四

 フェイトは暑い朝の中、冬着を取り出し、それを着込んだ。
「じゃ、アルフ、行ってくるね」
 広いリビングの中央でアルフに声をかけると、フェイトはユーノの手を掴んだ。
 ユーノはそのまま目を閉じ、足元に転移用の魔方陣を広げた。
 行き先はバモスの場所である。
 結局フェイトは折れたのだ。
 ユーノのためだとか、話を聞くだけだとか、いろいろ正しそうな言い訳を考えた。
 しかし実際は、自分を永遠と苦しめていたものを降ろすため、道徳や規律を見捨ててユーノの提案に乗っただけだった。
 現地に着いたユーノは、電話を借りてバモスと連絡を取った。
 町は寒い風が吹き、どこを見ても賑やかな景気がしない、落ち着いた様子だった。
 呼ばれた場所は、バモスの家だった。
 順に並ぶ家々の間。レンガ造りのバモスの家は、周囲の風景に限りなく溶け込んでいた。少し目立つといえば庭が綺麗に整えられているだけで、とても特別な力を持つ者が住む家とは思えなかった。
 ユーノが玄関に立ち、固い茶色の扉を叩いた。
 しばらくして、バモスが出てきた。
「やぁ、いらっしゃい。外は寒いでしょう」
 バモスは孫でも尋ねてきたかのように、二人を笑顔で歓迎した。
 恐ろしい魔導師を想像していたフェイトは、バモスの人あたりの良さに拍子抜けした。
 二人が通された居間は、暖かい空間だった。朱色や薄い緑の、暖色系の家具が並び、火を焚いた暖炉が、パチパチと緩やかな音を立てながら部屋を暖めている。バモスはもっと便利な暖房器具もありますがね、アタクシはこれが好きなんですよと、穏やかに喉を揺らして語った。
 適度に片付けられ、適度に細かい所が散らかっている。普通の人が住んでいる、尋常な家だった。
 部屋の中央にある細い足のテーブル。そこに置かれた椅子に二人は腰を降ろした。
 すると一旦奥に引っ込んだバモスが、テーポットとカップを三つ持ってきて、テーブルの上に並べ、一つ一つのカップに紅茶を注いだ。
「遠いところどうもお疲れ様です」
「いえ、僕は別に」
「あぁそうでしたね、ユーノさんには移動に便利な魔法があるんでしたっけ。いやいや、羨ましい」
「あ、あの」
 紅茶をすすりながら話をする二人に、フェイトは遠慮を含めた声で割り入った。
「あぁすいません。あまり人が尋ねて来ないものですから、ついね、世間話をしそうになって」
「いえ、あの……、それは別にいいんですけど……」
 どんな危険が待っているのか、少なからず腹をくくっていたフェイトだっただけに、どうも調子が狂っていた。
「じゃあ話を進めましょうか。お若い人を待たせるのは良くない。それで、そのお方はどういう方で?」
「彼女はフェイト、実力は保障します。時空管理局でも働いてましたし」
「管理局ですか。驚いた。お若いのに。恋人かと」
 短い言葉が連続して二人の耳に投げられた。
「しかし管理局というのならば、これはまた都合がいい」
「都合?」
「なに、すぐお話しますよ」
 良く分からない話だったが、バモスに片手を出しなさいと言われたので、二人は揃ってテーブルの上に手を平を広げた。
 バモスはしわけた右手を出し、まずユーノの指先に触れ、普段から開かない目蓋を、さらに強く閉じた。
 目蓋の下で、盛んに目玉がぴくぴくと動いている。その間も、バモスはあぁとか、そうかとか、とにかく独り言を呟いては、なにかを見ている様子だった。
「これは……、あぁ……、そうなんですか」
「な、なにか?」
 ユーノは堪らず聞いた。
「あなた、好きな人を亡くされたんですね。お可哀想に」
「どうしてそれを」
「あぁ……、そうか。それは辛いでしょう。分かります。小さい命だったのに」
 バモスは垂れた目蓋の肉の間から、すーっと涙を流した。
 手が触れているだけだというのに、バモスはユーノの心の中を覗いているようだった。究極の読心術ともいうような、そんな力だった。
「あ、いや、失礼。心に問いかけると、つい自分の心にまで相手の気持ちが入ってきてしまうから」
「心に問いかける?」
「えぇ。まぁアタクシのちょっとした特技だと思ってください。さ、次はフェイトさんですね」
 涙を指先で拭うと、今度はフェイトに手を置いた。
 バモスは今度もまた、目蓋の奥で目玉をぴくぴくと動かした。
「あぁ……、ユーノさんと同じ……。いや、これは……」
 眉を寄せ、バモスは首を捻った。
「これは……、違う。そうか、これはあなたのお母さんですね」
「お母さん?」
「優しそうなお母さんだ。笑っている。花畑で二人一緒に遊んだんですね。……あぁ、本当に楽しそうだ」
 バモスは頬のしわを端に寄せ、にこやかに笑った。
 しかしフェイトは複雑な思いだった。
 今語られた記憶は自分の記憶ではない。アリシアが経験した記憶だ。
 結局自分はなに一つ忘れられていないのだなと、フェイトは自覚せざるを得なかった。
「しかしお辛いでしょう。こんな優しいお母さんと別れてしまっては」
「え、えぇ……」
「分かりました。えぇ、良ぉく分かりました。あなた方は嘘を吐いていない」
 手を引っ込めたバモスは、またゆっくりと紅茶をすすった。
 そのゆっくりとしたバモスの行動が、ユーノにとっては苛立ちとなり、胸焼けのように身にしみ込んだ。
 バモスが口を離した直後、ユーノは話を急かした。
「それで、僕達はなにをすれば」
「え。あ、すいません。またつい感傷に浸ってしまって。オホンッ。いいですか、あなた方には会いたい人がいる。そしてアタクシにも会いたい人がいる」
「つまり、お互いに会いたい人の交換をするってことですか?」
「そうです」
「でもバモスさんの力があれば、会いたい人にすぐ会えるはずじゃ」
「彼女は死んでません。牢獄に入れられてるんです」
「牢獄の彼女? それってまさか」
「彼女は管理局によって捕まり、今もなお生きています。ユーノさんにはそれを……」
「まさか脱獄の手伝いってことですか!?」
「無実なんですよ、彼女は。なにも悪くないんです」
 声を荒げるユーノに対し、バモスの調子はいたって冷静だった。
 多少なりの無茶な要求は覚悟していたが、さすがに脱獄となれば、容易な返事をするわけにはいかなかった。
 死者の蘇生だけでも問題事項であるのに、その上脱獄をしろという。
 確かに管理局の人間であれば、その問題は有利に解決することができる。しかし管理局の人間だからこそ、明らかな犯罪に手を染めることができない面もある。
 ユーノはだいぶ困った。バモスは困るのも予定の範囲なのか、ゆっくりと紅茶をすすって、ユーノの対応を待っていた。フェイトはその間、会話から距離を取り、さも関係のないように振舞っていた。この重い駆け引きに、自分が加わってどうにか解決する要領など、フェイトは持ち合わせていなかった。
「確かにいきなりこんな話をして、許諾はされにくいでしょう」
 しばらくの沈黙の後、カップの中を空にしたバモスが口を開いた。
「しかし無実の彼女をこのままにしておいて、アタクシは死にたくありません」
「無実というのはどういうことなんですか。管理局の扱う事件に関してなら、僕はある程度内部のことを調べることができます。それでもし本当に冤罪だと確信が持てれば、僕も協力をしますが……」
「おぉ、それは。良かった、やはりユーノさんとの出会いは運命でしたね」
 バモスはまた嬉しそうに頬を緩ませ、二杯目の紅茶を注ぎ始めた。
「しかし詳しい事情はまたのちほどにしましょう」
「どうしてですか」
「お二人だけでやれと言われても、それは無理があるでしょう。ですからアタクシが協力してくれるお仲間を呼びます。話はみんな揃った時のほうがよろしい」
 常に情報を小出しにするバモスを、ユーノは怪しんだ。
 なにかを隠している。
 しかし分厚い目蓋に遮られた瞳には、一切の隙が見当たらず。これ以上ユーノが問いただせることなどなにもなかった。

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