の無い感想を述べた。このケーキを作ったのはフェイトである。しかしこの辛口の感想も普段のことなので、言われたフェイトは特別気にも留めなかった。
「ちょっとフェイト、これ食べたの」
「食べたけど」
「苦すぎ。コーヒーで舌鈍ったんじゃないの」
「そうかなぁ」
日頃からコーヒーの味を確かめるべく、コーヒーをそのまま飲むフェイトと、下に砂糖が溜まるほど入れるアリサでは、味覚に差があった。
それをひょいっと横からすずかが食べてみると、今度は美味しいんじゃないかという、遠慮のある感想が返ってきた。
そんないつもの世界の中に、久々のいつもがやってきた。
「ユーノじゃん、久しぶり」
やって来たのはユーノだった。
アリサが手を上げると、ユーノも小さく手を上げた。
すずかとアリサにとっては久々だったが、ユーノは良くコーヒーを買いに来るので、フェイトにとってはさして珍しくない客だった。
アリサが椅子に置いたカバンを退けると、ユーノはそこに座った。そこへ何も頼まないうちに、フェイトがコーヒーを一杯出した。
「今日もまたコーヒー買いに来たの? でも前来たばっかだよね」
「今日は話があるんだ」
「話?」
「今日の仕事、いつごろ終わるかな」
「別に話なら今でも」
「大事な話なんだ。二人だけで話がしたい」
ユーノは出されたコーヒーにも手をつけず、真っ直ぐフェイトを見上げた。
そのどこか震える瞳に睨まれたフェイトは、ぎくりとしてほんの少しあごを引いた。そうしてすずかとアリサを順々に眺めると、その二人もぎくりとしてあごをひいた。ついでに横にいた桃子にも目をやると、桃子は一瞬驚いた後、へらっと笑ってみせた。
「あー、あぁ。洗物まだ残ってたわぁ」
「え、洗物なら私がもう」
「ううん、すっごい残ってたから、私がやっちゃうわね」
桃子は慌てて奥に引っ込んでいった。
「アタシ達もほら、そろそろ。ねぇ」
「うん、そうだね」
「そんな。まだ来てちょっとしか」
「きょ、今日は忙しいのよ」
「じゃあこれ、フェイトちゃん」
すずかがカードを取り出したので、フェイトはしぶしぶレジにカードを通した。お客を困らせるわけにもいかない。
二人が出て行くと、カウンターにはユーノとフェイトだけが残された。ユーノはやっぱりコーヒーに手を出していなかった。
「ごめん。なんか帰らせちゃったみたいで」
謝ったユーノだったが、もう遅かった。フェイトはいいよと笑ってみせた。
「それで、話ってなに?」
「いやあの……、あんまり大きな声じゃ言えなくて……」
ユーノが横に目をやると、その先で桃子が顔を半分出してこちらを覗いていた。それに気づいたフェイトが声をかけると、桃子は別になんでもないとだけ言い、今度こそキッチンへ引っ込んだ。
「もう大丈夫、誰も聞いてないと思うから」
「うん」
「それでなんの……」
「なのはの」
「話……」
「なのはのことなんだ」
低い声だが、しっかりした調子だった。
フェイトはそれ以上無言になって、手の平を胸の上に置いたままぴくりとも動かなかった。ユーノもその間、声をかけることをしなかった。
「あ、仕事は……、五時に終わるから……」
フェイトが言えたのは、そのぐらいの短い言葉だけだった。
五時になって仕事が終わると、フェイトは店の裏から出て自分のバイクを押した。中型二輪の小さな青のスクーター。100ccもない。フェイトは普段これで通っている。
日本に住む以上、魔法で空を飛ぶわけにもいかないのは当然だが、フェイトは魔法を思い出すのが嫌だった。
魔法を使うたび、頭に大切な人との思い出が蘇ってくる。だから嫌なのだ。
そうして嫌なもの全てから身を引き、落ち着いた環境で暮らしていたのに、なぜ今になってなのはの話が出てくるのか、フェイトには理解できなかった。
放っておいてくれればいいのに。フェイトはユーノを少し憎んだ。
それでも店の入り口にいたユーノを後ろに乗せると、フェイトは途中のスーパーに寄った。しかしその間も、なのはの話は一切しなかった。
夕飯はどれにしようか。なにが好きかどうか。なのはの話を覚悟しているのに、お互いがそのなのはを遠慮していた。
スーパーを出る。
七月の空でも、帰宅の途中で暗くなった。
マンションに着き、自宅の戸を開けると、真っ先にアルフがやってきて、珍しい客人を眺めた。ユーノは軽く挨拶をすると、小さいアルフの頭を撫でた。
今この家には、フェイトとアルフしかいない。クロノとエイミィは当然ながら別の家を持ち、リンディも空気を読んで、フェイトから離れている。
リンディはフェイトが魔法を嫌っていることを知っている。しかし自分は魔法と縁を切れない。だから一旦距離を取り、フェイトのほうから自分と関わりを持とうと思うまで、じっくりと待っているのである。
だがそんなフェイトに、ユーノは空気も読まずに寄ってきた。誰もが一番触れてはいけないと思っているなのはの話をぶらさげながら。
「ユーノ、今日どうしたのさ」
アルフがちょいちょいとユーノのズボンを引っ張った。
「ちょっと話があって」
「ふーん。それって急ぎ?」
「急ぐわけじゃないけど」
「だったらそこの公園でいいからさ、連れてってよー」
アルフの駄々に、ユーノはどうすべきか迷ったが、フェイトに散歩の代わりを頼まれたので、靴も脱がずに再び外へ出た。散歩道具はアルフが一式持ってきた。
フェイトはスーパーの袋を台所の床に落とすと、慣れた手つきで一人分多い夕飯を作り始めた。翠屋に勤めてから、特に料理の腕は上がっていた。
調理台に食材を並べると、フェイトは淡々と包丁を動かした。余計なことを考えず、作業の効率だけを気にし、できるだけなのはを避けた。
ユーノは辿り着くことのないものを追い続け、フェイトは逃げ切れることのないものから逃げ続けていた。乗り越えたと思ったのに、結局フェイトはあの日からずっと同じ位置にいた。
待つ時間のない料理は、なんの滞りもなく終わってしまった。
皿の上で湯気を立たせる肉料理。フェイトはこれを眺め、冷めてしまうことを望んだ。
ユーノが一体なにを言うのかが怖かった。ユーノとアルフが帰って来ない間、フェイトは救われる。なのはから逃げていられる。向き合わずにすむ。
それでもユーノは帰ってきた。フェイトは丁度良かったなどと愛想良く笑い、作った料理をリビングにあるテーブルに並べた。
食事を始めた程度では、二人はごまかすことをやめなかったが、二、三分お互いの様子をうかがっているうちに、とうとう一人が声をあげた。
「フェイト、どうしたのさ」
それはアルフだった。
「さっきからなんか悩んでるみたいでさ、アタシまで胸ん中もやもやするんだよね。どうかしたの」
「え、あの……」
「なにさ」
「私は別にユーノを待ってるだけで」
アルフに問い沙汰されて、フェイトは思わずユーノのせいにした。したあとに、その白い手を胸に引きつけ、じっと下を向いた。ユーノに話し出すきっかけを与えてしまった。
「フェイト」
俯いていると、さすがに呼びかけられ、フェイト肩をぴくりと動かして、無理に笑った顔を上げた。
なにを言われるか。覚悟はできていない。けれども、待っていられるほど心は強くない。早く終わらせて欲しい気持ちでいっぱいだった。
「フェイトは」
「うん」
「なのはに……、もう一度会いたくない?」
「えっ! ちょ、ちょっと! それどういう意味さ!」
フェイトが口を開く前に、横で聞いていたアルフが真っ先に声を張り詰めた。
「落ち着いて聞いて欲しいんだ」
「う、うん……」
「ある人に出会ったんだ。自分は死んだ人間を蘇らせる力を持ているって。もう一度会いたい人に会わせてあげるって」
「嘘、だよね?」
「蘇生術は目の前で見た。なにかのトリックって可能性もあるけど……。でももしこれが本当だとしたら、フェイトは……、フェイトはどうする?」
「どうするって……」
「ちょっとユーノ! よりにもよってフェイトに聞くのかい!?」
アルフの言葉はもっともだった。
フェイトは自分がどうして生まれたのか知っている。死んだ娘にもう一度会いたかった母親が、娘の代わり作った失敗作だ。それは良くないことであって、もう二度と起こってはいけない悲劇だと思っている。
なのに今、フェイトはその母親の跡を辿ろうとしている。死んだ親友にもう一度会うかどうかのきっかけを与えられている。
フェイトはしばらく言葉を濁した。
確かに会いたくはあるが、かといって死んだ人間をわざわざ蘇らせるつもりもない。それは悪いことで、してはいけないことだ。どれだけ悪いかは、自分が一番分かっている。
「そんなことは分かってる。分かってるけど、フェイトにしか頼める相手がいないんだ」
「私に頼む?」
「条件を出された。優秀な魔導師をもう一人連れてきて欲しいって」
「優秀って、私もう八年近く魔法なんか使ってないよ」
「それでもなのはのことで協力してくれる人は、フェイトしかいないんだ」
「それは……、分かるけど……」
「だったら!」
「ユーノは、なのはに会いたいの?」
「……会いたい」
ユーノの強い調子は、余計にフェイトを困らせた。
ユーノは腹をくくってきている。散々迷って、決断した末にここへやって来ている。なのにフェイトには考える時間を与えず、即答を求めている。
フェイトは卑怯だと思った。それから、上手くユーノから逃げるきっかけだとも思った。
「それ、急ぐの?」
「そういうわけじゃ」
「だったら私だって考える時間が欲しいよ」
「……あっ、そ、そうだね。ごめん、急かしちゃって」
「ううん。知ってるから、ユーノが悩んでるの」
フェイトはまた笑った。それはユーノに対してではなく、問題を先送りにできた安堵感から出た顔の緩みだった。
食事を終えたフェイトは、ちょっと一人にさせて欲しいと、もったいぶった振る舞いをして、部屋に篭った。そうして枕に顔を押しつけ、うだうだと寝返りばかりをうった。
夏の夜。
布団にばかり篭っていると、熱が溜まって汗が吹き出てきた。
なんだかむしゃくしゃする。すっきりしない。
頭の中では良くないことだと理解している。
なにを迷う必要もなく、ユーノの誘いは悪だと判断できる。
けれども、自分はあの場できっぱりと断らなかった。
悪にすがったユーノの心が分かる。それはつまり、なにかとがめるものがなければ、自分もその悪にすがりたいということなのだろうか。
フェイトは散々悩んだ。背中出た汗がじっとりとシャツに染み込ませながら。
結局のところ、フェイトはなのはのことなど一切乗り越えていなかった。リニスもプレシアも、全て過去の出来事と位置づけ、辛くならないよう見てみぬふりをしていただけだった。
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